「まあいいじゃない、健康的ではあるんだし。哲郎くんみたいになれとまでは言わないけど、あんたもちょっとくらい運動らしい運動とかしてみたら?」
「話の流れ的に考えなくもねーけど、俺はともかくお前はどうなんだよ。俺のことばっか言ってるけど、お前だってこれっていう趣味とかないだろ?」
「あんたがするってんなら付き合うわよ、運動」
「……あんま音無のこと言えねえぞお前、それ」
「あ、あら? そうだった?」
「ああ、それともあれか。俺をダイエットのダシに使おうとしてんのか」
「ああそうそう――って誰が太ってるってのよ! 間に合ってるわよ多分!」
「いやそりゃ充分知ってるけどな」
「ええと、喧嘩じゃないんですよね?」
「おお、分かってきたのう義春くん。あいつらはあれが仲良しのサインなんじゃ――が、義春くんは真似しちゃいかんぞ。あれが成立するのはあいつらが変人じゃからなんじゃし」
『ああ?』
「おお怖い怖い」
「あはは……」
「でも義春さん、怒橋さん達もそんな感じだったんですよ? ちょっと前までは。今はもうラブラブですけど」
「こくこく」
「ワフッ」
「そこわざわざ今持ってくる必要なかったと思うんだけどなあ、オレ」
「わたし達だけという話でもないしな。日向達だって、ある意味ではわたし達よりよっぽど」
「そ、それこそ今持ってくる話じゃないよ成美ちゃん。一応、あれとかあれとかは本気の喧嘩だったんだから」
「まあそれでご飯が不味くなるってことはもうないけどね。むしろ美味しいかも」
『ごちそうさまでした』
話が盛り上がったおかげかみんな揃って食が進み、こういった食事形式では余ってもおかしくない、というかいっそ余ることのほうが多いであろう盛りに盛られた献立はしかし、すっかり空になってしまったのでした。
こうした光景というのはやはり、自分で作った料理でないにしても気持ちいいものです。
……いやあ、お腹いっぱい。
「車ってさぁ、孝さん」
「ん?」
自分の腹をぽんぽんと叩いてみたところで、隣からはとろんとした声が。もちろんそれは栞のものなのですがしかし、今このタイミングでどうしてそんな声なのか、とそちらを向くより先にそんなことを。
食事の直後ということもあって「まさか酒」と嫌な予感が頭をよぎりもしたのですが、けれど食事と一緒に出てきた飲み物に酒類は含まれていなかった筈。となるとこれは、一体?
「眠くなるよねぇ」
ああ、なるほど。お腹も膨らめば尚のこと、でしょうしね。
「寝ててもいいよ、着いたら起こすから」
「お願いします……」
よっぽど強烈な眠気だったのでしょう、躊躇いも何もなしにそう頼んできた栞は、すぐさま目を閉じてしまうのでした。もしかしたら既に意識は夢の中なのかもしれません。
といったところで、ここまで耳にしなかった声が。
「次のサービスエリアで一度ご休憩の時間をお取り致します」
「あ、お願いします」
声の主は運転手さん、そして返事をしたのは義春くん。タイミングがタイミングだったので栞のことがあってってことだろうか、とも思ったのですが、しかし考えてみれば寝ている人のためにサービスエリアで車を停めるというのも変な話なので、ならばこれは始めから予定していた行程だったのでしょう。
大きな車の広い車内とはいえ、車内は車内です。外に出て身体を伸ばしたくもなるでしょうし、あとはまあ、トイレ休憩といった意味合いもあるんでしょうしね。あと売店でお土産を買ったりとかは――ううむ、何か名物とかってあるんだろうか? この辺って。
「うぐぐ……そうとなったら寝ているわけには……」
「そんなに頑張るところ?」
ギリギリ今の話が耳に届いたのか、目を覚まそうとする栞なのでした。座った姿勢で寝ようとしていた以上、目を覚ますと言っても身体を起こしたりする必要はなく、なのに「うぐぐ」などと声を上げてしまう辺り、意識だけでなく身体の方も半分以上寝てしまっていたのでしょう。
「寝るだけなら家でもできるんだしね」
笑顔に力の籠らない栞なのでした。が、それはそれで、なんて。
サービスエリアに到着してみたところで、ああそのためだったのか、なんて気付かされることになったのは、ここに立ち寄った理由と後ろについてきた車。僕達が乗ってきた車と後ろについてきた車両方の運転手さんが空き皿の片付けを始め、そしてその片付け先というのが後ろの車だったのです。
「臭い対策ってことなんだろうな。ぶっちゃけ、食った俺らはあんま気にならねえけど」
「でしょうね」
車からやや離れた位置にあるベンチからその様子を眺めているのは、僕と口宮さんの二人。他のみんなはトイレなり買い物なり、つまりはまあ当初想定していた「ここに立ち寄る理由」の遂行にあたっているのでした。
トイレはともかく買い物の方には付き合ってもよかったのでしょうが、いざそうしてみようとするとその人数に気が引けた、というかなんというか。普段の散歩やら何やら、あまくに荘住人として行動している分には全く気にならないのに不思議なものです。
「ただ片付けるってだけなら、わざわざもう一台車を出さなくてもどうとでもなるでしょうしね」
「まああんだけデカけりゃそんくらいのスペースはあるわな」
サービスエリアの駐車場、ということで、如何に平日の早朝とはいえやはり他の車もずらりと並んでいるわけで、ともなれば僕達が乗ってきた車の大きさというのは、ますます強調されてしまうのでした。少々距離があるこの場所から眺める限り、傍を通り過ぎる人の視線も集めているようですし。
「……で、あの」
「ん?」
突然ですがここで話を切り替えてみようと思います。いや、もちろん、ここまでの話にしたって食事関連のものである以上は是非ともこのまま続けていたかったところではあるのですが、今この場でしか出来なさそうな話があるとなればやはりそちらを優先するしかないわけでして。
「どうでした? 二人だけで混浴って」
「なんだ、案外そういう話好きなのか兄ちゃん」
「好きか嫌いかと言われたらそりゃあ好きですけど、まあそれだけでもなくて……」
「なんだよ?」
