(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十四章 年上の女性 十五

2013-09-03 20:56:36 | 新転地はお化け屋敷
「というわけで、栞さん」
「何かな? こうくん」
 …………。
 背中越しなので顔は見えない筈なのですが、得意そうな顔がありありと浮かぶのはどういうことなんでしょうか。そりゃあつまりは声がそういう感じだったということではあるのですが、しかしそもそもここは別に得意になるような場面ではなかったような気が。
「いや、試しに呼んでみただけで別に何ってことはないんだけど――じゃなくて、ないんですけど」
 ということにもなるわけです。と、いきなりの失態をさも良い例であるかのように装ってみたりするわけですが、誰に説明する必要があるというわけでもない以上、もちろんながら「良い例」なんてむしろないほうがいいわけで。
「おお、懐かしい感じ。って言っても、そんなに昔の話ってことでもないんだけど」
「ないんですけどねえ」
 こちらとしてもそこは同感なのでした。そんなに昔の話ではない、どころかつい最近と言ってしまってすら間違いではない程度の時間しか経ってはいないのでした。この呼び方を止めて、というか改めて、今の呼び方になってからは。
「栞さんは楽そうですよね、本当に僕の呼び方だけしか変わらないんですし」
「んー、表面的にはそうだけど、中身はやっぱりちょっと変わってくるよ?」
「それはまあそうでしょうけど」
 呼び方を変えても栞は「栞さん」だ、と普段からそう言ってはばからない僕ですら、実際そう呼んでみると普段と違う感じはしてきます。となれば栞はもっと、と果たして自分をそういう位置に置いていい話なのかどうかは分かりませんが、しかし少なくとも同程度には「そういう感じ」に見舞われているのでしょう。
 それがどういう感じなのかというのは――うーん、そういう感じとしか言いようがありませんが。
「あ、今自分で言って思ったんだけど」
「なんですか?」
「やっぱりだんだん変わってるんだね、私達。格好だけじゃなくて」
「あー」
 という話は先述の「呼び方を変えても栞は栞さん」を打ち消してしまいかねないものではあったのですが、しかしどうやら栞にそういった意図はないらしく、毛ほども後ろめたいものを感じさせない明るい口調なのでした。一応、「栞は栞さん」については本人からも喜んではもらえているので、打ち消すのであればこういう口調にはならないでしょう。
「今こうして前の呼び方に戻してるのはいい気分だし、じゃあ変わりたいと思って変わったわけじゃないんだろうけど、でもやっぱり嬉しいかな。まだまだ前に進めてるっていうか」
「そうですね。まあ、進むようになったのは年齢だけ、なんてことじゃなくて良かったです」
 なんて言ってみると栞は肩を揺らしてそれを笑うのですが、しかしそれが治まるとすぐ、それまで正面を向いていた身体を横に向かせ、こちらにもたれかかるようにしてきました。
「それだけってことには絶対ならないけどね。だってほら、年を取る条件がさ」
「そうでしたね、そういえば」
 今更語るまでもない、なんて、うっかり忘れていた僕が言えたことではないんでしょうけどね。
 なんてことを考えている間に、その条件とは、ということなのでしょう、栞はこちらに唇を差し出していました。
「――ね?」
「はい」
 最早その求めに応じることには躊躇いどころか恥じらいすらなくなっているのですが、しかしそれでも、「そりゃあこれでただ年を取るだけってことにはならないな」と、栞の伝えたいことが伝わる程度には。
「あ、ちょっと失敗だったかも」
「失敗? あれ、何かありました?」
「私から先に甘えちゃった、結局」
「ああ」
 後ろから抱き付く程度では甘えるうちに入らなくなっちゃいましたか、などと意地の悪い台詞を思い付いてもみるのですが、しかし「意地の悪い台詞」であるならそれは本心ではなく、つまりはそんなことを思い付いている一方で栞の台詞に同意してもいる僕ではあるのでした。
