(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第三十九章 希望と予定 四

2011-01-14 20:41:43 | 新転地はお化け屋敷
「余計な一言だったな、今のは。……ううむ、どうにも気が緩んでいるなあ。起きたばかりだからだろうか?」
 そう言って成美さん、自分の頬を両手でぺちぺちと。これで「余計な一言」がなくなってしまうのかと思うと、少々ながら残念なのでした。そりゃあ、初めから期待するようなものではないんですけど。
 まあ、それはそれとして。
「変な話ではあるんですけど、なんとなく意外ですね。成美さんがパジャマで寝てるって」
「そうか? ふむ、なら日向、お前はわたしがどんな恰好で寝ているものだと思っていたんだ?」
「その服のまま、ですね。いや、その恰好で寝ているイメージっていうよりは、今のそれ以外の服を着てるイメージがなかったっていうか」
 それはそれで妙な話ではあるんでしょうが、しかし漠然としたイメージなのでそんなものです。「成美さんって寝る時どんな恰好なんだろう」とはっきり考えるようなことがあれば、このイメージがまず間違いなく間違っていると気付けていたんでしょうけど。
「みんなでどこかにお泊まりするようなことがあったら、まあ成美ちゃんは見せたくないんだろうけど、やっぱり見る機会もあったんだろうね」
 と、栞さん。なるほど、そういうことでもあればそうなるかもしれません。着替えた後の成美さんが、大吾以外の目に一切映らないよう部屋に閉じ籠ったりしない限りは。
 しかしそこまで考えたところで、外泊したことって一度だけあったよね? と。
「孝一くんが引っ越してきてからのお泊まりは高次さんの実家だけだし、あの時は浴衣が置いてあったからねえ」
 そうでしたね。ええ、あれはあれで見応えが――いやいや、そんな話ではなく。
「ええと、ということは栞さんは見たことあるんですか? 成美さんのパジャマ姿。どこかに泊まったりして」
「うん。ちょっとだけだけどね。あの時は今日みたいに恥ずかしがったりもしてなかったし」
 僕が引っ越してくる前ということは大吾相手にも恥ずかしがってたんだろうな、というような想像はしたのですが、しかしむしろ恥ずかしがっていなかったと。はて、そりゃまたどうして。
 それを声に出して質問するよりも前に、成美さんの口から答えが出てきました。
「あの頃はまだ、服というものをよく理解してなかったからなあ。今になって振り返ると、パジャマ姿を恥ずかしがる以前に、裸でうろつくようなことがなくてよかったというか」
 さすがに周囲がそうならないよう説明なりなんなりしてはいたのでしょうが、成美さん本人としては、自分がそうしてもおかしくない状態だったという認識なんだそうでした。
 成美さんの裸。それについて何も考えるなというのはもちろん無茶な話なのですが、しかしだからといってそれを話題にしたりは致しません。当然ながら。
「でも成美さんがここに来たのって確か、一年前って話でしたよね? 別にパジャマの話に限らないんですけど、よくそんな短期間で、こう――」
 ……なんと言えばいいのか。
「人間らしく、か?」
「……はい。すみません、思い付きで喋っちゃって」
 成美さんに気分を害した様子はありませんが、しかしだからといって成美さんに直接言っていいような台詞ではなかったのではないか。そう思って謝ってはみましたが、しかし次に僕は、栞さんのほうを見ることになりました。すぐに自分を悪者にするな、という言葉が頭をよぎったのです。
 僕と目が合った栞さんは、何も言わないまま頷きました。
 成美さんもその無言の遣り取りには気付いていたはずなのですが、しかしこちらもまたそれについて言及してくるようなことはなく、その代わりに、無言の遣り取りの直前から話が続けられました。
「まあ気にするな。むしろ、わたしとしてはそう言ってもらえて嬉しいくらいなのだぞ? なんせ努力して――とまではいかないかもしれんが、意識して人間らしくなろうとしていた節はあるからな」
