生きるって、どういうことだと思う?
彼はそう言いました。
…………。
家守さんを許していない。
彼はそうも言いました。
家守さんの何に対して言っているのか分からない僕と栞ではありませんし、そしてそれが正当な言い分であることだって分かります。もちろん、親しい人についてそんなふうに言われてしまうことには抵抗がありはするわけですが。
栞と同じように――と、身近な人物だからといって自分の妻を例に上げるのは失礼にあたるのかもしれませんが――彼は、彼ら四人はかつて、栞と同じようにこの世に留まり、この世で暮らしている幽霊でした。
それを、不慮の事故ではあったにせよ、かつての家守さんによって強制的にあの世へ送られてしまった。というのが、彼ら四人が等しく抱えている事情です。
それを他の三人と違って許せていない彼が、僕と栞に尋ねてきたのです。
生きるって、どういうことだと思う?
と。
質問それ自体のみを取り上げれば曖昧なものではあるわけですがしかし、そのことを踏まえれば何を問うているのか、どんな返事を期待しているのか、ある程度の推測は立てられましょう。
……ただし、その推測を立てたいと思えるかどうかはまた別の話ですが。
この質問が出た時にはもう一人の男性が止めに入ったのですが、しかし一方で、家守さんを許せていないという話については、誰かが止めに入ったりはしないのでした。
その代わり、というわけでもないのでしょうが、すぐそこの控室に向かっていた筈の僕達六人分の足は、誰のものからともなくその勢いを落とし始め、ついにはその全てが完全に止まってしまうのでした。
「大丈夫だよ、そんな怖い顔しなくても」
今この場でただ一人だけ笑みを浮かべ続けている彼は、僕を見ながら言いました。
「許してないとは言ったけど、だからって恨み続けてるってわけでもないんだよ。その話になったらそういう立場を取らせてもらうってだけで、そうじゃなかったら普段は全く意識に上らないからね」
とまで言って、彼は立ち位置こそ違えど同じ境遇にある他の三人を振り返ります。
「この三人とも、あっちでは普通に友達やってるし」
誰もその言葉を否定はしませんでしたし、
「家守ちゃんのことだって友達だと思ってるんだよ」
こちらについてもそれは同様なのでした。
「とは言っても、もうどれくらいぶりになるのかなあ。十年いくかいかないかくらいぶりなんだけどね、今日ここで会ったのって」
「ここで、ですか? あっち……ええと、あの世まで呼びに行った時には?」
わざわざ明らかにするようなところではない気もしますし、そもそも大きな、というか大きそうな質問を一つ無視する形にはなってしまうのですが、僕はそんな些細な質問を彼に投げ掛けるのでした。
言い訳を用意するまでもなく、それは逃げでした。
「ああ、僕のところに来てくれたのは旦那さんのほうだったんだよ」
「高次さんが……」
「いい人だよね」
彼と高次さんがその時何を話したのかは知りませんし、そもそもその時話した内容を基にそう言っているのかどうかすら不明ではあるのですが、とはいえその通り。高次さんはいい人です。この場合だと本人のみの話ではなく「家守さんの夫として」ということになるのかもしれませんが、だとしてもその評価に何ら変わりはなく。
そしてどうやら彼としてもそういう意味での話だったようで、
「というわけで、足止めさせちゃってごめんね。僕としても今日ここに来た理由は『友達の結婚式を祝いに』っていうのが第一だから、そういうことで宜しく」
「はい」
他にも訊きたいことがないわけではなかったのですが、しかしそれは正確に言えば「思い付いた以上訊けはするけど聞きたいとは思えないこと」だったので、区切りを付けられそうなところで区切りを付けておくことにしました。
十年いくかいかないかくらいぶり。
家守さんと会っていなかった期間について彼はそう言っていましたが、しかし家守さんの年齢と彼らの外見からして――彼らの外見が当時のままだということからして、件の「不慮の事故」が起こったのは十年どころかその倍近く昔の話だと予想できます。ということは、その直後から会わなくなった、というわけではないようなのですが……。
何にせよ聞きたいとは思えないことではありますし、それにそんな話を始めてまた足が止まってしまうのも具合が宜しくないでしょう。というわけでそれについては疑問を浮かべたところまでに留めておき、ここは再度動き始めた集団に身を任せておくことにしました。
「ごめんなさい、悪い人じゃないんです……」
髪の短い女性に小声でそう告げられた僕と栞は、なんとか笑みを絞り出すのでした。
そんなことをしている間にももちろん足は動いているわけで、ならばそれを望もうが望むまいが到着することになるわけです。六人揃って目指していた、家守さんもいるであろう控え室に。
自分達以外の招待客がいる場所に足を踏み入れられないでいた四人――三人なのかもしれませんが――とは、その解消のために付き添っているということもあります。どちらが先にということであればそこはやはり、僕と栞が先に立って控え室のドアを開けるのでした。
するとその瞬間、ドア越しにも伝わってきていた控え室内の喧騒がピタリと治まり――そしてその瞬間のその直後、その一瞬で溜め込んだ分の喧騒を破裂させたかのように湧き上がった音圧が、その唯一の出口であるドア付近に立っている僕達にぶつかってくるのでした。
それを構成する一つ一つの声が判別できるようになるまでには少々の時間を要しましたが、それを待ってから耳に届いてくるのはやはり、僕と栞への祝福の言葉がその殆ど。
……自分達のことなので感覚としては誇張されてしまっているのかもしれませんが、ここまで歓迎されてしまうと、こう、恥ずかしいどころではなくもうそれだけで涙が浮かんでしまいそうに。
それを避ける必要性があるわけでもない中、しかしそうならないよう視線を隣の栞へと逃がしてみたところ、残念ながらというか何と言うか、どうやらあちらも同じ発想だったようでばっちり目が合ってしまうのでした。
