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旅のお誘い ~今日の一枚~ redchilipadi

思い出の写真とともに旅の足跡をプレイバック。
撮影場所のGoogle Mapを見てたら、きっと行きたくなります!

#333 5つの修道院 モルドビア、ブコビナ地方

2016-11-28 |   東欧


2008年10月撮影 旅の足跡(写真)

#333 Sucevita Moldavia RO --

15世紀後半~16世紀後半にかけて、ルーマニアの北東部で造られた教会群。
日本では、応仁の乱が終わり銀閣寺が建てられた時代から、
織田信長が本能寺の変に敗れるあたり、動乱の時代に重なります。

このあたりは、モルドビア地方と呼ばれていますが、
当時、モルドビア地方のシュテファン3世や、隣のワラキア地方のヴラド3世は、
オスマントルコ軍の侵略に対して、領民を武装させて領土を守っていました。
シュテファン3世は、戦いに勝利すると、神のご加護を感謝し、新たな教会を建て、
その外壁には、自軍の勇猛果敢な戦闘の様子を描き、
領民の奮闘ぶりを労い讃えました。

このときに建てられた教会や修道院は40を越えたとのこと。
しかし、教会内は狭く、貴族など身分の高い人しか入ることができませんでした。

そこで、領民が外からでもお祈りできるよう、
また戦士の活躍ぶりをいつでも自由に見れるよう、
領主が、建物の外に絵物語風に絵を描かせたのです。

いずれも、ヨーロッパの原風景と呼ばれる景色に溶け込む教会や修道院は
おとぎ話の世界さながらです。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、Sucevit修道院 by Google Map
  日本からウィーン経由でブダペストへ。空港近くのホテルで一泊。
  翌朝空港でレンタカーを借りてハンガリーを横断、
   国境を越えてルーマニアへ。マラムレシュを経由してモルドビアへ
  Best Western Bucovina Club de Munte
  (advice) ルーマニアの国土の中央を逆L字型に走る
   カルパチア山脈。ルーマニア北西部のマラムレシュから、北東部モルドヴィアは、
   地図上では200㎞強なのですが、低地から一気にチュムルナ峠(Ciumarna 標高1000m超)を
   越えなければならないため、予想以上に時間がかかってしまいました。
   おまけに、日没後は、通行量が減り、街灯もなく、熊や狼が出そうな深い森の山道は
   とても心細かったです。
   次第に、道があっているか不安が募る一方。 次の集落の灯を求めて疾走あるのみ、
   というドライブでした。
   
   ブコビナの5つの教会だけでなく、この近辺の、全部で8つの教会や修道院が
   世界遺産に登録されています。
     1. Dormition of the Mother of God Church@Mănăstirea Humorului
     2. Exaltation of the Holy Cross Church@Pătrăuți
     3. St. Nicholas Church@Probota
     4. Beheading of St. John the Baptist Church@Arbore
     5. Annunciation Church@Vatra Moldoviței
     6. St. George Church@Suceava
     7. St. George Church@Voroneț
     8. Resurrection Church@Sucevița
   意外と距離が離れていて、全部制覇するのは大変。
   事前にじっくりガイドブックで下調べして、興味のある場所をいくつか絞って
   尋ねると良いと思います。

   


#319 セセッションの都市計画 プレチュニックの三本橋

2016-11-14 |   東欧


2004年7月撮影

#319 Tromostovje Ljubljana SI--


スロベニアの首都リュブリャナの中心を流れるリュブリャニツァ川。
川沿いは緑溢れるプロムナードが続き、素敵なカフェやブティックが並んでいて
とても落ち着きます。
その川に、三本橋(トロモストウイエ)と呼ばれる風変りな橋があります。 
1280年に木製の橋が架けられ、1657年の火災後の再建、
1842年にイタリア人建築家ジョバンニ・ピッコによる再建を経て三代目の橋なのだそうです。
その後、往来が激しくなり、1929年にスロベニア人建築家ヨジェ・プレチュニックが
橋の両側に歩行者用の橋を付け加えました。

今は、この界隈一体が歩行専用エリアになっているので、
真ん中の橋は市電が走り、両側の二本は歩行者専用の橋です。
川面から橋を見上げた写真がWikipediaにあります。

