(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十五章 兄と義姉より愛を込めて 五

2013-09-26 20:53:00 | 新転地はお化け屋敷
 変に意識しなけりゃ別に普通に見てられるんだけど、という前置きはしっかりしておくこととして、変に意識した時だって見ちゃいけないってことはないんだから、じゃあこれからは堂々と見ることにしよう。一番意識する時は遠慮なく見てるわけだし。
 中でした話に対して最後の感想がこんな下らないものでいいんだろうか、なんて思わないでもないけど、尻を振ってみせた成美を思うとそれすら馬鹿馬鹿しくなってくる。
 というわけで、それはともかく。
 身体を洗った、というか洗われたのは旦那サンだけで、オレと成美は軽く身体を流して湯船に浸かっただけなんだけど、それは夜にもう一度入ればいいかということにしておいた。今日の成美のご機嫌具合だと、その時もまた一緒に入るとかいう話になりそうなんだけど……それはむしろ期待するってことにして問題はないだろう。
 で、脱衣所で着替えている最中。その狭さに「入る時もそうだったけど別に同時に出ることはなかったな」なんて思ったりもしたけど、それは今どうでもいいとして。
「お、そっちか」
「のんびりするなら、やはりな」
 バスタオルで身体を拭いた成美は、服を着る前に猫耳を引っ込め小さい方の身体に。のんびりするならそっちのほうが、というのは同棲生活の中でオレも把握していることではある。ただその場合、それは例えば床に寝転がるとかそういうことではなくて、
「というわけで膝を借りるぞ、部屋に戻ったら」
 ということになるわけだ。
「もう貸し借りでもねえけどな。んでオマエ、それはいいとして着替えは? そっち用の服持ってきてないっぽくないか?」
「……着替えてくる」
 素っ裸のまま脱衣所を出ることになる成美だった。そりゃあそれで問題があるってわけでもないけど、ねえ?
「どう思いますか、旦那サン」
 そりゃまあ返事はなかったんだけど。

「んー、やはり風呂上がりはいい。ほっかほかだ」
「そうだなあ」
 風呂に入ってた時の方がもっと温まってる筈ではあるんだけど、室温が低いと体温の高さが強調されるということなんだろう、部屋での膝抱っこは風呂でのそれより更にほっかほかだ。
 ただまあ、成美の場合はそれだけじゃないんだけど。
「今回は大変だな、旦那サンにもしなきゃなんねえし」
「ならわたしがやってもいいか?」
「近付け過ぎんなよ」
「もちろんだ」
 膝抱っこに加えて何をしているかというと、ドライヤー掛けだ。言うまでもなく、成美のその長過ぎるくらい長い髪を乾かすための。ちょっとでも屈んだら髪が床につくから、ちゃんと乾かさないと床が濡れちまうし――なんてことまで考えなきゃならないのはコイツくらいなんだろうけど。
 同棲を始める前はもちろん自分でやっていた成美だけど、今の生活が始まってからはすっかりオレの仕事ということに落ち付いてしまった。とはいっても別に面倒くさいとか疲れるから嫌だとか、そういうのは全然ないんだけど。働きに出てるとかならともかく、日中疲れるようなことはほぼしてないわけだし。それにまあ、こんだけ長いと自分でやるより人にやってもらった方が楽ではあるんだろう。
 ……ところで、毎回思うけど乾けば乾くほど癖毛が飛び出してくるコイツの髪は一体何で出来てるんだろうか。いや髪はどうあったって髪なんだけど。
 なんて感じで見慣れた光景を未だに興味深く観察していると、いつものようにいつの間にか髪は乾き終わっている。うん、今日も良い具合に撫で応えのありそうな。
「ほら」
「うむ」
 ドライヤーを渡してみると、やや緊張が交じった返事が返ってきた。いや別にオマエ、初めて使うってわけじゃないんだから。
「一応、目を閉じていてくれ」
 膝の上に座らせた旦那サンにそう呼び掛け、指で実際にそうさせもする。でもその割には成美、身体を洗う時と同じように、まず乾かし始めたのは首から下だった。