同じ立場にいる相手の、同じ理由からの涙を堪えている表情。
堪えるどころか釣られてしまうわけです、やっぱり。
「私達は一旦、楓さんの所に行ってますね」
ご一緒しましょうか、なんて言っておきながらこの体たらくで申し訳ないところではありますが、笑みを含んだ背後からのその提案に振り返ることもできないまま、僕と栞は黙って頷くのでした。
で、そうしてあちらが家守さんの所へ移動したあと自分達はどうするのかというと、そりゃあ出入り口で突っ立ったままということはなく、こちらも同様に移動を開始するわけです。向かうべき人達の所へ向かうために。
その移動中も引き続き祝福の言葉を投げ掛けられ続け、場合によってはやや丸くなった背中をバシバシ叩かれたりもしながら、よりにもよって出入り口から最も遠い一番奥のテーブルについていた二人のもとへ。
「お帰りなさい」
「お疲れさん」
自分と同じ涙を堪えている表情に釣られてしまったりはしながら、けれど結局はギリギリのところで泣くのを堪え続けてもいた僕と栞。しかしそうして優しく迎えられたところで、どうやら栞は限界を越えてしまったようでした。
「お義母、さ……」
それが声にも表れたところ、するとお母さんは素早く、けれど自然さを失わない動きで椅子から立ち上がり、栞を抱き留めるのでした。
「素敵だったわよ。ありがとうね、栞さん」
その後どうなったかというと、どうにもならないままでした。なので敢えて語るようなことはしないでおきますが、
「こっちはないのか? ああいうの」
「その度量を見せてから言って欲しいもんだけどね」
立ったままでいる栞に合わせて椅子から立ち上がったお母さんでしたが、しかし一方こちらはというと、座ったままのお父さんに合わせて――というわけでもないのですが、椅子に腰を下ろしてすっかり落ち付いている僕なのでした。
何やら懐が広そうなことを言っているお父さんではありますがしかし、その顔は会話の相手である僕ではなくお母さんの方を向いたままで、しかもまぶたに光るものが見えていたりもするのでした。
お母さんのように泣いた相手を慰めるのならともかく、それを堪えている相手を泣かせに掛かるようなことはそりゃあしないでおくに越したことはないでしょう。状況に対して立場があべこべだろうとか、そんな突っ込みは諦めるとしても。
「はは、息子に度量を問われるなんてなあ。長く生きてりゃいいこともあるもんだ」
「そんな大袈裟な」
冗談なことくらい分かってるだろうに、なんてそれこそ冗談っぽくそんなふうにも思ったのですが――しかしここで思い出されたのは、あの質問でした。
『生きるって、どういうことだと思う?』
…………。
「どうした?」
「いや、どうもしないってことないでしょこの状況じゃあ」
「ははは、そりゃ確かにな」
で、まあしかしそれはともかく、生意気なことを言いはしたもののお父さんの気持ちも分からないではないのです。だからといって「分かる」と言い切ってしまうのも、それはそれでどうかとは思うわけですが。
涙を浮かべながらお父さんが見ていたのはお母さんなわけで、ではお母さんのどんな様子に涙を浮かべたのかというと、それはもちろん感激を抑え切れなくなった栞を抱き留めたことなのでしょう。
しかしそれは、お母さんと栞の話には留まりません。なんせ今祝われているのは栞と僕が結婚したことなわけで、ならば今こうしてお父さんと向かい合ってはいてもやはり、そこには僕も関わってくることになるわけです。和解、というと大袈裟かもしれませんが、つい数時間前にお母さんとのわだかまりを解消したばかりのこの僕が。
それも含めて喜んでいるのであろうお母さんを見て、それをまた喜ぶお父さん。幾分遠回りな話ではありますがしかし、その遠回りな話で涙を浮かべられるほど喜べるというのは、それだけ妻への愛が深いということなのでしょう。
妻への愛。……自分の親に対して冷静にこんなことを考えてみるというのも変な気分ではありますが、しかしそれもあと暫くすれば気にならなくなってしまうのでしょう。なんせ今ではもう、僕にも愛する妻がいるんですから。
僕がつい最近になって得られたそれを、親はもっと昔から得ていた。ただそれだけの話なのです。
「お父さん」
「ん?」
「僕、お父さんとお母さんの子で良かったよ」
ただそれだけの話なのに、自分一人では気付けませんでした。別に何が特別ということもなく極々普通に愛し合う両親がいて、そして特別な女性を見付けた自分がそれと同じ道を辿って初めて、だったのです。
ただそれだけの話なのに――ただそれだけの話だからこそ、それを気付かせてくれた両親にはここで、素直な感謝の念が湧いてくるのでした。
「お母さんにも言ってやれな」
軽く笑うようにして僕の言葉を受け止めたお父さんは、続けてそう返してきます。そしてそれ以上は、もう。
お母さんとは別に距離が離れているというわけでもなく、なのでもしかしたら改めて言うまでもなく今お父さんに言ったのが聞こえていたかもしれません。というかそっちの確率のほうが高そうですらありますが、しかしたまたま耳に入ったのと直接言われたのではやはり事情が違ってくるということもあるのでしょう。
極めて真剣な話ではあるにしても、二度同じことを口にするというのは若干照れ臭くもありますが――。
「お母さん」
栞がさっぱりした顔で戻ってくるのを待ってから、そうさせてくれたお母さんへ向けて、もう一度。
「はあ」
「な、何さ」
それから数分ののち、じろりとこちらを睨み付けてきたお母さんにはついついたじろがされてしまう僕なのでした。
「なんか癪ねえ、泣いてないのがあんただけって」
「そんなこと言われても……」
というわけで、まあ、泣かせてしまったわけです。もちろんそれは喜びから来るものではあったわけで、ならば泣かせてしまった側としてもそれについて後ろめたさを覚える必要はないわけですが、とはいえそれを前にして堂々とばかりしていられないのが涙というものなのです。多分。
