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旅のお誘い ~今日の一枚~ redchilipadi

思い出の写真とともに旅の足跡をプレイバック。
撮影場所のGoogle Mapを見てたら、きっと行きたくなります!

#326 フンデルバッサーのアパート

2016-11-21 |   中欧

2006年1月撮影 旅の足跡(写真)

#326 -- Hundertwasserhaus Vienna AT

フンデルバッサー(Hundertwasser)は、20世紀を代表する
オーストリアの建築家。本名は、Friedrich Stowasser。
日本を愛した彼は、奥様も日本人で、俳句もたしなみました。
雅号「百水」は、姓のStowasser(チェコ語)を直訳したもの。
日本では、Hundert wasserとして知られています。

この建物は、ウィーンの市長から集合住宅の設計を依頼され、1985年に完成。
約50棟のアパートと、中庭からなり、屋上に緑豊かな庭園が配されています。
この一角に、彼の美術館もあり、住宅の中の様子が見学できます。
彼の建築は、自然と調和した建築、植物との共生が特徴で、
カラフルな外観や、壁、床など緩やかに波打つ曲線がユニークです。

真冬にウィーンを訪れると、雪でおおわれたグレーの景色に支配される中、
町の一角にほんのり明るい色に出会って、なんだかほっとします。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、フンデルヴァッサーハウス  by Google Map
  日本からウィーンへ直行便
  ウィーン空港からウィーンの中央駅までCAT(エアポートトレイン)15分
   中央駅からトラムでフンデルヴァッサーハウスまで3.5㎞(リングの内側です)
  Le Meridien Wien
  (advice) 大阪南港のホテルに泊まったとき、
   向かい側の島(舞洲)に、環境局のゴミや下水処理場の奇抜な建築を発見しました。
   遠くからでも目を引く建物。これもフンデルバッサーのデザインなのだそうです。
   
   自然の景観に溶け込むル・コルビュジエや、フランクロイドライトの建造物、
   そして、このフンデルバッサーの住宅も然り、
   現地に足を運び、いろいろな目の高さで外側から内側から景色を楽しみ、
   そこに、しばらく身を置いて、天井、窓、壁、床などを通して空間を感じ、
   差し込む光、草木の匂いや風の流れを体験するのが、
   忘れえぬ旅のワンシーンになると思います。


#305 スグラフィートに飾られる天国の入り口 ソーリオ

2016-10-31 |   中欧


2002年6月撮影 旅の足跡(写真)

#305 Soglio Engadin Region Graubündn CH-- 

スイス東部、イタリア、オーストリアと国境を接するグラウビュンデン州は、
スキーリゾートで有名なサンモリッツや、世界経済会議が開かれるダボスで有名な州です。
グラウビュンデン州にはイン川の水源があり、その流域の谷は、エンガディン地方と呼ばれます。
昔から他の地域との接触が少なく、スイスの中でも0.5%の人しか話さない
ロマンシュ語圏、独特の文化が見られるのだそうです。

谷といっても、このあたりは昔、巨大な氷河で覆われていた土地で、
氷河が削られてできた広大な盆地です。

エンガディン地方には、個性的な集落が点在しています。
その最も奥にある村、ソーリオ(Soglio)。
画家セガンティーニが「天国への門」と讃えた村です。

家々の壁には、この地方独特の装飾文様スグラフィートが描かれています。
スグラフィートの技法とは、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰が生乾きのうちに
色の異なる漆喰を塗り重ねていき、
乾いてから、表面の層の一部を引っ掻かき落としてデザインを浮き上がらせる技法。
一方で、フレスコ画は、土台の漆喰が生乾きの間に、水溶きの顔料で着彩したものです。
アルタミラやラスコー洞窟、ポンペイ遺跡、ルネサンスのバチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画など ヨーロッパ各地の観光地でもよく目にします。 ここエンガディンの谷に家々の壁は、スグラフィートとフレスコ画が目を楽しませてくれます。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、ソーリオ村 by Google Map
  チューリッヒまで直行便
  チューリッヒからサンモリッツまで220km(3時間)、サンモリッツから40km(50分)
  宿泊記録紛失(サンモリッツで宿泊)
  (advice) ソーリオは、ブレガリアの谷(Val Bregaglia)の小さな村。

