(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十三章 一晩越えて 十一

2013-05-31 20:52:37 | 新転地はお化け屋敷
「おお凄い。成美さん、なんかよりあったかくなってきた」
 恥ずかしがればいいのかそうでもないのか一応は考えてみていたところ、すると異原さんがそれまでよりちょっとだけ強めに成美さんを抱き締めたりしながら言いました。なるほど、高揚し過ぎて血液の巡りも良くなってきちゃってると。
 と思ったら他方、こんな意見も。
「むしろお前があったかくなってんじゃねえの?」
「ばば馬鹿、そんなわけないじゃないのよ。なんであたしが」
 もちろんのことそれを言ったのは口宮さんだったのですが、なるほど確かにそれは有り得るかもしれません。異原さんなら、と例え本当にそうだったとしても尚失礼にあたる想像ではあるのですが。
「なに、確かめるのは簡単だぞ」
「確かめたくないです」
「口宮に抱き締められてみたらいい。さっきわたしが大吾の膝に移ることを断ったのだって、そういう話なのだし」
「確かめたくないですってば。というか――あはは、何もなくても無理ですしそれ。肩触れさせるのが限界なのに、抱き締められるってそんな」
「そうなのか。勿体無い、こんなに良い座り心地なのに」
 果たして抱き心地と座り心地に関連があるのかどうかは定かではありませんが、どうやら成美さん、音無さんに続いて異原さんの膝もお気に召していたようでした。いっそ誰でもいいんじゃあ――と、さすがにそういうことではないんでしょうけど。
「ちなみにどの辺がどう良い感じですかね」
「ぎゃー! 変なこと訊くんじゃないわよこの変態馬鹿ー!」
 そりゃあ彼氏としては気になるところではあるのでしょうが、だからといってこうも真正面からそれを尋ねるのはやはり少数派なのではないでしょうか。しかもそれが、冗談めかした言い方でもないとなったら。
「変態だから馬鹿なのか馬鹿だから変態なのかという難しい話に持っていくつもりか」
「んなわけないでしょうが! ていうか何その発想!? じゃなくてまず自分はそうじゃないって否定すべきじゃないの!?」
「男なんてみんな馬鹿で変態だろ普通」
「知らねーわよそんな普通!……えっ、本当にそういう認識なの男の人ってみんな?」
「僕を見ないでください」
「オレも見ないでください」
 男なんてみんな馬鹿で変態。男性関係でトラブルを抱えたりなんかした女性からの罵詈雑言としてなら苦笑いで済ませてしまえるところですが、同じ男性から言われてしまうと、これがまた割と真剣になってしまう自分がいるのでした。そしてどうやらそれは、大吾も同じようで。
「あー、私が庭掃除してるところをにやにやしながら眺めてる時はちょっと変態さんかもしれないかなあ、孝さん」
「こちらからせがんだ場合は別として、自分からわたしの喉とかをさわさわしてくるのは変態的かもな、大吾」
 …………。
「どうしようか大吾これ」
「下手に反論しないほうがいいな。傷が広がるだけだ絶対」
 ラジャー。
「ちなみに成美ちゃん、喉とかってことだけど、喉以外だと例えば?」
「今はもうないが、元々尻尾の付け根辺りだったところをやられるとひああってなる」
 なんとも成美さんらしくない表現ではあるのですが、しかしだからこそ真実味が増すのでした。そう表現するしかない、ということなのでしょう。ひああってなる。
 ……下手な反論を控えてすら傷を広げられてしまった大吾は、下を向いてしまっているのでした。尻尾の付け根ってそれ要するにお尻だよね大吾?
「お前のほうこそ、どんな時ににやにやされているのだ? 掃除中ずっとというわけじゃないだろう、さすがに」
「いつかって言ったら塵取りでゴミを拾ってる時かなあ。こう、しゃがんで箒を短く持ってっていうのが気に入られてるみたいで」
「なるほど、よく分からん趣味だな」
 やめて! しゃがんで箒を短く持ってって、今の今まで自分でも自覚なかったのに次から気にせざるを得なくなっちゃう!――あ、でも想像してみるだけでもなんかそこでにやつく自分が分かるような気がするぞ!