Google Earth ↓ で上から見ると三本、独立した橋が見られます。

My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、リュブリャニツァ川の橋 by Google Map
  日本からミュンヘン経由でザグレブ空港
  隣国クロアチアの首都ザグレブから140㎞(90分)
  Sheraton Zagreb Hotel
  (advice) 三本橋を設計したプレチェニックは、
   ウィーンでオットー・ワーグナーに師事し、プラハを経て
   スロベニアに戻り、リブリャナの都市計画を主導した人物。
   オットー・ワーグナーは、世紀末のウィーンで新しい造形をめざした
   分離派(セセッション)の中心人物です。
   町は、建物や橋など、セセッションの建築物があふれています。
   次の橋は、ほとんどがプレチェニックの都市計画によるものです。
   ↓ リュブリャニツァ川に架かる橋(順番に)

    ・Butchers' BridgeMesarski most肉屋の橋)
    ・Triple Bridge(三本橋) Tromostovje
    ・Dragon Bridge(竜の橋) Zmajski most Zmeyとは守護竜、Jurij Zanincvićの設計
    ・Rooster Bridge(雄鶏の橋) Gradaščica
    ・Cobblers' Bridge(靴屋の橋) Čevljarski most
   ↓ リュブリャニツァ川の支流グラダシュチツァ川に架かる橋
    ・Sluice Gate(水門橋)   
    ・Trnovo Bridge 樹木が茂る橋らしい
    (It is distinguished by its width and the trees that it bears.)

#312 ルーマニア最古の鉄の橋 シビウの嘘つき橋

2016-11-07 |   東欧


2002年6月撮影

#312 Bridge of Lies Sibiu RO

シビウは、ルーマニア、トランシルバニア地方のドイツ入植者による町。
町の中心には、13世紀に建てられた時計塔があります。
そぞろ町歩きをしていると、さまざまな表情を持つ大小の広場が
あちこちに現れます。
12世紀末から19世紀までは、ドイツ人のギルドを中心に、商工業で栄えたのだそうですが、
現在は、入植者のほとんどは故国へ帰国し、ドイツ人は2%未満なのだそうです。

素朴な町中を散歩していると、鉄製のなんとも趣きのある橋が目に留まりました。
橋の名は、「嘘つき橋」
「この橋の上で恋の約束をし、嘘をつくと橋が壊れる」という
言い伝えがあるのだそうです。Wikipediaに、すっかり綺麗になった橋の通りの写真がありました。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、 嘘つき橋 by Google Map
  ウィーンからICでブラショフへ(寝台特急)
  ブラショフでレンタカーを借り、シビウまで140㎞(2時間)
  Hotel Imparatul Romanilor
  (advice) 1989年12月のルーマニア革命でチャウシェスク政権が
   倒れ民主化。 それから12年後に訪れたのですが、まだまだ共産圏の国の雰囲気。
   レンタカーで自由に巡るのは、少し不安でしたが、国内の主要都市にはハーツの
   レンタカーのオフィスがあり、移動には全くありませんでした。
   高速道路を降りると、幹線道路でも舗装していない区間も多く、
   信号機はほとんどありませんでした。
   さて、
   ホテルの横の道端に車を停めて宿泊。朝チェックアウト後、タイヤがパンクしていることに気づく。
   タイミングよく、親切そうな青年が近寄ってきて、片言の英語で、修理屋さんを案内してくれる。
   スペアタイアに交換し、青年の知り合いの店でタイヤを購入して、
   その後も予定通り旅を続けることができましたが、
   後から考えると、この親切そうな近所の青年は曲者だったのかも。
   もちろん、ホテルの用意する駐車場に停めなかった私たちがいけなかったのですが。
   


#284 かつてオリエント急行の乗客が降り立った駅

2016-10-10 |   東欧


2004年7月撮影 旅の足跡(写真)

#284 --  Zagreb Glavni Kolodvor 

パリ、イスタンブール間を結ぶオリエント急行。1883年の運航開始以降
何度か路線は変更されているようですが、
1919年以降の、Simplon Orient Expressの時代には、
このザグレブ駅を通っていました。
そして、乗客は、ザグレブ駅の前のエスプラナーデホテルに一泊し、
旅を続けていたのです。
アガサクリスティの「オリエント急行殺人事件」では、
最初の殺人事件がユーゴスラビア国内で発生、
このザグレブ駅の西200㎞のあたりです。

現在のザグレブ駅は、クロアチア国内の幹線鉄道の拠点であり、
周辺国へ向かうIC(Inter City)の発着駅です。
この写真の中央、時計の上のロゴ「Hz」は、
クロアチア鉄道(Hrvatske željezniceHŽ)のイニシャル。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、 by Google Map
  日本からミュンヘン経由でザグレブ空港
  空港から中央駅まで15㎞(20分)
  Sheraton Zagreb Hotel
  (advice) ザグレブ中央駅は、ザグレブ市内のミスラヴ広場に面していて、
   オーストリア・ハンガリー帝国時代に、ハンガリー人建築家によって設計されました。
   駅舎は威風堂々たる建物。 駅の構造は、ターミナル式ではありませんが
   それでも、ICが入線し、遠い国から国境を越えてやってきた旅人が降りてくると
   旅情を感じます。