「僕だってかなり頑張って堪えてたんだよ? これでも」
「だといいけどね」
ううむ。そうなる理由があるというわけでもなく、ならば機嫌を損ねたということではないんでしょうけど、しかしそれが分かっているからといってどうしたものか。
「大丈夫だぞ孝一。それくらい、父さんと母さんは見りゃ分かるから」
するとお父さんがそんなことを言い出し、ならば当然そこへはお母さんの睨みが飛んでいくわけですが、
「俺と同じ立場なんだから、反応だけズレてても不自然だろう? ほらほら、まだ泣くっていうなら一緒に泣いてやるから」
「ふん、ここぞとばかりに格好付けちゃって」
尚も憎まれ口で受け答えるお母さんではありましたがしかし、言葉と一緒に差し出されていた手については、しっかりと受け取っていたのでした。
結局のところお母さんが、そしてお父さんも更に泣くようなことはなかったのですが、しかしそうだったとしても、そこにある気持ちに変わりはないわけです。ということであれば息子としては、そして娘としても、それが歓迎すべきものであることにもまた変わりはないわけで。
……あとまあ、お母さんの憎まれ口も、そこそこには。そうして分かり易く反発してみせるほどではないにせよ、僕だってそりゃあ、素直に甘えに行くのは控えてるわけですしね。別に周囲の目を気にしてとか、そういうのとはまた別に。
「残念ながら父さんの胸は頼りないそうなので――ほらほら二人とも、ここはもう大丈夫だから他にお待ちの皆さんの所へ」
同じ男として、ということになるのかどうかは定かでないですが、泣いてもらうにあたって胸を貸したくなってしまう気持ちは分からないではありません。とはいえ先に言っていたのが「一緒に泣いてやる」なので、どちらも実行するとなると中々に壮絶な光景にもなってしまうわけですが。
と、それはともかく。
「栞はどう? もう大丈夫?」
「うん」
とのことなので、ここは素直にお父さんの提案に乗っておくことに。お父さんの言う「他のお待ちの皆さん」に含まれているかどうかは分かりませんが、僕と栞には付き添っているべき四人がいるわけですしね。
「それじゃあ、また後で」
「お義母さん、ありがとうございました」
栞に礼を言われてお母さんが機嫌の良さそうな顔になったところで――いえ、それまでのお父さんとの遣り取りから既に、ということなのかもしれませんが――僕と栞は席を立ち、出入り口で別れたばかりのあの人達のもとへ向かうことにしました。
……のですがしかし、数歩進んだところでその移動には一旦ストップが掛かります。
「孝さん」
「ん?」
「あの人の質問、何か考えた?」
「ああ……」
それが誰のどの質問のことを言っているのかは、考えるまでもないでしょう。栞がそれを尋ねてくるというのは、意外なようなそうでないような、といったところですが、けれど少なくとも僕については、自然と声が低くなってしまうのでした。
栞も同様であれば特にそれが気になるようなこともなかったのでしょうが、しかしあちらは引き続いてにこにこしたままなのでした。僕の反応が正しいとまでは言いませんが、はて、ご自身はどんなふうにお思いなのでしょうか?
とはいえ、まずは僕のほうから。
「こういうこと言いたいんだろうな、みたいなことは。ただまあ、ここでそんな話っていうのはし辛いんだけどさ」
「そっか」
要するには、自分の話でなくあの人の話、という。悪口というわけではないのですが、あちらの身の上を考慮するとなると、もうその時点で軽々しく口にできる話ではなくなってしまうのです。
「栞は? 何かしら思い付いてそうな顔してるけど」
「あれ、そう?」
そのにっこりしたほっぺをむにむにしてやろうか。というのは、思うだけにしておきますけどね。しょっちゅう顔色を読まれていることからして、むしろ僕の方こそそうされていて可笑しくないわけですし。
ともあれ栞、引き続いて笑みを湛えたままこんなふうに。
「はっきりと『こう』って答えが浮かんだわけじゃないんだけどね。でも、さっきみたいなのがそうなのかなあって」
ふむ。
「というのは、家族がどうとか、そういう? お母さんに慰めてもらってたし」
「それもあるし、あと『お父さんとお母さんの子で良かった』とかもね」
…………。
「いや、まあ、冗談で言ったわけじゃないんだからそういう扱いされるのはむしろ光栄なんだけどね?」
「という人が私の旦那様だってこともね? お義父さんお義母さんのことだけじゃなくて」
むう、ああ言えばこう言う。そりゃあ家族という括りなら親だけでなく配偶者も当然含まれることにはなるわけですし、そしてこれについても当然、むしろ光栄、ということにはなるわけですけど。
などと冗談で言ったわけでない話に対して今更冗談っぽい感想を浮かべていたところ、すると栞、引き続いてこうも言ってくるのでした。
「はっきりした答えが浮かんだわけじゃない、とは言ったけど、実は最後の最後だけは今の時点でもうはっきりしててね。私だって生きてるんですよっていう」
「うん」
と、咄嗟に頷いてしまう僕だったのですが。
「ありゃ、あっさり納得されちゃった。うーん、ちょっとくらいしんみりさせちゃうかなって思ってたんだけどなあ」
言い終えてからこんなことを言うのも何ですが、それは僕自身もそう思います。即答するのではなくもうちょっとこう、考えるような間を取ってみるとか――いやもちろん、そうなったとしたら「考えるような」ではなく実際にあれこれ考えていることでしょうが。
と、しかし、それについては僕一人に責任があるということでもなくて、
「それがいいんだったら栞もそういう顔をすべきだったかなあ。自分はにこにこしておいてそんな、相手にだけしんみりしろっていうのも結構無茶な要求だよ?」
「あはは、そっか。駄目だねえ、信頼し過ぎるっていうのもそれはそれで」
「いや、良くないとは言わないけどね?」