「むごい」
 そんな一言を発した口宮さんの声色には、珍しく気落ちした様子が反映されていたのでした。
 ら、するとその口宮さんの肩からもこんな一言が。
「異原さんはどうですか? 口宮さん、何かそういったことって」
「た、たた多分、まだ何も今のところは」
 口宮さんならともかくなんで異原さんが慌ててるんですか。
「まあ変態どころか普通な奴がやってそうなことすらやってねえしな、いろいろと」
「むう。面目ない、としか言いようがないわね」
 これまでと変わらないその口調からして口宮さんに責める意図はなかったのでしょうし、僕が察せる程度のことなら異原さんに察せられないわけもないのですが、しかしそれでも項垂れながら謝ってみせる異原さんなのでした。
 なるほど、何もないというのはそれはそれで辛いわけですね。だからといって僕と大吾が受けた傷が塞がるというわけでは、もちろんないんですけど。
「逆ならどうだろうな。俺が由依に、じゃなくて由依が俺にっていう」
「なんでよりによってあたしの時だけそんな話が!? あ、いやでも大丈夫かな。あんたが何もないってんならあたしだって同じだろうし」
 よりによって自分だけ、という異原さんの言い方はもちろん栞と成美さんを指しているのでしょうが、しかしむしろしてやられた僕と大吾こそそんなふうに反撃してみせるべきだったのかもしれません。傷が広がることを恐れてはいましたが、何もしなくたって結局は広げられてしまったわけですしね。
 とまあ、未練がましく自分達の話に持っていくのはここまでにしておきまして。
 自分にも何もないだろう、と安心していた異原さんへ、しかし口宮さんは具体例を挙げてみせるのでした。
「彼氏のことしょっちゅう殴ったり蹴ったりとか」
 ……なんというか、それはもう今までのものと話が違ってくるのではないでしょうか?
 というわけで、異原さんからもそういった内容の反論が挙がるわけです。
「それはあんたがしょっちゅう馬鹿なことしでかすからであって、それでいちゃついてるとかそういうわけじゃないでしょうが」
 強気な調子でごもっともなことを語る異原さんではありましたが、しかしその後、一転して弱々しくこんな一言も。
「まあ、止めてくれってことなら止めるけど」
 傍から見ている分には今でも以前よりは抑えめになってきていると思うのですが、しかしあるかないかと言われればやはりそういうことは未だにあるわけです。
 殴ったり蹴ったり。ごく一般的な考え方をすれば、それはやはりないほうがいいのでしょうが――。
「んなつまんねえこと言わねえって」
 口宮さんのその一言は僕が頭によぎらせたものと似たようなものだったのですが、とはいえそれでも、本人がそれを言うという点においては意外な一言なのでした。
「つまんねえってあんたね」
 沈んでいた気分を引き上げられた安堵感もあってか、ぷっと吹き出しすらしている異原さん。うむ、やっぱりそっちのほうがいいですよね。異原さんに限った話じゃないですけど。
「兄ちゃんと大吾の嫁さん達だって、別に止めてくれって言ってたわけじゃねえだろ? 俺だってそれと同じだよ。張り合いってもんがねえだろ、お前から殴る蹴る取ったら」
 そうか否定されてたわけじゃなかったんだ! と、まあ、でもやっぱり僕達の話は今はいいとしまして、
「そこに価値を見出されてることについてあたしは喜べばいいのか悲しめばいいのか、それとも怒ればいいのかしらね」
 まあそうなりますよね。今のところ表情は喜んでるっぽいですけど。
「怒ればいい、とか俺が言っちまったら怒れなくなるだろお前」
「うぅぐっ」
 痛いところを突かれた異原さん、置かれた苦境を表現したような重い呻き声を漏らすのみなのでした。そりゃそうですよね、口宮さんに歓迎されているとなったら最終的には喜んじゃいますよね異原さんなら。
 一件落着、なのかどうかは難しいところですが、ともあれそうして話に一段落が付いたところで、ナタリーさんからこんな質問が。
「ということは口宮さん、つまり異原さんに怒られるのが好きなんですか?」
