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旅のお誘い ~今日の一枚~ redchilipadi

思い出の写真とともに旅の足跡をプレイバック。
撮影場所のGoogle Mapを見てたら、きっと行きたくなります!

#310 早朝、旅立つ巡礼者を見送るコンク

2016-11-05 |   フランス


2009年10月撮影 
 旅の写真

#310 Sainte-Foy Abbey-Church Conques Aveyron Midi-Pyrénées FR-- 

山深い中の小さな谷川に沿って寄り添うコンク(Conques)。
コンクは、ラテン語でホタテ貝を意味するのだそうで、
二つの川が出合う地形がホタテに似ているのだそうです。

スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路のひとつ。
ロマネスク様式の美しい聖フォア修道院ローマ橋は世界遺産に登録されています。

12歳の少女フォアは、ローマ時代に、国禁のキリスト教を信じ、
火焙りの上、斬首刑に処されたのだそうです。
殉教者として、ここコンクの聖フォア修道院に祀られています。
11世紀、聖フォアは、スペインへレコンキスタに赴く十字軍騎士たちの
守護聖人でもあったそうです。

神秘的な霧がかかるこの村の全景は、特に早朝、とても幻想的です。
巡礼者もたくさん宿泊していて、朝早くに旅立っていきます。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、サント=フォワ修道院 by Google Map
  日本からアムステルダム経由ボルドー空港へ
  ボルドーからコンクまで350㎞(4時間)
  Hôtel-Restaurant Hervé Busset - Domaine de Cambelong 
   ミシュラン★(当時)のオーベルジュです。 

  (advice) ボルドー空港のハーツでレンタカーを予約していました。
   到着すると、ちょうどオープンカーがあり、「これに変えない?」と。
   ペリゴール地方を経て、 山深いコンクまでグランドツーリングしました。
   ナビをコンクにあわすと、結構スリリングなルートを案内。
   コンクの一歩手前で川を渡るのですが、車の幅ぎりぎりの石の橋。
   そろりそろりと、こすらないよう橋を渡ったのですが、
   どうやらこの橋が世界遺産に登録されているローマ橋のようです。 

#310 早朝、旅立つ巡礼者を見送るコンク。

2016-11-05 |   フランス

2009年10月撮影 少女セント・フォアの眠るコンク


#310 Sainte-Foy Abbey-Church Conques Aveyron Midi-Pyrénées FR-- 

山深い中の小さな谷川に沿って寄り添うコンク(Conques)。
コンクは、ラテン語でホタテ貝を意味するのだそうで、
二つの川が出合う地形がホタテに似ているのだそうです。

スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路のひとつ。
ロマネスク様式の美しい聖フォア修道院ローマ橋は世界遺産に登録されています。

12歳の少女フォアは、ローマ時代に、国禁のキリスト教を信じ、
火焙りの上、斬首刑に処されたのだそうです。
殉教者として、ここコンクの聖フォア修道院に祀られています。
11世紀、聖フォアは、スペインへレコンキスタに赴く十字軍騎士たちの
守護聖人でもあったそうです。

神秘的な霧がかかるこの村の全景は、特に早朝、とても幻想的です。
巡礼者もたくさん宿泊していて、朝早くに旅立っていきます。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、サント=フォワ修道院 by Google Map
  日本からアムステルダム経由ボルドー空港へ
  ボルドーからコンクまで350㎞(4時間)
  Hôtel-Restaurant Hervé Busset - Domaine de Cambelong 
   ミシュラン★(当時)のオーベルジュです。 

  (advice) ボルドー空港のハーツでレンタカーを予約していました。
   到着すると、ちょうどオープンカーがあり、「これに変えない?」と。
   ペリゴール地方を経て、 山深いコンクまでグランドツーリングしました。
   ナビをコンクにあわすと、結構スリリングなルートを案内。
   コンクの一歩手前で川を渡るのですが、車の幅ぎりぎりの石の橋。
   そろりそろりと、こすらないよう橋を渡ったのですが、
   どうやらこの橋が世界遺産に登録されているローマ橋のようです。 

#303 プロヴァンスの宝石、ゴルドは鷹巣村

2016-10-29 |   フランス


1998年8月撮影

#303  Gordes rovence-Alpes-Côte d'Azur FR --

画家ブリューゲルの「バベルの塔」と、このゴルド村の遠景は、似ています。
聖書では、バベルの塔は「石の代わりに煉瓦を、フレスコの代わりにアスファルトを」と、
古代における技術革新や科学技術への過信に対しての神の戒めを
表しているのだそうです。
村は、古の雰囲気を残し、時が止まったかのよう。

