Felineの札幌の日々

カリグラフィーを忘れたカリグラファーangelic felineの怠惰な札幌生活。

メルカトール図法のメルカトール

2008年10月28日 10時29分59秒 | Calligraphy
むかし地理の授業で、地図の描き方の一つとして「メルカトール図法」というのを習った。

そのメルカトールさん(Gerard Mercator)は16世紀のベルギー人で、実は地図学だけでなく、名だたるカリグラファーとしても有名だったらしい。
彼の地図に書かれるイタリック体の文字は、みずから真鍮の板に彫ったもので、彫版の技術にも優れていた。もともと地図製作には彫版工として参加していたらしい。

イタリックの文字の大家といえばアリギ(Ludovico Vincentino degli Arrighi)の木版刷りのお手本が有名だが、本人が彫っているわけではないので、本来やわらかく優美なはずのイタリック体が、角張った堅いものになってしまっている。

メルカトールの場合は、文字に熟知した自らが彫っているので、そういう問題がない。写真のように、特に大文字のHIBERNICUMの文字は伸びやかで大胆でとても美しい。

それから、地図をATLASと最初に呼ぶようになったのはこの人だそうだ。



多少かたちは近づいてきたものの

2008年10月27日 15時48分17秒 | Calligraphy
…まだお手本のようにうまく書けない。

それでも夫はこの書体が好きなようで、ちらりと見て、珍しくキレイだと言った。
夫にとってカリグラフィーとは、読めない文字のことだそうで「この文字ボクにも読める。読めるからカリグラフィーじゃないだろ。」ととんでもないことをのたまった。


カッパープレートに関する本ってあまり持っていなかったなぁ、買うなら円高のうちにと思い、米amazonやサイバー古本店をあれこれ探し回ったら欲が出て、一気に買い物してしまった。

”Penmanship of the Xvi, XVII and Xviiith Centuries”  Lewis Foreman Day
”Alphabets and Ornaments” Ernst Lehner
"Universal Penman (Picture Archives)" George Bickham
”Calligraphy (Calligraphia Latina)” Johann Schwandner

ほかにも1948年に限定版で950冊しか出なかったすごく良さそうな本がある。それも一冊欲しいんだけど、古書店の最低価格で65ドルする。配送料も加えれば8,9千円になるので、二の足を踏んでいる。それでも英amazonだと2万円(£100)する本なので、かなりのお買い得ではあるのだが。

最近なにかと物入りで、給料日がきたばかりなのにすでに大赤字で生活しているので、さすがに上の4冊も家計から出せない状態。やっぱり我慢しようか。

魅力的な19世紀英国のステンドグラス

2008年10月22日 22時27分20秒 | Miscellaneous
二週間ほど前、那須に遊びに行ってきた。
それ以来、熱に浮かされたように教会のステンドグラスの美しさのことばかり考えている。

二回目の訪問だが、那須ステンドグラス美術館で19世紀末から20世紀初頭にかけてのステンドグラスを見てきた。

ロマンチック好きの女性をあからさまにターゲットにしている教会風の建物は、カトリック信徒から見るとインチキっぽく感じるところはあるが、それを割り引いても、展示品のステンドグラスは素晴らしい。
使われなくなった教会のステンドグラスを、そのまま運んできたものだ。

90年代、伊勢丹美術館が企画展示していたラファエル前派に夢中になったクチなので、エドワード・バーン・ジョーンズがデザインし、ウィリアム・モリスが制作したステンドグラスは好きだ。
那須ステンドグラス美術館にあるものも、ラファエル前派風の洗練されたデザインが多く、もろツボにはまった。

英国ではラファエル前派以外にもステンドグラスが盛んだったのだろうかと調べたら、1830年代からブームになったようだ。その背景には、オックスフォード運動があった。英国国教会の信徒が、もっとローマカトリックを見直そうとした運動で、その結果ニューマン枢機卿らをはじめ数百人の聖職者がカトリックに改宗している。聖職者だけでなく、アーツ・アンド・クラフツ運動の芸術家たちもカトリシズムを愛した。たとえばディッチリングという村で共同生活を営み、信仰と手作りの芸術を生かした生活品を作る静かな生活を送っている。

改宗しなくてもカトリック的な装飾美を求める雰囲気が英国教会内にでき、結果、多くのステンドグラスで教会の窓が飾られた。

ステンドグラスの技術は英国内にとどまらず、オーストラリアや米国、カナダなどブームになったようである。

そして意外なことに、米国で、そのわざが受け継がれているようである。
非常に多くのステンドグラス工房が宗教的な作品を作っているようだ。

たとえばボヴァール工房など
http://www.bovardstudio.com/gallery/traditional.aspx
まずはギャラリーを見て欲しい。