「んー、平たく言えばそういうことになりますかね」
 いやナタリーさんそういうことでは、と言おうと思ったら、それより速くご本人から肯定がなされてしまうのでした。となれば、ここで声を張り上げるのは異原さんです。
「平たくし過ぎでしょ! それじゃあんた完全に変態じゃないの!」
 ちなみにその顔は真っ赤でした。怒りからか、それとも別の何かからなのかは、はっきりさせないほうがいいんでしょう。たぶん。
「だからそういう話してたんだろ今まで」
「そうだった! あれ!?――あれ?」
 ストンと落ちるような勢いで素に戻らされや異原さん、きょろきょろと僕達へその視線を行き来させるのでした。しかしもちろん、ここで何を求められようと外野から掛けるような言葉はありませんでしたが。
「つっても完全な変態とまで思われるのはアレだからもうちょい説明するけど」
 と口では言いつつ本心では困った様子の異原さんへの助け舟として――などと勝手な想像を巡らせてしまう僕ですが、それをはっきりさせるようなことはしないでおきまして。
「怒るにせよ何にせよ、飽きずにずっと構ってくれる物好きなんてこいつくらいなんだよな」
 冗談染みた話ながら、しかしその内訳はともあれ「異原さんしかいない」という点についてはかなり熱烈なその理由。ということであれば、逆に聞いている側としては気楽に納得し辛いところではあるのですが、
「ああ、そういうのはなんとなく分かるなオレ」
 気楽に納得してしまった男がいました。僕でない以上、ならばそれは大吾です。いやジョンも男か女かといえば男なんですけど。
「へえ」
 と口宮さんが興味深そうに相槌を打っている一方、熱烈に語られてしまった側の異原さんは、顔を赤くしながら膝元の成美さんと見詰め合っていました。
 わざわざ膝の上で身体を入れ替えてまで異原さんの方を向いている成美さんを見る限り、どちらがその状況を作り出したかといえばそれは成美さんなのでしょう。誰かの目にまじまじと見入るような状況ではないでしょうしね、異原さんとしては。顔も赤いわけですし。
「ふふ、惚れた男が馬鹿だと大変だな」
「あ、えっと、はい、まあそこそこには。でも――」
「無理をして今ここで皆まで言わなくてもいいぞ。わたしは良く分かっているからな、その辺りの気持ちというのは」
 歯切れの悪い異原さんに対し満面の笑みを浮かべている成美さんは、そう言うと異原さんの頭を軽く撫で付けるのでした。膝の上に座っていることもあり、言わずもがな今の成美さんは小さい方の身体なわけで、ならばそれは傍から見ているとなんともちぐはぐな光景だったのですが、
「……はい」
 異原さんは嬉しそうなのでした。
「つまりは大吾も俺みてえな馬鹿であると」
「すっげえ否定してえけど手遅れだしな、もう」
 嬉しそう、どころかいっそ幸せそうですらある彼女二名に対し、男どもはなんとも微妙な表情をしているのでした。まあそうですよね、嬉しがるにしてもそれは「馬鹿なところを受け入れられていること」であって、自分が馬鹿であることそれ自体を嬉しがれるわけないですもんねやっぱり。
「孝さんだけ仲間外れってことでいいのかな?」
「それは僕じゃなくて栞が判断するところだと思うけど、どう? 実際」
 という質問は「自分は馬鹿である」という結論を避けようとするのであればしないほうがいいものだったのでしょうが、しかしそうなっちゃってもいいかな、なんてそんなふうに思ってしまう僕なのでした。なんせ周囲の二組が馬鹿という結論の下にあんな調子なんですし。
「馬鹿――ではないね、うん。でもだからって何から何まで完璧ってわけでもないし、じゃあなんだろう? 加害妄想が激しいとか?」
「……言いたいことは分かるけど、それだともうただの誹謗中傷だねえ」
 馬鹿だなあ、とは笑いながらでも言えますが、加害妄想が激しいなあ、というのはちょっと笑いの場には相応しくないというか何と言うか。いやもちろん、事情を理解している僕達自身はそうでもなかったりするんですけどね?
