(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十九章 続く休日 一

2009-08-27 20:51:22 | 新転地はお化け屋敷
 おはようございます。204号室住人、日向孝一です。
 前日、夕食後の栞さんとの会話について、起きた直後の寝惚けまなこを引きずったいい気分で思い返してみたいところではありますが――。
「おはよう、孝一くん」
 何を思い返すまでもなく、すぐ隣で横になっている栞さんの存在だけで、そんな朝一番のちょっとした欲求は満足させられてしまうのでした。
 そういうわけで、改めておはようございます。

 朝起きて初めにすることと言えば――まあ、布団を畳んだり顔を洗ったりなんだりかんだりの細かいことを抜きにすれば、朝食です。そこで栞さんの話なのですが、栞さんは昨日、「あまり孝一くんとべったりなのは控えるようにする」と決めていました。そう考えるに至った発端というのが、恐らくはこの、朝食なのです。
 それは、朝食なので軽めであるとはいえ、僕に手間や食費(どちらかと言えば後者のほうが理由としては重いのでしょう)が掛かかってしまう点を憂慮してのこと。もちろんそれはあくまで発端であって、核心ではないのでしょうが――しかしやはり、朝食を出すということに多少の戸惑いがないわけではないのです。
 それは、栞さんが決めたことに反発があるという意味ではありません。そんな栞さんへ無理を言って今の状況を作り上げたのが僕自身であることに、後ろめたさを感じているというわけです。
「……なんてね」
 目玉焼きを二つ同時に焼きながら、小さくそう呟いてみました。栞さんは朝食の準備を手伝うと申し出てくれましたが、そこは丁重にお断りをして、居間で待ってもらっています。なのでその呟きも当然、栞さんの耳には届きません。卵の焼ける音のほうが大きいくらいです。
 呟きの内容は、決して本心ではありません。むしろそういう本心を持たない自分に言い聞かせるためのもので、本心というなら呟きの前に思い描いていたことこそが、間違いなく本心です。昨晩の自分の行動に対する後ろめたさこそが。
 ですがきっと、そんなことを口にすれば、栞さんは機嫌を損ねてしまうでしょう。これまでにも何度か言われていることなのです。僕は自分を悪者扱いし過ぎる、と。……そろそろ、自分でも分かるようになってきました。分かるだけで、まだ「自分を悪者扱いしない人間」にはなりきれていませんが。
 だから、なんてね、で済ましてしまおうということなのです。なんせ昨晩の「将来結婚してください」という大言があったりもするんで、さすがにそろそろそういった努力をすべきでしょう。
 しかしその程度を考えれば、努力、なんて大それたものでもない気がします。なんと言っても、こうして朝食を作りながらでもできてしまうような努力ですもんで。

『いただきます』
「昨日決めたことがどうであれ、この時間帯にここにいる以上はしっかり食べてもらいますよ? 申し訳ないとかそういうことは抜きにしてください」
「――うん。そうだよね、それは良くないよね。ちょっとだけそういうこと、言っちゃいそうだったけど」
「まあ、そういう僕も似たようなものなんですけどね。お互いに引っ込めましょう」
「まだ料理教室の時間じゃないけど、食事は楽しく、だもんね」
「そうそう、その通りです。まさかここでその話が出てくるとは思いませんでしたが」
「栞もぱっと思い付いただけなんだけどね。でも、大切なことだとも思うし。単に食事に関する話ってだけじゃなくて」
「常に楽しくとはいかないでしょうけど、できる限りはそうありたいですよね。立場上、食事の時は特に、と付け加えさせてはもらいますけど」
「付け加えられなくても、栞だってそう思ってるよ」
「…………!」
「ん? どうかした?」
「いや、心臓止まるかと思いました」
「今ので?」
「今ので」

『ごちそうさまでした』
 調理中に考えたあれこれが悪い方向に実現するようなこともなく、今朝も無事、食事が終了。目が覚めてから暫くの時間は経ってしまっていますが、なんとも気持ちのいい朝だ、と今になって。