 ――というわけで、今度はこちらから。
 いやまあ、それで栞が先だったという事実が変わるわけではないんですけどね。

「あっ」
 夕食は済ませ風呂には入り、ならば別に何がなくともここへ足を運ぶのは不自然ではない――。
 なんて照れ隠しを思い付いてしまったこと自体に照れてしまったりもするのですが、それはともかく。それまでいた居間から私室へと移動したところ、そこで目に入ったあるものに思い付くことがあったりする僕なのでした。
「ん?」
 小首を傾げながら僕の顔を覗き込んできた栞は、次に僕の視線の先を見遣ります。「いやいやなんでもないよ」なんて誤魔化してもみるのですが、もちろんながらそこまでくるともう手遅れです。
「これかな?」
 意地の悪そうな口調になりつつ、栞は傍に歩み寄ってそれを手に取ってみせました。
 赤いカチューシャ。少し前まではほぼ常に付けていて、そしてそうでなくなった今ではベッドの傍に安置されている、栞の大事な一品です。
「ふふ、そっか、そうなるよね。『栞さん』の頃はこうだったんだし」
 言って、こちらの反応を待つことすらなくそれを頭に嵌める栞。確信するにも程がある、と思わないではないのですが、しかし確かに仰る通りで、かつやはりとても似合っているので、悪態どころか言葉の一つすらも口から出てはこないのでした。
「パジャマ着ながら付けるってことはあんまりなかったけど――まあそれはいいかな。ねえこうくん、じゃあ私からも一つお願い」
 あ、しか言っていないのにお願いしたことにされていましたが、それはもういいとしましょう。ベッドの縁に腰を下ろしながらそう言って、栞は少し照れたような表情でこちらを見上げてきます。
「髪、触って欲しい」
 頭に付けるカチューシャから連想して、ということなのかどうかは分かりませんでしたが、なんせこちらとしても栞の髪は大のお気に入りなわけで――というようなこと以前に、そう言われて断る理由はありません。なので僕は栞の隣に腰を下ろし、請われた通りにその髪へ指を滑らせます。
「私、これ好きだなあ、やっぱり」
 くすぐったそうな笑みを浮かべながらそんなことを言ってくる栞に、場所が場所ということもあって掻き立てられるものがそりゃあありはしたわけですが、しかしこちらがもう一方の手を伸ばすよりも栞の行動のほうが先なのでした。
 髪を撫でる僕の手に自分の手を添え、その重ねた手で僕の手を自分の頬へと。
「ねえこうくん」
「はい」
「……あはは、また私の方が先になっちゃった。真面目な話、いい?」
「はい」
 声色でもなく表情でもなく。不思議なもので、手を重ねられたその時点で、なんとなくこの展開は予期出来ていたのでした。
 重ねた手を自分の頬に添えさせたまま、栞は話を続けます。
「こうくんにとって私は『栞さん』で、年上で、だから一緒に年も取っていくんだけどさ」
「はい」
「それってつまり、言うまでもないことだろうけど、この髪も肌もだんだん年を取っていくってことなんだよね。わざと嫌な良い方をするなら、女として衰えていく、みたいな」
「はい」
「それでもこうくん、いや孝さんは――ああ、えへへ、返事はいいよ。分かってるからね、ちゃんと。それが嬉しいなって、幸せだなって、それだけの話」
「若くて綺麗なままっていうことに魅力を感じないとは言わないけどね、そりゃあ」
「うん」
「でもどっちか選べって言われたらこっちだったなあ、僕は。いや、別に僕に限ることでもないんだろうけど、栞がそれを受け入れてくれたこと自体も嬉しいし――うん、幸せなことだし」
「うん」
 髪や肌の年齢。女として。
 取りようによっては家守さんが好きそうな話題として扱えないこともないのでしょうが、しかし栞が真面目な話だと宣言している以上これは真面目な話であり、そして、曲がりなりにも彼女のことを心から愛している人間としては、その彼女から真面目な話だと言われてしまえばもう、真面目な話としてしか扱えなくなってしまいます。