「慎重過ぎだろ」
「はは、そうかもしれんがな。でも、こいつにちょっとでも嫌な思いはさせたくないし。わたしはいくらか慣れはしたが、機械なんて猫からすれば訳の分からないものでしかないからな」
 それを言われるとオレからは何も言えなくなってしまう。ので、口では「そうか」とだけ。
「なんだ、風呂でもそうだったが今日はやけに積極的だな」
「これくらいで積極的でもないだろ」
 口では「そうか」とだけ言っておいて、また頭を撫でるオレだった。今度はさっきと違って猫耳は引っ込んでるけど、それでもまあ成美が嬉しそうにしてくれることは変わりない。
「乾きたてはやっぱ触りたくなるっつうか」
「同じ理由で毎回そうしているというなら信憑性もあるがなあ」
 こっちを向いてはいないにせよ、ニヤついてるのが嫌ってほど伝わる声だった。とはいえ確かにその通りでもあって、髪を乾かした後は毎回髪を触っているかというと、そういうわけでもない。
 ……そもそもにして、「頭を撫でる」と「髪を触る」には差があるって話ではあるんだけど。やってることはほぼ同じだし、じゃあ成美からすれば言われなきゃ分からなくはあるんだろうけど。
「まあいいさ、なんであれ悪い理由だということはないだろうし。そんなことより大吾」
「なんだ?」
「話の続きだ」
 …………。
 だよな。感極まって抱き付いて、それで中断してはいたけど、あれで終わりってことはないもんなやっぱり。
「いいか?」
「当然」
 答えると、成美はそれまでよりもう少しだけ、こちらに体重を預けてきた。少しと言ってもこの小さい身体だ、多分これが全体重ではあるんだろうけど。
「こいつのことは昔と変わらず愛し続けて、でも夫はお前だけにするという話だったが」
「だな」
「ならばこいつはどういう位置付けになるのか、ということになるよな」
「まあ、そうだよな」
 例えばオレならそれで旦那サンを「お客さん」ということにして、そこから猫用シャンプーを買うことを躊躇ったりもした。じゃあ成美はどうするのか、と言ってもそれはどんな単語を思い付くかというだけの話であって、何が出てこようが中身が変わるというわけではないんだろうけど。なんせ、「変わらずに」愛し続けるって話なんだし。
「そこで大吾、ちょっと困ったことになるんだが」
「ん?」
「形だけは頭の中にあるんだが、それを上手く表す言葉がどうも出てこなくてな……。何かないか? もう夫ではないが夫の時と気持ちは変わらない、というような」
 なるほどそうきたか。と、面白がってる場合ではなくて。
 オレもすぐには思い付かなかったけど、とはいえそりゃまあ候補くらいはいくつか。
 二股。
 愛人。
 不倫相手。
 ……何が、とは言わないけど、これはオレの語彙力が無さ過ぎるのが原因なんだろうか? しかも順番を考えたら後ろ二つが当て嵌まるのは旦那サンじゃなくてむしろオレだし。
「成美、残念だけど」
「思い付かないか?」
「いや、思い付いたけど碌なもんが無くて。ほら、やっぱ、人間は一人だけってのが全体のルールになってるわけだから」
 世界全体ではないわけだけど、まあそれくらいは誤差としておいて問題ないだろう。……これから先あるんだろうか。国外旅行とかする機会って。
「なるほど、ルール違反であることに即した言葉しかないというわけだな」
 そんなカッチリした言い方されると更に肩身が狭いというか――って、まあ、オレ個人が方を狭くするような話ではないんだけど。
「まあそう硬くなるな。そのルールがあるおかげで人間であるお前とこれだけ気が合っていると考えれば、そう悪い話でもないさ」
「正直、そう言ってもらえるとすげえ有難い」
 今でこそ旦那サンのことを愛し続けると言われても全く平気なオレではあるけど、もし初めからそう言われていたら、もしくはそもそも成美が他の猫と同じく「ただ一人だけを」というルールを持ち合わせていなかったとしたら、ここまでの関係にはなってなかったんだろう。あんまり想像したくない話ではあるけど。