 栞さんとの遣り取りに関する自省の念から、気が引けて返事ができませんでした。しかし表情には何を思ったかが表れていたのでしょう、それを見た成美さんが、小さく笑いました。
 意外だと思い、その意外だと思ったことを恥じる。恐らく、見透かされたんだと思います。
「それに日向、人間の一年と猫の一年では、恐らく随分と差があるんじゃないか? なんせ生きていられる時間が違うだろう、随分と」
「ああ、それはそうかもしれませんね。成美さんが僕より年下だなんて思いませんし」
 それは成美さんが天寿を全うするまで生きた人だという事実だけを指したものではなく、内面についての話でもあります。
 だってこの性格、この人柄で、僕より年下ですよ? 人間と猫の一年が同じ一年だなんて、とてもとてもそんなふうには思えませんとも。
「とはいっても、僕より大吾でしょうけどね。それを一番分かってるのって」
「うむ、あいつは良くしてくれているよ。一緒になった今に限らずな」
 とても、とてもとても嬉しそうに頷いた成美さん。僕としてはからかい半分だったんですけど、純粋な想いの前ではそんなもの、形無しもいいところなのでした。
 そんな僕のことはいいとしまして成美さん、ちょっとだけ考えるような素振りを見せてからこう続けました。
「さっきもあったことだからもう突っ込まれる前に自分で言ってしまうが、人間らしくなろうとしていた節があるというのも、原因があるとするならそれは確実に大吾だしな」
 さっきもあったことというのは、栞さんが大吾に関する突っ込みをしたことなのでしょう。
 言われる前に自分で言ってしまうという理屈はまあ分かりますが、それができるようになったのは最近のことだ、ということになるんだろうなと。大吾との関係を大っぴらに出来るようになったというか――とにもかくにも、いいことですよね。
 というわけで僕も栞さんもほっこりさせられていたところ、玄関のほうから声が聞こえてきました。どうやら大吾、102号室のみんなを連れて到着のようです。
 すると、帰ってきたみたいですね、なんてことを僕が言うよりも速く成美さんが立ち上がり、大吾とみんなのお出迎えへ。
「お帰り」
「おう、ただいま」
 その短い遣り取りが聞こえ、その後にはウェンズデーとナタリーさん、あとジョンからの挨拶が続きます。
「なんとなくだけど、いいね。こういうの」
「なんとなくですけどね」
「ああいうの」ではなく「こういうの」ということは、僕と栞さんもそこに含まれているということなのでしょう。同調しておきながらも僕の中では「ああいうの」だったので、なんとなくいいと思ったものが、もうちょっとだけ良いように感じられました。
「なんでいきなりニヤついてんだ、二人揃って」
 居間へ入ってくるなり、大吾はそう言いました。自分の顔は見えませんが、栞さんの顔は確かに若干緩んでいます。ということは、僕もそうなんでしょう。
 彼が帰ってくる直前にしていた話があってか、隣に立っている成美さんは嬉しそうな顔をしていました。
「気にしない気にしない」
「そうそう、気にしちゃったら駄目だろうしね」
 誰だってそうではあるんでしょうけど、大吾の場合は取り分け重要な気がするのです。言葉で表すと、自然体、になるでしょうか。そういうものが。
「……まあ、別にいいけどよなんでも。んで散歩だけど、どうする? すぐ行くか?」
「わたしは大丈夫だぞ」
 成美さんが大丈夫だというなら、僕と栞さんがそれに反対する理由はありません。なんせ今回、散歩をどうしようかという話になったのは、大吾と成美さんがついさっきまで寝ていたことが原因なんですし。

 というわけで、日課かつ大吾のお仕事であるところの散歩に出発。成美さんは大吾がおんぶし、ジョンのリードは栞さんが持ち、ウェンズデーとナタリーさんは僕が担当することになりました。
「そういえばこれまで、孝一殿に抱っこされたことはあったでありますっけ?」
「ああ、そういえばどうだったかなあ」
 抱っことは言っても腕の上に立っている格好ではあるけど、ともかくウェンズデーを抱っこしている僕。はて、この感触は覚えがあるものか否か?
