旅のお誘い ~今日の一枚~ redchilipadi

思い出の写真とともに旅の足跡をプレイバック。
撮影場所のGoogle Mapを見てたら、きっと行きたくなります!

#274 シドニー オペラハウス

2016-09-30 | ★USA・AP
20xx年●月撮影 旅の足跡(写真)
引用
amazon
#1xx --

作成中

My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、 by Google Map
  ●
  ●約1時間
  ●
  (advice) ●

#266 海の民、サモシール島のバタク族 スマトラのトバ湖

2016-09-22 | ★アジア


1996年5月撮影 More photos⇒①トバ湖 ②ヤモリとおっぱい ③塀のヤモリ ④歓迎舞踊 ⑤高床式装飾 ⑥メダンのヤモリ

#266 Pulau Samosir Danau Toba, Sumatra ID

インドネシアは1万3000を超える島から成り立っています。
ニューギニア島、ボルネオ島に次ぐ3番目に大きい島がスマトラ島、
スラウェシ島の2倍、ジャワ島の3倍という大きな島です。

「スマトラ」と聞くと、スマトラ島沖大地震が真っ先に思い出されます。
この辺りにはユーラシアプレートとインド・オーストラリアプレートのぶつかる断層があり、
M7,8,9の大地震が2000年以降頻発、また島内や隣のジャワ島の火山活動が活発化するなど、
しばしば大ニュースとなる地域です。

訪れるまではほとんど馴染みのなかったスマトラ島。
インドネシアというと、マレー半島より南にあり、赤道直下の国とのイメージを
もっていました。
が、スマトラ島は、マレー半島の真横、西側に寄り添うようように位置する島。
マラッカ海峡をはさんでマレーシアと向かいあっています。昔から東西交易の要衝。
今回の旅先のメダンやトバ島はマレーシアのクアラルンプールとほぼ同じ緯度です。

トバ湖は、スマトラ島北部のカルデラ湖。 面積はなんと琵琶湖の2倍。
この写真は、湖に浮かぶサモシール島で撮った、現地部族の家。
魔除けのお面や、やもり、おっぱい、植物の文様や幾何学模様。
このあたりは欧米人に人気の観光地で、サモシール島に住むバタク人の文化や、
歓迎の舞踊、伝統的な家屋が見学できます。
高床式の家には、まるでボートのような反りの大きな屋根が特徴。

現地のガイドさんの話では、
彼らの祖先は中国の雲南出身で、モンゴル軍の遠征により、故郷を追われて
マレー半島を南下、一部、海の民となった部族がマラッカ海峡を渡り、
トバ湖のサモシール島にたどり着いた、とのこと。そういわれてみると
島民の顔は、ポリネシアンよりモンゴロイドに近い印象を受けました。
それから、
15~17世紀の大航海時代のころ、島にやって来た宣教師を食べてしまったとか、
最近まで、カニバリズムの習慣が続いていたなど、
そんな説明を聞いたような気がするのですが、今、ネットで調べても、そんな話は
あまり出てこず、、、聞き違え、記憶違いなのかもしれません。



My record ・・・次の旅のために・・・

  撮影場所は、 Kebun Raya Samosir by Google Map
  シンガポールからジャカルタ経由メダンへ
  メダンからチャーターバスと湖を渡る船でサモシール島へ
  宿泊記録が無いため、ホテル名わからず
  (advice) シンガポールで働いていた頃、勤め先の社員旅行で行きました。
   サモシール島は、独自の文化がプンプンしていて、見ること聞くこと、意外と面白かったです。
   火山性の地形は風光明媚、高原は涼しくて避暑地のような雰囲気。
   途中、温泉にも立ち寄りました。(もちろん日本の温泉地と異なり、温泉旅館などありませんが)
   食事は、ツアーをアレンジした会社のせいかもしれませんが、3食とも、なんと中華料理。


#265 星降る野、サンティアゴ・デ・コンポステーラ

2016-09-21 |   イベリア半島


2003年9月撮影

ヤコブの遺骸を祀る大聖堂への巡礼は、1200年近い伝統がある。ヨーロッパ各地から大聖堂へ、何本もの道が伸びている。(略)巡礼の最終目的地サンティアゴ・デ・コンポステーラには、オプラドリロ広場を見下ろすようにバロック式の大聖堂がそびえている。(p265)
世界の聖地 BEST500 コンパクト版
ジル・アンダーソン
日経ナショナルジオグラフィック社
2010-09-30


#265 Santiago de Compostela ES

スペイン語で「サンティアゴ(Santiago)」とは、聖ヤコブのこと。
Wikipediaによると、
聖ヤコブは、ガリラヤ湖の漁師で、弟のヨハネと共にイエス・キリストに従いましいた。
ヒスパニアにおいて布教活動を行い、エルサレムに帰還後、
ヘロデ・アグリッパ1世によって断首され十二使徒のうち最後の殉教者となりました。
その遺体を弟子2人が石の船に乗せ海を果てしなくさまよった末に、この辺りに辿り着き、
埋葬したのが紀元1世紀半のこと。これが聖地の起源であるといわれています。
そうして9世紀に、星に導かれた羊飼いによって、この墓が再発見されたのだそうです。

ラテン語「Campus stellae」は「星の野」
ヤコブのシンボルは、ほたて貝。 巡礼路には「ほたて貝」があふれていました。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、サンティアゴ・デ・コンポステーラ by Google Map
  日本からパリ経由マドリッド空港
  空港でレンタカーを借り、レオンを経てさらに330㎞(3時間強)
  Parador De Cambados
  (advice) 大聖堂の前の広場は、パラドールと博物館に囲まれています。
 サンティアゴ・デ・コンポステーラの町は、この広場を中心に、
 まわりにレストランやお土産屋さんが集まっています。
 
 この町で宿泊してもよいでしょうが、町中の道は狭く、レンタカーはちょっと大変なので、
 もう少し足を延ばして、ガリシア海まで出ました。