「今朝、随分早くから起きてたんですよ僕。で、栞にそのこと言ったら『混浴に誘ってくれたらよかったのに』なんて言われたりしちゃいまして」
「あー、俺もいきなり起こされたからなあ……」
という話は半分本気、半分誤魔化しと言ったところ。栞の言葉が胸に残っているのは嘘でないにしても、それを抜きにしてもやっぱり、言い訳の一つくらい言っておきたいところでもありますしね。異原さんと二人きりの混浴はどうだったか、なんて質問をすることについて。
「先に言っとくけど、周りから期待されるようなことは何もなかったからな。兄ちゃんがどうかは知らねえけど」
「あ、いえ、はい、もちろんそんなことまで言いませんけど」
僕が言ったからどうだという話でもなかろうに、慌ててそんな返事をしてしまうのでした。むしろ駄目だろ僕、それは。
で、そんな僕へ口の端を持ち上げる程度の小さい笑みを浮かべてから、口宮さんはこう続けます。
「まあぶっちゃけ、ちょっとくらいなんかあった方が自然だったのかもしれねえけどな。他の客がいたってんならともかく、本当に俺ら二人だけだったわけだし」
つまり、本当に何もなかったと。
しかしそこで考えてしまうのは、その「何もなかった」というのがどの程度までを指してのものなのか、という。
考えてみたところで尋ね難いことではあるのですが――。
「えー、というのは例えば、肩に手を回してみたりとか?」
「も、なかったな。触ったってんなら肩と肩が触れてた程度か。まあさすがに座る位置を離したりまではしなかったし」
「…………」
「やっぱ変だろ?」
「あ、いえいえそんなことは」
自嘲の台詞を口にする口宮さんはしかし、浮かべる笑みまで自嘲気味というわけではなかったので、ならばこちらがそんなに気を遣うような場面でもないのでしょう。
というわけで今の僕の返事は気を遣ってのものではなく、一応ながら本心からの言葉ではあるのですが、でもやっぱり、というところでもあります。
「でも……例えば、僕が今言ったようなことをしたいと思ったりは?」
「するわな、そりゃ」
「しますか」
「そりゃあ好きな女がすっ裸で隣にいりゃあな。逆に言って、そういうことしてえと思えねえんだったら好きじゃねえだろそれ」
「かもしれませんね」
消極的な納得に止めてはおきましたが、けれど内心では積極的な納得をしてみせている僕だったりもするのでした。
が、それはともかく、そういうことをしたいと思うのであるのなら。
「よく堪えましたね」
「ああ、そこら辺の話なんだけどよ」
「ん?」
まあな、くらいの簡単な返事を想定していたところ、何やら話に広がりを見せそうな返しが。というのはつまり、何か事情があってそうしていた、ということになるのでしょうか?
「旅館に泊まったわけじゃん俺ら、今回って」
「そうですね」
「でもなんつーか、どっちかっつーと『人様の家』ってな認識だったりもしたわけよ。四方院さんち、だし」
「あー」
「人んちでそういうことっつうのは、なあ? しかも――まあ、今更隠すまでもねえんだけど、初めてがそれって」
なるほど、充分理解に足るお話です。
などとまたも納得させられたところで、思い返されるのは初めて四方院さん宅を訪れた時のこと。
栞と大喧嘩をし、上半身裸の彼女を抱き締めた時のこと。
……危ない危ない、そこは人様の家だぞあの時の僕。
「どしたよ兄ちゃん、変な顔して」
「いえいえ」
「経験者なら余裕ヅラで聞き流すと思ったんだけど、案外そうなるもんなんだな」
「今が余裕でも、それなりの苦労を乗り越えてきているものでして……」
「あー、はは、そりゃそうか」
どうやら、皆まで語らずとも察してくれるらしい口宮さんなのでした。そしてそれを掘り返してくるようなことも、どうやらなく。
「由依が欲しがってるのはそういうもんだからな。いい思い出ってやつ」
そういえば異原さん、昨晩みんなで入った時の混浴についてもそんなふうに語っていた記憶があります。「恥ずかしくて入れなかった」なんて思い出は残したくない、というような。
「いい思い出にはなりましたか? 今朝のことは」
「そうだな、だと思うぞ。――って、断言してやれねえとこがまだまだってことなんだろうけど」
「それもいい思い出になりますよ、そのうち」
「そうか? そりゃ有難い話だな」
どうやら今回のお泊まり旅行は良い形での幕引きを迎えられたようで、ならば誘った人間としてはそれこそ有難い話です。なんせ「高名な霊能者一族のお宅」ということで、縮こまってしまってもおかしくない状況ではあったわけですしね。僕や幽霊さん達ならともかく、口宮さん達は普段から「そちら」に慣れ親しんでいるというわけではないんですし。
「よし、じゃあ戻るか」
という言葉に改めて口宮さんのほうを向き、そして更にその視線の先を目で追ってみたところ、みんながこちらへ向かってきていました。そうですね、みんなが戻ってきてからも続けるような話ではないですよねやっぱり。
「日向くんにちょっかい出したりしなかったでしょうね、あんた」
「そりゃあ、今ちょっかい出すならお前だしな」
「ふん、口ばっかりの癖に」
いつものように冗談で返す口宮さんでしたが、それに対して異原さんが浮かべた笑みは、同じように冗談を口にする時のそれなのでした。これまでのように慌てふためくわけではなく、かといって機嫌を損ねたというわけでもなく。
これなら胸を張って断言してもいい頃合いだと思いますよ、口宮さん。
「日向様」
『はい?』
もう一人の日向様と返事が被ってしまいましたが、それで良かったのでしょう。どちらか一方のみに用があるのであれば、初めからそれに沿った呼び方をされていることでしょうしね。
と、まあそれはともかく、車に乗り込む直前にそうして僕と栞を呼びとめたのは運転手さん。――なのですがしかし、それはここまで僕達が乗ってきた車の運転手さんではなく、僕達の後ろをついてきていた車の運転手さんなのでした。
「お二人はこちらへどうぞ」
そう言ってうやうやしく指し示すのは、そりゃあやっぱりもう一方の車の運転手さんである以上、もう一方の車になるわけです。が、はて、どうしてそういう話に?