「……背中を刺されたことは記憶に残ってるんだけどね、鮮明に」
「プールに行った時のことでありますね。あれは自分も思い出したくないであります……」
 苦々しくそう言いながら、羽でくちばしを押さえるウェンズデー。僕だって痛かったですけど、ウェンズデーだって相当痛かったのでしょう。ウォータースライダーのあれは。
「私が来るよりも前の話ですか?」
 マフラーのように首から垂れ下がっているナタリーさんが、顔を持ち上げで尋ねてきました。女の子であることを考えると距離が近過ぎるような気もしますが、ナタリーさん自身が気にしてないのなら僕も気にしないでおくべきなのでしょう。
「そうですね。僕が来てすぐの頃で――って言っても、それだって最近といえば最近なんですけど」
「新しい人間が来ると聞いた時は、それはもう緊張したであります。良かったであります、孝一殿みたいな人で」
 そう言われると嬉しくもあり恥ずかしくもありですけど、そういえばウェンズデー、初めて会った時は随分とオドオドしてましたっけ。それが今じゃあこうして大人しく抱っこされているわけで、引っ越してきたのは最近のことだと自分で言ったばかりですけど、あの頃がちょっと懐かしく思えたりしないでもありませんでした。
「私がここに住み始められたのも同じような理由ですしね。あの時はありがとうございました、日向さん」
 ひょいと首を横に振り、「それに喜坂さんも」と僕の隣を歩く栞さんへもお礼を言うナタリーさん。その理由というのは、ナタリーさんが元々住んでいた無人の屋敷に僕と栞さんが入り込んだ時、散らかっていた部屋をちょっと片付けてみたことです。それで僕と栞さんに興味を持ったナタリーさんが、僕達の後をついてきたと。
 もちろんこちらとしてはそんな展開を予想できよう筈もなく、ならばもちろんナタリーさんから感謝されることを見越して部屋を片付けたわけでもないので、お礼を言われてしまうとちょっと対応に困ったりしないでもないです。
 ……元気にしてらっしゃいますかね、あの屋敷の主だった山村のお爺さんとお婆さんは。
「どういたしまして」
 話の相手をすっぽかして考え事をしているうちに、栞さんがそう言いながらナタリーさんの頭を撫でていました。あんまり小さな頭なので、見た目には撫でるというより触れているといった感じですが。
 嬉しそうに、そして気持ちよさそうに小さく笑ってから、ナタリーさんは頭を元の位置へ。これだけ人懐っこいナタリーさんが、期間はよく分からないとはいえ独りぼっちであの屋敷に住んでいたなんて、今でもちょっと想像できません。そしてだからこそ、ここに来てもらえてよかったな、とも。
「ナタリー殿は孝一殿と栞殿にありがとうでありますが、自分達はナタリー殿にありがとうであります。おかげで、102号室がもっと賑やかになったであります。清一郎殿はお出掛けが多いでありますからねえ」
 ナタリーさんが来るまでは、清さんが出掛けてしまうとウェンズデー達だけ。ジョンが犬小屋から移動していてやっと二人ということになるので、ならばナタリーさんがそこに加わるのは確かに大きいのかもしれません。まあウェンズデー達は、一人で七人いるようなものではあるんですけど。
 さてそれはさておき、何やらナタリーさんが体を縮こまらせてしまいました。
「に、賑やかにですか? 私が?」
「ん? 変でありましたでしょうか?」
「いえあの、私、そこまで賑やかさに貢献できているのかなと……」
「むむ? ナタリー殿はむしろ、よくお話をする方だと思うでありますがねえ。それも自分だけじゃなく、自分達みんなそう思っているでありますし」
「そ、そうですか……?」
 ウェンズデーが言った「自分達みんな」というのはサンデーからサタデーまでの七名を指しているのでしょうが、僕もそれには同意でした。
 けれど、ナタリーさんが自身をそこまで賑やかな方じゃないと思っているというのも、分からないではないのです。よく喋ると言っても、その大方は疑問に思ったことを質問しているだけだったりしますしね。特には恋愛関係の話題について。
「まあともかく、自分達全員纏めて、今後とも宜しくであります」
「は、はい。こちらこそ宜しくお願いします」
 なにがどうなっていつもの散歩でこんな展開になったのか、と思わなくもありませんが、そんな細かいことは気にしないでおきましょう。
 いつもなら先頭を歩く大吾ですが、ジョンのリードを持っているのが栞さんということで、今回は後方に。彼の耳にも今の話は届いていただろうということで振り返ってみると、緩んでしまっている顔がそこにありました。咳払いをしながらすぐにそっぽ向いちゃいましたけど。
 ならばということで、代わりにその背中から成美さんが。
「照れることはないだろうになあ? こんな時にこいつがどんな顔をするかくらい、皆分かっているのに」
「ですよねえ、今更」
 成美さんだって同様に緩んでいたのですが、こちらは堂々としたもの。それより随分と大きな体しておいて、可愛らしいんだから本当に。
「うっせえ。そんなんオレだって分かってっけど、オレだっていろいろとだな」
 オレだって、を二連発する大吾でしたが、しかしその後が続きませんでした。はて、いろいろと何なんでしょう?