改善の必要があるわけではない、ということでこの話はこれくらいにしておきまして、本来の目的に立ち帰りましょう。
目指す四人のもとへ到着するまでにもあれやこれやと声は掛けられたわけですが、しかしここまで来ると、さすがにその殆どはからかい半分のものだったりします。まあまた泣きそうにさせられたりしても困ると言えば困りますし、そうでないとしてもできるだけ早いうちにあちらへ到着したくもあったので、むしろ有難いことではあったのですが。
「お、来た来た」
僕と栞を視界に納めるや否やニカッと笑みを浮かべるのは、我等が管理人こと家守さん。自分の式が直後にまで迫っていることや、友人とはいえ込み入った事情がある四人を前にしていることを考えると、その普段通りさがむしろ意外だったりもするのですが――しかし何であれ、普段通りは普段通り、ということで。
「みんなのこと引き受けてくれるんだってね? ありがとうね、二人とも」
「本当にな。こっちから頼めるようなことではなかったわけだし」
こちらとしては「なるようになったらこうなった」程度の話ではあったわけですが、家守さん高次さんからするとそういうことになるそうでした。まあ、状況としては「自分達で招待しておいて落ち付ける場所を用意してあげられていない」ということにはなるわけで、じゃあそういうことにもなりはするんでしょうけどね。
といったところで動きを見せたのは、髪の短い女性。
「ごめんね、じっとしてればよかったのにうろうろしちゃって……」
「キシシ、こっちとしてはそれを咎めるわけにはいかんのだがね」
予定していた時間にずれが生じたということもあって仕方のない話ではあるのですが、彼女がそうして申し訳なさそうにしてみせたところ、家守さんはそれを軽く笑い飛ばします。
――こちらの四人が家守さんの友人だというのは初めから知っていたわけですがしかし、直接会話しているのを目にするのはこれが初めてでした。成美さんで見慣れてるだろうに、とここで例として挙げるには少々状況に差がありはしますが、外見上だけとはいえ年齢差のある二人が対等な友人として会話をしているのは、変だとは言いませんが新鮮に映ってしまうものなのでした。
と、しかしそれはともかくとしておきまして。
そう言って髪の短い女性に笑い掛けた家守さんは、続けて「それに」とも言いながら僕達二人と友人四人を交互に見遣った後、「うん、なんかこの光景だけでいい気分」と。
それに対して笑い返してみせるのは、髪が長い女性と背が低い男性です。
「こんな時でも変わらないのねえ、そういうの」
「今くらいは僕達じゃなくて旦那さんにデレデレしっ放しでもいいだろうにね」
やっぱりいつも通りな家守さんにはこちらもそれと同様、いつも通りに釣られていい気分になってしまうわけですが、しかしその「いつも通り」というのはどうやら、あちらの四人に対しても通用するものらしいのでした。
が、しかし。それというのは――。
「だからあ、いつでもどこでもそういうの苦手なんだってばさアタシは」
「そうなんだ? ふふ、それはそれでからかい甲斐がありそうだけどね」
彼、という呼び方をしてしまうとここでは候補が二人、高次さんも含めれば三人にもなってしまうわけですが、ここでそう言って家守さんに笑い返したのはその「彼」、背が高いほうの男性なのでした。
……まああれやこれやの関係ない話は今横に置いておくとして、そうなのです。僕達にとっては初めからそうだったということになる家守さんの「いつも通り」はしかし、小さい頃からの付き合いである彼らからすれば、後からそうなったということになるわけです。
そして他三人と違い、今日までの十年前後家守さんとの付き合いがなかったという彼ともなると、それは最早いま初めて知ったことにすらなるようで。
「キシシ、勘弁しとくれ。アタシ一人ならまだしもその旦那が隣にいるんじゃあ、鼻血噴くぐらいしかねないよ?」
こういう話になってくるとその旦那さんは苦笑いを浮かべるばかりになってしまうのですが、するとそんな高次さんに救いの手が。
「まあ勘弁するも何も楓ちゃん、もうそろそろ行かなきゃいけないんじゃないの? ほら、前の番だった日向さん達が戻ってきてるんだし」
「うーん、それが楽しみ過ぎて逆に不安っていうかねえ。一歩めが踏み出せないでいるんだよね、さっきから」
状況を進展させようと動いた髪の短い女性でしたがしかし、家守さんがここで粘りをみせます。見せなくていい場面だというのはもちろんなのですが、しかしまあそうなる気持ちも分からないではない――。
「ひゃああっ!? へっ!? あっ、ちょっ、高次さん!?」
「こう言ってくださってるんだからそろそろ行くぞ。どうせ着替えるんだから鼻血噴いてもいいんだし」
「そ、そういう問題じゃないと思うなあ! 思うんだけどなあ!」
……何があったのかと言いますと、高次さん、家守さんを強引にお姫様抱っこの格好で連れ去りに掛かったのでした。相手がそれに応じてくれるならともかく、そうでないところを無理矢理その形に持っていくというのはかなりの力技のような気もしますが、まあ、慣れてらっしゃるんでしょうね多分。
彼はそう言いました。
…………。
家守さんを許していない。
彼はそうも言いました。
家守さんの何に対して言っているのか分からない僕と栞ではありませんし、そしてそれが正当な言い分であることだって分かります。もちろん、親しい人についてそんなふうに言われてしまうことには抵抗がありはするわけですが。
栞と同じように――と、身近な人物だからといって自分の妻を例に上げるのは失礼にあたるのかもしれませんが――彼は、彼ら四人はかつて、栞と同じようにこの世に留まり、この世で暮らしている幽霊でした。
それを、不慮の事故ではあったにせよ、かつての家守さんによって強制的にあの世へ送られてしまった。というのが、彼ら四人が等しく抱えている事情です。
それを他の三人と違って許せていない彼が、僕と栞に尋ねてきたのです。
生きるって、どういうことだと思う?