「……これはもしかして、予想が当たってたかな?」
当惑させられていたところ、栞の口からも不可解な台詞が飛び出してきます。ううむ、僕はどうしたらいいのでしょうか。
「予想って?」
「あはは、間違ってたら格好悪いから答えを先に見ちゃおうか」
尋ねてみてもそんなお返事。となればもう、流れに身を任せるしかないようです。
「大吾ー、なんか僕と栞だけこっちに乗ることになったらしいからー」
「おー、なんか知らねえけど分かったー」
理由を尋ねることなく車のドアを閉めてしまう大吾なのでした。まあ、訊かれても困るので構いませんけどね。
で。
です。特にもったいつけられるようなことはそりゃあないわけで、ならば僕と栞はさっさと後部座席に乗り込んでみるわけですが、するとそこには。
「よっす。どうだったねお二人さん、二人きりじゃなかったとはいえラブラブの新婚旅行は」
と言われた時点で僕は既にその姿を視界に納めているわけですが、納めていなくたってその物言いだけで誰だか分かっていたことでしょう。
「やっぱり楓さんだった」
とはいえしかし、栞のその反応というのは未だ不可解だったわけで。
「なんで分かったの? ここに家守さんがいるなんて」
「お、見事にスルーされてるぞ」
「はっは、まともに答えろって方が無茶な話だしな」
「そりゃそうか」
というわけで高次さんもご一緒なわけですが、それはともかく。
「私達どころか本人にも内緒で義春くんをここまで一緒に行かせるなんて、四方院の人達が思い付くようなことかなあってね。だって私達、旅館のお客様だよ? 一応は」
「あー、それはまあそうかもだけど」
言われてみれば、程度の話です。なんせ今この瞬間まで僕は、普通に四方院の人――義春くんのご両親である定平さんと文恵さんのどちらか、もしくはその両方――がそう指示したのだと思っていたのですから。
「でもだからって、そこでなんで家守さん?」
「勘」
「あー」
最後の最後で理屈を放棄する栞なのでした。
「はっは、好かれてるなあ」
「ふふん。いっそ相思相愛と言っても過言ではないのだよ、アタシとしぃちゃんは。ね、しぃちゃん」
「ねー」
お互いの夫の前でなんちゅうこと言っちゃうんですかねこの人らは。
家守さん相手に冗談に付き合うのは分が悪い、というような思いも多少はありつつ、けれどどちらかと言えば「車が発進したことを契機に」という側面のほうが強がったりもするのですが、ともあれここで話題を切り替える――もとい、元に戻すことにします。
「それで、なんで家守さんと高次さんがここに?」
実家なんですし、だったら家守さんはともかく高次さんにこれを言うのは変な気もしましたが、ともあれそう尋ねてみたところ。
「あっという間に終わっちゃってね、今回の仕事。で、なんとなくせーさんに連絡入れてみたらこーちゃん達がこっち来てるって言うから、お邪魔してやろうかと。仕事先も割と近い場所だったし」
「まあ邪魔らしい邪魔はしてないけどな」
「そりゃいくらアタシでもそういう意味での邪魔はしないよ高次さん」
「さあどうだろうか」
「現実を見てくださーい」
これからの話というならまだしも昨日今日、つまりは過去の話であって、ならばその既に過ぎ去ったことについて「どうだろうか」と言われればそりゃあそう言いたくもなる……と、だから、そういう話をしているわけではなくて。
というか今、他に気にすべき話が出てきたわけで。
「今回の仕事っていうのは、あの」
「そ。こーちゃんのお友達のお兄さんのね。――キシシ、お兄さん、は抜かしちゃっても大丈夫だったかな?」
お友達。まあ、同森さんを間に挟まなくてもそういう関係ではあるのでしょう。光栄なことに。先輩後輩というのであれば、それこそ同森さんからしてそうなってくるわけですし。
「あっちの車、その弟さんも一緒なんでしょ? 今回のことは内緒にしてるって話だったから、こーちゃんだけこっちに呼んでみたんだけどね」
というのは、家守さんに仕事を依頼したという話。
のみならず、そうするに至った大元である火事で亡くなってしまった以前の恋人の話。
なるほど、そりゃあ僕達が乗ってきた方の車に乗り込んでくるっていうは避けたほうがいいですよね。
「まあそれにしたって帰ってから話せばよかったんだけど――」
「あれ、じゃあ私は?」
結局のところは必要に迫られて僕達をこちらへ呼んだというわけではなさそうですが、するとそこへ疑問をぶつけてきたのは栞。そういえばそうでした、今の話からすればこちらに呼ぶのは僕だけで良かったわけで、というか本人も今「こーちゃんだけ」って言っちゃってましたが。
「カモフラージュみたいな?」
しかし家守さん、慌てることなくさらりとそんなふうに。
「一人だけならなんでだろってことになるだろうけど、しぃちゃんが一緒ならまあ、あっちでよろしくやってんだろ、くらいに思ってくれるかもしれないしね。あっちの車の皆さんも」
「そう思われるほうがよっぽど問題ですが……。っていうか、人んちの車の中でそんなことするような人間だと思われてると思いたくないです」
「そこらへんは向こうの人達次第さね」
まあそうなんでしょうけど、だったら例として挙げたのがそんなものだったのはどういう。
なんてことを家守さんに尋ねるほど、この人に対して不慣れではないつもりですけどね。
「それで、いきなりですけど、どうなりましたかね。一貴さんのこと」
