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サンデーGXというマンガ月刊誌で連載中の『眠れる惑星』、巡回先サイトである紙屋研究所のレビュー〈1巻短評〉〈2巻短評〉で知り、チェックを入れてみた。
『ある朝、目を覚ますとボク以外、世界中の人間がすべて眠ったままだった』(男子高校生:淳平)
ひっぱたいてもくすぐっても誰一人目覚めようとしない。飲まず食わずでも死ぬこともなく、人々はただひたすら眠りこけているだけ。
そんなふうにして「たったひとりぼっち、ただし誰の目もはばからず何でもやり放題」なシチュエーションで、ふとしたきっかけから彼は自分の仲間を見つけることに性交、いや成功する。
なんと!「彼と○○○した女性は眠りから目覚める」のだ!!
つい出来心からファミレス店員のお姉さんを”目覚めさせて”しまったのを皮切りに、バイオ専攻の大学院生(ショタコン!)、
片思いだったクラスメイトの美少女、・・・と仲間はだんだん増えていく・・・
すばらしい・・・
紙屋氏の指摘どおり、これぞまさに青少年の正しい妄想の結晶だ!こんな夢みたいなシチュエーション、
たしかにちょっと他にないですぜ。
学校も親の小言もイヤなヤツも、世の中のウザい存在にはすべて眠ってもらって、必要なものはとりあえずすべてそこいらから拝借できる。
しかも(あるトリックで)電気・水道といったライフラインはそのまま維持されているのだから、これを夢のハーレムと呼ばずしてなんと呼ぶ?
もちろんお話はそんなぬるーいままで進むわけもなく、男一人と若い女性10数人(それだけ「起こした」わけだね、こいつは)のアンバランスな世界は、お約束のように微妙な対立関係や緊張感に包まれていく。加えて世界中が眠ってしまった謎やそこにつながりそうな怪しい事件なんかも絡んできて、現在だんだんと雲行きが怪しくなってきているところ。
(というわけで来月号に乞うご期待だ!)
ところでこれを読んだとき、すぐにぼくが連想したのが小松左京が書いた『こちらニッポン・・・』だった。
ぼくがまだ実家で読んでた朝日新聞に連載されたものだから、すでに20~25年くらい前の作品になる。(現在はハルキ文庫)
『ある朝、目を覚ますと俺以外、世界中の人間がすべて消えていた』(37歳男:福井浩介)
わけもわからず手がかりを探しさまよう中で、ほんのわずかな人間が全国各地、そして世界各国にぽつりぽつりと「残されている」ことがわかってくる。「残された人々」はなんとか集結して、集団で生きていくための方法を探っていく・・・
こっちは眠るんじゃなく消えるお話。主人公は最初に見つけた”仲間”の女性と当然?恋愛関係になる。生き残りが集まって暮らす中で、グループ内部で発生するあつれきやトラブルはこれまたお約束か?
そういえば孤島に取り残された少年グループを描いたゴールディングの『蝿の王』でも、リーダーの下で統制が取れていた少年達は、あっという間に対立・反目を起こして分裂し、自滅への坂道を転がり落ちていく。
楳図 かずおの『漂流教室』にしても、望月 峯太郎の『ドラゴンヘッド』でも、取り残された少数の人間が生き抜こうともがく中で、個々のヒトが持つ真性が否応なくあらわになってしまう話だった。
小松の作品ではいちおう”大人”の集団で、メンバーそれぞれが個性や特技を生かしながら、人間関係の危機をなんとかいなしつつ生きていく道を模索していく。(途中で壊れちゃう者もでるけど)
メンバーも性別年齢さまざまなだけに、キャラクターとしての個性や魅力という点では多彩で広がりがある。
時代を反映してネットもケータイもなく、ライフラインが徐々に途絶えていく中で、日本中の生存者が苦心しながら連絡や集結を果たしていく描写には、『日本沈没』とも共通する迫真性があってうまい。
世界から人々が消えた理由について、ここではネタバラシしない。
小松SF的というのか、最後には説明が用意されているし、新しい世界に向けて”船出"していく人々の姿を描くことで、何がしかの希望を提示したエンディングだとも言えるだろう。本当に久しぶりに読み返したけど、高校生?の頃と同じようにとても面白く読むことが出来た。
ところで・・・
『眠れる惑星』のメイン読者は高校生以上?の若い男性か。
『こちらニッポン・・・』は一般誌夕刊連載だったから、もっと年齢性別も広い読者を想定していたんだろう。
それにしてもこの2作に流れる共通性は面白い。
現実のしがらみをいっぺんぜーんぶ消してしまって、自分(たち)だけで好き放題できる世界、でもってそれなりに山あり谷ありロマンスありのアクション映画っぽい世界、そんな非現実的な世界への憧れっていうのは、広く共有できる感覚なんだろうか。
とりあえず若い女性たちに奪い合いされる過酷な状況?というのは、経験してないだけにちょっとうらやましいぞ。
なんちて、
サンデーGXというマンガ月刊誌で連載中の『眠れる惑星』、巡回先サイトである紙屋研究所のレビュー〈1巻短評〉〈2巻短評〉で知り、チェックを入れてみた。
『ある朝、目を覚ますとボク以外、世界中の人間がすべて眠ったままだった』(男子高校生:淳平)
ひっぱたいてもくすぐっても誰一人目覚めようとしない。飲まず食わずでも死ぬこともなく、人々はただひたすら眠りこけているだけ。
そんなふうにして「たったひとりぼっち、ただし誰の目もはばからず何でもやり放題」なシチュエーションで、ふとしたきっかけから彼は自分の仲間を見つけることに性交、いや成功する。
なんと!「彼と○○○した女性は眠りから目覚める」のだ!!