   私たちが訪れた週は、ずっと曇り。 せっかくスイスに来たのに

   雄大なアルプスの山々をすっきりと見れる日はありませんでした。
   真夏だというのに、ソーリオ村も、冬のようなグレーな写真ばかり。
   是非、再訪して写真を撮りなおしたい。
   次回再訪の際に是非参考にしたい記事がありました。
   ヨーロッパでも有数の栗の産地なんですね! 秋に訪れたい。


  (参考)スイス中部のルッツエルンにも、美しいフレスコ画の家があります。↓


#291 オイゲン公の夏の宮殿、ベルヴェデーレ宮殿

2016-10-17 |   中欧


2006年1月撮影

#291 Schloss Belvedere, Prinz Eugen

ウィーンには、大小さまざまな宮殿がありますが、
観光客に有名な宮殿は、ホーフブルク、シェーンブルン、ベルヴェデーレ宮殿の3つ。
ホーフブルク宮殿は、市の中心にある13世紀頃に建てられた建物群で、シシィ皇妃ゆかりの宮殿。
シェーンブルン宮殿は、神聖ローマ皇帝レオポルト1世が17世紀末建てた狩猟用の別荘で、
後にマリアテレジアが過ごした宮殿。
そして、ベルヴェデーレ宮殿は、18世紀初めに軍人プリンツ・オイゲンが建てた夏の離宮。

プリンツ・オイゲンとは、イタリア系フランス貴族サヴォア家の血をひくオーストリアの軍人。
長男ではなかったので、家督を継げずオーストリアへ仕官したのだそうです。
オスマントルコのウィーン包囲から神聖ローマ帝国の危機を救い、
スペイン継承戦争などでハプスブルグ家の繁栄に貢献しました。
その功績により富と権力を集め、ウィーン市内に夏の離宮、冬の離宮を建て、政治にも大きな発言力があったようです。
オイゲン公には相続人がなく、彼の死後、その財産は、ハプスブルグ家に移りました。

このベルヴェデーレ宮殿は、上宮と下宮の二つの建物と、広大な庭で構成されています。
上宮は、華麗、きらびやかで、クリムトの絵が常設されているオーストリア絵画館があります。
ヒマワリの咲く庭」も展示されています。
写真の下宮は、外観は大変控えめですが、質素というより、落ち着いた気品が感じられます。
オイゲン公が、オーストラリア軍に仕える前、若い頃に過ごしたフランス宮廷界の影響があるのかもしれません。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、ベルヴェデーレ宮殿 by Google Map
  日本からウィーンへ直行便
  CAT(シティエアポートトレイン)でWien Mitte駅まで16分。
   地下鉄U-Bahnに乗り換えるか、タクシーでホテルまで。
  Le Meridien Wien
  (advice) この写真は、真冬に撮影。
  ベルヴェデーレ宮殿は夏の離宮なのですが、雪景色の写真が印象にあり、
  長い間、冬の離宮だと勘違いしていました。
  この宮殿は、丘の上の建物と麓の建物に分かれていて、上宮から下宮に向かう庭から、
  ウィーン市内が一望できます。


#277 牡牛の血を飲み干す兵士たち、赤ワインで有名なエゲル

2016-10-03 |   中欧


2008年10月撮影

#277 
Valley of the Beautiful Woman, Eger Heves HG--

首都のブダペストの北東140㎞、ハンガリーの高原地帯にある町エゲル。
エグリ・ビカヴェール(Egri Bikaver)という名の赤ワインの産地として有名。
ビカヴェールのBikaは、牡牛、verは血という意味

エゲルは石器時代に人が住みはじめ、10世紀にはハンガリー王ステファンに統治されました。
この頃から入植者のよってブドウの栽培が始められ、
13世紀にはモンゴルの来襲、16世紀以降にトルコ軍による包囲、支配を経験しています。

当時、オスマン・トルコ軍に町が包囲されたとき、
指揮官は、兵士にワインをふるまって士気高揚をはかったのだそうです。
ワインを荒々しく飲んだ兵士の衣服は、ワインで真っ赤に染まり、
口からも血がしたたっているように見えました。
トルコ軍は、牡牛の血を飲んでいると勘違いし、恐れ戦いて撤退してしまったのだそうです。 


エゲルは、赤ワインの産地として有名ですが、
白ワイン(EgriLeányka、EgerszólátiOlaszrizling、DebrőiHárslevelű)も有名。

