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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

「革命」 私たちのリアル(現実的)とは?  ラディカルとリベラルの対話9

2015年08月13日 | ラディカルとリベラルの対話

『1960年頃、世界で一番かっこいい男がチェ・ゲバラだった』(ジョン・レノン)

「もし我々が空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者と言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、

“その通りだ!”」(チェ・ゲバラ)

(もちろん、二人が実際に会ったことはない)

キューバ革命の立役者であり、世界で一番愛されている革命家、チェ・ゲバラ。

彼が子供に宛てた手紙から。

「世界のどこかで不正が誰かに対して行われたら、それがどんなものであれ、心から深く悲しむことのできる人間になりなさい。

 それが革命家としてのもっとも美しい資質だ」

 

 

 ラディカルとリベラルの対話シリーズ森川文人弁護士からの返信です。

2014.12.4弁護士森川文人による、東京都知事選挙、鈴木たつお候補応援演説@杉並区役所前

 

 

 皆さんにとって「革命」とはどのようなイメージでしょうか。

 「少数派による武装蜂起」「非現実的な過激派」「結局は、全体主義的・ソ連的な官僚支配」・・・

 そんなところではないでしょうか?普通そうですよね。

 「革命」ほど体制から嫌われる発想ないし、また、「現体制の中から」の価値観から見た場合、それは必ず「非現実」的に映るはずだからです。

レーニンとロシア革命。

 

 

 ジョンレノンの『イマジン』じゃないけれども、「革命」とは「常に」未来、「常に」彼岸にある「理想郷」、「いま、ここにないもの」・・・それがせいぜいのプラス「イメージ」だと思います。

 こんな「夢想的」なものを口にするなんて、よほどの世間知らずか、世迷いごとか。

「イマドキ、流行んないよ・・・まさにイマジン(想像)じゃん。」

 つまり、21世紀の今「革命」を考えることは「現実的」ではない・・・・のか。戦争は「現実的」?  

 う〜ん・・・・ところで、「私たちにとってのリアル(現実)」とは何でしょうかねえ?

ジョン・レノン、「Imagine」。

 

 

 今、皆さんには守りたい「リアル(現実)」はあるでしょうか?

 この「戦争法案」の成立を止めれば、「とりあえずは(とりま!)よし(それな!)!」、ということになるのかな?

 「安倍政権」の前、さらには、2011年の「3.11」の前の現実=生活に「復興」したらオッケー、ということはないのではないかな?

 あの頃、既に拡大する非正規化・格差・生活保護受給率、実質賃金の下落等々、私たち99%の生活は追い詰められていたし、若者の展望は見いだせない状況にありました。

 社会の困りごとを扱う弁護士だからこそ、特に実感が強いのかもしれません。サラ金、首切り、離婚・・・諸矛盾満載でした、すでに。

 

1989年、冷戦の象徴、ベルリンの壁崩壊。

 

 

 率直に言って、私たちにとって「現実」は、私たちの目の前にある、そして、なんとなく他人には言いにくい「生きにくさ」であり、それは99%の人間にとっては、もはや普通に暮らすことが出来ないという「世界の矛盾」であり、そういうリアル(現実)な「矛盾」が、もはやメディアや教育を利用しても押しとどめることが出来ない位に溢れてきた、その「社会の本当の中身=矛盾・歪み」が、私たちの「現実」ではないでしょうか?

南アフリカ共和国のアパルトヘイトを打ち破った民衆とネルソン・マンデラ氏。

 

 

 「ラディカル」という言葉の意味は、「急進的」とか「過激」とか、という意味と共に、「根源的、根本的」というのがあります。私は、覆いを剥ぎ取って「現実」そのものを捉えるのがラディカルな視点だと思っています。

 すでに耐え難い「現実」=私たち99%の生活と未来の矛盾を丁寧に暴露し、自分たちに突きつけ、「時代認識」の共有を拡大していく、のがラディカル=根源的な発想、根本的に社会を見直す革命の発想です。

 「イメージ」みたいな「少数が暴力的に蜂起」(テロ?)しても成功するわけないもん、昔から。

大英帝国によるインドに対する植民地支配に非暴力抵抗主義で対抗し、ついに独立を勝ち取ったマハトマ・ガンジー。

「はじめに彼等は無視し、次に笑い、そして挑みかかるだろう。そうして我々は勝つのだ。」


 

 捉えるべきは、作られたイメージではなく、「現実」です。

 自由でリベラルな「イメージ」とラディカルな「リアル(現実)」。

 あなたは、「イメージ」の向こうの「リアル(現実)」を直視してますか?