「あそこまで驚かれるなんて、驚いたのを通り越してちょっと心外かも。栞だって『食事は楽しく』は良いことだって、初めて言われた時からずっと思ってるのに」
「いやその、そう言われるとかなり申し訳ないんですけど――すいません、それでも、とんでもなく嬉しかったんです」
 心外という単語が出たとは言え、怒っているわけではないのでしょう。栞さん、にこにこと楽しそうに微笑みます。
「ふふ、多分、ご飯の度に同じこと言っても何回かは驚き続けるんだろうね、孝一くん」
「話の流れとかそういうことだって作用してはいるんでしょうけど……同じようなことが前にもあったような気はしますし、否定はできないんでしょうねえ、僕は」
 それは自分を悪者扱いし過ぎるということと同じく「困った性質」に分類されることなんでしょうけど、しかしこちらについては、直そうとする努力は必要ないようです。いや、良かった良かった。
「そういえば今日は楓さん達、お仕事は休みなのかな」
「ん? 車の音、しなかったんですか?」
「うん」
 そう珍しいことでもないので、どうしてそう思うのかと尋ねる展開にはなりません。この部屋から一歩も出ないままそれを知るというのは、つまり、そういうことなのです。
 音がしなかった、ということならばもちろん僕も音を聞いてはいません。聞こえていたならばそれは聴力、もしくは精神に異常をきたしているということになります。ちょいと恐ろしい言い方ですが、しかしまあ空耳という言葉に置き換えてしまえばそうでもありません。――つまるところ結局僕も車の音は聞いていないわけで、ならばどうしてそのことに今まで気付かなかったのかというと、車の音のことなんかまるで意識に上らなかったとそいうことです。
 決してそういう意味でのことではないのですが、なんとなくごめんなさい、家守さんと高次さん。
「今日は日曜で孝一くんもずっといるんだし、できたらみんなでお出掛けしたいかなあ」
「ああ、いいですねえ――ん、いや」
「どうかした?」
 休日にみんなでお出掛けというと、先週もそうでした。土曜と日曜の二日間、とても立派な四方院さん宅(何々さん宅、という呼び方に違和感があるくらい立派だった。立派も立派なうえ、しかもその豪邸の半分が旅館だった。あれは果たして何々さん宅で済ませていい建造物なのだろうか?)に宿泊させていただいたのです。
 それはもう、美味しい料理に広い風呂にふかふかの布団に新しい出会いにと、楽しい思い出そのものでした。栞さんと喧嘩もしてしまいましたが――しかし今それは置いておいて、その宿泊の最後に、我等があまくに荘に新しいメンバーが加わったのです。その四方院さん宅現当主の弟さんで、我等があまくに荘管理人である家守楓さんの婚約者である――婚約者であった、現在の夫。そう、高次さんです。
 彼は、体格が良いのです。どのくらい良いのかというと、アメフトとかラグビーとか(その二つがどう違うのか、正直僕は知りません)やってそうなくらいです。多分やってないんでしょうけど。
 で。
「家守さんの車、高次さんまで含めた全員で乗っちゃって大丈夫なんでしょうか?」
「あー……」
 家守さんの車は軽なのですが、スペース的な問題は考慮しなくても大丈夫です。なんせ幽霊さんがたは一緒に座る人をすり抜け、重なり合って、いくらでもスペースを節約できるからです。
 なので、問題は重量です。
 幽霊にだって体重はあるのです。しかも普通の人となんら変わりなく。
「全部で――えっと、七人にもなるんだもんねえ。しかもジョンとナタリーとサンデーも入るから……」
「どう考えても軽自動車に乗り込む人数じゃないですよねえ」
 高次さんがやってくる前だって、よくもまあしっかり走れてたもんだって話です。四方院さん宅からの帰り道は、家守さんの妹夫婦である月見さんのミニバンに僕達五人と犬蛇鶏が乗せてもらったので、問題はなかったのですが。
「でもこれまではちゃんと動いてたんだし、一人くらいなら大丈夫なんじゃないかな?」
「希望的観測ですねえ。まあ、車で出掛けるということからして、今のところは希望でしかないんですけど」
「うーん、プール、また行きたかったんだけどなあ」