#256 ザグレブの胃袋、ファーマーズ・マーケット

2016-09-12 |   東欧

2004年7月撮影

#256 Dolac Farmer's Market Zagreb 
HR--

ザグレブの町は、かつて、丘の上の二つの町、東のカプトルと西のグラデツから成り、
司教座がおかれたカプトルと、商業が栄えた自由都市グラデツが
互いに競いあうように発展してきたのだそうです。1850年にひとつに統一されました。

2つの町の間に位置するドラツ市場。 ドラツ(Dolac)は、青空という意味。
早朝から昼過ぎまで、広場は赤いパラソルで埋まり、
青果、蜂蜜、オリーブオイル、ラベンダー、雑貨などが店先に並び、
地元の老若男女、買い物客で、賑やかになります。
カメラ片手に、市場をうろうろしていたら、トマト売りのおばさんが、
撮りなよ!って、ウィンクしてくれました。

首都ザグレブの郊外には、パンノニア平原が広がっていて、
そこは、農作物の宝庫なのでしょう。 クロアチアは蜂蜜が有名なのですよ。


My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、 by Google Map
  日本からミュンヘン経由でザグレブ空港
  Sheraton Zagreb Hotel
  (advice) ドラツ広場に隣接して、階段を降りたところにある
   イェラチッチ広場(共和国広場)、バン・ヨシップ総督の像がある広場です。
   この広場から南の中央駅までは、道が碁盤の目になっていて分かり易いのですが、
   北側は、両側の二つの丘に向けて坂道が多く、道も複雑。
   町を取り巻く壁のところどころにある昔の門が、今は、そのまま建物になっていて、
   建物を通り抜けると、町の雰囲気ががらっと変わったりします。
   迷路のようだからこそ、町歩きが楽しい。これも旅の醍醐味かもしれません。
   どこにいてもたいてい、大聖堂の塔が目印になるので、
   迷うに任せるのが良いかも。 地図で、Tržnica は市場、Trgは広場。

   以下、覚え書き。
   中世、カプトルとグラデツの2つの町は、争いが絶えなかったのだそうです。
   町の間を流れる小川には橋が架かっていて、時には橋の上で流血騒動もあったのだとか。
   今は小川も橋もありませんが、通りにその名残がありました。
   Krvavi Most通り(Krvaviは血、Mostは橋) 
   焼け残った奇跡のマリア様のある「石の門」の前の通りです。
   


#249 第6要塞、ドイツのマイスター移住の地、シギショアラ

2016-09-05 |   東欧


2008年10月撮影

#249 Sighişoara Transylvania RO--

トランシルバニア地方は、ルーマニアの中央、東と南をカルパチア山脈に囲まれた高原。
ヨーロッパの原風景、草原と林が広がっています。

12世紀、隣接するハンガリー王国では、王国の国境地帯に町をつくり
ドイツから職人や商人を招いて住まわせました。
彼らはトランシルヴァニアと呼ばれ、交易の中継地として栄えました。
13世紀になると、モンゴル軍の遠征が開始され、この辺り、
ビストリツァ、シビウ、クルージュ・ナポカ、ブラショフ、メディアシュ、シギショアラ、セベシュ
の7箇所に、要塞都市が築かれました。

シギショアラは、ラテン語でCastrum Sexと呼ばれ、第6要塞という意味なのだそうです。
ハンガリー王国が衰退した後も、ドイツのザクセン地方から移住は続き、
ルーマニアという国の中にあって「ドイツ人によるドイツ人のためのドイツ人の集落」なのです。

ドイツからは時計職人が多く移住したため、7つの要塞の各町には、
ランドマーク的な時計塔があります。
シギショアラにも、からくり仕掛けが動く、立派な時計塔が現役で残っています。
時計塔だけでなく、町全体が中世の姿のまま保存されていて、
世界遺産に登録されています。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、時計塔 by Google Map
  日本からウィーン経由でブダペストへ。空港近くのホテルで一泊。
  翌朝空港でレンタカーを借りてハンガリーを横断、
   国境を越えてルーマニアへ。国境から100㎞(1時間半)
  Hotel Sighisoara
  (advice) ルーマニア(Romania)は、文字通りローマ人の末裔の国。
   トランシルバニアにはドイツからの移住者が住み、
   ハンガリー王国が支配した頃の名残でハンガリー系の人も多数残っています。
   各民族間で住み分けが進んでいるものの、経済力の差や民族意識など
   さまざまな摩擦があり、複雑な民族問題が垣間見れました。
   ブラショフでは、旧市街の周りを囲む壁や門が築かれ、これは、かつては、
   ハンガリー人を締め出すためのもの、だったとのこと。
   今では、ドイツ人がドイツへ帰還し、町がさびれてしまっていく現象もあるのだとか。