「その前にだねこーちゃん」
「はい?」
「しぃちゃん、これどう見ても事情分かってない顔だよね?」
「あ、あはは……」
これは大失態。
「まあまあそんな顔しなくても。勝手にしぃちゃんまで引っ張り込んだのはアタシらなんだし」
「あ、俺もなのか」
「止めなかった時点で同罪さ」
「なるほど」
あっさり納得するに足る理屈でしたかね高次さん。
「さてこーちゃん。もちろんアタシらは何の考えもなしにそうしたわけじゃなくて、お兄さんのあの感じなら弟さん以外には秘密ってわけでもないんだなと判断したうえでしぃちゃんをここに呼んだわけだけど、直接の友人としてこーちゃんからするとどう? しぃちゃんは巻き込まないほうがいい?」
「――いえ、大丈夫だと思います」
「そう」
でなければそもそも、一貴さんは僕にすら話してくれてはいなかったでしょうしね。僕だけが特別に大丈夫、なんてことになる理由は考えられず、ならば自然、同森さんだけが特別に駄目、ということになるのでしょう。いや、この場合はもしかしたら「同森さん」というより「家族」になるのかもしれませんが。
「まあ、本人確認もそりゃ取ってるわけだけどね。キシシ、やっぱ友達だった」
そんなカマ掛けられなくても尋ねられれば普通にそうだと頷いてましたけどね、とは、しかしさっきそれっぽい話をされた時に何も言わなかったということもあるので、口に出しまではしないでおきまして。
「ってわけでしぃちゃん、説明なんだけど」
「はい」
というわけで説明です。栞に対して、一貴さんの過去についての。
家守さんの職業が何なのかという話なのでしょう。まだ内容についての話は一切していないながら、栞は緊張の面持ちなのでした。
…………。
……で。
「なんていうか」
家守さんの説明には一言も、相槌すら挟まずに黙って耳を傾けていた栞は、しかし説明が終わると途端に口を開き始めるのでした。
「悲しい話なんでしょうけど、それよりも凄いなあっていう気持ちのほうが強いです」
「というのは?」
「もし私が孝さんとそんなふうに――まあ、幽霊の私がこんなこと言うのは変かもしれないですけど、孝さんとそんなふうになっちゃったら、人を好きになるのが怖くなっちゃうかもって」
「そうだね。アタシだってそれはそう思うよ」
仲が悪くなって別れたというのならまだしも仲が良いまま、しかも一時的でなく永遠に別れることになってしまう。その喪失感たるや、想像しようとしてもし切れるものではないのでしょう。
ただ僕の場合、想像しようとすること自体が失礼にあたるのかもしれませんが。なんせ、そうなることは絶対にないのですから。出会ったその時から既に、栞は幽霊だったわけですし。
「実際、あのお兄さんだってそんなふうに思わなかったわけじゃないだろうけどね。そんなところまで訊き出しはしなかったけど、口ぶりからして」
「じゃあ今の彼女さん――諸見谷さんは? って、ああ、楓さんが会ったかどうかは分かりませんど」
「いや、二人一緒に来てたよ。あのお兄さんをそこから引っ張り上げた人ってことだろうね、その今の彼女さんが」
そう言ってから、家守さんはにやりと微笑みます。
「なんせ亡くなった前の彼女に会いたいっていう彼氏に、反対するどころか一緒になって仕事を頼みにくるんだもんね。大物だと思うわあの人」
「ですよね」
それには栞もすんなり納得してみせます。
……ここが異議を唱えるような場面でないというのはもちろんなのですが、そうして納得してみせるというのはもしかして、さっきと同じく「自分がその立場に立ったら」という想像を経てのものなのでしょうか?
でもそれを言うんだったら栞だって音無さんに、と、根拠のない想像から話を膨らませ始めてしまう僕なのでした。そう気付いた時点で取り下げておきましたけどね。
「で、その仕事がどうなったか、なんだけど」
栞への説明、そしてそれについてきた軽い雑談も経たところで、ついに本題。僕と栞はもちろん、家守さんと高次さんについても、姿勢を正す仕草をしてみせるのでした。
「無事その前の彼女さんに引き合わせられました」
『おお』
「ただし、アタシ達の仕事はそこまで。これも『無事』ってことになるんだけど、霊能者が出張るような事態にはならなかったからね」
というのはどういう? とは、僕も栞も尋ねはしませんでした。栞のほうがどうだったかはともかく、僕はその「事態」というものがどういうものか、想像が付いたのです。
結婚式関連の話でお世話になった道端さんと大山さん。大切な人が亡くなって、幽霊として再開して――けれど、その時には人が変わってしまっていたと。それで幽霊が苦手になったと、その話を思い出してしまったのです。
「その後どうするかは当事者間の問題だしね。行きはアタシ達の車で送ったんだけど、家までは自分達で帰りますからって現地解散になりました」
「で、その足で俺んちにね」
なるほど。と、素直に納得していいものかどうか。
「なんていうか、失礼かもしれませんけど」
「お、何かなこーちゃん」
「いくら家守さんと高次さんにしても、解決が早過ぎませんか? 一貴さんが家守さんに連絡を取ったのは昨日ですし」
しかも今はまだ午前中。つまり昨日とは言っても、まだ二十四時間すら経過してはいないのです。どこにいるのか分からない――この世なのかどうかすら――人探しなんてものが果たして、たったそれだけの時間で済ませてしまえるものなのでしょうか?