つい出来心からファミレス店員のお姉さんを”目覚めさせて”しまったのを皮切りに、バイオ専攻の大学院生(ショタコン!)、
片思いだったクラスメイトの美少女、・・・と仲間はだんだん増えていく・・・
すばらしい・・・
紙屋氏の指摘どおり、これぞまさに青少年の正しい妄想の結晶だ!こんな夢みたいなシチュエーション、
たしかにちょっと他にないですぜ。
学校も親の小言もイヤなヤツも、世の中のウザい存在にはすべて眠ってもらって、必要なものはとりあえずすべてそこいらから拝借できる。
しかも(あるトリックで)電気・水道といったライフラインはそのまま維持されているのだから、これを夢のハーレムと呼ばずしてなんと呼ぶ?
もちろんお話はそんなぬるーいままで進むわけもなく、男一人と若い女性10数人(それだけ「起こした」わけだね、こいつは)のアンバランスな世界は、お約束のように微妙な対立関係や緊張感に包まれていく。加えて世界中が眠ってしまった謎やそこにつながりそうな怪しい事件なんかも絡んできて、現在だんだんと雲行きが怪しくなってきているところ。
(というわけで来月号に乞うご期待だ!)
ところでこれを読んだとき、すぐにぼくが連想したのが小松左京が書いた『こちらニッポン・・・』だった。
ぼくがまだ実家で読んでた朝日新聞に連載されたものだから、すでに20~25年くらい前の作品になる。(現在はハルキ文庫)
『ある朝、目を覚ますと俺以外、世界中の人間がすべて消えていた』(37歳男:福井浩介)
わけもわからず手がかりを探しさまよう中で、ほんのわずかな人間が全国各地、そして世界各国にぽつりぽつりと「残されている」ことがわかってくる。「残された人々」はなんとか集結して、集団で生きていくための方法を探っていく・・・
こっちは眠るんじゃなく消えるお話。主人公は最初に見つけた”仲間”の女性と当然?恋愛関係になる。生き残りが集まって暮らす中で、グループ内部で発生するあつれきやトラブルはこれまたお約束か?
そういえば孤島に取り残された少年グループを描いたゴールディングの『蝿の王』でも、リーダーの下で統制が取れていた少年達は、あっという間に対立・反目を起こして分裂し、自滅への坂道を転がり落ちていく。
楳図 かずおの『漂流教室』にしても、望月 峯太郎の『ドラゴンヘッド』でも、取り残された少数の人間が生き抜こうともがく中で、個々のヒトが持つ真性が否応なくあらわになってしまう話だった。
小松の作品ではいちおう”大人”の集団で、メンバーそれぞれが個性や特技を生かしながら、人間関係の危機をなんとかいなしつつ生きていく道を模索していく。(途中で壊れちゃう者もでるけど)
メンバーも性別年齢さまざまなだけに、キャラクターとしての個性や魅力という点では多彩で広がりがある。
時代を反映してネットもケータイもなく、ライフラインが徐々に途絶えていく中で、日本中の生存者が苦心しながら連絡や集結を果たしていく描写には、『日本沈没』とも共通する迫真性があってうまい。
世界から人々が消えた理由について、ここではネタバラシしない。
小松SF的というのか、最後には説明が用意されているし、新しい世界に向けて”船出"していく人々の姿を描くことで、何がしかの希望を提示したエンディングだとも言えるだろう。本当に久しぶりに読み返したけど、高校生?の頃と同じようにとても面白く読むことが出来た。
ところで・・・
『眠れる惑星』のメイン読者は高校生以上?の若い男性か。
『こちらニッポン・・・』は一般誌夕刊連載だったから、もっと年齢性別も広い読者を想定していたんだろう。
それにしてもこの2作に流れる共通性は面白い。
現実のしがらみをいっぺんぜーんぶ消してしまって、自分(たち)だけで好き放題できる世界、でもってそれなりに山あり谷ありロマンスありのアクション映画っぽい世界、そんな非現実的な世界への憧れっていうのは、広く共有できる感覚なんだろうか。
とりあえず若い女性たちに奪い合いされる過酷な状況?というのは、経験してないだけにちょっとうらやましいぞ。
なんちて、
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