と。
質問それ自体のみを取り上げれば曖昧なものではあるわけですがしかし、そのことを踏まえれば何を問うているのか、どんな返事を期待しているのか、ある程度の推測は立てられましょう。
……ただし、その推測を立てたいと思えるかどうかはまた別の話ですが。
この質問が出た時にはもう一人の男性が止めに入ったのですが、しかし一方で、家守さんを許せていないという話については、誰かが止めに入ったりはしないのでした。
その代わり、というわけでもないのでしょうが、すぐそこの控室に向かっていた筈の僕達六人分の足は、誰のものからともなくその勢いを落とし始め、ついにはその全てが完全に止まってしまうのでした。
「大丈夫だよ、そんな怖い顔しなくても」
今この場でただ一人だけ笑みを浮かべ続けている彼は、僕を見ながら言いました。
「許してないとは言ったけど、だからって恨み続けてるってわけでもないんだよ。その話になったらそういう立場を取らせてもらうってだけで、そうじゃなかったら普段は全く意識に上らないからね」
とまで言って、彼は立ち位置こそ違えど同じ境遇にある他の三人を振り返ります。
「この三人とも、あっちでは普通に友達やってるし」
誰もその言葉を否定はしませんでしたし、
「家守ちゃんのことだって友達だと思ってるんだよ」
こちらについてもそれは同様なのでした。
「とは言っても、もうどれくらいぶりになるのかなあ。十年いくかいかないかくらいぶりなんだけどね、今日ここで会ったのって」
「ここで、ですか? あっち……ええと、あの世まで呼びに行った時には?」
わざわざ明らかにするようなところではない気もしますし、そもそも大きな、というか大きそうな質問を一つ無視する形にはなってしまうのですが、僕はそんな些細な質問を彼に投げ掛けるのでした。
言い訳を用意するまでもなく、それは逃げでした。
「ああ、僕のところに来てくれたのは旦那さんのほうだったんだよ」
「高次さんが……」
「いい人だよね」
彼と高次さんがその時何を話したのかは知りませんし、そもそもその時話した内容を基にそう言っているのかどうかすら不明ではあるのですが、とはいえその通り。高次さんはいい人です。この場合だと本人のみの話ではなく「家守さんの夫として」ということになるのかもしれませんが、だとしてもその評価に何ら変わりはなく。
そしてどうやら彼としてもそういう意味での話だったようで、
「というわけで、足止めさせちゃってごめんね。僕としても今日ここに来た理由は『友達の結婚式を祝いに』っていうのが第一だから、そういうことで宜しく」
「はい」
他にも訊きたいことがないわけではなかったのですが、しかしそれは正確に言えば「思い付いた以上訊けはするけど聞きたいとは思えないこと」だったので、区切りを付けられそうなところで区切りを付けておくことにしました。
十年いくかいかないかくらいぶり。
家守さんと会っていなかった期間について彼はそう言っていましたが、しかし家守さんの年齢と彼らの外見からして――彼らの外見が当時のままだということからして、件の「不慮の事故」が起こったのは十年どころかその倍近く昔の話だと予想できます。ということは、その直後から会わなくなった、というわけではないようなのですが……。
何にせよ聞きたいとは思えないことではありますし、それにそんな話を始めてまた足が止まってしまうのも具合が宜しくないでしょう。というわけでそれについては疑問を浮かべたところまでに留めておき、ここは再度動き始めた集団に身を任せておくことにしました。
「ごめんなさい、悪い人じゃないんです……」
髪の短い女性に小声でそう告げられた僕と栞は、なんとか笑みを絞り出すのでした。
そんなことをしている間にももちろん足は動いているわけで、ならばそれを望もうが望むまいが到着することになるわけです。六人揃って目指していた、家守さんもいるであろう控え室に。
自分達以外の招待客がいる場所に足を踏み入れられないでいた四人――三人なのかもしれませんが――とは、その解消のために付き添っているということもあります。どちらが先にということであればそこはやはり、僕と栞が先に立って控え室のドアを開けるのでした。
するとその瞬間、ドア越しにも伝わってきていた控え室内の喧騒がピタリと治まり――そしてその瞬間のその直後、その一瞬で溜め込んだ分の喧騒を破裂させたかのように湧き上がった音圧が、その唯一の出口であるドア付近に立っている僕達にぶつかってくるのでした。
それを構成する一つ一つの声が判別できるようになるまでには少々の時間を要しましたが、それを待ってから耳に届いてくるのはやはり、僕と栞への祝福の言葉がその殆ど。
……自分達のことなので感覚としては誇張されてしまっているのかもしれませんが、ここまで歓迎されてしまうと、こう、恥ずかしいどころではなくもうそれだけで涙が浮かんでしまいそうに。
それを避ける必要性があるわけでもない中、しかしそうならないよう視線を隣の栞へと逃がしてみたところ、残念ながらというか何と言うか、どうやらあちらも同じ発想だったようでばっちり目が合ってしまうのでした。
同じ立場にいる相手の、同じ理由からの涙を堪えている表情。
堪えるどころか釣られてしまうわけです、やっぱり。
「私達は一旦、楓さんの所に行ってますね」
ご一緒しましょうか、なんて言っておきながらこの体たらくで申し訳ないところではありますが、笑みを含んだ背後からのその提案に振り返ることもできないまま、僕と栞は黙って頷くのでした。