ゴルドの村は、もともとは、古代ローマの侵攻や、周辺の異民族の侵略から
村を衛るために、要塞化したもの。

世間から隔絶された居心地のよい村は、マルクシャガール他
多くの芸術家に愛されました。

この近辺には、よく似た生い立ちの村が多く、
小高い丘の村は「鷹巣村」と呼ばれました。

My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、ゴルド by Google Map
  日本からフランクフルト経由ニース
  カヴァイヨンからゴルドへ17㎞(20分) アヴィニヨンからカヴァイヨンまで30km(30分)
   (ニースからマルセイユやアヴィニヨン経由。プロバンス周遊中)
  ニース(宿泊の詳細紛失)
  (advice) プロヴァンス地方。英国人作家著ピーターメールの「南仏プロヴァンスの12か月」
   で一躍有名になりました。
   ゴルドの周辺に、ラベンダー畑で有名なセナンク修道院、ジューシーなメロンの産地カヴァイヨン
   昔から水車を動力に織物産業で栄えたリル・シュル・ラ・ソルグ(L'Isle-sur-la-Sorgue)など
   美しいスポットがたくさんあります。
   昔、昔、オルガン教室で習った「川の流れ」の(映画の)モデル、デュランス川も
   この地方を流れています。
   プロバンス料理はこちらのサイトの紹介が素敵 


#275 ファンタジックな松ぼっくりの塔 ポアティエ

2016-10-01 |   フランス


2010年12月撮影

#275 Poitiers Notre-dame de la Grande FR --

ポアティエの名前が有名になったのは、世界史で習った「トゥール・ポアティエの戦い」
Wikipediaによると、「732年にフランス西部のトゥールとポアティエの間で、
フランク王国とウマイヤ朝の間で起こった戦い。」 日本では奈良時代初頭。
当時、イベリア半島は、アフリカからジブラルタル海峡をこえてやってきたイスラム政権の支配下にあり、
その勢力はピレネー山脈を越えてフランス西部に迫っていました。
それをここポアティエの戦いで撃退。

さて、この写真は、鉄道駅近くのノートルダム・ラ・グラン教会。12世紀の建物で、
私の好きなロマネスク様式。柔らかいライムストーン製。
ファッサード(建物正面)の朴訥とした素朴な彫刻。松ぼっくりのような2本の塔が印象的。
教会のライトアップはやや暗い紫いろ。石の質感にマッチしています。
建物の中には、幾何学模様の柱があり、一本一本、色やパターンが違います。お伽噺のお菓子の家みたい。
この教会は、スペイン西部のサンティアゴ・コンポステーラへの巡礼路のひとつとして
世界遺産に登録されています。
お菓子といえば、この周辺はバターで有名なところ(A.O.C.)。大人の顔より大きなクッキーが有名。
げんこつで割り砕いてみんなで分けるのだそうですよ。
スイーツショップの店頭に山積みされていました。
メゾン・ラヌー・モティヴィエ (la Maison Rannou-Metivier)のマカロンもぜひお試しあれ。



My record ・・・次の旅のために・・・

  撮影場所は、ノートルダム・グラン教会 by Google Map
  日本からパリまで直行便
  パリでレンタカーを借り、ノルマンディを周遊してポアティエの駅近くで返却
  ポアティエで夜行列車に乗ってマドリッドへ。
   憧れのエリプソス・フランシスゴヤ号に乗りました。
  (advice) 以前、パリ発のフランシスゴヤ号に乗り遅れてしまった苦い経験があります。
   今回はパリからではなく途中のポアティエ駅からリベンジを果たしました。
   夜10時頃の乗車ですが、ちょうどディナーの時間。 食事後はお腹いっぱいではありましたが
   列車のほどよい揺れが心地よく、ぐっすりと熟睡でした。
   翌朝は、昨夜と打って変わり車窓の景色を眺めながら朝食。

   ※列車の出発時刻までポアティエ駅のロータリー近くの安ホテルにチェックインし、荷物を解いて
   適当に休憩しました。数時間のステイなら十分に快適。 もちろんシャワーも、仮眠もできます。
   Day Use料金というのはありませんがそもそも高いホテルではないので妥当かな。
   