「何かあるというなら聞くぞ?」
 それが話を引き出すための罠なのか、それとも本心を反映してのものなのかは分かりませんが、それまでより少しだけ優しい声で、成美さんは問い掛けました。
「…………」
 おんぶ中なので、大吾の視界に成美さんは入っていません。が、それでも尚成美さんを視界から外すように俯いてしまい、それから少しの間、大吾は何やら考えているようでした。
 そして、その後。答えるかどうかはともかく、何か言うとするならそれは成美さんに対してだろうと思っていたのですが、しかし大吾は僕のほうを向くのでした。なので僕はもう暫く、後ろを向いたまま歩くことに。
「オマエと喜坂が来た時、オレ、『オマエ等か』とか言ったと思うんだけど、どうだったっけか。寝起きだったからもしかしたら記憶違いかもしれねえけど」
 はて、どうしてこのタイミングでそんなことを。
 まあともかく、訊かれたならば答えましょう。
「そう言ってたと思うけど」
 僕がそう言い、そして栞さんも隣で頷きました。
「あー、やっぱか……」
 なんともない話にしか思えませんが、大吾の反応は残念さと脱力感に溢れていました。なんなんでしょうか、いったいぜんたい。
「あの時間、オマエ等以外に誰がウチの呼び鈴鳴らすんだって話だよな。家守サン高次サンは仕事でいねえし、清サンだって出掛けてるのに」
「ああ、まあ、そうだね」
 すっかり僕が受け答えをする係りになっていますが、話の発端が発端なので、こんな内容でもやっぱり、成美さんに聞いてもらうために話しているのでしょう。けれども、この話が成美さんに言われたこととどういう関係があるのか、僕にはまだ分かりません。
 成美さんにも分からないだろうとは思います。でも、優しく微笑んだ表情は欠片も崩れていませんでした。
「……忘れちまうんだよな、自分がそういうヤツだってこと。普段から意識してるわけじゃねえけど、無意識の部分すらどっかに飛んじまってるっつうか」
「そういう奴って――」
 今の話から考えるなら、それはこういうことでしょうか。
「呼び鈴を鳴らすのが僕達くらいな奴ってこと?」
「もっと言やあ、もう幽霊になってる奴ってことだな」
 正直に言うと、そういうことなんだろうなとは思っていました。だからといって直接は言えないなと思っていたら、大吾はあっさりと。
「顔洗ってる時に気付いたんだよ。『オレ今、自分が幽霊だってこと忘れてた』って」
 なるほど、それっぽい話になってきました。けれど発端になった成美さんの一言、「照れることはないだろうになあ」とこの話がどう関わっているのかは、まだ分かりませんでした。
 けれど、どうやら成美さんは気付いたようです。
「どうして忘れたか、ということだな?」
「……ああ」
 力の籠らない返事をし、大吾はまた俯きました。しかし気付いた答えに関係があるのか、成美さんは大吾の肩を掴んでいただけの両手を首の前へ回し、緩く抱き付くような格好に。
「ええと、どういうことですかね?」
 答えに気付かない僕が鈍感なのかと不安に思いつつ、静かになってしまった二人へ問い掛けます。
 気付いた以上は大吾でなく成美さんに答えてもらっても良かったのでしょうが、しかし口を開いたのは大吾でした。ものすっごく言い難そうにモゴモゴしてからでしたが。
「ええとだな、さらっと言っちまえばあれだ、オレ、幸せ過ぎるんだよ最近」
 あら、そういう話? ええそりゃもう見たまんま幸せだろうし、最近って言うからには成美さんと一緒になったことが基点だったりするんだろうけど、それが何か問題だったりするの?
 と、それまでのどこか重い空気が一変したような感覚に見舞われましたが、しかし実際はそうでもなかったようで。
「ただ幸せだってんならいいけど、今みたいなことになっちまうと――なんか、不安になるんだよな。幽霊だってことを忘れるような幸せって、実際に幽霊なオレがそうなっていいもんなのか、とか」
 どこかで聞いたような話だと思い、そしてそれをどこで聞いたかは、そう思った直後に分かりました。
 僕は不意に、隣を歩く栞さんへ半歩分だけ近付きました。
「後か先かってだけで、そう思うのはみんな同じなのかもね」
 どこか可笑しそうな色を含ませつつ、栞さんは小声でそう言いました。大吾と成美さんには届かなかったであろうその声はしかし、ウェンズデーとナタリーさん、それにジョンには聞こえていたんでしょうけど、それだけを聞かれて問題になるようなこともありません。
 ……家守さんに呼ばれてあまくに荘に住み始めるまで、自分が息を引き取った病院から出られなかった栞さん。ならば恐らく、幽霊になってそう間もないうちから今の大吾と同じようなことを考えていたのでしょう。幸せになっていいのだろうかと、幸せになる前から。ずっと。
「大吾くん」
「ん?」
「一人もいないと思うよ、それがよくないなんて言う人は」