「話の流れ的に考えなくもねーけど、俺はともかくお前はどうなんだよ。俺のことばっか言ってるけど、お前だってこれっていう趣味とかないだろ?」
「あんたがするってんなら付き合うわよ、運動」
「……あんま音無のこと言えねえぞお前、それ」
「あ、あら? そうだった?」
「ああ、それともあれか。俺をダイエットのダシに使おうとしてんのか」
「ああそうそう――って誰が太ってるってのよ! 間に合ってるわよ多分!」
「いやそりゃ充分知ってるけどな」
「ええと、喧嘩じゃないんですよね?」
「おお、分かってきたのう義春くん。あいつらはあれが仲良しのサインなんじゃ――が、義春くんは真似しちゃいかんぞ。あれが成立するのはあいつらが変人じゃからなんじゃし」
『ああ?』
「おお怖い怖い」
「あはは……」
「でも義春さん、怒橋さん達もそんな感じだったんですよ? ちょっと前までは。今はもうラブラブですけど」
「こくこく」
「ワフッ」
「そこわざわざ今持ってくる必要なかったと思うんだけどなあ、オレ」
「わたし達だけという話でもないしな。日向達だって、ある意味ではわたし達よりよっぽど」
「そ、それこそ今持ってくる話じゃないよ成美ちゃん。一応、あれとかあれとかは本気の喧嘩だったんだから」
「まあそれでご飯が不味くなるってことはもうないけどね。むしろ美味しいかも」
『ごちそうさまでした』
話が盛り上がったおかげかみんな揃って食が進み、こういった食事形式では余ってもおかしくない、というかいっそ余ることのほうが多いであろう盛りに盛られた献立はしかし、すっかり空になってしまったのでした。
こうした光景というのはやはり、自分で作った料理でないにしても気持ちいいものです。
……いやあ、お腹いっぱい。
「車ってさぁ、孝さん」
「ん?」
自分の腹をぽんぽんと叩いてみたところで、隣からはとろんとした声が。もちろんそれは栞のものなのですがしかし、今このタイミングでどうしてそんな声なのか、とそちらを向くより先にそんなことを。
食事の直後ということもあって「まさか酒」と嫌な予感が頭をよぎりもしたのですが、けれど食事と一緒に出てきた飲み物に酒類は含まれていなかった筈。となるとこれは、一体?
「眠くなるよねぇ」
ああ、なるほど。お腹も膨らめば尚のこと、でしょうしね。
「寝ててもいいよ、着いたら起こすから」
「お願いします……」
よっぽど強烈な眠気だったのでしょう、躊躇いも何もなしにそう頼んできた栞は、すぐさま目を閉じてしまうのでした。もしかしたら既に意識は夢の中なのかもしれません。
といったところで、ここまで耳にしなかった声が。
「次のサービスエリアで一度ご休憩の時間をお取り致します」
「あ、お願いします」
声の主は運転手さん、そして返事をしたのは義春くん。タイミングがタイミングだったので栞のことがあってってことだろうか、とも思ったのですが、しかし考えてみれば寝ている人のためにサービスエリアで車を停めるというのも変な話なので、ならばこれは始めから予定していた行程だったのでしょう。
大きな車の広い車内とはいえ、車内は車内です。外に出て身体を伸ばしたくもなるでしょうし、あとはまあ、トイレ休憩といった意味合いもあるんでしょうしね。あと売店でお土産を買ったりとかは――ううむ、何か名物とかってあるんだろうか? この辺って。
「うぐぐ……そうとなったら寝ているわけには……」
「そんなに頑張るところ?」
ギリギリ今の話が耳に届いたのか、目を覚まそうとする栞なのでした。座った姿勢で寝ようとしていた以上、目を覚ますと言っても身体を起こしたりする必要はなく、なのに「うぐぐ」などと声を上げてしまう辺り、意識だけでなく身体の方も半分以上寝てしまっていたのでしょう。
「寝るだけなら家でもできるんだしね」
笑顔に力の籠らない栞なのでした。が、それはそれで、なんて。
サービスエリアに到着してみたところで、ああそのためだったのか、なんて気付かされることになったのは、ここに立ち寄った理由と後ろについてきた車。僕達が乗ってきた車と後ろについてきた車両方の運転手さんが空き皿の片付けを始め、そしてその片付け先というのが後ろの車だったのです。
「臭い対策ってことなんだろうな。ぶっちゃけ、食った俺らはあんま気にならねえけど」
「でしょうね」
車からやや離れた位置にあるベンチからその様子を眺めているのは、僕と口宮さんの二人。他のみんなはトイレなり買い物なり、つまりはまあ当初想定していた「ここに立ち寄る理由」の遂行にあたっているのでした。
トイレはともかく買い物の方には付き合ってもよかったのでしょうが、いざそうしてみようとするとその人数に気が引けた、というかなんというか。普段の散歩やら何やら、あまくに荘住人として行動している分には全く気にならないのに不思議なものです。
「ただ片付けるってだけなら、わざわざもう一台車を出さなくてもどうとでもなるでしょうしね」
「まああんだけデカけりゃそんくらいのスペースはあるわな」
サービスエリアの駐車場、ということで、如何に平日の早朝とはいえやはり他の車もずらりと並んでいるわけで、ともなれば僕達が乗ってきた車の大きさというのは、ますます強調されてしまうのでした。少々距離があるこの場所から眺める限り、傍を通り過ぎる人の視線も集めているようですし。
「……で、あの」
「ん?」
突然ですがここで話を切り替えてみようと思います。いや、もちろん、ここまでの話にしたって食事関連のものである以上は是非ともこのまま続けていたかったところではあるのですが、今この場でしか出来なさそうな話があるとなればやはりそちらを優先するしかないわけでして。
「どうでした? 二人だけで混浴って」
「なんだ、案外そういう話好きなのか兄ちゃん」
「好きか嫌いかと言われたらそりゃあ好きですけど、まあそれだけでもなくて……」
「なんだよ?」
「今朝、随分早くから起きてたんですよ僕。で、栞にそのこと言ったら『混浴に誘ってくれたらよかったのに』なんて言われたりしちゃいまして」
