Felineの札幌の日々

カリグラフィーを忘れたカリグラファーangelic felineの怠惰な札幌生活。

ここで取り上げているのはマニアックな話

2008年05月21日 00時40分44秒 | Catholicism
┐(´д`)┌やれやれ、困っちゃうな。

特定宗教を持たない一般の日本人がここの書き込みなんかを見て、SSPX(聖ピオ10世会)の離教問題が、カトリック全体を揺るがせている大問題だと勘違いされたり、教会内の非常なホットな話題と勘違いされてしまっているようだ。

そうではないから。

カトリックのくせにSSPXを知らないのか! 

とか

カトリックは派閥争いの真っ最中だ



思いこんで、語っておられる方がいるのを見ると、責任感じちゃうな。

SSPX問題なんて知らない信徒のほうが多いだろうし、聞いたところで、自分たちとは関係ない遠い世界の話だと思っている人がほとんどだろう。
別に一般信徒が顔を合わせたら話題にするような話じゃないし、
SSPXシンパの数だって(特に日本では)たかがしれているし、
極めてマニアックな話題だと思う。

SSPXシンパだって、そうそう自分たちの違法なミサに人を誘わないし、勧誘するとしても脈がありそうな人をしっかりと見定めて選んでいるだろうから、いつの間にやらオルグされちゃったなんて心配はしなくても生きていける。

なんで私がこんなマイナーなことに首をつっこんでいるかと言えば
単に面白から。

キリスト教の教義が定義され発展してきたのは、古代から原因は決まっている。
異端や離教問題が発じたときだ。
異端や離教問題を解決しようと教父たちは議論し、教義は歴史をおって細かく定義されていった。
そういう議論にふれるのは、自分のなかでも曖昧だった点に気づき、神学理解が深まり、良い勉強になるのだ。
相手に反論しようとすれば、相手の誤謬を明らかにするため、何が正しいカトリックの理解かと考える。
たくさんの資料を当たって確認する。
神学のシロートにとってはまたとない勉強のチャンスになる。

SSPX問題はバチカンのお偉いさんが折衝を重ねて解決すればいい話だけど
あえて自分を巻き込んで首をつっこむ。

以前、好んで他教派のひとたちと掲示板でやりとりしたのも全く同じ理由だ。
議論によって双方の違いが浮き彫りにされ、カトリックの教理を振り返る機会になる。
そういう意味では、友好的に話してくれる人たちより、最初からアンチ・カトリックのスタンスでかみついてくる人たちのほうが、印象に残る率直なやりとりができたし、勉強になった。
もう何年もかけて十分にやったので、また同じようなけんか腰スタイルの議論はちょっとごめんだが。
時間をとられすぎるし。

だいたい私はカトリックのなかで、日陰者だしどちらかというと変わり者だ。
カトリックを代表するような人物ではさらさらない。

私が首をつっこんで語っているからって、これをカトリック信徒の一般的な姿とイメージされると大いに誤ることになる。

そこのところ十分注意してくださいね。

また苦肉の言い訳する知的生活の模倣氏 

2008年05月20日 21時13分45秒 | Catholicism
何にも書いていないのに、閲覧者数がのびるのは、他のブログから流れてこられる方が多いのかな?


5月19日付、知的生活の模倣氏の言い訳モード全開のブログは笑わせていただいた。
面白いので全文転載。
http://pius.xii.jp/diary/archives/57.html