#247 美食の里、フォアグラ、トリュフで有名なペリゴール

2016-09-03 |   フランス

2009年10月撮影

#247 Sarlat-la-Canéda Aquitaine FR--

昔、ピーターメイルの「南仏プロヴァンスの12か月」を読んで
フランスで、「トリュフの産地といえば、絶対、南仏」
と思い込んでいたところ、
横浜郊外でフレンチレストランを開く知人から、
ペリゴールもトリュフやフォアグラをはじめ食材豊かな土地ですよ、
と聞いて俄然、興味がわいていました。

ペリゴール地方は、ボルドーの西約50kmあたりの
アキテーヌ地域圏の古い呼称。今ではドルドーニュ県にあたります。

中心の都市は、サルラ=ラ=カネダ (Sarlat-la-Canéda)
100年戦争のときはイギリスとフランスの国境だったドルドーニュ川が
ゆったりと流れています。

洞窟画で有名なラスコー洞窟もこの近く。
先史の時代から食料豊富で、住みやすい土地だったのでしょう。

ペリゴールは、4つの地域に分けられ、それぞれ
色(ノワールnoir、ブランblanc、ヴェールvert、プルプルpourpre)と
呼ばれています。
黒い土地、白い土地、緑の土地、紫の土地。
色の所以は詳しく調べられなかったのですが、
自然豊かな土地、土の色や作物などを象徴するかのよう。

フォアグラ、トリュフ、くるみ、ワインなど土地の名物を求めて、
日曜日のマルシェは、フランス各地からの人で大賑わい。

 

My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、サルラ=ラ=カネダ by Google Map
  日本からアムステルダム経由ボルドー空港へ
  ボルドーから210㎞(2時間半)、この日の宿泊予定コンクまでは140㎞(2時間半)
  Hôtel-Restaurant Hervé Busset - Domaine de Cambelong
  (advice) ペリゴールに点在する町には、小綺麗な食料品店が
   たくさんあり、フォアグラ、トリュフ、くるみ、ワインなど、土地の名産品が
   ずらりと並んでいます。
   缶詰、びん詰など、日持ちがするので、お土産にぴったり。
   マルシェの開催日や時間に合わなかったときでも大丈夫。
 
   町には、テラスにテーブルを並べたビストロもたくさんあって、
   表に出されたメニューを、みんな熱心に見て決めています。
   ランチは定食があり、選びやすく、当たりはずれなし! 


#219 ブルディガラ、月の港、ボルドー

2016-08-06 |   フランス


2008年10月撮影

#219 Gare de Bordeaux-Saint-Jean, Port of the Moon FR --

ボルドーの町は紀元前300年にケルト系のガリア人によって創設され、
ブルティガラ(Burdigala)と呼ばれました。
大西洋に注ぐガロンヌ川の河口の湾曲した部分に沿って町が形成され、
三日月の形から「月の都」と呼ばれます。

ボルドーといえば、真っ先にワインが思い浮かびますが、
17、18世紀には、中南米とオランダの貿易の中継地として、栄えました。
歴史の中で、イギリス領からフランス領になったのは、百年戦争の後。
普仏戦争や第一次世界大戦の頃、一時期フランスの首都だったこともあり、
また長らくアキテーヌ公国の首府でした。
フランスのキッチン、グルメなペリゴール地方への玄関に位置します。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、ボルドーのサン・ジャン駅 by Google Map
  日本からアムステルダム経由ボルドー空港へ
  ボルドーのメリニャック空港から15㎞(30分)
  Hôtel Gambetta
  (advice) ボルドーの駅は、歴史的建造物に指定されています。
   大きな駅ですが、ターミナル形式の建物ではありません。
   プラットフォームを覆うガラスの屋根は、エッフェル塔の設計者、エッフェルによるもの。
   パリからスペイン国境手前までTGVで向かう途中駅。近郊線のTERで、
   サンテミリオン(Saint-Emilion)まで30分。ワインセラー巡りも気軽にできます。
   立派な貿易の商館が建ち並ぶボルドーの町は、世界遺産に登録されています。
   「ルイ=ユルバン=オーベール・ド・トゥルニー (Louis-Urbain-Aubert de Tourny) らによって
   形成された啓蒙時代の新古典主義建築の都市計画が良好に保存されている」


#212 南仏プロバンス、アルルの円形闘技場

2016-07-30 |   フランス

1998年8月撮影

#212 Amphitheatre Arles Provence Alpes-Côte d'Azur FR --


アルルは、ローヌ川が二つに分かれるところに位置し、ここから地中海まで
カマルグ(Camargue)と呼ばれる大きな三角州が広がります。
紀元前6世紀に創設され、当時はアレラーテと呼ばれていました。
アレラーテ(Arelate)とは、「湖や池の近く」という意味。