「加害妄想? 被害妄想じゃなくてですか?」
 尋ねてきたのは異原さん。そうですよね、耳にする言葉としてはそちらのほうが一般的というか、加害妄想なんて言葉そうそう出てくるものじゃないですよね。
「そうなんですよ。なんでもないことですぐ謝っちゃうんです、孝さん。止めたほうが良いよってずっと言ってるんですけどね」
「へえ。って、聞いただけだと上手く想像できないですけど」
 僕としては納得して頂けたことにしておいて欲しかったところですが、しかし中途半端な理解のままでいられるというのもそれはそれで不安だったりも。つまりはどのみち心苦しい状況から抜け出せはしないのですが、しかしその辺は自業自得ということになるのでしょう。なんせ栞が今言った通り、まだこの癖は抜け切っていないわけですしね。
 というわけで――というわけで、栞から具体的は説明がなされてしまいます。
「私より先に好きになった人がいてごめんなさい、とかいきなり言われたらどうします?」
「うわ」
 うわって言われた!
「さすがにそこまで直接的な言い方じゃなかったですけど、まあ要するにそういうことで」
 という補足説明を付けたした際の栞は、異原さんでなく僕の方を向いていたのでした。まさかこんな細かい祖語に突っ掛かってはこないよね? ということなのでしょう。
 ごめんなさい、ではありませんでした。
 忘れようとしたのです。好きになった人がいたことを。
「いやあ、あの時は私、激怒しちゃいまして」
「げ、激怒ですか。――あ、いやちょっと待ってください、その好きな人っていうのはもしかして」
「音無さんです」
「あらあ……」
 あらあって言われた……。
「でも栞さん、仲良さそうにしてますよね。静音と」
「そりゃあもう、それとこれとは話が別ですから。というか謝らないでって言っておきながら自分がその人を嫌うって、筋が通ってない――どころか、いっそ意味分かんないですよね」
「まあ、言われてみればそうなんですけど」
 理屈に合わない。確かにそれはそうなのですが、しかし人の心情というものは得てして理屈通りにはいかないものなのです。言われてみれば、と言いつつも渋い顔をしている異原さんからも、それは見て取れるところでしょう。
 しかしだからといって栞は、無理に心情を理屈に合わせている、というわけではありません。そういう人なのです、初めから。
 音無さん関連の話のみに限定しても、栞のそういうところに僕がどれだけ救われたかというのは、敢えてここで語るまでもないでしょう。告白することができたのも、振られることができたのも、その後も変わらず友人として部屋に招くことができたのも、全て栞のおかげなのですから。
「それに孝さんが好きになるような人ですもん。喋ったことすらなかったって言っても、嫌な人なわけがないですし」
「ああ、まあ、キッツい子とは縁がなさそうな感じですよね」
「お前とか?」
「あたしがいつ日向くんにキツくしたってのよ」
 と絡んできた口宮さんにキツめに絡み返す異原さんでしたが、そんな様子を見てくすくすと笑っていた栞は、
「誰がキツいって、孝さんがキツいですしね。何か問題があったら全力で解決しようとしちゃいますから。性格それ自体に問題があったりしたら大変ですよね、その性格を変えられちゃうわけですし」
 物凄く恐ろしい話をしているような気がするのは気のせいなのでしょうか? 話の前半については僕自身も納得できるのですが、性格を変えるってそんな――。
 と、そう思いはしたのですが。
 胸の傷跡を塞がせたのもある意味ではそれと同じなのかなあ、なんて考えてしまうと、なんだか栞が今言った通りのことをしてしまいそうに思えてしまうのでした。
 といったところで、笑顔を引きつりがちにさせている異原さんがまるで何かの言い訳のようにこう言いました。