 ……そういえば栞さん、泳ぐのが好きでしかも得意なんでしたっけ。失礼ながらすっかり忘れてました。だって何してても大抵は楽しそうなんですもん、と一応の言い訳ぐらいは考えておきますが。

 それから、暫くして。
 その暫くの間に何をしていたかと言われれば、取り立てて何をしたというわけでもなく栞さんと適当な会話を繰り広げていたのですが――ここで取り立てるようなことが起きました。チャイムが鳴ったのです。
「はーい」
 当然、応対に出ます。すると当然、そこにお客様が立っているわけですが。
「やあ……おはよう、日向……」
 僕の目線より随分と下方に立っていたのは成美さんでしたが、弱々しいうえに若干枯れた声、そして普段からして鋭い目付きが、溢れる気だるさのせいかさらに鋭く。総合するに、どうしてだかこの朝一番からとてつもない疲労に襲われているようでした。なんだかもう触れたらそのまま後ろに転んでしまうんじゃないかと思えるほどの困憊っぷりですが、取り敢えず部屋に戻ってもう一眠りしたらどうでしょう?
「ふああぁあ……」
 こらこら、欠伸は宜しくないですって。無防備なのは旦那さんの前だけにしたほうがいいですって。小さいほうの身体でそんなことされたら、頭撫でるとかそういうことしちゃいたくなるじゃないですか。仮にも人妻相手に。
 噛み殺すこともなく欠伸を完璧に全うした成美さんは、改めてその据わった両目でこちらを見上げました。実に眠そうです。
「喜坂もここにいるのだろう……? 二人とも、わたし達の部屋に来てくれ……」
「それどころじゃなくないですか?」
「言いたいことは分かっているつもりだ……。お前達が来てくれたら、すまんがわたしはひと眠りさせてもらうぞ……」
 あまりの疲労っぷりに語尾がことごとく間延びしちゃってますがしかし、つまりそれは、僕達がお邪魔することによって成美さんに休息をもたらせるということなんでしょうか?
「分かりました、すぐに行きますから、どうか部屋に戻ってゆっくり寝てください」
「朝からすまんな……恩に、着る」
 ガク。
 とでも効果音がついてきそうなくらいに最後だけしっかりと言い切り、しかし力尽きる代わりにドアを閉める成美さんなのでした。
 ……何が起こっているんでしょうか?
「成美ちゃんだったよね? 何の用だって?」
「いや、それがさっぱりで」
「んん?」
 ともかく栞さんと二人で202号室へ、です。

『お邪魔します……』
「おう」
 お出迎えは大吾でしたが、奥では成美さんが一休みに入っているであろうことは間違いないので、挨拶の声も小さめです。そして大吾もこころなしか、疲れているように見えなくもないのです。成美さんほどではないようですが、はて。
 何はともあれ202号室に到着し、居間へと通されてみると――。
「おはようございます」
 困ったような顔で出迎えてくれたのは、成美さんではありません。たったいま出迎えてくれた大吾の妹であるところの、庄子ちゃんでした。成美さんはその庄子ちゃんの膝を枕にし、体を丸めてすうすうと寝息を立てています。
 ついさっき別れたばかりなのにこれとは、よっぽどだったんだなあ……という感想もそこそこに、僕も栞さんも朝の挨拶を返します。つまりここへ呼ばれたのは、庄子ちゃんが来たからということなのでしょう。
 すると。
「来るの、ちょっと早かったみたいで……」
 困ったような顔の庄子ちゃんは、困ったような声で言いました。その手は、膝に乗せられた成美さんの頭を優しく撫でています。
 そりゃあまあ、遊びに来てこの状況じゃあ、そう思うのも無理はないのでしょう。
 ただし、現在は十一時ちょっと前。親しい相手なら――いや、それどころか身内なんですし、失礼にあたるほどの時間帯でもないでしょう。
「だからそういうんじゃねえっつってんだろ。大変だったんだよ、昨日の夜。……大変だったんだよ」
 と、大吾。お疲れの朝が二日連続ですが、「大変だったんだよ」を二度繰り返した辺り、それをネタに小突き回すのは控えておいたほうがいいのかもしれません。この場には年頃の女の子もいるわけですし。
 ということなのでからかったりはしませんが、では実際のところ、何があったんでしょうか?