ローマ帝国の植民時代には、凱旋門、円形闘技場(アンフィテアトルム Amphitheatre)、
劇場(カウェア Cavea)や戦車競技場(キルクス Circus)などが建設され、
軍遠征の重要な拠点でした。
観客席の高さが20mを超える円形闘技場は今も現役で
闘牛やコンサートが催されているのだそうですよ。

ロバート・デ・ニーロとジャン・レノの映画Roninでも、
この円形闘技場でのスリリングなシーンがありました。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、アルルの円形競技場 by Google Map
  日本からフランクフルト経由ニース
  ニースから250㎞(2時間半) アヴィニヨンまで40km(40分)
  Mercure Avignon Centre Palais des Papes
  (advice) ニューヨークの美術館で、ゴッホのStarry Night(星月夜)と
   いう作品に出会って、プロバンスに憧れるようになりました。
   ゴッホは、30代半ばでアルルに移り住み、ゴーギャンとの共同生活をし、
   多くの作品を残しますが、その後、精神を病んで、
   アルル郊外のサン=レミの病院で療養します。
   
   アルルにはゴッホの作品の舞台となった場所がたくさんあります。
   ローヌ川の支流に跳ね橋も残されています。 


#184 ラピス・ラズリのステンドグラス ランス大聖堂

2016-07-02 |   フランス

2015年7月撮影 旅の足跡(写真)

#184 Cathedrale Notre-Damd de Reime Champagne-Ardenne FR --

パリから東へ約100㎞、シャンパーニュ地方のランス。
481年、フランク王国の初代の王様、クロヴィスの洗礼が、
この町、この教会で行われて以来、
歴代のフランス国王の戴冠式が、ここで行われているという、
格の高い大聖堂です。

西の入り口から聖堂に入ると、正面の奥に柔らかい光を放つ
ステンドグラスが目に飛び込んできます。1974年にシャガールが制作したもの。
冷たいコバルトブルーと、明るいセルリアンブルーのガラス。
エメラルドグリーンと優しいルビー色がほんの少しだけ配されています。
全体に青みがかってクールな印象ですが、不思議と温かみを感じます。
シャガール・ブルーといえば、ラピス・ラズリ(lapis lazuli)、瑠璃色。
左窓はイエスを抱いたマリア様、真ん中はイエスの磔刑、そして右窓は復活なのかな?
顔を上に向けながらも、何時間でも眺めていられます。

振り返ると、今、入ってきた西正面入り口の上には、大きなバラ窓が二つ。
こちらも圧巻です。

この町は、シャンパンの醸造でも有名。
シャンパーニュの製造業者から贈られたステンドグラスには、
シャンパンの製造過程が描かれています。

最後に、大聖堂の西ファサードの、「微笑みの天使」も有名。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、ランスのノートルダム大聖堂 by Google Map
  日本からパリへ直行便
  パリからTGVで45分
  Hôtel Le Bristol
  (advice) 大聖堂のある町は、日本の門前町と同じく、
   お土産のお菓子が豊富。シャンパーニュのバラ色のクッキーのほかに、
   アーモンドの香りのするマジパンも有名。
   大聖堂やトー宮殿とともに世界遺産に登録されている
   優しいロマネスクのサン・レミ・バジリカも必見。


#156 ロココとアールヌーヴォーの花開く、ナンシー

2016-06-04 |   フランス


2015年9月撮影 旅の足跡(写真)

#156 Nancy Meurthe-et-Moselle FR --

ナンシーはフランス北部、ロレーヌ地方の町
元ポーランド王スタニラス1世の治世に、ロココ調の美しい町につくり変えられました。
ナンシーの中心、市庁舎前の広場の中央に、スタニラスの銅像があります。
スタニラスは、フランス王ルイ15世の王妃マリーの舅。

なぜポーランド王がフランス、ロレーヌ地方に? と不思議ですが、
その理由や歴史について、詳しくはWikipediaの説明に譲るとして、
短く云うと、スタニラス1世は、ストックホルム条約やポーランド継承戦争などで王位を失い、
フランスに身を寄せ、娘婿のルイ15世から、一代限りでこの地に所領を与えられたのだそうです。

当時、ルイ15世は公妾ポンパドール夫人に一生懸命。
正妻であるマリーを可哀想に思った父スタニラス1世は、
甘いものが大好きなルイ15世の関心を惹こうと、
次々とスイーツを考案しパリにせっせと届けた、なんて話が伝わっています。
貝の形をしたマドレーヌや、ナンシーのマカロンなど
ナンシーはお菓子の宝庫。スタニラスにゆかりのあるお菓子です。

