九州交響楽団の「第九」コンサートに行ってきました。
第1楽章から第4楽章まであり、合唱団とソリストは、第3楽章からの登場でした。
第1~3楽章までは、ひたすら「へぇ~ 第九交響曲って、こんな曲だったんだ~」という感じでした。先日の西日本新聞に掲載されていた、ヴァイオリン首席の西本さんだったでしょうか、団員さんのインタビュー記事に(正確ではないのですが)「クラシックには、噛めば噛むほど味が出るスルメのような魅力がある。初めて聴いた時は5%くらいしか楽しめないかもしれない。でも次に聴いた時は50%くらい楽しめるはず」というような事が書かれていたのを思い出しました。
そして、第4楽章の「歓喜の歌」で、ヒューマンボイスが全てを持って行きました。合唱団もソリストも、ものすごーく良かった。最後の拍手が鳴りやまず、退場した指揮者とソリストが、何度も舞台に引き戻されていました。アンコール曲を用意されていなかったのは、開催する事自体が、ギリギリの判断だったからかもしれません…
じつは当初、疑問に思っていた事がありました… 出演者数を制限している中、なぜ遠方から「東京混声合唱団」を呼ぶのだろう… 歓喜の歌は「人類みな兄弟」と歌うのだから、プロオーケストラと一般市民が競演してこそ完成する、という解釈もある。それに、プロとアマでは何が違うのか… 伝説の「カルミナ・ブラーナ」や「千人の交響曲」は、市民合唱団だけで構成されていたはず… それではダメなのだろうか…
ところで、先月開催された「第27回・名曲午後のオーケストラ『新版こうもり』」は、市民合唱団のみで構成されていましたが、バリトンボイスに関しては、遜色ない位の声量がありました。ですが、ソプラノボイスに関しては、ソリストの方とは明らかに声量が違っていました。大人数で歌う事を前提としているため、合唱には本来、オペラ歌手のような声量は要求されないのかもしれません…
ですが、プロ合唱団は声量が違っておりました。マスクを着用したままでの合唱でしたが、それによるハンディなど感じさせないくらいの歌声が、ホール全体に響き渡っていました。今回は、人数を減らしての上演だったため、プロが入って下さる事は、合唱団にとって心強かったかもしれません…
一方で、今回の評判が良かったからといって、来年以降、さらに市民合唱団の出演枠を減らすような事はしないで欲しい、来年こそは大人数での合唱が見たい、とも思いました。