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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

歩いていこう 人生は結果じゃない 過程だ  子ども未来法律事務所通信15

2012年01月10日 | 子ども未来法律事務所通信

 

僕は海や川で何度か溺れて死にそうになったことがある。

最も危なかったのは20代半ば。司法試験の受験生仲間で伊豆に合宿に行ったときのことだ。

勉強会の合間に、皆で散歩に出かけた。織り悪く台風が来ていて、波が高く、とても泳げるような状態じゃなかった。

せっかく泳げると思ったのにそれが残念で、イチビリ(関西弁でおちゃらけ者の意)である僕は、仲間から離れて突然走り出し、海に突き出ているはしけに出てしまった。

驚き、呆れている先輩や同級生達に向かって、子どものように飛び跳ねて手を振っていると、高波が来てあっという間に海に放り出されてしまった。

前後左右、どちらが上か下かもわからない。

もがいても浮かび上がれない。

これは本当に大変なことになったと思ったが、やがて、やみくもにもがいても仕方がないと思ってやがて力を抜いたら、身体は自然と海面に浮上した。

海面に顔が出たはいいが、もちろん足は立たず、はしけはとてもよじ登れるような高さではないし、海岸までもずいぶん遠かった。

岸に向かって泳ぎだしたが、ちっとも近づいている気がしなかった。

と、その時。

「徳岡、いくぞ!」という声がした。

はしけまで、一人の先輩が走ってくれて、どこから見つけてくれたのか、救命用の浮き輪を投げてくれたのだ。

それに掴まって、僕は助かった。

 

今から考えると、高波が押し寄せる中、先輩だってはしけの先まで走ってきてくれるのは危なかったのだ。

まさに、命の恩人だった。

その先輩はあだ名を「ダサク」さんと言った。結構要領の悪いところがあって、『駄作』転じてダサク。小器用な僕も普段、ダサク先輩を侮っているようなところがあった。

 

一年後、ダサク先輩と僕は一緒に司法試験に合格し、司法研修所では同期になった。

ダサク先輩は一生懸命勉強したようで、念願の刑事裁判官になることができた。東京地裁に配属されると、捜査機関からの令状請求にも果敢に却下決定を出すような、正義漢の強い素晴らしい裁判官になられた。

もう、駄作どころか、名裁判官への道を歩み出したのだ。

 

しかし、一年後、彼はこの世を旅立った。

悪性リンパ腫があっという間に進行してしまったのだ。新婚一年目だった。

僕は鹿児島のご実家で行われたお通夜に行き、きれいな奥様と先輩のご両親に相手して頂きながら、内心、一晩中、この世の不公平を呪った。

僕の命を救ってくれた先輩が31歳で夭逝したのだから。

普通、人は志半ばでこの世を去った、というのではないだろうか。

 

 

先月半ば、僕は父を亡くした。

ガン手術後、闘病生活一年余り。

しかし、父の命を奪ったのは、別に持病があった心臓だった。湯船につかっているときに不整脈が起きてしまったのだ。

ガンと闘うために、免疫力を高めようと足湯器具を買うなど、必死に努力していた父。しかし、心臓のことは、父にも、僕を含めた家族にも油断があった。

実は、来月、父母と妹夫婦が同居するはずだった新居が完成する。それまで、あともうちょっと、というところだった。

それを考え始めると、まさに、胸が張り裂けそうになる。

 

 

人は本当にすごいと思う。

どんな人でも、肉親の死を体験しない人はいない。

こんな悲しみを、どの人もなんとか受け止め、今日も明日も生きていくのだ。

それが普通の人の営みだ。人間とはなんと気高く強い生き物だろうか。

 

1995年に起きた阪神大震災では6000人余りの方がなくなった。あと1週間で17年になる。

去年起きた東日本大震災で亡くなった方は1万数千人。行方不明の方も数千人。3月で丸一年だ。

たった一人の先輩の死や父の死が受け止めきれない僕には、その数万の死と、遺された数十万、数百万という、とほうもない哀しみを想像することは不可能だ。

しかも、自らの属するコミュニティーごと喪う震災は、単なる「死の足し算」ではない。

 

若くして亡くなった先輩にしても、うちの父にしても、人の死であるからには本当に悲しいけれども、二人とも病院や自宅で亡くなった、「平時の死」である。

それが、津波に巻き込まれて亡くなったらどうだろう。建物の下敷きになったり、火に包まれて亡くなったらどうだろうか。

その人の苦しみ。遺された方々の哀しみはいかばかりか。

 

 

海で溺れるのがあれほど恐ろしいのだから、津波にのみ込まれて亡くなるのは、たまらないだろうと思う。

 

 

しかし、僕は思うのだ、人生は結果ではなく、過程こそ大事なのだと。

どの人も、良く生きて、良く死んだ。

精一杯生きたことに意味がある。結果までの過程が人生そのものじゃないか。

その死が、遺された者には到底納得できないような有様に思えても、いや、ご本人だって無念だったろうけれども、死という結果ではなく、その死の瞬間まで懸命に生きたことが大切なのだと思う。

 

今生きている僕たちは、自分の命を大事にするのが、亡くなった人々への手向けだと思う。

がんばらなくていい。

人は誰しも、いつでも、むしろ頑張りすぎている。

自分らしく。自分のなりたいものになろうとすること。自分の本当にしたいことを見出していくことだと思う。

お互いの価値と尊厳を認め合い、互いに慈しみあい、敬愛の念を持ちあい、大事にしあうことだと思う。

もちろん、なんでもあきらめて受け入れようというのではない。

被災者に対する棄民や、この上まだ原発を推進するような、人でなしの行為とは闘っていくべきだ。それは、自分と子どもたちの命を守ることだから。

それは亡くなった方々も望んでおられることだと思う。

我々も良く生きよう。いつか、良く死ぬ、その日まで。

歩いて行こう。

 


平井堅 「アイシテル」

 

いきものがかり 「歩いていこう」

 

 

 

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1 コメント

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共に力を合わせて、皆で一緒に歩こうではないか? (cafe)
2012-01-11 05:25:32
 その通り!
 共に、力を合わせて歩くことが、人生を通じた生涯教育のあり方です。
 競争を点数で数えるのは、本物の教育でも、人生でもないのだ。
 手段と目的を誤解して、逆の間違えとならないようにネ
 
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