「だって兄ちゃん、猫じゃらしって言われてもさあ」
 ――ああ、あれ、夜まで続いてたんだ……。
 いや、直接見たわけじゃなくて大吾から口頭で伝えられただけだから、それでも具体的なところは分からないわけだけど。
 ちなみに振り返っておくと、「猫は猫じゃらしに、どういう反応の結果じゃれ付いてしまうんだろうか?」という疑問を持った大吾が、ペットショップで猫じゃらしのおもちゃを買って成美さんに試してみた、という話です。結果として、猫としては猫じゃらしを虫なんかの食べ物だと見なし、しかし本当は食べ物ではないと分かってはいるのにそれでもついつい体が狩りの動きをとってしまう、ということなのでした。
「いや、オレだってそんなふうに軽く考えてたから買って来ちまったんだけどな。でもな庄子、冗談抜きにマジで大変だったんだぞ?」
 大吾はやや疲労の窺える顔のままでそう言いますが、しかし庄子ちゃんは納得しかねるような表情。
「下手したら喧嘩になってたかもしれねえし……いや、半分なってたようなもんだったけどな」
「喧嘩って、あれ? そこまでのことになっちゃってたの?」
 反応したのは栞さんでした。庄子ちゃんはそこについても聞いていたのか、喧嘩という単語に特別な反応もありませんが――僕達は、そこまでだというのは今初めて耳にしたのでした。
 しかし大吾は、「ああ」とうなだれるように頷きます。
「栞達が聞いた時は、成美ちゃん、夢中になっちゃってたって話だったけど……それが過ぎたら怒られちゃった? やっぱり」
「いや、じゃらしたことで機嫌を損ねたってわけじゃなくて、もっとしてくれって頼まれたのをオレが断り続けたんだよ。で、仕舞いには『何でだよ』ってことになっちまって」
 夢中になるほどのことを頼んでも頼まれてくれないとなると、まあ、そういうことになっちゃうんでしょうか? 意識がどうのじゃなく体で反応してしまうほどのレベルだそうですし。
 けれども、です。
「してあげればよかったんじゃないの? そんなだったんなら」
 浮かんだ疑問をぶつけてみたところ、大吾は肩を縮こまらせすら。
「……なんか、見た目よろしくねえだろ? 弱味に付け込んでるっつーか、成美からすりゃどうしようもねえことでそういうのって」
「そう思うのは兄ちゃんにやましい気持ちがあるからだっつの」
「ないわけねえだろぶっちゃけよ」
 妹に噛み付かれたところ、抗うどころかぶっちゃける大吾。すると庄子ちゃん、呆れたように大きな溜息をひとつ、見せ付けるように吐き出すのでした。
 しかし体裁の問題をともかくとすれば、実際そうでもないとおかしいくらいに、それは当たり前のことなのでしょう。相手が成美さんでなくとも猫に猫じゃらしを向けるというのはつまり、そういうことなんでしょうし。
 それが相手が人間の姿、しかも自分の新妻となれば、と考えれば同じ男性として共感を禁じ得ません。……なんて思っていたら、成美さんがにわかに目を開きました。
「庄子」
「あ、はい」
「昨晩のことについては、わたしが意固地になっていたという面も確かにあるのだ。それにもう仲直りもしっかり済ませているから、あまり虐めないでやってくれ」
「成美さんがそう言うなら、そうします」
 そう来るのならば仕方がない、と口ではそんなふうに言っていますが、表情のほうは嬉しそうな庄子ちゃん。兄想いな子なのです。
「しかし、重ねてすまんな。せっかく遊びに来てもらったというのにこんな調子で」
 こんな調子、というのはまず間違いなく膝枕で横になっている現状のことを指しているのでしょうが、その膝を差し出している庄子ちゃんは「いえいえ、こうしてるだけでも気持ちいいですから」と再度成美さんの頭を撫でるのでした。