「ふふ、そうか。――それにお前だけでなく、こいつだってそうらしいからな」
「旦那サン?」
「うむ。変わり者だから気になった、とかなんとか」
 という話は、今回初めて聞いたというわけでもない。ないけど、何度聞いても新鮮な感想を持たされるというか。その感想がどういったものなのかは、まあわざわざ言う必要もない気がするけど。
 で、それはともかく。
「もう乾いてねえかそれ」
「乾く? おっ、おお、忘れていた」
 慌ててドライヤーのスイッチを切る成美。身体を乾かしていたのにその余波だけで頭も乾き切らせるほどには、どうやら本気で忘れていたらしい。よく火傷させないで済んだもんだ――って、そうなりそうだったらそりゃあオレが止めてたけど。
「多少の手抜かりはあったが、うむ、完了だ。もう目を開けてもいいぞ」
 成美に目の辺りを軽く撫でられ、するとそれまでずっと目を閉じていた旦那サンが目を開いた。ドライヤーを切った時点でそうするのではなく成美の合図を待っていた辺りからも、さっきの話の印象が強くなるだろう。機械なんて訳の分からないものだ、という。
「気分はどうだ? 随分と久しぶりだろう、ここまで綺麗になったのは」
 久しぶりというか、石鹸で洗うのと同等レベルで綺麗になることなんて外の生活で有り得ることなんだろうか? というのはなんだか、もちろんこっちにそんなつもりはないにしても、嫌味ったらしかったので言わないでおいたけど。
「ううむ、この毛並み。若い頃を思い出すなあ」
「そこまでか」
「うむ。なんだったらお前もどうだ?」
 知らないものを思い出せはしないだろうけどな、という野暮な突っ込みはさておき。
 成美はこっちの返事を待たずに旦那サンを差し出してきたので、どのみちその話を受けざるを得なくなってしまった。そこまでされておいて断るほどの理由もないし。
 で。
「えーと、失礼します」
 そんな断りが必要かどうかは怪しいところだけど、一応は。膝の上に座ってもらったりちょっとさわったりくらいは普段でもちょくちょくあるし、その時はわざわざこんなこと言わないけど、抱くとなったら、なんとなく。
 そしてそれが伝わった――ってことはないんだろうけど、旦那サン、まるで抵抗することもなくオレの腕の中に収まってくれたのだった。
 普通こういう場合は「大人しくて可愛い」ってことになるのかもしれないけど、なんせ旦那サンなので、どちらかというと「落ち付いてて格好良い」みたいなふうに思ってしまう。いや、ちょっと大袈裟ではあるだろうけど。
「おっ」
 抱いてすぐ、というのは旦那サンが黙ってじっとしてくれていたからなんだろうけど、若いかどうかはともかくこれは確かにと。成美は成美でオレのそんな反応に「ふふん」と得意げにしていた。
「オマエはあんだけボサボサだったのに」
「むう、素直に気持ち良くなっていればいいものを」
「いや、これはこれで好きだけどなオレ」
「……むう」
 毛がボサボサの白猫。ここに初めて来た時と、あとその後一度だけ元の身体に戻った時の成美は、そういう猫だった。それが人の姿になったら髪が白くなるんだから、じゃあこの強烈な癖っ毛もあのボサボサの毛が反映されてのものなんだろう。そういうわけなので、今目の前にある髪を撫でながらかつてのボサボサの毛を褒めるオレだった。
 なんだったらもう一度猫の身体に戻ってもらって思いっ切り撫でまくってやりたい。
 とか。
「それにしても本当に気持ち良いな、旦那サンの毛。あんまやり過ぎたらアレだろうけど、オレ暫くこうしてたいかも」
「気を付けろ大吾」
「え、何を? ああ、やっぱやり過ぎたら駄目か?」
「そうでなくて、あまりそいつを褒め過ぎるとわたしが嫉妬する」
「…………」
 オマエ、いま旦那サン褒められて嬉しそうにしてたばっかだろうに……。
