赤ガエルのボンヤリ日記

クルマもカレラ、自転車もカレラ、
すべて前世紀生まれの乗り物を愛する、クルマバカオヤジの中身うすーい日記です。

今日の3冊から、『孤独のグルメ』~今すぐなんか食いたい!

2007-11-12 22:09:26 | こんな本を読んだ(マンガ編)
11/8の帰りに立ち寄ったブックオフ。おもわぬ収穫として前から読みたかった1冊をようやく手に入れることができた。
そのほかにもよさそうな2冊を105円コーナーで見つけていっしょに購入。
ほしかったものを思いがけず手に入れられてとても満足。



お買い得になるか?まずは題名だけで選んだ2冊から。

そういや現代の日本の軍事システムやその実力についてはぜんぜん意識していなかったし、基本的な知識も欠けているなあ..ということで久しぶりに「江畑さん」の名前を見つけて購入。

「日本の軍事システム」著:江畑謙介 講談社現代新書
 ←Amazonにリンク(写真はいまの表紙)
そういや江畑さん、固めの月刊誌などではご活躍だけど、TVのワイドショーなんかで顔を見なくなって久しい。失礼だけどこの人がゴシップメディアに頻出されるときは、なにやらきな臭い事態が起きているときでもあるので、江畑さんが地味なメディア登場しているってこともまあいいことなんでしょうか。

お次の1冊。昔の映画やドラマでおなじみだった沢村貞子、エッセイの名手という評判は聞いていたがいままで読む機会がなかった。これまた著者の名前で即決。

「わたしの三面鏡」著:沢村貞子 刊:朝日新聞社 Amazon
記憶に残る「おていちゃん」はいつも渋い和服でキメていて、歯切れのいい江戸っ子口調でちょっと小言か何か言ってる粋なおばちゃんってイメージ。
果たしてエッセイも歯切れよくできているか?

そういや加東大介が弟、長門裕之、津川雅彦が甥ていう役者一家なんですね。河東大介といえば『椿三十郎』で押入れに詰め込まれてた姿がまず思い出されます。
なんでも『椿三十郎』リメイクされたそうですが...
主演が織田”世界陸上”裕二ときいてなにやら不安が。織田裕二といったらこっちのほうがまだ見てて楽しい。

さて、今日の真打ち、
「孤独のグルメ」原作:久住昌之 作画:谷口ジロー 扶桑社文庫
 ←Amazonにリンク

やっと見つけたよ・・・
Amazonでも在庫なし状態でマーケットプレイスに高値のものがあるばかり、古書でもなかなか現物を見つけられずにいたお待ちかねの一冊。
(と思ったら、奥付を見ると今年の9月に19刷(!)が出てる。ということは今は新刷が買えるのかも?)

実を言えば、この本の題名についてまたもやぼくは勝手な思い込みをしていたのでした...
× 「孤高のグルメ」
○ 「孤独のグルメ」
前回もそうだけど、ぱっと思い込んでよく確かめもせずに頭に刷り込んじゃう習性はなかなか治らないものだなあ、と毎度ながら反省。

ただこの「孤独」と言う文字、なぜ使い方が「孤独な・・」ではなく「孤独の・・」であるか、というところにも原作者:久住昌之の思いが込められてるんじゃないかと思う。
主人公の五郎(独身・30代?)は輸入雑貨商の仕事をしながらいろんな場所で”食べる”。
独り者だし個人業だし群れるタイプでもないようで、気ままにその場その場で目に付いた食べ物屋に入っていって独りで食べる。でも題名の”孤独”とは裏腹にまったく悲惨でもないし肩ひじ張っているわけでもない。ただ独りで食べることをのびのびと楽しんでいる。やむなく独りぼっちでメシを食うのではなく、”独りで食うことを自ら選びその状況を楽しんでいる”のだという思い、それが「孤独の・・」という題名に現れているのだろう。
(実際、五郎は別にモテないから独り者でいるのではない。4年前にパリで大物女優と恋に落ちて、その女性と別れて帰国していたのだから)

ちなみにぼくも食べることは好きだし、独りメシも好きなほうだ。そんなこともこの本の描写が心にすんなりとしみこんできた理由かも。

一度だけ無礼な店の主に向かってカッとなり、食への思いを熱く語るが、「誰にも邪魔されず 自由で なんというか 救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで・・・」というなかに五郎の精神的なしなやかさの源みたいなものが感じられた。
とはいえ、いつそこでも”しなやかに”ふるまえるとも限らないらしく、新幹線の弁当ではちょいとした失敗もするし、大阪のたこ焼き屋では周囲の関西ノリにどうしてもなじめず居心地悪そうにしている。(とはいえ、たこ焼きの美味さだけはしっかり堪能しているところが、しなやかといえばしなやかなのかも)

食べるものもこれまた題名に反して”いわゆるグルメ”なものじゃない。表紙にて五郎が卓に置いているものは、(石神井公園で懐かしさにかられて買った)「わざとらしいメロン味のチェリオ」と茶店のおでん。勢いで買い並べてしまったけれど、自分でも色と味の組み合わせが最悪だと嘆きつつ、結局それぞれについてはうまいうまいと食べて飲んでしまう。
行き当たりでやっているからたまにはハズレもつかんでしまうし、「あそこのハヤシライスで決まりだ!」と独り興奮して出かけてみたら店がなくなっていた、なんてこともあるが、味のよしあしにかかわらずに「食べること」「一人で食べること」を楽しんでいる姿を見ていると、「ああ、俺もなんか食べたいぞぉ」とついついおもわされてしまう。

久住昌之の原作のよさと、谷口ジローの精緻な画とがうまくマッチしていて、淡々としつつ味わいがじわっとした良い作品になっていると思う。同じコンビでの作品に「散歩もの」があって、たしか家にあった通販生活に掲載されていたと記憶しているのだけど、これまた派手な演出を控えた中に味わいのある面白い作品だった。
掲載雑誌が無くなったらしく、まだ五郎という人間のもろもろを語りきらずに1巻で終わってしまったけれど、もうちょっと続きを読ませてほしかった気もする。そこがちょっと残念。

この1冊を読んで、つい対比して考えてしまったのが”いわゆるグルメマンガ”の代表『美味しんぼ』。
パターン化された騒々しい美味の表現、浅薄な知識をもって”善悪”まで語ってしまう思考の貧困さがなんともはやついていけない。

たまたま立ち読みしたスピリッツでは、いま取り上げているのが食品添加物の問題らしいが、相いも変わらず雁屋哲の不勉強と単純思考があらわになってしまったひどい内容。
ベストセラーだということでかつぎ出してきたのだろうが、取り上げるのが”自称:食品添加物の神様”(でも本はデタラメまみれ)の安部 司というだけで、作者の思考の単純さと知識の薄っぺらさがあらわになっている。

うんちく添加物まみれで救いのない粉飾作品より、ふつうの暮らしの中でふつうに食べることの喜びを生き生きと伝える、そんな1冊の中にこそうまさの本質はあると思う。


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