アフリカ系アメリカ人の解放運動を進めたマーティン・ルーサー・キング牧師。

 

 

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8 コメント

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独り言ですが (佐藤)
2015-08-13 21:15:56
ゲバラもカストロも共産主義者ですが、私は生き方として好きです。
仮に同じ時代を共にできたのであれば、喜んで共産主義の道を進んだと思います。
それは
彼らが愛国者だったからです。
返信する
本源的なもの (洲蛇亜林)
2015-08-13 23:41:11
ゲバラはアルゼンチン出身でキューバ革命後はボリビア革命のために闘い、そこで没した訳だから革命家の呼称はピッタリとしても愛国者と呼ぶのはどうですかね。

まあ、昔から帝国主義や植民地支配を覆そうとする共産主義者は、自分たちを民族主義者とか愛国者と自称していたことは確かでしょうけどね。
日本でも、共産党が対米従属からの独立革命を唱えて自分たちを愛国者と呼び保守勢力などを売国奴呼ばわりして来た歴史があります。

これに対して右側もその真逆のことをやり始めたということで、結局のところ「愛国」とか「愛国者」「売国奴」とかいうのは自分たちを正当化して相手側を攻撃するための政治的用語に過ぎないと思うところです。

とは言え1972年チリのクーデターで悲劇的な最期を遂げたアジェンデの最後の演説なんか聞くと、そこには「愛国」「祖国」といった言葉がたくさん出てくるのですが、国を愛するということは究極的にはそこに暮らす貧しかったり苦しんでいたりする民衆を愛すること以外のものではないということが良く分かります。
国といい国家といいそれは2次的な造られたものであり、そこで生きる人間の方が1次的な本源であるような気がしますね。
返信する
Unknown (Unknown)
2015-08-14 04:15:19
なんでそんな時代に戻りたいのか、全く理解出来ない
就職率も自殺率も最悪の時代に
これだから現実を見れない理屈屋は困る
返信する
口だけなら楽でいい! (おおむらます)
2015-08-14 12:02:49
「愛国者」「売国奴」と人を批判するだけなら誰でも出来る。

私は、これまで自分が正しいと思うことは、批判を受けようが、法に触れようが行動に移してきた。
そして逃げること無く刑にも服してきました。
だから、右であろうが左であろうが、身を賭して行動してきた人物には一目おいている。

まあ、言うだけなら簡単で、誰にでも出来るから楽で良い(笑)

国を愛し行動したゲバラやカストロは私も尊敬しています。

返信する
そうだ、愛国に行こう (kei)
2015-08-14 18:13:25
郷土が栄える為には行動しているつもりですが、愛国というのは定義が漠然としていて何とも言えません。
国境なき医師団とか難民支援をしているNPOとか国連などの世界愛にはシンパシーを感じます。

それにしてもこの言葉は素敵ですね。

「世界のどこかで不正が誰かに対して行われたら、それがどんなものであれ、心から深く悲しむことのできる人間になりなさい。」

私は行動はラディカルにはなれませんが、そういう人の思想には触発されます。

方法論はリベラルで。小さなことからコツコツと。


返信する
遅れて読んで、少しがっかり (つるたまさひで)
2016-03-05 13:43:44
途中で終わってしまっているこの対話。ラディカルをめざすものとして、このラディカル弁護士の若さは微笑ましいのですが、やはりその底の浅さに少しがっかりましした。

ラディカルな社会変革が求められているのは間違いないと思うのですそうしなければ、地球全体が生き残れないか、さもなければ、いま以上に激しい野蛮な世界になりそうな状況です。

飢えて死ぬ子ども、戦争で殺される子どもがあとを絶たないだけでなく、増えているような状況で軍事産業は儲け続け、社会の絶望的な格差は広がりつつけています。

それへの対応は社会をラディカルに変革するしかないわけですが、森川さんのラディカルはあまりにも浅薄で、戦略を欠いています。もちろん、たった一つの正しい戦略など、出せない時代であり、意見の多様性を尊重し、お互いをリスペクトしながら、ラディカルな戦略を求めていくしかない中で、民主党も共産党もダメ、とか言っていて、どんなラディカルな変革を求めることができるのかと思います。

例えば、80年代前半に三里塚闘争をめぐる路線の違いから、意見の違う相手を恫喝して回り、殲滅すると言ってはばからないだけでなく、そのことを反省もしていない中核派が、いのちが大事だから戦争法案に反対とか言っても、何の説得力もないのです。

ラディカルな変革のプロセスそのものが希望の持てる未来社会とつながるような社会運動が求められているのです。意見の違う相手を罵倒したり、傷つけたりする社会に私たちは生きたくありません。

宮武弁護士が指摘しているように、現実を直視すると、そのようなラディカルな社会運動は多くの人々に見えるような形では存在していません。少くとも日本では。それでも、いまできることは何かを考え、現実の中で有効な答えを求めながら、日々、どうしたらいいのか考えて過ごしている仲間も少なくないと思います。

そして、そのプロセスは禁欲的にではなく、楽しいものとして形成していく必要があるのだと考えています。

ラディカルとして、この森川ラディカルの不甲斐なさに触発されて、つい書きなぐってしまいました。推敲も出来ていないし、ロシも明確ではないですが、とりあえずここまで。
返信する
追記 (つるたまさひで)
2016-03-05 15:30:13
さきほどの投稿の誤字を訂正したものを
http://tu-ta.at.webry.info/201603/article_1.html
に掲載しました。
返信する
追記2:ぼくが考えるラディカルとは? (つるたまさひで)
2016-03-22 14:24:10
http://tu-ta.at.webry.info/201602/article_3.html で紹介させてもらった、ラトゥーシュのような考え方なのではないかと思うのです。
返信する

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