「短い期間の話ならともかく、何十年も一緒に居るってことになったら、そりゃあね。年でも何でも、一緒に居る人とだんだん差が付いていくっていうのは寂しいことだと思うよ、やっぱり」
 しかもその寂しさを数十年単位で積み重ね続けるとなると、それはもう拒否どころか全力で逃げ出してしまって問題ないほどの苦痛なんだろうと思います。ならばまさか自分からそこに飛び込むなんてことはしませんし、ましてや栞にそれを強いるなんてこと。
「こっちからしてもそうだしね。自分だけずっと若いままって、理屈がどうこうじゃなくいいことには思えないし。――ふふっ」
「ん?」
「いや、だからこそ今を全力で楽しもう、なんて格好付けたような台詞思い付いちゃって」
「うーん、今の状況だと格好付けた台詞っていうよりは……」
 ベッドの縁に並んで腰掛けて。皆までは、言いませんが。
「楓さんが好きそうな?」
「栞らしい例えで」
 と言って、僕もさっき同じことをしてはいるんですけどね。それを白状したりはしませんけど。
 すると栞、家守さんの名前が出たからなのか何なのか、真面目そうな雰囲気をすっかり失せさせつつ、「まあでもこうくん」と。
「それも一部として含めつつ格好付けた、ってことにしておいてよ。ほら、年上は格好付けたがるらしいし」
「栞さんは別にそれっぽくはないんですけどね。っていうのは、その話が出た時にも言いましたけど」
「それはそうなんだけど、いやほら、これから先を考えるとさ」
「先?」
「今だから四歳差が大きい感じになってるけど、もっと年を取ったら、というかいっそお爺ちゃんお婆ちゃんになったら、それくらいはもう差でも何でもなくなっちゃうでしょ? でも、その時もまだ『栞さん』でいたいからね、私」
「気の長い話ですねえ。いや、そうさせてる僕が言うのもどうかと思いますけど」
 お互いにお年寄りになってもまだ「栞さん」のまま。実現できればそれはとても素晴らしいことではあるのでしょうがしかし、正直それはちょっと難しいだろうなあ、ともやはり思ってしまうわけです。
 が、栞、するとなにやらちっちっちと指を振ってみせます。
「そこでさっきの『今を全力で楽しむ』だよこうくん。今この一瞬を全力で楽しみ続ければ、気が長いも何も無くなっちゃうと思わない?」
「うーん」
 一瞬を続ける、という矛盾したような表現ではありますが、まあしかし言いたいことは分からないでもありません。しかし分かってみたところで、それが実現できるかと言われると――。
「例えばこうくんが料理をし続けてるのと同じことだけど」
「あ、無くなっちゃいますね簡単に」
 その瞬間から暫くに掛けての栞の大爆笑っぷりったらもう、それまで頬に触れさせていた手から注意が逸れてすとんと下ろされる、どころか隣の成美さんが五月蝿さのあまり耳を塞いでいるかもしれないレベルでしたが、まあしかし。
 今を全力で楽しみ続ける。それはまあいいでしょう、確かに僕の料理についてもそれと似たようなものです。
 しかしだからといって僕は料理を始める際、これを何年も何十年も続けようなどと思っていたわけではなく、何十年ではないにせよ十年ほど続けた今でも、別にこの趣味について今後を見据えるようなことはありませんでしたし、これから先もないんだと思います。
 それに対して栞は今、数十年後を見据えた発言をさらっとしてしまったわけです。冗談半分ではあったのでしょうが、しかしじゃあ後の残り半分は何なんだと言われれば、そこはやはり本気ということになるのでしょう。なんせ話題が話題なわけで、それに対して冗談全部なんてことにすることが有り得てしまう栞ではないのです。
「わ」
 笑い続けていて油断していたのでしょう。僕が抱き付くと、小さくながら驚いたような声をあげる栞なのでした。
「やっぱり格好付けるまでもなく格好良いです、栞さんは」
 それを行動で示すまでもなく、そういう人であるというだけで充分過ぎるほどに。
 そしてやはり、だからこそ、栞は栞さんであり続けるのでしょう。これからもずっと。


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