最近では、白ワインになるシャルドネChardonnay種や、
赤ワインになるピノノワールPinot Noir種も栽培されているのだそうです。

城跡やバジリカのある町の中心部から3㎞ほど離れた郊外に
美女の谷(Szépasszony völgy (美女の谷)と呼ばれるワインカーブが並ぶエリアがあります。 

 


「美女の谷」の名前の由来は調べきれませんでしたが、
この辺りのワインカーブに美女が多いわけではありません。
美味しいワインに酔っ払ったら、どんな女性もみんな美女に見える。。
とのことだとか。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、エゲルのワインセラー by Google Map
  日本から、フランクフルト経由ブダペストの空港
  ブダペストの空港から140㎞(2時間)
  ブダペスト空港に近いホテル
  (advice) 町の広場に、英雄István Dobóの像があります。
    トルコ軍の包囲に屈しなかった英雄。
   町は、城跡に向かってなだらかな坂道が続いていて、
   バジリカや温泉施設の立ち寄りながらゆっくり散策するとよいかも。
   日曜日には、広場で骨董市が開かれていて、のぞいてみるのもおもしろいかも。 


#242 出し抜かれた悪魔と、犠牲になった犬を想う アンデルマット

2016-08-29 |   中欧

2002年6月撮影

#242 Teufelsbrücke Schöllenen Gorge Andermatt CH--


アンデルマットはスイスの交通の要衝で、東西南北の地域をつなぐ十字路にあたります。
東にオーバーアルプ峠、西にレアルプ峠、フルカ峠、、南にゴッタルド峠、北にゲシェナーアルプ峠があり、
その峠の手前のロイス谷には、非常に険しいシェレネン渓谷が横たわっています。
16世紀の伝説によると、村人がこの難所に橋を架けようと思案していた時、
村の老婆が悪魔と次のような約束をする。
「橋を造ってあげよう。その代わりに、最初に橋を渡るものの魂を差し出せ」と。
橋は完成し、約束を果たす日、村人は犬をパンでおびき寄せ、
橋を渡らせ、悪魔に捧げた。」

犠牲になった犬は可哀想だけれど、これで村に平和が訪れた、という伝えです。
まんまと出し抜かれた悪魔は、怒って大岩を担いで来て、
橋を壊そうとしますが、そこに聖人が登場し、
悪魔をたしなめ、橋は破壊をまぬかれた、という続編もあります。

岩に赤で描かれた悪魔は、ヤギの顔をしていて、なんだか愛嬌があります。
そして、伝説の大岩も、渓谷に残っているのだそうですよ。

My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、シェレネン渓谷の悪魔橋 by Google Map
  日本からフランクフルト経由チューリッヒへ
  チューリッヒから120km(約1時間半)
  Hotel Monopol Luzern
  (advice) ヨーロッパには、たくさんの魔橋があり、wikipedia
   そのいくつかが紹介されています。 難工事を後世に伝えるためでしょうか。
   そこに出てくる悪魔や鬼は、いつも出し抜かれて、
   ちょっと気の毒な気持ちになってしまいます。 

   このアンデルマットの悪魔橋は、三代目の橋で、岩山の頂上部にありますが、
   渓谷の深い部分に、初代二代目の石橋が造られたっようです。
   (どちらが初代、二代目かは、この絵からだけでははっきりしませんが。)

   霧が深いところで、麓は晴れて青空だったのに、
   ここに到着すると、悪魔の呪いなのか? たちまち視界が一面、真っ白に。


#228 黄金のキャベツ、世紀末へタイムスリップ ウィーン

2016-08-15 |   中欧


2002年6月撮影

#228 Secession Building Vienna, AT

ウィーンの中心部にある分離派の美術館、Secession(セセッション)
屋根に黄金のローレル(月桂樹)のドームを抱く姿は目を引きます。
分離派とは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、
ヨーロッパに興ったアールヌーボー(新しい芸術)の一派で、
ドイツ語圏ではユーゲント・シュティールと呼ばれています。
「世紀末」の幻想的・神秘的・退廃的な雰囲気が漂う絵画、装飾、建築。
ウィーンでは、グスタフ・クリムトや、オットーワーグナーが中心でした。

クリムトの大作 ベートーヴェン・フリーズ(Beethoven Frieze)は、
この美術館の地階の展示室の天井近い壁に描かれた連作で、
ここに足を運ばないと観れない作品。