#221 トラグリオン、ダルマチアの雄ヤギの町 トロギル

2016-08-08 |   東欧

2004年7月撮影

#221 Trogir Splitsko-dalmatinska županija HR--

トロギルは、ダルマチア地方、クロアチアの本土と、チオヴォ島の間にある
長方形の小さな島で、520m×220mほどの面積。
この中に、13世紀以来の建物と10個もの教会が集まり、
世界遺産に登録されています。

紀元前3世紀、ギリシャの植民地として建設され、
トラグリオン(Tragourion、雄ヤギtragos)と呼ばれていました。
海洋貿易で栄え、その後、古代ローマ人やヴェネチア共和国の支配を受け、
それぞれの時代の影響が町の建物に色濃く残っています。

聖ロレンツォ教会(Cattedrale di San Lorenzo)、クロアチア語で
聖ロヴロ(Katedrala Sv. Lovre)は、ロマネスクの優しい雰囲気の教会。
聖堂内には、町の守護聖人イヴァン・ウルスィニの石棺が安置されています。
聖ロレンツォ教会の初代の司祭、町の北門の上から町を見守る聖人。


 

My record ・・・次の旅のために・・・ 


  撮影場所は、Cattedrale di San Lorenzo by Google Map
  日本からミュンヘン経由でザグレブ空港
  ザグレブ空港から直行したら387km(約4時間) 今回は途中アドリア海沿岸に泊まりながらドライブ
  Hotel Vila Sikaa チオヴォ(Ciovo)島内。トロギルから橋を渡ってすぐ。
  (advice) ●ロビニからドブロブニクまでダルマチアの海岸沿いのドライブは
   フロントガラス一杯に、海と空が広がり、景色が最高!
   沿岸沿いには、魅力的な小さな町が数珠つなぎにあり、
   それぞれ海に向かって発展してきた町で、ギリシャ植民地、ローマ人の町、
   ヴェネチア共和国の色濃い町、純粋のクロアチア人の町など、
   どの町も個性豊かで飽きることがありません。  


#207 コーカソイド×モンゴロイド ソフィアの衛兵さん

2016-07-25 |   東欧

2002年6月撮影

#207 -- Guards for President Sophia BR --

ブルガリアの首都、ソフィア。
バルカン半島の真ん中にあり、黒海とアドリア海を結ぶ交易路に
ある古くからの町。温泉が出るので時の権力者たちに重宝されたのだそうです。
祖先は、先住民のコーカソイド系の南スラブ人と、モンゴロイド系の
騎馬民族の混血で、ソフィアは、7千年もの歴史を持つ、ヨーロッパの中でも
最古の町のひとつなのだそうです。

15世紀にはオスマン帝国に支配され、19世紀には、
ロシア対トルコの戦争(露土戦争)のさなかロシアの保護下、自治州となります。
ブルガリア独自の言葉や文字をもちながらも、
大国に翻弄されてきた歴史が伺えます。

さて、町の中心にある大統領府は、大きな建物の一角にあります。
玄関には、衛兵さんが立っていて、仏頂面でぴくりとも動きません。
この建物は、シェラトン・ソフィアホテルとつながっていて、
中庭に聖ゲオルギ聖堂があり、建物が四方をとり囲んでいます。
朝食後にホテルの中庭に出ると、大統領府の裏口で、衛兵さんたちが
リラックスしていました。帽子を取っている衛兵さんもいれば、
白い歯を見せて談笑している衛兵さんもいます。
羽飾りつきの帽子や、スモック風の上着は、コサック地方の民族衣装に似て、
なんだか少しアジアっぽい。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、 ブルガリア大統領府 by Google Map
  夜行寝台列車で、イスタンブールまで8時間
  Sofia Hotel Balkan, a Luxury Collection Hotel (Sheraton Hotel)
  (advice) 今回は、ルーマニアからトルコへ列車の旅途中に
   ソフィアに1泊しました。ルーマニアとブルガリアの国境、ドナウ川の上で
   長い間、停車があり、到着がかなり遅れたため、ソフィア到着は深夜。
   町歩きできず残念でした。次の機会に是非! 
   ソフィアからイスタンブールまでは順調。 ただし、明け方に国境越えをするため、
   まだ暗いうちに起こされ、列車を降りて入国手続き。