 すると成美さん、言葉に出すまでもなく気持ちよさそうに頬を緩めた上で、
「わたしも気持ちいいぞ。さすがは兄妹というところか、大吾と同じで良い匂いがする」
「うええ、兄ちゃんと同じ匂いですか」
「はは、同じ匂いとまでは言わんさ。どちらも触れていると心地良いということだよ」
 それは大吾の「すぐ動物に好かれる」という体質のことを言っているのでしょうか? それとも、単に親しい相手として安らぐということでしょうか。まあ、どちらか一方でないといけない、というわけでもないんですけどね。
「だから、すまんがもう少しだけ、頼めるか?」
「はい。少しと言わず、いくらでもどうぞ」
 過去に二度ほど膝枕をした経験がある身としては、いくらでもやってたら足が痺れるどころの話じゃない、なんて言いたくもなるのですが、成美さんは「ありがとう」と。しかしそのまま再び眠るのかと思いきや、そうではなく。
「いやしかし、惜しかったな。来てくれたのが昨日だったなら、あいつにも会わせてやれたのに」
「猫だった時の旦那さんですよね? あたしもちょっと残念です。人間が嫌いっていうのがその、ちょっと不安ですけど」
「基本的に人間嫌いだとは言ったが、しかし知り合った個人に対してまでそれを持ち込むやつではないからな。言葉は通じなくとも、庄子ならきっと気に入られただろうさ」
「ええっ? あたし、あんまりそんな自信ないですけど」
 成美さんが猫だった時の旦那さん。白い毛に灰色のぶちが入った、猫であることを差し引いてもなお目付きの鋭いあの人(と言って、もちろん人ではなく)は、昨日ここへ立ち寄っていたのです。まあ、その後はずっと202号室に招かれていたので、成美さんと大吾以外の面々は顔を合わせたという程度でしたけど。
「いやいや、膝枕がこれだけ気持ちいいんだ……気に入られないわけが……うう、すまん、寝る」
 喋っている間に再び睡魔が襲ってきたらしく、すとんと落ちるように寝入ってしまう成美さんでした。寝ると宣言してから五秒以内に本当に寝た人なんて、いま初めて見ましたよ。
「膝枕までの過程はどうするつもりだったんだろう、成美ちゃん」
 一方で栞さんは冷静な指摘をしていました。もちろん、本人の耳には届いていないのでしょうが。ああ、なんと幸せそうな寝顔でしょう。
「兄ちゃんも膝枕だったの? その旦那さんには」
「んなわけあるか。ちゃんと話とかして――ああ、その時はな、楓サンに旦那サンが人間と喋れるようにしてもらってて」
「ふーん。……そういえば兄ちゃんって、家守さんの呼び方変わったよね。前は無作法にも呼び捨てだったのに」
 言われて顔を苦々しくさせる大吾。彼は少し前まで……ああ、ちょうど一週間前になるのか。それまで、家守さんのことを「ヤモリ」と呼んでいたのです。そして呼び方だけでなく、家守さんに対する態度もまた、それに見合ったものでした。
「それは、まあ、無作法って言われてもしゃーねえけどよ。オレだってそう思ったから変えたんだし。……あれ、変えたってこと言ってなかったっけか」
「いやー、変わったのは知ってたけどね。ほら、あたしも兄ちゃん達を見られるようにしてもらった時に。でもなんで変えたのかは知らなかったなって」
 というと、前の水曜日だったか。風邪をひいた清明くんがやって来たその日、それまで幽霊については声が聞こえるだけだった庄子ちゃんは、幽霊を見ることができるようにしてもらったのです。
「高次サンもここで暮らすことになったわけだし、そこで呼び捨てはまずいだろって話だよ。それにそもそも、その、楓サンにはかなり世話になってるわけだし、それだけ考えたってやっぱまずいだろうし」
「まあ、お嫁さんを貰うんだったらそれくらいの社会常識は弁えてて当然だよね」