 と呆れてはみたものの、でも自分でそう言ってくるというのは呆れるどころかむしろ見上げるべきことなのかもしれない。褒め過ぎると嫉妬する、ということはまだ嫉妬する段階には至っていないんだし、普通ならその嫉妬する段階にまで至って初めてあれこれ言ってくるものなんだろうし。
 というのは他人からすれば無理矢理褒めているだけに聞こえるかもしれないけど、でもオレ達の場合はそういうわけでもなくて、
「万が一そんなことで人魂が出たりしたら、みっとも無さ過ぎるし」
「はは、そうかもな」
 こういう事情がある。だからオレ達は、ゴタゴタは起きる前から潰していかなきゃならないわけだ。
 楓サンに頼んで人間の身体を手に入れた時、それと一緒についてきたイレギュラー。頼めばきっと楓サンはそれだけ消してくれたりもするんだろうけど、成美はそれを良しとしなかった。
 それについてオレがどう思っているかというのは、その成美の判断に則ったままこの同棲生活を続けている時点で言うまでもないだろう。
「まあでもこうすりゃ大丈夫だろ、嫉妬するってんなら」
 成美の判断を受け入れて生活を共にするというのなら、オレの役目は可能な限り人魂を出さずに済むよう努力することだ。――と、そうきっちり自覚しているつもりではあるんだけど、でもこれくらいのことで努力も何もないだろうとは思う。
 膝の上に座らせている以上、元から抱いているも同然な成美をオレは更に抱き寄せ、その頭に鼻先を摺り寄せた。旦那サンの撫で心地を褒めたことへの嫉妬ってことなら成美の髪も同じく手で撫でてやればよかったんだろうけど、旦那サンを抱いてかつ撫でてということで、そっちに回すには腕が一本足りなかったので、仕方なく。
 ……ああ、でも良い匂いだな、やっぱり。風呂上がりだから余計に。
「どうだ?」
「文句の出しようもないが、しかし――ふふっ、考えてみれば妙な状況だな。惚れた男と一緒に惚れた男に抱かれているなんて」
 確かにその通りではあるんだけど成美、ここで自分と旦那サンを同列扱いされると、なんていうかオレが旦那サンをそういう目で見てる的な……うおお無し無し、無し無し。
「あっ」
「おっ!?」
 嫌な想像をしてしまったところで急に声が上がり、なのでついつい過剰に驚いてしまった。が、別に成美の方は切迫した状況というわけでもなさそうだったので、
「――と、なんだ?」
「い、いや、話が逸れ過ぎだなあと」
 おお、そういえば。と言っても、その驚きは明らかにオレに向けられたものだったけど。
「ああそういえば旦那サンの立場をどう言葉にするかって話だったっけ。うーん、でも悪い、いくら考えても浮かびそうにないな」
 夫ではなくなったけど現在でも関わりがあって、そして夫だった頃と変わらず愛し続けている相手を、しかも否定的でなく肯定的に表す言葉。前の夫、とかならどうとでもなるだろうけど、一単語でとなるとなかなか――いや別に、一単語という点に拘る必要もないんだろうけど。
 オレ個人の語彙力はともかく、そういうものがぱっと浮かんでこない文化圏に住んでいることを、果たして誇ればいいのか煩わしく思えばいいのか。
 なんてことを考えて多分難しい顔をしていただろうオレだったけど、でも成美はそうでもなく、むしろそんなオレの様子をみて軽く笑ってみせた。
「それならそれで全然構わんのだがな。考えてもみろ、立場以前に名前すらないのだぞ?」
「あー」
「こいつは『こいつ』で充分で、それ以上は単なるオマケだ。納得はし難いのかもしれんがな、人間は初めからそうでない世界で生きているわけだし」
「納得はちょっと難しいけど、でもまあ理屈は分かるし大丈夫」
「だろうな、お前なら」
 分からないで済ませるわけにはいかないしな、そりゃ。
 と思っていたら成美、「だが大吾」ともう一言。
「ん?」
「わたしは納得したぞ。哀沢成美という名を貰って、お前と一緒になって怒橋成美になって――自分だけを表す名前というものがあって、それをお前やここの皆に呼んでもらえることが、どれほど心地いいことか」