ベートーベンの交響曲第9番の第4楽章「歓喜の歌」をモチーフにした作品。
第1場面-①幸福への憧れ
    ②弱き人間の苦悩
    ③武装した強者に対する弱者の哀願
第2場面-敵対する勢力
第3場面-①ポエジーに慰めを見出す憧れ(詩)
    ②歓喜(天使たちの歓喜のコーラス) ③接吻

第3場面の②歓喜の前に立つと、
日本の大晦日に高らかに歌われるベートーベンの第九が耳にこだましそう。


この美術館の正面には、
"Der Zeit ihre Kunst. Der Kunst ihre Freiheit"
「どの時代にも、その芸術を。 どの芸術にも、その自由を」
という言葉(ドイツ語)が掲げられています。




My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、分離派の美術館 by Google Map
  日本から直行便でウィーンへ
  シティエアポートトレイン(CAT)で、空港からウィーン・ミッテ駅(Wien Mitte)まで15分。
  Hilton Vienna Wien Mitte駅すぐ
  (advice) グスタフ・クリムトは、「Der kuβ」とか「Wasserschlangen I」など
   恍惚とした退廃的、官能的な雰囲気漂う絵が多く、
   まばゆく輝く金箔、絵に潜む寓意など、私も虜になっていた時期がありました。
   今でももちろん好きな画家のひとり。
   でも、家に飾るにはちょっと派手、重すぎて躊躇していたのですが、
   ミュージアム・ショップで、クリムトの描く、風景画の小さな(A4サイズ)ポスター
   6枚セットを発見。
   買って帰り、小さめのフレームに入れて家に飾り、旅の思い出に浸っています。


#200 午後2時22分、シナゴーグの時計 プラハ

2016-07-18 |   中欧

2004年7月撮影

#200 Josefov synagogue Prague CZ --  

10世紀、チェコにボヘミア王国が誕生し、ヴァーツラフ1世がキリスト教を受け入れた頃、
ユダヤ人のプラハへの入植が盛んになりました。
古くからヨーロッパとイスラム世界を結ぶ交易は
ユダヤ商人が担っていましたが、
ボヘミア王の庇護のもと、各地のユダヤ商人がプラハに集まり、
11世紀には、ヨーロッパ最大のユダヤ人居住区(ゲットー)となったのだそうです。

その後も、モンゴル軍との戦いの戦費や、ハプスブルグ家の財政難の折に
時の君主は積極的にユダヤ人を保護しました。その代わりに、
高額な徴税、融資の要請に応じさせることを義務付けるという政策。
彼らは、国にとって、大切な資金の調達源だったのです。
ちなみに、当時、キリスト教徒は金融業を営むことができませんでした。

居住区には、ユダヤ人の集会所シナゴーグも建てられました。
13世紀に建てられた「旧新シナゴーグ」は、
ヨーロッパで最古のシナゴーグなのだそうです。世界遺産にも登録されています。

このシナゴーグには二つ時計があるのですが、
低い位置にある、ヘブライ語の時計は、とてもユニーク。
文字盤には、半時計周りに目盛りがふられていて、
長針が時間を示し、短針が分を刻んでいます。

目盛りが半時計周りなのは、日時計の名残り。
南に向いて設置される壁掛け式の日時計(垂直日時計)の場合、
影は半時計周りに動いて時刻を示します。

当初は、時間を知るだけで十分。時計の針も1本で事足りたのですが、
次第に、もっと細かい単位まで知る必要が出てきたため、
補助の針が求められ、あとから短い針が追加された、
このような経緯が、この時計に名残をとどめているからなのでしょうか。

ユダヤ人ゆかりの旧跡めぐりは、
プラハに住んでいたユダヤ人の歴史を知るという目的だけではなく、
時には自分の常識と異なる、ユダヤの知恵に
触れることができ、新たな発見があるかもしれません。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、旧新シナゴーグ by Google Map
  日本からウィーンへ直行便
  空港でレンタカーを借りて、スロバキアに寄り道しながらプラハへ
  InterContinental Prague
  (advice) ●プラハのシナゴーグは、5か所あり(旧新シナゴーグ、マイゼル、スペイン
   ピンカス、クラウス)、他に墓地や、儀式の家が観光客に公開されています。
   ヨーロッパ系のアシュケナジム、スペイン系のセファルディム、
   宗教施設のインテリアや、博物館の展示物などに、おや?と思うことも多いはず。
   日本にいると、ユダヤの生活、文化、習慣に触れることが少ないので、
   シナゴーグを訪れる際に、実際に見て、触れて、体感することで、
   何かに気づく良い機会になると思います。


