鏡が映し出すもの。それは見る者によって見え方が変わってくる。
ある人が行儀悪く,または醜悪に騒ぎ立てている時。そのあまりのみっともなさに人々は「鏡を見て,今自分がどうゆう風に映っているのかを見てみればいいのに」なんてぼやいたりする。だけど,そのぼやいた人もどこかでは「鏡を見ればいいのに」なーんて言われてたりもする。
人は全て潔白な行動をできるわけじゃない。じゃあ,その鏡とやらで自分を映し出せば,自分が醜態を晒していることに気づくかといえば,案外気づけないもの。
醜態を晒している相手に対して「貴様の真の姿を映し出してやる!」とばかりにラーの鏡でその王の姿をしたトロールの姿を映し出してみよう。そこにはとても醜い姿が映っているかもね。
でも,相手が鏡に映った自分を「お。俺ってもこ○ち似じゃね?」「この鏡に映ってる美女は誰? あら,あたしじゃなーい」みたいに,どんだけ鏡に醜い姿が映っていようとも,見るのは本人なのだから,その本人の中で脳内変換が行われて醜いと認識できなければ意味がない。
また,「確かにブサイクだけど,それがなにか?」みたいに開き直られれば,結局鏡を見たって意味がないもの。
まぁ,たまに気づくこともあるけども,それって案外どうでもいいことだったりして,自分の本質に近ければ近いほど,どんだけ醜くてもそれを認められない,開き直りが多かったりする。でも仕方ないよな。僕らは魂を重力に縛られたオールドタイプなんだから。だから「鏡を見ればいいのに」ちゅうのは,さっぱりさっぱり効果がないものなんじゃないかな,と思ったのである。
ある人が行儀悪く,または醜悪に騒ぎ立てている時。そのあまりのみっともなさに人々は「鏡を見て,今自分がどうゆう風に映っているのかを見てみればいいのに」なんてぼやいたりする。だけど,そのぼやいた人もどこかでは「鏡を見ればいいのに」なーんて言われてたりもする。
人は全て潔白な行動をできるわけじゃない。じゃあ,その鏡とやらで自分を映し出せば,自分が醜態を晒していることに気づくかといえば,案外気づけないもの。
醜態を晒している相手に対して「貴様の真の姿を映し出してやる!」とばかりにラーの鏡でその王の姿をしたトロールの姿を映し出してみよう。そこにはとても醜い姿が映っているかもね。
でも,相手が鏡に映った自分を「お。俺ってもこ○ち似じゃね?」「この鏡に映ってる美女は誰? あら,あたしじゃなーい」みたいに,どんだけ鏡に醜い姿が映っていようとも,見るのは本人なのだから,その本人の中で脳内変換が行われて醜いと認識できなければ意味がない。
また,「確かにブサイクだけど,それがなにか?」みたいに開き直られれば,結局鏡を見たって意味がないもの。
まぁ,たまに気づくこともあるけども,それって案外どうでもいいことだったりして,自分の本質に近ければ近いほど,どんだけ醜くてもそれを認められない,開き直りが多かったりする。でも仕方ないよな。僕らは魂を重力に縛られたオールドタイプなんだから。だから「鏡を見ればいいのに」ちゅうのは,さっぱりさっぱり効果がないものなんじゃないかな,と思ったのである。
その反応は、ひどい乱視がなせる業なのか、もこ○ちを誰かと間違えてるのか、衆人環視のなか舌が強がってるのか、なんなんでしょうか(笑)
人間が「お前はこんなに醜いんだぞ!」と鏡を突きつけたら、トロールが「おぉ俺様はなんて美しいんだ」と反応する・・・って、フツーにありそうですね。美醜の評価基準が全然違いそうだから。一方は顔カタチで一方は筋肉美とか。
「鏡を見たって意味が無い」というより「映った姿に反省を見出せと言っても意味が無い」ことが多いのかな、と私は思いました。はい。
もこ○ちに意味はないです。単にかっこいいって騒がれてるみたいだから出してみただけです(笑)
ああ,
>「映った姿に反省を見出せと言っても意味が無い」
確かにこっちの方がしっくりしますねぇ。
正直,そこの部分は言葉がうまく思いつかなかったんですけど,わたりとりさんのおかげで,適切な表現が出た感じですわぁ。ありがとうございます!