ロレーヌ地方は、古くからガラスの産業が栄え、19世紀には、鉄鋼業で栄えました。
エミール・ガレなどナンシー派が有名。
アールヌーヴォーの建築を巡る町歩きも楽しいです。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、 ナンシーの中心、スタニラス広場 by Google Map
  日本からパリへ直行便
  パリ東駅からナンシーまで、TGVで1時間半 時刻表はDBのサイトで
  Grand Hotel De La Reine
  (advice) 7~9月頃、町はミラベルだらけになります。
   ミラベルは桃の仲間で梅干しくらいの大きさの果実。
   ケーキのトッピングや、ジャムなど、ミラベルに会わない日はないほど。


#128 ラビリンスを辿る、アミアン大聖堂

2016-05-07 |   フランス


2015年7月撮影

#128 Notre-Dame d'Amiens, Picardie FR

フランスの地域圏は2016年1月に12(ヨーロッパ本土)に再編成されました。
ノール=パ・ド・カレー(Nord-Pas-de-Calais)地域圏は、フランス最北で、ベルギーと
国境を接しています。その一都市、アミアンは、ノートルダム大聖堂で有名。

ノートルダム(Notre-Dame)とは、直訳すると、「私たちの女性」、つまり聖母マリア様。
聖母マリア様の大聖堂ということで、同じ名前の聖堂は、フランス各地にたくさんあります。
その中でも、アミアンの大聖堂は、フランスで最も高い建物(42m)。1266年に完成。

このころ、教会の床にラビリンス(迷宮)を描くのが流行していたようで、
信者がひざまずきお祈りしながら、迷路をたどり、終点のエルサレムを目指したのだそうです。
しばらくすると、子どもがラビリンスの上ではしゃぎはじめ、
お祈りの邪魔になる、との理由から、多くの教会ではラビリンスがなくなっていったのだとか。
アミアンの大聖堂には、ちゃんと残っています。

ラビリンスには、もうひとつ、大聖堂の建築に携わった司教や建築家たちを讃え、
名前を刻むという役割もありました。アミアンの大聖堂のラビリンスには
中央に4人の名前が刻まれています。

大聖堂は、ステンドグラスも素晴らしいのですが、
内側も外側も、おびただしい彫刻や絵物語があり、じっくり見るのも楽しいものです。
なかでも、後陣の枢機卿の墓の周辺にある嘆きの天使(Weeping Angel)は有名。
頭蓋骨に右肘をつき、左手に砂時計に左手を置き、嘆いている天使。Nicolas Blasset,による1637年の作。
第一次世界大戦中、激戦だったソンムの戦いに赴いた兵士達が
家族に嘆きの天使の絵はがきを送り、
それがニュースに取り上げられ、多くの市民の共感を得て、有名になったのだそうです。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、 アミアンの大聖堂 by Google Map
  日本からパリへ直行便。
  パリからICで60分 (DBのサイトSNCFのサイトで時刻表下調べ)
  Mercure Paris Terminus Nord
  (advice) パリ北駅と東駅は、ほとんど隣接していて、この駅から
   近郊へ列車がたくさん出発し、日帰りで郊外巡りをするのにとても便利。
   北駅近くのホテルに荷物を置いて、乗り放題の鉄道パスを使って、あちこち巡りました。
   乗り放題といってもフランスは、TGVに乗る際、事前に座席の指定をとる必要があり、
   ややめんどうなのですが、Amiensへはローカル列車でも行けるので、
   指定なしで、気軽に電車に乗って好きな時間だけ滞在することができます。
   教会内部や外側の彫刻や絵物語について、
   以前はそんなに興味はなかったのですが、この大聖堂では、物語のテーマ
   (キリストやこの大聖堂の初代司教の物語や、聖人像、一般的な農民の歳時記など)が豊富で、
   それぞれ作風が異なっていて、飽きることはありませんでした。
   特に、聖堂正面(外側)にある歳時記(アルマナック)は、12星座と、それぞれの季節に
   農民がしなければならない作業が絵で説かれていて、興味深かったです。
   事前に、英語版フランス語版のWikipediaには、多くの彫刻や絵物語の写真が載っているので、
   Weeping Angel他、写真をチェックしておき
   当日、探しながら巡り写真に収めるのも、スタンプラリーのようで楽しいです!