論無き日記に反論は可能か
前回のエントリー(カストゥリョン・ホヨス枢機卿は繰り返す)に対して、あの Angelic Feline 氏からコメントが届いた。自分のブログで反論なるものを書いたようである。
いろいろやることがあったので放っておいたら、たった1日半で「はよレスせんか(ママ)」と催促があった。その当人は、私の質問に17日半も経ってから答えたことがあるのだが、そういうことは何とも思わないのであろうか。
そもそも、既にこちらは理由を挙げて「相手にしない」と宣言しているのだから、この理由がどうにかならない限り相手にするわけがない。宣言してからも5度に渡ってコメントが来たが、相手にせず全部削除した。それっきりになったので、「相手にしない」の意味を理解したのだろうと思っていたのだが、どうもそうではなかったらしい。
さて、反論と言われても、もとよりあのエントリーで何かを論じたつもりはない。私はカストゥリョン・ホヨス枢機卿の発言をただ紹介して、それと異なる意見を持つ人たちがどう向き合うのかに興味を示しただけである。
別にあちらを訪問する気もないので何に対してどう反論したか知らないが、かなり無理なことをしているのではないかと想像する。


自分は何も論じていないから、反論されても反論する必要ないのだそうだ。
それどころか受けた反論を見てないことにしたいらしい。
異なる意見の者ががどのように反応するのか「興味深い」と表明されているが、実のところ、その反応を見るのは恐怖を覚えるようだ。
おぬし、それでも日本男児か?
侍の魂はどこに行った?

論じていないと言いながら、5月15日の記事に
http://pius.xii.jp/diary/archives/56.html
「ホヨス枢機卿が…聖ピオ十世会について本当の離教ではないと話した。」という一つの見方を論じておられる。
「嘘だと思うなら調べてみたらいい。」とまでおっしゃっているのだ。

だからウソだと言うことを暴いてさしあげた。
「本当の離教」と訳すことには語弊があると指摘を受けながら、反論もしない(実はできない)し、誤りを認めず訂正しないのは言いっぱなしの無責任だ。
反論不能になると、コメントを削除し見なかったことにしてしまう知的模倣氏が、今度は自分のブログ以外の場所で削除ができないので「見てないぞ。見てないから反論もしない」と言い訳するのは、「らしい」と言えばらしい。
そんなに反論を受けるのが怖ければ、ブログなど公開せず、パソコンのMy Documentの中にでも書き付けておけばいいのに。

この人は以前にも、散々グダグダな意見を述べた後、自分は反論などしていないから反論になっていないと言われても困るし、指摘もしていなから論理矛盾と言われても困るなどと言い、必死に逃げていた。
彼が言うangelic felineに反論しない理由とは、まともな理由になっていない。
彼のブログの1月23日の記事内に書かれた1月31日付のコメントにこうある。

「反論になっていないものを反論であると、指摘もしていない論理矛盾を指摘したと言い張るあなたには無駄な気がします。また、あなたのことを直接間接に知る人たちから話を聞いて、その確信を強めました。
邪推や勘違いの類はある程度仕方のないことですが、妄想には付き合えません。今度投稿するときは、病気を治してからにして下さい。それまでお大事に。」

だそうだ。

知的模倣氏はまだ何も反論していないのにAngelic Felineに反論だと強弁されたので、angelic felineを病気と見なし相手にしないことにしたのだそうだ。
私が書いたのは、あれは反論だと思ったがまだ反論されていないなら準備が整いしだい反論してくださいという極めて穏やかな促しだったのだが。
いったいどちらが病気で、どちらが妄想なんだか?
ともかく彼は理屈をつけ、私を一切相手にしていないと虚勢を張り必死でメンツを保とうとしているようである。
SSPXを弁明するすると言いつつ、何ヶ月も弁明できていない。まだ何も反論はしていないと必死で自己弁護する時間があるなら、SSPXを弁護すればいいじゃないか。
弁明しない言い訳や私に反論しない理由をクダクダ書くより、よほどそちらに時間をかけたほうが有意義だと思うが。

金田さんも知的模倣氏に今回のことで反論されこちらの記事にトラックバックされているが、知的模倣氏はここを読んでいないフリしてシカトされているようなので、念のためにあとで金田さんの記事のことをお知らせしておこう。
http://defencecatho.seesaa.net/article/97165255.html
彼は金田さんにもおそらく反論はできまい。
今度はなんと言い訳されるのか興味深い。