で、そうしてあちらが家守さんの所へ移動したあと自分達はどうするのかというと、そりゃあ出入り口で突っ立ったままということはなく、こちらも同様に移動を開始するわけです。向かうべき人達の所へ向かうために。
その移動中も引き続き祝福の言葉を投げ掛けられ続け、場合によってはやや丸くなった背中をバシバシ叩かれたりもしながら、よりにもよって出入り口から最も遠い一番奥のテーブルについていた二人のもとへ。
「お帰りなさい」
「お疲れさん」
自分と同じ涙を堪えている表情に釣られてしまったりはしながら、けれど結局はギリギリのところで泣くのを堪え続けてもいた僕と栞。しかしそうして優しく迎えられたところで、どうやら栞は限界を越えてしまったようでした。
「お義母、さ……」
それが声にも表れたところ、するとお母さんは素早く、けれど自然さを失わない動きで椅子から立ち上がり、栞を抱き留めるのでした。
「素敵だったわよ。ありがとうね、栞さん」
その後どうなったかというと、どうにもならないままでした。なので敢えて語るようなことはしないでおきますが、
「こっちはないのか? ああいうの」
「その度量を見せてから言って欲しいもんだけどね」
立ったままでいる栞に合わせて椅子から立ち上がったお母さんでしたが、しかし一方こちらはというと、座ったままのお父さんに合わせて――というわけでもないのですが、椅子に腰を下ろしてすっかり落ち付いている僕なのでした。
何やら懐が広そうなことを言っているお父さんではありますがしかし、その顔は会話の相手である僕ではなくお母さんの方を向いたままで、しかもまぶたに光るものが見えていたりもするのでした。
お母さんのように泣いた相手を慰めるのならともかく、それを堪えている相手を泣かせに掛かるようなことはそりゃあしないでおくに越したことはないでしょう。状況に対して立場があべこべだろうとか、そんな突っ込みは諦めるとしても。
「はは、息子に度量を問われるなんてなあ。長く生きてりゃいいこともあるもんだ」
「そんな大袈裟な」
冗談なことくらい分かってるだろうに、なんてそれこそ冗談っぽくそんなふうにも思ったのですが――しかしここで思い出されたのは、あの質問でした。
『生きるって、どういうことだと思う?』
…………。
「どうした?」
「いや、どうもしないってことないでしょこの状況じゃあ」
「ははは、そりゃ確かにな」
で、まあしかしそれはともかく、生意気なことを言いはしたもののお父さんの気持ちも分からないではないのです。だからといって「分かる」と言い切ってしまうのも、それはそれでどうかとは思うわけですが。
涙を浮かべながらお父さんが見ていたのはお母さんなわけで、ではお母さんのどんな様子に涙を浮かべたのかというと、それはもちろん感激を抑え切れなくなった栞を抱き留めたことなのでしょう。
しかしそれは、お母さんと栞の話には留まりません。なんせ今祝われているのは栞と僕が結婚したことなわけで、ならば今こうしてお父さんと向かい合ってはいてもやはり、そこには僕も関わってくることになるわけです。和解、というと大袈裟かもしれませんが、つい数時間前にお母さんとのわだかまりを解消したばかりのこの僕が。
それも含めて喜んでいるのであろうお母さんを見て、それをまた喜ぶお父さん。幾分遠回りな話ではありますがしかし、その遠回りな話で涙を浮かべられるほど喜べるというのは、それだけ妻への愛が深いということなのでしょう。
妻への愛。……自分の親に対して冷静にこんなことを考えてみるというのも変な気分ではありますが、しかしそれもあと暫くすれば気にならなくなってしまうのでしょう。なんせ今ではもう、僕にも愛する妻がいるんですから。
僕がつい最近になって得られたそれを、親はもっと昔から得ていた。ただそれだけの話なのです。
「お父さん」
「ん?」
「僕、お父さんとお母さんの子で良かったよ」
ただそれだけの話なのに、自分一人では気付けませんでした。別に何が特別ということもなく極々普通に愛し合う両親がいて、そして特別な女性を見付けた自分がそれと同じ道を辿って初めて、だったのです。
ただそれだけの話なのに――ただそれだけの話だからこそ、それを気付かせてくれた両親にはここで、素直な感謝の念が湧いてくるのでした。
「お母さんにも言ってやれな」
軽く笑うようにして僕の言葉を受け止めたお父さんは、続けてそう返してきます。そしてそれ以上は、もう。
お母さんとは別に距離が離れているというわけでもなく、なのでもしかしたら改めて言うまでもなく今お父さんに言ったのが聞こえていたかもしれません。というかそっちの確率のほうが高そうですらありますが、しかしたまたま耳に入ったのと直接言われたのではやはり事情が違ってくるということもあるのでしょう。
極めて真剣な話ではあるにしても、二度同じことを口にするというのは若干照れ臭くもありますが――。
「お母さん」
栞がさっぱりした顔で戻ってくるのを待ってから、そうさせてくれたお母さんへ向けて、もう一度。
「はあ」
「な、何さ」
それから数分ののち、じろりとこちらを睨み付けてきたお母さんにはついついたじろがされてしまう僕なのでした。
「なんか癪ねえ、泣いてないのがあんただけって」
「そんなこと言われても……」
というわけで、まあ、泣かせてしまったわけです。もちろんそれは喜びから来るものではあったわけで、ならば泣かせてしまった側としてもそれについて後ろめたさを覚える必要はないわけですが、とはいえそれを前にして堂々とばかりしていられないのが涙というものなのです。多分。
