旅先の旅館で新教皇が選出されたニュースを聞いた。
ラッツィンガー枢機卿だと聞いて、やれやれ一安心だと思った。
BS2で見た限りでは、BBCやスペインのTV局はラッツィンガー嫌いの人々を中心にインタビューしていたが、もちろんみんながみんなラッツィンガー嫌いではなく、私のようにニコニコの人間もいるわけだし、多くの枢機卿が彼を選んだわけなので、そこのところは偏向した意見にどうぞ惑わされないように。
しかしベネディクト16世という名を選んだのも面白い。
彼とヨハネ・パウロ2世の考え方はピタリと一致していたというし、私も強くそう思っているが、ヨハネ・パウロ3世にしなかったのは賢明だと思う。
そもそもヨハネ・パウロという名前は、開かれた教会を目指すために教会も変わろうということで1962年の開会された「第二バチカン公会議」の主催者、教皇ヨハネ23世の「ヨハネ」と、1965年に閉会した時の教皇パウロ6世の「パウロ」の2つの名から取られたものだ。
その名をとったヨハネ・パウロ1世は在位が短く1ヶ月ほどだったが、前教皇はその考え方に同意しヨハネ・パウロ2世が誕生した。
ヨハネ・パウロという名前は革新的な公会議の精神を感じさせるものだ。
改革されて多くの良い実りはあったが、逆に公会議の精神を自分の勝手な理解で歪ませたりしてまう者が出てきたというマイナス点も、実はパウロ6世の時代から指摘されてきていた。そのためヨハネ・パウロ2世は革新だ、革新だという浮き足だった方向づけを戒め、行き過ぎた者に対しては本来のカトリックの教えに引き戻し、正しく第二バチカン公会議の精神を理解させるということのために力を入れなければならなかった。新教皇は教理省長官時代に、そのお目付役の仕事を一手に引き受け、あえて嫌われ者役を請け負い、ヨハネ・パウロ2世の右腕となっていた。
革新というイメージの強いヨハネ・パウロという名を継がず、また逆に第二バチカン公会議時代の前に逆戻りするかのようなイメージを与えてしまうピウスも継がず、もう少し前の時代であるが20世紀の困難な時代を切り抜けたベネディクト15世の名を引き継ぐというのはちょうど良かったのではないだろうか。
新聞は新教皇に超保守主義というタイトルをつけていたが、基本的に政策はヨハネ・パウロ2世時代の路線が続くはずだ。おかしなものでヨハネ・パウロ2世を超保守主義者と呼ぶ者はそれほど多くない。だったら、ベネディクト16世だって超保守主義ということはないのである。彼は教理省長官という立場から彼の仕事を行っていただけだ。立場が変わって教皇となれば、同じ路線で教皇の仕事をしていても、見え方はずいぶん変わってくるはずである。
女性司祭や司祭の結婚や同性愛問題や中絶問題、それらはヨハネ・パウロ2世時代の路線が続くだろう。ラッツィンガー枢機卿が教皇になったらカトリックをやめると息巻いていた人がいたが、状態が後退することはないから大丈夫だ、これまでどおりなのだ。冷たいようだが、やめるならもっと前にやめてしまっていたほうがよかったかもしれない。
ラッツィンガー枢機卿だと聞いて、やれやれ一安心だと思った。
BS2で見た限りでは、BBCやスペインのTV局はラッツィンガー嫌いの人々を中心にインタビューしていたが、もちろんみんながみんなラッツィンガー嫌いではなく、私のようにニコニコの人間もいるわけだし、多くの枢機卿が彼を選んだわけなので、そこのところは偏向した意見にどうぞ惑わされないように。
しかしベネディクト16世という名を選んだのも面白い。
彼とヨハネ・パウロ2世の考え方はピタリと一致していたというし、私も強くそう思っているが、ヨハネ・パウロ3世にしなかったのは賢明だと思う。
そもそもヨハネ・パウロという名前は、開かれた教会を目指すために教会も変わろうということで1962年の開会された「第二バチカン公会議」の主催者、教皇ヨハネ23世の「ヨハネ」と、1965年に閉会した時の教皇パウロ6世の「パウロ」の2つの名から取られたものだ。
その名をとったヨハネ・パウロ1世は在位が短く1ヶ月ほどだったが、前教皇はその考え方に同意しヨハネ・パウロ2世が誕生した。
ヨハネ・パウロという名前は革新的な公会議の精神を感じさせるものだ。