Cardinal Hoyosはschismaticと言っている。

2008年05月19日 00時00分37秒 | Catholicism
オジョス枢機卿は5月16日にブラジルのアパレシーダで、ラテンアメリカの司教たちに対し、エクレジア・デイ委員会の長としてステートメントを発表している。
http://rorate-caeli.blogspot.com/2007/05/aparecida-notes-urgent-news-castrilln.html
スペイン語の原文はみつからなかったが、上記ブログに英訳があったので使わせてもらった。

SSPXに関して述べられているところを部分的に拾ってみる。


Nowadays, the activity of the Commission is not limited to the service of those faithful who, at that time, wished to remain in full communion with the Church, nor to the efforts made to put an end to the painful schismatic situation and to attain the return of these brothers of the Saint Pius X fraternity to full communion.
最近の委員会の活動は、当時教会と完全な一致を保ちたいと願った信徒の世話をすることや、聖ピオ10世兄弟会の兄弟たちの痛々しい離教状況を終わらせ完全な一致に戻らせることに限定されていない。


Undoubtedly, the most important effort, which concerns the entire Church, is the search for an end to the schismatic action and to rebuild the full communion, without ambiguities.
疑いなく教会全体に関わるもっとも重要な仕事は、離教行為を終わらせ、不明確な点を残さずに、完全一致を再建することだ。

*******************
離教状況、離教行為とSSPXのことが言及されている。

「本当の離教ではない」のなら、知的生活の模倣さん、なぜこのようにHoyos枢機卿がおっしゃるのか、「忙しい」「怠慢だった」という言い訳はいいから、たまにはあなたのほうでも答えてみてください。

formal schism -本当の離教?

2008年05月17日 15時43分59秒 | Catholicism
前にも取り上げた「知的生活の模倣日記」氏のブログに、また楽しい記述を発見してしまった。
http://pius.xii.jp/diary/archives/56.html
最近、エクレジア・デイ委員会のカストゥリョン・ホヨス枢機卿が、イタリアのとあるカトリック雑誌のインタビューに応じ、その中で聖ピオ十世会について本当の離教ではないと話した。今回だけでなく、枢機卿は4年前から少なくとも5回は同趣旨の発言を繰り返している。嘘だと思うなら調べてみたらいい。


本物の離教じゃないんだって。w
離教的行為のためにトップは破門され、全員が聖職停止を食らっているSSPX(聖ピオ10世会)について、エクレジア・デイ委員会の委員長であるカストリジョン・オジョス(←中米育ちなもんでわたしゃこうとしか発音できん)枢機卿が「本物の離教ではない」などと言うだろうか?

言うわけない。

オジョス枢機卿は、英語でいえばthey are not in formal schismとおしゃったのであろう。
知的模倣氏はこのformalを「本当の」とお訳しになったようである。

ところが残念でした。

schism(離教)にはformal schism (形相的離教)とmaterial schism(質料的離教)があるのだ。
SSPXのおかれている立場について尋ねられたオジョス枢機卿は、ご自分がSSPXとの折衝を担当しているため、あからさまに相手方を罵倒したり否定するような言い方をされるわけがない。
形相的離教とは何か…
こちらのページのコメント欄に、米国のcanwetalk?氏が書いておられる:
Posted by: canwetalk? - Jul. 13, 2007 9:33 AM ET USA
When Card. Hoyos says that members of the SSPX are not in formal schism he is, in a polite way, saying they are ignorant. To be in formal schism would mean intending to be in schism!
(拙訳)オジョス枢機卿がSSPXのメンバーがフォーマル・スキズムにないとおっしゃるのは、礼儀正しい言い方で彼らが無知だと言ってるのです。形相的離教とは意図的に離教することです。