「僕だってかなり頑張って堪えてたんだよ? これでも」
「だといいけどね」
ううむ。そうなる理由があるというわけでもなく、ならば機嫌を損ねたということではないんでしょうけど、しかしそれが分かっているからといってどうしたものか。
「大丈夫だぞ孝一。それくらい、父さんと母さんは見りゃ分かるから」
するとお父さんがそんなことを言い出し、ならば当然そこへはお母さんの睨みが飛んでいくわけですが、
「俺と同じ立場なんだから、反応だけズレてても不自然だろう? ほらほら、まだ泣くっていうなら一緒に泣いてやるから」
「ふん、ここぞとばかりに格好付けちゃって」
尚も憎まれ口で受け答えるお母さんではありましたがしかし、言葉と一緒に差し出されていた手については、しっかりと受け取っていたのでした。
結局のところお母さんが、そしてお父さんも更に泣くようなことはなかったのですが、しかしそうだったとしても、そこにある気持ちに変わりはないわけです。ということであれば息子としては、そして娘としても、それが歓迎すべきものであることにもまた変わりはないわけで。
……あとまあ、お母さんの憎まれ口も、そこそこには。そうして分かり易く反発してみせるほどではないにせよ、僕だってそりゃあ、素直に甘えに行くのは控えてるわけですしね。別に周囲の目を気にしてとか、そういうのとはまた別に。
「残念ながら父さんの胸は頼りないそうなので――ほらほら二人とも、ここはもう大丈夫だから他にお待ちの皆さんの所へ」
同じ男として、ということになるのかどうかは定かでないですが、泣いてもらうにあたって胸を貸したくなってしまう気持ちは分からないではありません。とはいえ先に言っていたのが「一緒に泣いてやる」なので、どちらも実行するとなると中々に壮絶な光景にもなってしまうわけですが。
と、それはともかく。
「栞はどう? もう大丈夫?」
「うん」
とのことなので、ここは素直にお父さんの提案に乗っておくことに。お父さんの言う「他のお待ちの皆さん」に含まれているかどうかは分かりませんが、僕と栞には付き添っているべき四人がいるわけですしね。
「それじゃあ、また後で」
「お義母さん、ありがとうございました」
栞に礼を言われてお母さんが機嫌の良さそうな顔になったところで――いえ、それまでのお父さんとの遣り取りから既に、ということなのかもしれませんが――僕と栞は席を立ち、出入り口で別れたばかりのあの人達のもとへ向かうことにしました。
……のですがしかし、数歩進んだところでその移動には一旦ストップが掛かります。
「孝さん」
「ん?」
「あの人の質問、何か考えた?」
「ああ……」
それが誰のどの質問のことを言っているのかは、考えるまでもないでしょう。栞がそれを尋ねてくるというのは、意外なようなそうでないような、といったところですが、けれど少なくとも僕については、自然と声が低くなってしまうのでした。
栞も同様であれば特にそれが気になるようなこともなかったのでしょうが、しかしあちらは引き続いてにこにこしたままなのでした。僕の反応が正しいとまでは言いませんが、はて、ご自身はどんなふうにお思いなのでしょうか?
とはいえ、まずは僕のほうから。
「こういうこと言いたいんだろうな、みたいなことは。ただまあ、ここでそんな話っていうのはし辛いんだけどさ」
「そっか」
要するには、自分の話でなくあの人の話、という。悪口というわけではないのですが、あちらの身の上を考慮するとなると、もうその時点で軽々しく口にできる話ではなくなってしまうのです。
「栞は? 何かしら思い付いてそうな顔してるけど」
「あれ、そう?」
そのにっこりしたほっぺをむにむにしてやろうか。というのは、思うだけにしておきますけどね。しょっちゅう顔色を読まれていることからして、むしろ僕の方こそそうされていて可笑しくないわけですし。
ともあれ栞、引き続いて笑みを湛えたままこんなふうに。
「はっきりと『こう』って答えが浮かんだわけじゃないんだけどね。でも、さっきみたいなのがそうなのかなあって」
ふむ。
「というのは、家族がどうとか、そういう? お母さんに慰めてもらってたし」
「それもあるし、あと『お父さんとお母さんの子で良かった』とかもね」
…………。
「いや、まあ、冗談で言ったわけじゃないんだからそういう扱いされるのはむしろ光栄なんだけどね?」
「という人が私の旦那様だってこともね? お義父さんお義母さんのことだけじゃなくて」
むう、ああ言えばこう言う。そりゃあ家族という括りなら親だけでなく配偶者も当然含まれることにはなるわけですし、そしてこれについても当然、むしろ光栄、ということにはなるわけですけど。
などと冗談で言ったわけでない話に対して今更冗談っぽい感想を浮かべていたところ、すると栞、引き続いてこうも言ってくるのでした。
「はっきりした答えが浮かんだわけじゃない、とは言ったけど、実は最後の最後だけは今の時点でもうはっきりしててね。私だって生きてるんですよっていう」
「うん」
と、咄嗟に頷いてしまう僕だったのですが。
「ありゃ、あっさり納得されちゃった。うーん、ちょっとくらいしんみりさせちゃうかなって思ってたんだけどなあ」
言い終えてからこんなことを言うのも何ですが、それは僕自身もそう思います。即答するのではなくもうちょっとこう、考えるような間を取ってみるとか――いやもちろん、そうなったとしたら「考えるような」ではなく実際にあれこれ考えていることでしょうが。
と、しかし、それについては僕一人に責任があるということでもなくて、