これまた意外なことに、依頼主を見てみるとペンテコステ派や長老派の教会などもあるのだ。
カトリックや聖公会だけのものではないらしい。

改めて思うが、なぜ日本のカトリック教会はこのような素晴らしいステンドグラスを導入しようとしないのだろう。プロテスタント教会でさえ米国では使っているというのに。
ステンドグラス美術館でさえ、ステンドグラスがあることで、なにか心が改まるようなものを感じることができた。光の宗教画は、人を沈黙させる。
社交場か集会場のような雰囲気の聖堂をなんとかしてくれるものがあるとすれば、これじゃないだろうかと思った。


(写真は英国のステンドグラス・ミュージアムのサイト
http://www.stainedglassmuseum.com/collections/801501g.htm から。)

カッパープレートは大文字の練習

2008年10月22日 11時16分55秒 | Calligraphy
カッパープレートは大文字に練習に入っています。

先のとがったペン先を使用するのは初めてなので、いまだに小文字のほうもおぼつかず、Oの形が悪いとご指摘を受けたりします。
大文字はさらに難しい。

カッパープレートのクラスは来期に延長されるようなので、まぁじっくり形を身につけ、それからフローリッシングをマスターせよということなんでしょうか。私は来期受けられないんですが、今習っていることを忘れないようにしないと。

訳してみようかな

2008年10月20日 19時05分36秒 | Catholicism
一つの趣味をやっていると、実際にその練習に打ち込んでいる時間ばかりではないのに、いつも心がそれに縛られていて、何か新しいことをする足かせになる。

でも少し前から、ある本を訳してみようかな、いや、もしかしたら天から与えられたミッションかもしれない、訳すべきだという思いが湧いてきている。
カリグラフィーを始める前には、翻訳学校に通っていたこともあったので、翻訳は私にとってそれほど唐突なものでもない。文才がないからと諦めてしまったが、やる気と天の助けさえあれば、できないこともないような気がする。
来年はじめ手術の予定があるので、カリグラフィーは1学期休む。その間に訳し始め、のってきたらそのまま翻訳のほうに腰を入れてやってみてもいいんじゃないかと思い始めている。
一番大切にしてきたカリグラフィーを休むのは、ここ9年間ちょっと想像がつかなかったが、そろそろ少し休みをとっても良いような気までしている。

それはamazonで4年前にレビューを書いたカトリックの終末論にかかわる本だ。
この本をいろんな掲示板や、SNSでも、しきりに読むようにと紹介してきたのだが、これまでまともな反応はない。たぶん、紹介されても500ページのペーパーバックを読もうと思う人は少ないのかもしれない。

ちまたではスコット・ハーンの『子羊の晩餐』が邦訳され話題になっているようだが、この本は『子羊の晩餐』よりさらに黙示録を細かく解き明かしているので読者はビックリするはずだ。『ヨハネの黙示録』やマタイ伝の小黙示と言われる24章やダニエル書を、ひとつひとつ単語ごとに対応するほど解釈している。
最初、解き明かされたときは衝撃だった。
あの難解な黙示録を解き明かしてしまうなんて、この著者の考えに過ぎないのだろうか、それとも本当に教父たちはこのように理解していたのか、きちんと調べなければ判断を下せないと思った。
参考文献目録にのっている教父文書をすべて調べるのはもちろん無理だが、いくつかひろって調べてみたら、本のとおりだったのでまた驚いた。

世のセンセーショナルなトンデモ本は、黙示録を未来予想図としておどろおどろしく紹介するのが常だが、実は1世紀におきた出来事とすべて対応する。つまり黙示録の著者ヨハネは、自分の生きている時代に起こっていることとして書いていることがわかる。

表紙がダサイせいか、タイトルがまずかったせいか、紹介しても読んでくれる人がいないようだが、もっと読まれるべき本だ。黙示録の解説本が少なく、あってもほとんどベールに包まれたままの本しかない日本においては、この本は読まれるべきだと思う。他に訳してくれる人がいるなら結構だが、いないなら自分がこの500ページを訳そう思うのは、思い上がりだろうか。

出版業界のことに疎いのでよくわからないが、訳すだけ訳して出版してくれるところがみつけてみようかとぼんやりと考えている。

Rapture: The End-Times Error That Leaves the Bible Behind