 その一言は恐らく、僕がよく言われていることにも通じるのでしょう。勝手に自分を悪者にするな、という。――しかしその言葉を今の大吾に向けるということは、大吾と同じように考えていた時期の栞さんにも、同じことが言えるということです。
 ならば僕がよくその言葉を掛けられるというのは、ただ僕の考え方が宜しくないからというだけでなく、過去の自分がそうだったからという面もあるのでしょう。
「……まあ、そうだよな。やっぱ」
 半分くらいの笑みを浮かべ、大吾はそう返します。一度言われただけで即座に納得するということは、僕よりもよっぽど物分かりがいいということになるのでしょう。歯痒いですけど。
「わたしから言わせれば、それどころではないがな」
 大吾が栞さんの話に納得したところで、今度は成美さんから一言あるようです。
「よくないというなら、幸せになるのがよくないと思うことこそよくないぞ。そうなったら、わたしはお前の傍にいられなくなってしまうからな。わたしとお前が何のために一緒になったかと言ったら、それはもちろんお互いに幸せになるためだろう?」
 栞さんの言葉にはすぐさま頷いた大吾でしたが、今度はそうはいかないようでした。といってもそれは納得できないというふうではなく、むしろ大いに納得したからこそ、身動きが取れなくなってしまっているというか。
 自慢になんてなりっこないですが、もしそうだとするなら、その気持ちはよく分かります。僕から怒って栞さんをそうさせたこともあれば、栞さんから怒られて僕がそうなったこともありますし。――いや、成美さんは別に怒ったような様子なんてないんですけどね? 青い火の玉も出てませんし。
「……ううむ、やはりこういう台詞は気恥ずかしいな。家の中ならともかく、こんな往来の真ん中で」
「ごめんな、そんなこと言わせちまって」
 指摘に対しては黙り込んでしまっていた大吾ですが、こういう話になればすんなりと謝罪するのでした。成美さん以上に聞いてるこっちが恥ずかしいような気もしますが、きっと気のせいでしょう。
「なに、お前の話を聞き出そうとしたのはそもそもわたしだ。だからわたしが今恥ずかしい思いをしていることについては、お前が謝る必要はないぞ。ただ……」
「なんだ?」
「わたしとの幸せに迷いを持って欲しくないとは、思う」
 話が戻り、そして大吾は再び言葉を切ってしまいます。
 が、今回はそのまま終わらせるようなことはありませんでした。
「そうだな。そっちについても、ごめん」
 すると今度は成美さんの言葉が切れ、そしてその言葉の代わりと言わんばかりに、ぎゅうと大吾に抱き付くのでした。大吾の肩口に押し付けられた顔は表情が見えず、なのでその行動が喜びから来たものなのか、それとも安堵から来たものなのか、はたまた恐れから来たものなのかは、分かりませんでした。
 僕達はそれを見て何も言えなかったし、何を言うべきでもなかったんでしょうが、そこでナタリーさんが小声で言いました。
「……やっぱり賑やかなんかじゃないですよ、私。何も言えませんでした」
 それは少し前、ウェンズデーから言われたことでした。というわけでウェンズデーも、同じく小声で返します。
「ここで賑やかだったらそれはそれで問題であります。サタデーだったらちょっと分からないでありますが」
 ナタリーさんとしては「沈み気味な大吾に何か言ってあげたかった」というニュアンスも交えての言葉だったのかもしれませんが、ウェンズデーはそういうふうには取らなかったようです。まあ、分かっていてわざとそうしたのかもしれませんが。
 そしてはてさて、僕の目にそう映ったのなら、ナタリーさんだってそう思ったかもしれません。――というようなことをどうして僕が思ったのかというと、
「ナ、ナタリー殿?」
「お礼の気持ちです。ありがとうございます、ウェンズデーさん」
 ナタリーさん、ウェンズデーのほっぺにキスをしたのでした。鳥の頬に当たる部分を果たして頬というのかどうかは、別の問題として。
 嬉しくてキスをするのはどうしてもしたい時だけにしたほうがいい。ナタリーさんは確か庄子ちゃんからそんなふうに言われていましたし、それを忘れているということもないでしょうから、ならば今のは、どうしてもしたい程に嬉しかったのでしょう。
「どういたしまして……というほどのことを、自分はしたでありましょうか?」
「少なくとも、私にとっては」
 後ろの大吾達もこちらのウェンズデー達も、それぞれ違った意味ではありますがいい雰囲気です。残るとは僕と栞さんとジョンですが、しかし残ったからといって何かをしなければならないというわけでもないでしょう。
 そういえば昼ご飯がまだなんだよなあ、なんてことを胃の空き具合から思い出しつつ、今はウェンズデー達を眺めて微笑んでいる栞さんに倣うことにしました。


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