改革されて多くの良い実りはあったが、逆に公会議の精神を自分の勝手な理解で歪ませたりしてまう者が出てきたというマイナス点も、実はパウロ6世の時代から指摘されてきていた。そのためヨハネ・パウロ2世は革新だ、革新だという浮き足だった方向づけを戒め、行き過ぎた者に対しては本来のカトリックの教えに引き戻し、正しく第二バチカン公会議の精神を理解させるということのために力を入れなければならなかった。新教皇は教理省長官時代に、そのお目付役の仕事を一手に引き受け、あえて嫌われ者役を請け負い、ヨハネ・パウロ2世の右腕となっていた。
革新というイメージの強いヨハネ・パウロという名を継がず、また逆に第二バチカン公会議時代の前に逆戻りするかのようなイメージを与えてしまうピウスも継がず、もう少し前の時代であるが20世紀の困難な時代を切り抜けたベネディクト15世の名を引き継ぐというのはちょうど良かったのではないだろうか。
新聞は新教皇に超保守主義というタイトルをつけていたが、基本的に政策はヨハネ・パウロ2世時代の路線が続くはずだ。おかしなものでヨハネ・パウロ2世を超保守主義者と呼ぶ者はそれほど多くない。だったら、ベネディクト16世だって超保守主義ということはないのである。彼は教理省長官という立場から彼の仕事を行っていただけだ。立場が変わって教皇となれば、同じ路線で教皇の仕事をしていても、見え方はずいぶん変わってくるはずである。
女性司祭や司祭の結婚や同性愛問題や中絶問題、それらはヨハネ・パウロ2世時代の路線が続くだろう。ラッツィンガー枢機卿が教皇になったらカトリックをやめると息巻いていた人がいたが、状態が後退することはないから大丈夫だ、これまでどおりなのだ。冷たいようだが、やめるならもっと前にやめてしまっていたほうがよかったかもしれない。
これでカトリック狂会に未来はない!!
カトリック狂会は最低最悪の性的抑圧性差別的人権侵害宗教だ!!一日も早く非合法にして全世界から根絶すべしである!!
ドイツ人だからナチスだというのはあまりにも短絡的な発想だし、無知からきた発言ですね。
ラッツィンガーの父親は筋金入りのカトリックで警官でしたが、アンチナチズムのために早期に引退し、カトリックの多い地域に教皇が2才の時に引っ越ししたのですよ。
当時のドイツの法律では、青少年は例外なくヒトラー・ユーゲントに所属しなければならず、彼も14才で入会しました。
あなたの親とか親戚で親ナチスだったの日本国民小学校に通学するのを拒否した人でもいるのでしょうか? もしそうなら、謝りますが、普通はそんなことを拒否できる人などいないでしょう。
ラッツィンガーはヒトラー・ユーゲントに入会しましたが、小神学校に入会したためユーゲントの集会参加には不熱心だったし、あとからそれを認められもしています。
ドイツ軍に召集された時は、終戦直前に軍隊を脱走しています。
全ての国民がナチスに牛耳られている状況の中で、ドイツ人であればナチスのシンパだとするのはいかがなものかと思います。
それから、カトリックは性的抑圧などしていないと思いますよ。性というのは喜びともなるが、乱用すれば人を傷つけるものであると認識されているのです。性の喜びを分かち合うのは相手に対して責任を持てる婚姻の範囲以内に限定すべきという考えですが、もしやあなたは欲望を感じたらどんな相手とでもフリーセックスをすべきだと考えておられるのでしょうか?今は性の乱用が当たり前になっていますが、ほんの4,50年前までは、カトリックに限らず全世界でそういう考えは不道徳とされていました。もう一度性について考え直すべきだと思います。
性は乱用すれば人を傷つけ、人権侵害となりうるものです。人間に慎みは必要でしょう。
ご再考ください。
カトリック系のブログということで、無神論者の一般人の感想も聞いていただきたいと思い、TBさせていただきました。
私のブログで「ナチス青少年団」と書いたのは、経歴を紹介しただけで、批判したわけではありません。当時のドイツではナチスがすべてであり、強制されたものであることは存じております。
法王が変わっても教えが変わることはありませんが、私は解釈が変わることはありえるのではないかと思います。そういった意味で、社会に柔軟に対応することもあると思います。
このように接点のない者が意見を交換できるのは、ブログの醍醐味ですね。
貴重なご意見をお聞かせ頂き、ありがとうございました。