氏はさらに続けられる。

Posted by: canwetalk? - Jul. 13, 2007 12:10 PM ET USA
Altarboy, I know the difference between formal schism and material schism. The same for formal and material heresy. One can be in error and not know it, which is why Christ left the Pope in charge of his Church and gave him compete authority in these matters. Schism and heresy occur when individuals think they know better than the Pope and disobey him. The SSPX will be in error until they understand how the Church functions. They need to read what Vat 1 taught about the primacy of the Pope.
(拙訳)
アルターボーイ(侍者)さん、形相的離教と質料的離教に違いがあることを知っています。また形相的異端と質料的異端の違いも。人は自分が誤っていることに気づかないことがあります。だからキリストは彼の教会を教皇に委託し、これらの問題について完全な権能を与えたのです。自分たちのほうが教皇よりもよく知っていると思い、不従順になるときに人は離教や異端に陥るものです。教会がどのように機能しているか理解するまでSSPX誤ったままでしょう。第一バチカン公会議が教皇の首位性についてなんと教えているか、SSPXは読むべきです。


金田一輝さんもブログ「カトリックの擁護」でさらにわかりやすく、形相的異端と質料的異端の違いについて書いておられる。氏が訳されたところを一部引用する。
http://defencecatho.seesaa.net/article/82642157.html
[質料的異端(HERESY,MATERIAL)]
無知の結果である、あるいは執拗な意志を伴わない異端。例えば、自らが真の宗教ではないと決して疑ってこなかったプロテスタントの「異端」がそれである。「異端」者の心理において、誤った立場にあるという疑念がない限りは、罪はない。質料的異端とは反対に、形相的異端は啓示された真理の意識的な否定もしくは疑いである。
Donald Attwater ed."A Catholic Dictionary",TAN Books,1958


異端と離教の違いはあるが、読み替えれば明らかだろう。無知によって離教に陥っているのが質料的離教だ。

"not in formal schism"の意味は、SSPXは形相的離教ではない、質料的な離教なのだとおっしゃているのである。
オジョス枢機卿は折衝係の立場として、SSPXと話し合えば彼らの間違いを認識させることができ、一致を目指すことができると希望を込めて語っておられるのであり、「本当の離教ではない」とSSPXの都合のいい論理をサポートしておられるわけではないのだ。

詭弁を弄するのはやめ、聖伝のなかにこれまで教皇様に逆らった真のカトリック信者がいるかどうか考えるよう、知的模倣氏にはしっかりと教会史を見つめ直すことをおすすめする。

読みづらい飾り文字

2008年05月12日 00時03分27秒 | Calligraphy
今日はカトリックの「聖霊降臨の主日」。

教会で配られたパンフレット「聖書と典礼」の表紙は、久しぶりに文字入りの写本だった。
出典はフィテロのシトー会修道院ミサ典礼書 スペイン パンプローナ議事堂 12世紀。

一番大きな飾り文字DはいわゆるHistoriated Letter(文字のなかに人物が描かれる)で、鳩の形をした聖霊が、聖母マリアと使徒たちの上に降りてきたところだ。

ずっと読んでいって、はた、とつまづいたのが赤で描かれた次のヴァーサルのイニシャルだった。
これ、何?
Oのようだが、右側だけ二重になっているように見える。
続く小文字から単語を推測しようとしたがvnaと続き、nの上には略記号がある。
Ovnaというラテン語はなさそうだし…と考える。

やっぱりこれM? 
12世紀のコンプレスト体で書く大文字のMの形に似ているといえば似ている。いびつだけど。
でもMvnaなんて単語はあるだろうか。

他の読める単語をぐぐってようやく確認できた。
やはりMで、単語はMuneraだった。
vとuはこの時代、同一と認識されていたのでvが使われ、略記号はerの代わりに使われていた。
トリエントミサの聖霊降臨の日の「密誦」secretaに当たる部分のようだ。

こういうMの形は読みづらいので自分の作品づくりで真似はできないが、謎解きとして読む分には楽しい。