「それが言いたかっただけか、オマエ」
「だけって言っても大事なことじゃん。違う?」
「……違わねえけど」
 もとからお疲れ気味なところへそんなお説教(しかも妹から)をもらい、どことなくやつれたようにさえ見えてしまうような兄なのでした。
 ところで呼び捨てといえば、成美さんは家守さんに限らず誰でも呼び捨てです。しかしそれはまあ、大吾のそれとは背景が違うのでしょう。元々は人間でないということや、天寿を全うしたということで、そもそも僕達の中で最年長(相対的には、ですけど。絶対数で言うなら見たままの年齢です)だということもありますし。
 ――というような話を誰も口にしないのは、成美さんのことが意識にも上らないのか、はたまた僕のように意識はしても声に出すほどのことではないと判断してのことなのか。どちらにせよ、誰もそれを問題視はしていないということなのでしょう。
 なので、話題に上らないまま話は移りまして。
「そうだ庄子ちゃん、今日は楓さんと高次さん、仕事に出てないみたい。多分いまも部屋にいると思うよ?」
 家守さんの呼び方の話から思い付いたんでしょう、栞さんがそんなことを言いました。話の中に「だからどうする」の部分が抜けてはいますが、しかしそれは言うまでもないでしょう。
「そうなの? うーん、でも今、ちょっと動けないし……」
 膝の上の成美さんに視線を落とし、苦笑する庄子ちゃん。つまりは101号室に行かないか、とそういう話なのです。
「そこまで面倒見ることもねえだろ、行きてえんなら置いてけよ。何ならオレが変わるし」
「とか言って兄ちゃん、変わって欲しくなっただけなんじゃないのかなあ?」
 にやにや顔で言いながら庄子ちゃん、ところどころでぴよんぴよんと跳ねている白くて長い成美さんの髪を指先に絡め、そこからさらさらと滑り落とさせます。
「アホか」
 誘うような動きでしたが、大吾はそっけないもの。まあ、今更それくらいで、という面もやはりあるのでしょう。なんせ普段からしておんぶしてたりしますし、実際に見たわけではなくとも、一緒に暮らしていればそれ以外にも何なりとあるんでしょうし。
「まあ、成美さんもそっちのほうが嬉しいんだろうけどね」
「……重ねてアホか」
「いやいやこれは本当に。あたしもそっちのほうがいいしさ。――兄ちゃん馬鹿だし、上手くいってるかなって心配なんだよ、妹としては」
 そんなことすらにやにや顔のままで言いのけてしまう妹に、しかし兄は口を噤んでしまうのでした。
 それでも中途半端な間を置いてから、
「いつもの散歩、一緒に来るか? 成美が起きた後の話になるけど」
「うん」
 まるで関係のない話でお茶を濁す兄。妹も特に何を言及するでもありません。
「じゃあ、成美さんお願いね」
「おう」

 ――で。
「おう、しょーちゃん来てたんだ? いらっしゃい」
「おはようございます」
 成美さんを大吾に預けた庄子ちゃん、101号室へやってきました。
「一緒なのがこーちゃんとしぃちゃんだけってのは、珍しいねえ。だいちゃんとなっちゃんは?」
 どうしてだか僕と栞さんも一緒です。と言って、ここへ来て問題があるわけでもないのですが。
「成美さん、疲れてるみたいでまだ寝てるんです。大吾もその付き添いで」
「『オマエ等も一緒に行け』って言われちゃって」
 恐らくは大吾、恥ずかしかったのでしょう。成美さんを引き受ける際、そうする必要があるわけでもないのに膝枕という形まで引き継いでしまい、そのまま動くに動けなくなったのです。そこに僕と栞さんが残るというのも、なかなか厳しいものがあるでしょうし。


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