「でも、そこまでするような相手とはそもそも付き合おうなんて思わないんじゃあ?」
 それに対して、栞は笑顔を崩しません。
「はい。だから孝さんは絶対無理です、そういう人」
 まず付き合おうと思わないし、万が一そう思ったとしてもその後が絶望的。今となっては栞というお嫁さんがいる身である以上、他の女性との浮ついた話なんて毛ほども興味はないのですが――音無さんのことだって過去の話ですしね、もう――それにしたってやはり、内心ざわざわさせられる話ではあるのでした。
 いやあ、清廉潔白な人間ではなかったんだなあ、僕って。
 栞に認めてもらえるのであればそれだって歓迎ですが。
「ってことはつまり、あれですかね」
 異原さんに代わって、ということになるのでしょうか。これ以上の言葉か見付からなさそうにも見えるので、異原さんに引き続いて、ということだったりするのかもしれませんが、ともあれここで口宮さんから一言。
「俺と付き合ってられるのなんて由依くらいだってのと同じで、兄ちゃんと付き合ってられるのは栞さんくらいだっていう」
 自分の話に絡めるにしたってそこまで直接的に言うことも無かったような気もしますが、ともあれそんなふうに思ったんだそうでした。そんな話には異原さんが鋭い眼光を口宮さんへと向けるのですが、
「そうです、その通り」
 と嬉しそうに頷く栞に、眼光の鋭さは霧散してしまうのでした。怒るつもりだったんでしょうね、多分。
「いやあ、自分でそう言っちゃうのはちょっと恥ずかしくて」
「あー、言わされましたか俺」
「あはは、まあ。ありがとうございます、言ってくれて」
 口宮さんの場合は異原さんを褒める立場、栞の場合は自分を褒める立場なわけで、となればそりゃあ自分の口から言い難くはあるのでしょう。と言ってももちろん、僕については言われたからどうだということもないわけですが。
 なので、
「孝さん、どう? あれこれ勝手なこと言ってきたけど、何か異論とか反論とかってある?」
「ありません」
 さらっとそう答えてみせる僕なのでした。
「でも栞」
「ん?」
「自分しかいない、なんて自分で言っちゃったからには覚悟してよね? いろいろと」
「もちろんですとも」
 その台詞で追い詰められたのは僕ではありません。栞なのです。
 栞と夫婦になった僕からすれば、栞しかいなかろうがそうでなかろうがもう「栞だけ」なわけで、ならば実情は何も変わらないも同然です。
 が、しかし自分でそう宣言した栞はそうもいかないでしょう。「栞だけ」に対する「僕だけ」の、それ以上までをも受け入れてみせると、そういう意図を込めた決意表明をしてしまったようなものなのですから。
「まあもちろん、そうなっちゃったらこっちだってそれと同じくらいのことはしてみせるつもりではあるけどさ」
「そうなるでしょ? だから言えちゃうんだよ、今みたいなことも」
「まあ、どっちが片方だけがってことはないだろうしね、もう」
「うん」
 恥ずかしい話をしているような気がしますが、同時にそれを気にするのも今更に過ぎるだろうという気もしたので、あまり気にしないようにしておきました。
「優治」
 とここでどこか呆けたような、しかし一方で力強くもあるようなそんな声で、異原さんが彼氏の名を呼びました。
「なんだ?」
「今の、目標にしたい。あたし」
 恥ずかしい話をした、なんて自分ではそう思っていましたが、しかしどうやら聞き手側にはそう思われていなかったようです。……いや、異原さん以外はどうなんだと言われたら無言にならざるを得ないところではあるのですが。
 ともあれそれに対する口宮さんの返事ですが、珍しくうーんと唸ってから言うには、
「こんなこと言うのも気が引けるけど、俺らじゃまだちょっと遠くねえか?」
 とのことでした。がしかし、異原さんは引きません。というか呆けたような力強いようなという曖昧な状態なので、引くも押すもない、ということなのかもしれませんが。