「それがいいんだったら栞もそういう顔をすべきだったかなあ。自分はにこにこしておいてそんな、相手にだけしんみりしろっていうのも結構無茶な要求だよ?」
「あはは、そっか。駄目だねえ、信頼し過ぎるっていうのもそれはそれで」
「いや、良くないとは言わないけどね?」
改善の必要があるわけではない、ということでこの話はこれくらいにしておきまして、本来の目的に立ち帰りましょう。
目指す四人のもとへ到着するまでにもあれやこれやと声は掛けられたわけですが、しかしここまで来ると、さすがにその殆どはからかい半分のものだったりします。まあまた泣きそうにさせられたりしても困ると言えば困りますし、そうでないとしてもできるだけ早いうちにあちらへ到着したくもあったので、むしろ有難いことではあったのですが。
「お、来た来た」
僕と栞を視界に納めるや否やニカッと笑みを浮かべるのは、我等が管理人こと家守さん。自分の式が直後にまで迫っていることや、友人とはいえ込み入った事情がある四人を前にしていることを考えると、その普段通りさがむしろ意外だったりもするのですが――しかし何であれ、普段通りは普段通り、ということで。
「みんなのこと引き受けてくれるんだってね? ありがとうね、二人とも」
「本当にな。こっちから頼めるようなことではなかったわけだし」
こちらとしては「なるようになったらこうなった」程度の話ではあったわけですが、家守さん高次さんからするとそういうことになるそうでした。まあ、状況としては「自分達で招待しておいて落ち付ける場所を用意してあげられていない」ということにはなるわけで、じゃあそういうことにもなりはするんでしょうけどね。
といったところで動きを見せたのは、髪の短い女性。
「ごめんね、じっとしてればよかったのにうろうろしちゃって……」
「キシシ、こっちとしてはそれを咎めるわけにはいかんのだがね」
予定していた時間にずれが生じたということもあって仕方のない話ではあるのですが、彼女がそうして申し訳なさそうにしてみせたところ、家守さんはそれを軽く笑い飛ばします。
――こちらの四人が家守さんの友人だというのは初めから知っていたわけですがしかし、直接会話しているのを目にするのはこれが初めてでした。成美さんで見慣れてるだろうに、とここで例として挙げるには少々状況に差がありはしますが、外見上だけとはいえ年齢差のある二人が対等な友人として会話をしているのは、変だとは言いませんが新鮮に映ってしまうものなのでした。
と、しかしそれはともかくとしておきまして。
そう言って髪の短い女性に笑い掛けた家守さんは、続けて「それに」とも言いながら僕達二人と友人四人を交互に見遣った後、「うん、なんかこの光景だけでいい気分」と。
それに対して笑い返してみせるのは、髪が長い女性と背が低い男性です。
「こんな時でも変わらないのねえ、そういうの」
「今くらいは僕達じゃなくて旦那さんにデレデレしっ放しでもいいだろうにね」
やっぱりいつも通りな家守さんにはこちらもそれと同様、いつも通りに釣られていい気分になってしまうわけですが、しかしその「いつも通り」というのはどうやら、あちらの四人に対しても通用するものらしいのでした。
が、しかし。それというのは――。
「だからあ、いつでもどこでもそういうの苦手なんだってばさアタシは」
「そうなんだ? ふふ、それはそれでからかい甲斐がありそうだけどね」
彼、という呼び方をしてしまうとここでは候補が二人、高次さんも含めれば三人にもなってしまうわけですが、ここでそう言って家守さんに笑い返したのはその「彼」、背が高いほうの男性なのでした。
……まああれやこれやの関係ない話は今横に置いておくとして、そうなのです。僕達にとっては初めからそうだったということになる家守さんの「いつも通り」はしかし、小さい頃からの付き合いである彼らからすれば、後からそうなったということになるわけです。
そして他三人と違い、今日までの十年前後家守さんとの付き合いがなかったという彼ともなると、それは最早いま初めて知ったことにすらなるようで。
「キシシ、勘弁しとくれ。アタシ一人ならまだしもその旦那が隣にいるんじゃあ、鼻血噴くぐらいしかねないよ?」
こういう話になってくるとその旦那さんは苦笑いを浮かべるばかりになってしまうのですが、するとそんな高次さんに救いの手が。
「まあ勘弁するも何も楓ちゃん、もうそろそろ行かなきゃいけないんじゃないの? ほら、前の番だった日向さん達が戻ってきてるんだし」
「うーん、それが楽しみ過ぎて逆に不安っていうかねえ。一歩めが踏み出せないでいるんだよね、さっきから」
状況を進展させようと動いた髪の短い女性でしたがしかし、家守さんがここで粘りをみせます。見せなくていい場面だというのはもちろんなのですが、しかしまあそうなる気持ちも分からないではない――。
「ひゃああっ!? へっ!? あっ、ちょっ、高次さん!?」
「こう言ってくださってるんだからそろそろ行くぞ。どうせ着替えるんだから鼻血噴いてもいいんだし」
「そ、そういう問題じゃないと思うなあ! 思うんだけどなあ!」
……何があったのかと言いますと、高次さん、家守さんを強引にお姫様抱っこの格好で連れ去りに掛かったのでした。相手がそれに応じてくれるならともかく、そうでないところを無理矢理その形に持っていくというのはかなりの力技のような気もしますが、まあ、慣れてらっしゃるんでしょうね多分。
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