「そっか」
 オレやここのみんな。つまりはあまくに荘に住んでいるみんなと、あとほんのちょっとのここに関わりのある人達。名前がどうのなんて元々は人間社会全体の話であることを思えば、それはあまりに狭過ぎて無いも同然な範囲の話ではあるけど、でもだからといって成美のその認識が同じくちっぽけなものだなんてことはないんだろう、もちろん。
「オレもそんくらい感動してみたかったけどな、名前があるってだけのことに」
「ははは。産まれた瞬間からそうやって生きているんだ、やはり一々感動してなどおれんか」
「まあなあ」
 でもこんな話をしたとなると、少なくともオマエに呼ばれるのはちょっとくらい心地よく感じたりするようになるのかもしれないけど。というのをここで言ってしまうと、それは名前を呼ぶことを強要している――というかいっそ、思い切り甘えにいっているふうに取られかねないので、口には出さないでおいた。まあやっぱり、旦那サンもいるわけだし。ってことはじゃあ、二人きりなら多分口に出してたんだろうけど。
「こうなるとアレだな、オマエが名前あることに感動してんのにオレが名前ないことに感動出来ねえってのがなんか勿体無いな。名前をなかったことにするわけにはいかねえし」
「ふうむ、確かにそうだな。名前を呼ばなければそれでいいということでもないのだろうし」
「ちなみに、オマエからしてこういうところがいいっての、何かあるか? 名前ありの生活にも慣れてるわけだし、それと比較する感じで見て」
「むむむ、面白いが難しい質問だな」
 自分で言っておいて何だけど、無茶な質問だとは思う。いくら今の生活に慣れているからといっても成美の中で基礎になってるのはやっぱり名前なしなんだろうし、だったらその立場は、オレが名前ありの生活に対して何の感動も得られていないのと大して変わらないんだろうし。
 眉を潜めた成美は横を、つまりは自分と一緒に抱かれている旦那サンを見た。
「今からして思えば、という話にはなるのだが」
「おう」
「名前で呼ぶことが無い分、身体に触れたり何だりで気持ちを表現することが多かったかな、とは思う。だからといって今がその頃より少ないかと言われると、それはちょっと判断に困るところではあるのだが」
「名前で呼ばない分、ねえ」
 分かるような分からないような、というのが正直な感想だった。言葉が足りない分をスキンシップで補うというその理屈は分かるんだけど、その足りない言葉が名前だけとなると、それでそこまで変わるもんかなあと。
「例えば?」
「名前があると、例えば怒った時なんかはまず『大吾!』とか言うわけだ。まあ毎回そうだというわけではないがな、もちろん」
「そうだな。で、名前がないとどうなるんだ?」
「いきなりひっぱたく」
「マジか」
 呼ぶ名前が無いにしてももうちょっと他にやりようはあると思うけど、でもまあそうか、怒ってるってんならやりようがどうとか関係なくなってるだろうしなそりゃ。
「で、逆に甘えたい時なんかは甘えた口調で名前を呼ぶわけだ」
 …………。
 あ、そっちは実演なしなのか。
「名前がないと?」
「これは猫と人間で表現に差異があるが――人間だとそうだな、いきなりキス、くらいだろうか」
「マジか」
 それはいい。
 じゃなくて。
「場合によっては、下手をすれば服を脱ぎ出すくらいあるかもしれん。……いやいや、考えてみるとこの辺りの加減を例えるのは中々難しいものでな」
 言ってみて自分で恥ずかしくなったのか、言い訳のようにそう言いながら俯いてしまう成美だった。でも猫だった頃の行動を人間の行動で例えているのならその服を脱ぎ出すのと同等の行動を――もちろんその相手は旦那サンで――成美は当然のように取っていたことになるわけで、じゃあここで恥ずかしがるというのは多分、ちょっと言い過ぎだったということになるんだろう。
 いや、本当にそうだったとしても何ら問題は無いわけだけど。
 なんだったらそうしてくれてもいいし。