「あー、俺もいきなり起こされたからなあ……」
という話は半分本気、半分誤魔化しと言ったところ。栞の言葉が胸に残っているのは嘘でないにしても、それを抜きにしてもやっぱり、言い訳の一つくらい言っておきたいところでもありますしね。異原さんと二人きりの混浴はどうだったか、なんて質問をすることについて。
「先に言っとくけど、周りから期待されるようなことは何もなかったからな。兄ちゃんがどうかは知らねえけど」
「あ、いえ、はい、もちろんそんなことまで言いませんけど」
僕が言ったからどうだという話でもなかろうに、慌ててそんな返事をしてしまうのでした。むしろ駄目だろ僕、それは。
で、そんな僕へ口の端を持ち上げる程度の小さい笑みを浮かべてから、口宮さんはこう続けます。
「まあぶっちゃけ、ちょっとくらいなんかあった方が自然だったのかもしれねえけどな。他の客がいたってんならともかく、本当に俺ら二人だけだったわけだし」
つまり、本当に何もなかったと。
しかしそこで考えてしまうのは、その「何もなかった」というのがどの程度までを指してのものなのか、という。
考えてみたところで尋ね難いことではあるのですが――。
「えー、というのは例えば、肩に手を回してみたりとか?」
「も、なかったな。触ったってんなら肩と肩が触れてた程度か。まあさすがに座る位置を離したりまではしなかったし」
「…………」
「やっぱ変だろ?」
「あ、いえいえそんなことは」
自嘲の台詞を口にする口宮さんはしかし、浮かべる笑みまで自嘲気味というわけではなかったので、ならばこちらがそんなに気を遣うような場面でもないのでしょう。
というわけで今の僕の返事は気を遣ってのものではなく、一応ながら本心からの言葉ではあるのですが、でもやっぱり、というところでもあります。
「でも……例えば、僕が今言ったようなことをしたいと思ったりは?」
「するわな、そりゃ」
「しますか」
「そりゃあ好きな女がすっ裸で隣にいりゃあな。逆に言って、そういうことしてえと思えねえんだったら好きじゃねえだろそれ」
「かもしれませんね」
消極的な納得に止めてはおきましたが、けれど内心では積極的な納得をしてみせている僕だったりもするのでした。
が、それはともかく、そういうことをしたいと思うのであるのなら。
「よく堪えましたね」
「ああ、そこら辺の話なんだけどよ」
「ん?」
まあな、くらいの簡単な返事を想定していたところ、何やら話に広がりを見せそうな返しが。というのはつまり、何か事情があってそうしていた、ということになるのでしょうか?
「旅館に泊まったわけじゃん俺ら、今回って」
「そうですね」
「でもなんつーか、どっちかっつーと『人様の家』ってな認識だったりもしたわけよ。四方院さんち、だし」
「あー」
「人んちでそういうことっつうのは、なあ? しかも――まあ、今更隠すまでもねえんだけど、初めてがそれって」
なるほど、充分理解に足るお話です。
などとまたも納得させられたところで、思い返されるのは初めて四方院さん宅を訪れた時のこと。
栞と大喧嘩をし、上半身裸の彼女を抱き締めた時のこと。
……危ない危ない、そこは人様の家だぞあの時の僕。
「どしたよ兄ちゃん、変な顔して」
「いえいえ」
「経験者なら余裕ヅラで聞き流すと思ったんだけど、案外そうなるもんなんだな」
「今が余裕でも、それなりの苦労を乗り越えてきているものでして……」
「あー、はは、そりゃそうか」
どうやら、皆まで語らずとも察してくれるらしい口宮さんなのでした。そしてそれを掘り返してくるようなことも、どうやらなく。
「由依が欲しがってるのはそういうもんだからな。いい思い出ってやつ」
そういえば異原さん、昨晩みんなで入った時の混浴についてもそんなふうに語っていた記憶があります。「恥ずかしくて入れなかった」なんて思い出は残したくない、というような。
「いい思い出にはなりましたか? 今朝のことは」
「そうだな、だと思うぞ。――って、断言してやれねえとこがまだまだってことなんだろうけど」
「それもいい思い出になりますよ、そのうち」
「そうか? そりゃ有難い話だな」
どうやら今回のお泊まり旅行は良い形での幕引きを迎えられたようで、ならば誘った人間としてはそれこそ有難い話です。なんせ「高名な霊能者一族のお宅」ということで、縮こまってしまってもおかしくない状況ではあったわけですしね。僕や幽霊さん達ならともかく、口宮さん達は普段から「そちら」に慣れ親しんでいるというわけではないんですし。
「よし、じゃあ戻るか」
という言葉に改めて口宮さんのほうを向き、そして更にその視線の先を目で追ってみたところ、みんながこちらへ向かってきていました。そうですね、みんなが戻ってきてからも続けるような話ではないですよねやっぱり。
「日向くんにちょっかい出したりしなかったでしょうね、あんた」
「そりゃあ、今ちょっかい出すならお前だしな」
「ふん、口ばっかりの癖に」
いつものように冗談で返す口宮さんでしたが、それに対して異原さんが浮かべた笑みは、同じように冗談を口にする時のそれなのでした。これまでのように慌てふためくわけではなく、かといって機嫌を損ねたというわけでもなく。
これなら胸を張って断言してもいい頃合いだと思いますよ、口宮さん。
「日向様」
『はい?』
もう一人の日向様と返事が被ってしまいましたが、それで良かったのでしょう。どちらか一方のみに用があるのであれば、初めからそれに沿った呼び方をされていることでしょうしね。
と、まあそれはともかく、車に乗り込む直前にそうして僕と栞を呼びとめたのは運転手さん。――なのですがしかし、それはここまで僕達が乗ってきた車の運転手さんではなく、僕達の後ろをついてきていた車の運転手さんなのでした。
「お二人はこちらへどうぞ」
そう言ってうやうやしく指し示すのは、そりゃあやっぱりもう一方の車の運転手さんである以上、もう一方の車になるわけです。が、はて、どうしてそういう話に?