「目標なんて遠いくらいの方がいいもんよ。近過ぎて駄目だったんじゃない、あたし達」
「……そういやそうだったな」
 という話は、言うまでもなく一度関係が破綻してしまったことを指しているのでしょう。今の話に合わせてみるなら、「付き合うことになりはしたものの、目標とした彼氏彼女という関係にまでは至れなかった」といったところでしょうか。
「なんにせよ、お前が前向きなこと言うってのは嬉しいよ」
 口宮さんが放ったその一言に、それまで曖昧だった異原さんは燃え上がるような勢いで顔を真っ赤にさせるのでした。のち、言葉を詰まらせながらもなんとか言葉にしたところによれば、
「う、う、嬉しいってあんたそ、そんな珍しく直接的な」
 しかし口宮さん、それを笑うようなこともなく。
「そらお前、目標立てちまったんならそれに向けて動かないとだろ」
「それはそうだけど――いや、そ、そうよね。そういうことよね」
「頑張れよ、自分で言い出したんだから」
「も、もちろんよ」
「俺も一緒に頑張っから」
「――――っ!」
 どうやらノックアウトのようでした。だからって異原さん、こっち見られても何も言えませんけどね。もちろん僕以外のみんなもね。
「といったところで一個お知らせが」
 目が泳ぐ、どころではない異原さんを尻目に、いつもの気のない調子で何やら別の話を始める口宮さん。はて、話が終わったにしてもちょっとくらい余韻に浸っていてもいい場面だとは思うのですが、なんでしょうかね。
「見えなくなった。幽霊さん達」
 それを聞いてまっさきに「あっ」と声を上げたのはその肩の上に乗っているナタリーさんだったのですが、しかしならばその声も口宮さんの耳にはもう届いていないのでしょう。
 その瞬間、というものを目の当たりにすると寂しいような気にもなってしまうのですが、しかしどちらかといえばこっちのほうが「通常」なわけで、ならばいちいちそんなことを口にしたりはしないほうがいいのでしょう。
 特にそれに意味は無いわけですが幽霊さん達が押し黙るような雰囲気になったところで、ならばここで切り出すのは僕の役目になるわけです。
「えらくタイミング良かったですね。話が終わった瞬間って」
「いや、正確には終わる前なんだけどな。見えなくなったから終わらせに掛かったっつうか」
「ああ」
 それはなんとも機転が効くことで。異原さんがハッスルしたにせよ大元は僕と栞の話なわけで、ならば話が続けばそこに立ち返ることも有り得たんでしょうしね。そしてそうなれば、栞の声を聞くことができない口宮さんとしてはやや面倒な事態になるわけで。
 とはいえ僕か異原さんが通訳をすればいいだけなので、飽くまでも「やや」程度のことではあるんですけどね。
「見えるようになった時もそうだったけど、前触れとか全然ないもんなんだな」
「あったらあったで焦っちゃいそうですけどね」
「そりゃそうか」
 言うと、口宮さんは片手を軽く挙げるようにしました。とはいえそれは別に会話の相手である僕への何かしらの合図というわけではなく、挙げたその先、つまりは自分の肩へ向けた動作なのでした。
 ナタリーさんがその手へ鼻先を擦り付けるようにすると、それでナタリーさんの詳しい位置を把握した口宮さんは、ナタリーさんの小さな頭を指先で軽く撫でるのでした。
 別に見えなくなったからといってお別れというわけでもなく、なのでお互い何を言うわけでもありませんでしたが、でもやっぱりどこか寂しそうなふうにも見えてしまうのでした。
 もちろんそれは、僕の思い過ごしなのかもしれませんが。口宮さんの顔色が明確に変わったわけでもないですし、ナタリーさんなんかまず顔色の判断ができませんしね。


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