「ってことは、オレがいきなりそういうことしてもオマエ的には大丈夫ってことか」
 思ったことをそのまま言うのは今の成美と同様に照れ臭かったので、その逆を尋ねてみる。
 と、
「うわあ」
 とだけ返された。なんとなく傷付いたような気がするのは気のせいなんだろうか。
 ……気のせいかどうかはともかく少々黙り込んでしまっていると、それに気付いた成美は身を強張らせて慌てて釈明をし始めた。
「いやその、もちろん、お前の裸がうわあってわけじゃなくてな? そりゃまあなんだ、夫婦としてあれやこれやしているわけだしな?」
 具体的な言い方ではなかったにせよ、わざわざそんな例を持ち出さなくてもついさっきまで一緒に風呂に入ってたんだけどな。と、そんな追い打ちを掛けても仕方がないので、「そりゃあな」とだけ。
「ただできれば、その前に一言掛けるなり、そうでなくてももう少し緩い表現から入ってもらえると……」
「心配すんな、そもそもしねえからそんなこと」
「そ、そうか」
 別に裸がうわあとかそういうんじゃなしに、そりゃあいきなりそんなことをされたら驚くだろう。普段からそうしてるってんならまだしも――いやそれはそれで問題だろうけど――そんなにガツガツはしてないつもりだし。こんなでも一応は。
 ともあれ、成美はオレの返事に随分と安心したらしい。強張っていた身体にふっと柔らかさが戻った。ので、ここでひとつ。
「訊かれていい気分になる話じゃねえかもしれねえけどさ」
「なんだ?」
「いや、旦那サンはそのへんどうだったんだろうかなって」
「ふむ。いやいや、気になって当然ではあるだろうさ」
 それを実際に訊くかどうかはまた別の話だろうけどな。と、せっかく寛大な理解を示してくれたというのに無駄に自分を卑下してみたりしないでもなかった。
「さっきの名前の話もあるし、だからもちろん人間、というかお前に比べると、といったところではあったがな」
「ああ」
 そうだった、なんて訊いた後から思い出すような話ではないんだろうけど、そうだった。さっきの名前の話が下敷きになっている以上、じゃあ名前がない旦那サンと名前が無い頃の成美じゃあ、そういうことになるわけで。
「ただ猫の中で言うなら、といっても相手がこいつだけだったわたしが言っても説得力はあまりないのだろうが、『緩い表現』の側だったんだろうと思うぞ」
「そっか。まあ緩くなかったら今みたいになっちまうんだもんな、オマエ」
 緩い表現、というのはそれこそ緩い表現なんだろうけど、要するには優しかったということなんだろう。成美の言葉を借りるなら、夫婦としてのあれやこれやが。
 それが果たして旦那サンの性格によるものなのか、それとも成美の性格を考えた結果そうすることにしたということなのかは、なんせその旦那サンと会話が出来ないんじゃあ確かめようもない。ないけど、どちらにせよオレとしては気分のいい話だった。
 ありがとうございました。
 というのは、なんかちょっと違う気もするけど。別にオレのためにそうしたわけじゃなし、それ以前にその頃はまだ知り合ってもいなかったわけだし。旦那サンだけでなく、成美とすら。
「格好の付かん話ではあるがな」
 照れ臭そうに笑ってみせる成美だった。
 そもそもそこは格好付けるような場面でもないけどな、なんてからかい半分にそんなことを考えてもみたけど、でも「そもそも」なんて話をするならそれこそそもそも、オレは普段から成美のことを格好良いと思っている。となれば、
「付ける必要がないだろ、そもそも」
「はは、それもそうか。そんな時にまで格好も何もなあ」
 成美の理解はどうやらからかい半分のところまででストップしたみたいだったけど、他の誰かならともかく自分のことならそりゃそうなるか、とも。普通は自分のことを格好良いとは思わないだろうし、あとまあそう思ってる時点で格好悪いってことにもなるんだろうし。


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