「……これはもしかして、予想が当たってたかな?」
当惑させられていたところ、栞の口からも不可解な台詞が飛び出してきます。ううむ、僕はどうしたらいいのでしょうか。
「予想って?」
「あはは、間違ってたら格好悪いから答えを先に見ちゃおうか」
尋ねてみてもそんなお返事。となればもう、流れに身を任せるしかないようです。
「大吾ー、なんか僕と栞だけこっちに乗ることになったらしいからー」
「おー、なんか知らねえけど分かったー」
理由を尋ねることなく車のドアを閉めてしまう大吾なのでした。まあ、訊かれても困るので構いませんけどね。
で。
です。特にもったいつけられるようなことはそりゃあないわけで、ならば僕と栞はさっさと後部座席に乗り込んでみるわけですが、するとそこには。
「よっす。どうだったねお二人さん、二人きりじゃなかったとはいえラブラブの新婚旅行は」
と言われた時点で僕は既にその姿を視界に納めているわけですが、納めていなくたってその物言いだけで誰だか分かっていたことでしょう。
「やっぱり楓さんだった」
とはいえしかし、栞のその反応というのは未だ不可解だったわけで。
「なんで分かったの? ここに家守さんがいるなんて」
「お、見事にスルーされてるぞ」
「はっは、まともに答えろって方が無茶な話だしな」
「そりゃそうか」
というわけで高次さんもご一緒なわけですが、それはともかく。
「私達どころか本人にも内緒で義春くんをここまで一緒に行かせるなんて、四方院の人達が思い付くようなことかなあってね。だって私達、旅館のお客様だよ? 一応は」
「あー、それはまあそうかもだけど」
言われてみれば、程度の話です。なんせ今この瞬間まで僕は、普通に四方院の人――義春くんのご両親である定平さんと文恵さんのどちらか、もしくはその両方――がそう指示したのだと思っていたのですから。
「でもだからって、そこでなんで家守さん?」
「勘」
「あー」
最後の最後で理屈を放棄する栞なのでした。
「はっは、好かれてるなあ」
「ふふん。いっそ相思相愛と言っても過言ではないのだよ、アタシとしぃちゃんは。ね、しぃちゃん」
「ねー」
お互いの夫の前でなんちゅうこと言っちゃうんですかねこの人らは。
家守さん相手に冗談に付き合うのは分が悪い、というような思いも多少はありつつ、けれどどちらかと言えば「車が発進したことを契機に」という側面のほうが強がったりもするのですが、ともあれここで話題を切り替える――もとい、元に戻すことにします。
「それで、なんで家守さんと高次さんがここに?」
実家なんですし、だったら家守さんはともかく高次さんにこれを言うのは変な気もしましたが、ともあれそう尋ねてみたところ。
「あっという間に終わっちゃってね、今回の仕事。で、なんとなくせーさんに連絡入れてみたらこーちゃん達がこっち来てるって言うから、お邪魔してやろうかと。仕事先も割と近い場所だったし」
「まあ邪魔らしい邪魔はしてないけどな」
「そりゃいくらアタシでもそういう意味での邪魔はしないよ高次さん」
「さあどうだろうか」
「現実を見てくださーい」
これからの話というならまだしも昨日今日、つまりは過去の話であって、ならばその既に過ぎ去ったことについて「どうだろうか」と言われればそりゃあそう言いたくもなる……と、だから、そういう話をしているわけではなくて。
というか今、他に気にすべき話が出てきたわけで。
「今回の仕事っていうのは、あの」
「そ。こーちゃんのお友達のお兄さんのね。――キシシ、お兄さん、は抜かしちゃっても大丈夫だったかな?」
お友達。まあ、同森さんを間に挟まなくてもそういう関係ではあるのでしょう。光栄なことに。先輩後輩というのであれば、それこそ同森さんからしてそうなってくるわけですし。
「あっちの車、その弟さんも一緒なんでしょ? 今回のことは内緒にしてるって話だったから、こーちゃんだけこっちに呼んでみたんだけどね」
というのは、家守さんに仕事を依頼したという話。
のみならず、そうするに至った大元である火事で亡くなってしまった以前の恋人の話。
なるほど、そりゃあ僕達が乗ってきた方の車に乗り込んでくるっていうは避けたほうがいいですよね。
「まあそれにしたって帰ってから話せばよかったんだけど――」
「あれ、じゃあ私は?」
結局のところは必要に迫られて僕達をこちらへ呼んだというわけではなさそうですが、するとそこへ疑問をぶつけてきたのは栞。そういえばそうでした、今の話からすればこちらに呼ぶのは僕だけで良かったわけで、というか本人も今「こーちゃんだけ」って言っちゃってましたが。
「カモフラージュみたいな?」
しかし家守さん、慌てることなくさらりとそんなふうに。
「一人だけならなんでだろってことになるだろうけど、しぃちゃんが一緒ならまあ、あっちでよろしくやってんだろ、くらいに思ってくれるかもしれないしね。あっちの車の皆さんも」
「そう思われるほうがよっぽど問題ですが……。っていうか、人んちの車の中でそんなことするような人間だと思われてると思いたくないです」
「そこらへんは向こうの人達次第さね」
まあそうなんでしょうけど、だったら例として挙げたのがそんなものだったのはどういう。
なんてことを家守さんに尋ねるほど、この人に対して不慣れではないつもりですけどね。
「それで、いきなりですけど、どうなりましたかね。一貴さんのこと」
「その前にだねこーちゃん」
「はい?」