#172 会議は踊る、されど進まず ウィーンのシェーンブルン宮殿

2016-06-20 |   中欧


2004年7月撮影

#172 Palace and Gardens of Schönbrunn Wien AU

ウィーンにあるハプスブルク家の夏の離宮、シェーンブルン宮殿。
当時、辺り一帯は王家のキジの狩猟場で、皇帝の狩猟用の別荘があったのだそうです。
Schönとは「美しい」、Brunnとは「泉」。狩りの途中、美しい泉を見つけたことに由来。

その後、マリア・テレジアの在位(1740年 - 1780年)に、バロック様式の外観、
ウィーン風ロココ様式の1400室もの部屋がある宮殿に改装されました。
マリア・テレジアの娘マリー・アントワネット7歳のとき、
6歳の神童モーツァルトが招かれ、宮殿内の鏡の間で演奏したり、
ナポレオン戦争終結後、ヨーロッパの領土分割協議のためのウィーン会議が開かれたり、
そして、「シシィ」(Sissi)の愛称で知られる皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のエリザベート皇后の暮らした部屋など、
数々のエピソードがあります。

マリア・テレジア・カラーの美しい建物の裏には、広大なフランス式の庭園が広がり、
はるか向こうの丘の上には、プロイセン戦の勝利を祝って建てられたグロリエッテという凱旋門があります。
宮殿の豪華絢爛な室内の見学後、息が詰まりそうになったら、凱旋門まで、是非、足を延ばしてみましょう。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、 宮殿建物裏の庭園 by Google Map
  日本からウィーンへ直行便
  シティエアポートトレイン(CAT)で、空港からウィーン・ミッテ駅(Wien Mitte)まで15分。
  Hilton Vienna Wien Mitte駅すぐ
  (advice) オーストリア航空のビジネスクラスはお買い得。
   いつもは、ウィーンは、東欧諸国へ旅行するときのトランジットで泊まることが多いのですが、
   今回は、ウィーンの市内でゆっくり滞在。 
   美術館も充実していて、フェルメールの作品、
   「絵画の寓意」がある美術史美術館や、
   クリムトのここでしか見ることのできない壁画「ベートーヴェン・フリーズ」、
   ほかにもクリムトやシーレの作品が市内に溢れています。 チョコレートトルテ巡りも楽しい!


#158 国境地帯を埋め尽くすひまわり ハンガリー西部

2016-06-06 |   中欧


2004年7月撮影

#158 Sunflowers' field in border area

ヨーロッパの花畑といえば、南仏のラベンダー畑や
アンダルシアのひまわり畑が有名ですが、満開の時期が短かったり、
幹線道路からはずれた道筋にしかなかったり、と
なかなか簡単に出会うことはできません。

この写真のひまわり畑は、オーストリア、ハンガリー、スロバキアの
国境あたりで撮りました。 
ウィーンの空港をめざして飛行機が降下を始めたとき、窓の外を見ると、
整然と区画分けされた畑が眼下に広がっているのが見え、
ところどころに、黄色一色で塗りつぶされた矩形が目に飛び込んできます。
よーく見ると、これはひまわり畑。

日本では、ひまわりといえば、小学生の夏休みの絵日記に必ず描かれていた
花ですが、ヨーロッパではひまわり油の原料。なので種が大切。
花が枯れた後、種子の詰まったひまわりの顔が黒光してからもずっと畑に立ち続けています。
一面、あぶらぎった真っ黒なひまわり畑も、また壮観に違いありません。

My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、E75 ハンガリー、オーストリアとスロバキアの国境近く by Google Map
   ストリートビューは残念ながら真冬の荒涼とした景色でした。Google Eathでもチェック!
  日本からウィーンへ直行便
  空港からレンタカーを借りて、60㎞(40分) 
   このあたりからスロバキアの首都ブラチスラバまで25km(25分)
  ブラチスラバに宿泊、ホテル名の記録紛失
  (advice) 私たちは、スロバキアへ向かう途中に、この場所を通りかかりました。
   ウィーンから首都ブダペシュトに向かう途中でも、美しい野原、丘が広がるパンノニア平原で
   ひまわりがあってもなくても、美しいヨーロッパの原風景に出会えるかもしれません。