「しぃちゃん、これどう見ても事情分かってない顔だよね?」
「あ、あはは……」
これは大失態。
「まあまあそんな顔しなくても。勝手にしぃちゃんまで引っ張り込んだのはアタシらなんだし」
「あ、俺もなのか」
「止めなかった時点で同罪さ」
「なるほど」
あっさり納得するに足る理屈でしたかね高次さん。
「さてこーちゃん。もちろんアタシらは何の考えもなしにそうしたわけじゃなくて、お兄さんのあの感じなら弟さん以外には秘密ってわけでもないんだなと判断したうえでしぃちゃんをここに呼んだわけだけど、直接の友人としてこーちゃんからするとどう? しぃちゃんは巻き込まないほうがいい?」
「――いえ、大丈夫だと思います」
「そう」
でなければそもそも、一貴さんは僕にすら話してくれてはいなかったでしょうしね。僕だけが特別に大丈夫、なんてことになる理由は考えられず、ならば自然、同森さんだけが特別に駄目、ということになるのでしょう。いや、この場合はもしかしたら「同森さん」というより「家族」になるのかもしれませんが。
「まあ、本人確認もそりゃ取ってるわけだけどね。キシシ、やっぱ友達だった」
そんなカマ掛けられなくても尋ねられれば普通にそうだと頷いてましたけどね、とは、しかしさっきそれっぽい話をされた時に何も言わなかったということもあるので、口に出しまではしないでおきまして。
「ってわけでしぃちゃん、説明なんだけど」
「はい」
というわけで説明です。栞に対して、一貴さんの過去についての。
家守さんの職業が何なのかという話なのでしょう。まだ内容についての話は一切していないながら、栞は緊張の面持ちなのでした。
…………。
……で。
「なんていうか」
家守さんの説明には一言も、相槌すら挟まずに黙って耳を傾けていた栞は、しかし説明が終わると途端に口を開き始めるのでした。
「悲しい話なんでしょうけど、それよりも凄いなあっていう気持ちのほうが強いです」
「というのは?」
「もし私が孝さんとそんなふうに――まあ、幽霊の私がこんなこと言うのは変かもしれないですけど、孝さんとそんなふうになっちゃったら、人を好きになるのが怖くなっちゃうかもって」
「そうだね。アタシだってそれはそう思うよ」
仲が悪くなって別れたというのならまだしも仲が良いまま、しかも一時的でなく永遠に別れることになってしまう。その喪失感たるや、想像しようとしてもし切れるものではないのでしょう。
ただ僕の場合、想像しようとすること自体が失礼にあたるのかもしれませんが。なんせ、そうなることは絶対にないのですから。出会ったその時から既に、栞は幽霊だったわけですし。
「実際、あのお兄さんだってそんなふうに思わなかったわけじゃないだろうけどね。そんなところまで訊き出しはしなかったけど、口ぶりからして」
「じゃあ今の彼女さん――諸見谷さんは? って、ああ、楓さんが会ったかどうかは分かりませんど」
「いや、二人一緒に来てたよ。あのお兄さんをそこから引っ張り上げた人ってことだろうね、その今の彼女さんが」
そう言ってから、家守さんはにやりと微笑みます。
「なんせ亡くなった前の彼女に会いたいっていう彼氏に、反対するどころか一緒になって仕事を頼みにくるんだもんね。大物だと思うわあの人」
「ですよね」
それには栞もすんなり納得してみせます。
……ここが異議を唱えるような場面でないというのはもちろんなのですが、そうして納得してみせるというのはもしかして、さっきと同じく「自分がその立場に立ったら」という想像を経てのものなのでしょうか?
でもそれを言うんだったら栞だって音無さんに、と、根拠のない想像から話を膨らませ始めてしまう僕なのでした。そう気付いた時点で取り下げておきましたけどね。
「で、その仕事がどうなったか、なんだけど」
栞への説明、そしてそれについてきた軽い雑談も経たところで、ついに本題。僕と栞はもちろん、家守さんと高次さんについても、姿勢を正す仕草をしてみせるのでした。
「無事その前の彼女さんに引き合わせられました」
『おお』
「ただし、アタシ達の仕事はそこまで。これも『無事』ってことになるんだけど、霊能者が出張るような事態にはならなかったからね」
というのはどういう? とは、僕も栞も尋ねはしませんでした。栞のほうがどうだったかはともかく、僕はその「事態」というものがどういうものか、想像が付いたのです。
結婚式関連の話でお世話になった道端さんと大山さん。大切な人が亡くなって、幽霊として再開して――けれど、その時には人が変わってしまっていたと。それで幽霊が苦手になったと、その話を思い出してしまったのです。
「その後どうするかは当事者間の問題だしね。行きはアタシ達の車で送ったんだけど、家までは自分達で帰りますからって現地解散になりました」
「で、その足で俺んちにね」
なるほど。と、素直に納得していいものかどうか。
「なんていうか、失礼かもしれませんけど」
「お、何かなこーちゃん」
「いくら家守さんと高次さんにしても、解決が早過ぎませんか? 一貴さんが家守さんに連絡を取ったのは昨日ですし」
しかも今はまだ午前中。つまり昨日とは言っても、まだ二十四時間すら経過してはいないのです。どこにいるのか分からない――この世なのかどうかすら――人探しなんてものが果たして、たったそれだけの時間で済ませてしまえるものなのでしょうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます