Felineの札幌の日々

カリグラフィーを忘れたカリグラファーangelic felineの怠惰な札幌生活。

うるさいオリンピック観戦

2008年08月21日 09時23分36秒 | Miscellaneous
ボルト速い。
ジャマイカにもすごい選手っていたんだ。
世界陸上で通訳のバイトしたとき、ジャマイカの監督から旗のバッジをもらったけど、邪魔になったんで捨てたんだよな。とっておけば良かったかな。

ここのところサッカーだソフトボールだ野球だと、普段スポーツなど観ない夫がオリンピックだからという理由でテレビを観ているが、うるさくてかなわない。

「何やってんだ、違うだろ」「監督、はやく選手代えろ」と罵倒している。
応援ではなく罵倒なのだ。
球技はほとんどやったことがない人なんで、内容はほぼピントがはずれたことばかり。
サッカー選手が後ろの仲間にボールを蹴ると「なんで後ろに蹴るんだよ?!」とどなってるが、あれはパスまわしというものじゃないの? 安全なところにボールをパスして、どう責めようか考えているんでしょ。
縦パスが敵にとられると「なんで敵に渡すんだよ?!」とどなってるが、縦パスは多少のリスクが伴うものでしょ。いちいちカリカリするな。
ソフトボールでは2試合連続投げ続けている投手にむかって「なんでピッチャーを代えないんだ?」とどなる。他に勝てるピッチャーがいないから交代させないんでしょ。
なんで自分の国の選手たちを、もっと暖かい目でみてあげられないのかね。

しまいには「ああ、観ているとイライラする!」と発狂しそうになっているので
「オリンピック観ないほうが体のためにいいんじゃない?」とたしなめるが
正直言うと、イライラしながら的はずれなコメントをシャウトする夫の姿を観てると、私のほうがイライラしてくるからやめてほしい。

実家にいるときはスポーツ番組のハシゴで一日中テレビにしがみついてる父親が別の意味でうるさかったけど、スポーツ音痴の人がたまにスポーツを観てるというのもウザイもんだなぁ。
もうオリンピック終わってもいいよ。

何十年ぶりのかの再会

2008年08月19日 15時06分02秒 | Miscellaneous
もう先月の話です。
昔の知り合いと再会していたのに、なかなか気づかないこともあるのですね。

中米のコスタリカに同じ時期に住んでいた知り合いと、紋章学入門のクラスを一緒に受講していました。
6回目の授業まで、クラスメートとしてふつうにお話ししていたのに気づかず、先生がその方の名前を呼ばれた瞬間「もしや、あのMさん?」とふとン十年前のMさんの顔と目の前にいるMさんの顔が結びつきました。

お尋ねするとコスタリカにいたMさんだと判明。
こちらも旧姓でフルネームを名乗ったんですが
「わからない。覚えていない」と言われてしまって、そちらのほうがびっくりでした。

そうだ。海外駐在の日本人って、互いを「○○会社のXXさん」と社名で認識しているんだった、と思い出し、慌てて父の勤め先を言ったんですが、まだ怪訝な顔。
そんなはずない。
Mさんとは家族ぐるみで親しくさせてもらっていて、週末カントリークラブで一緒に過ごしたり、お宅にも何度もおじゃましているし、アーモンドのクッキーの作り方まで教えてもらったことだってあったのに…。
それに今でもMさんの誕生日だって覚えている。
と思ったけど、無理もありません。
私、小学生だったんですから。目の前にいきなりおばさんが出てきて名前を名乗ったって、昔のラモナちゃんとすぐに結びつくわけないですね。
やっとわかってくれて、一安心。

母と同じ年代の人がいつのまにやら同じ趣味を習うクラスメートになっているなんて、時間がたったものだな、と思います。
気づかないところで、昔の知り合いに再会していることって、たくさんあるのかもしれないですね。

紋章の下書きにモットーとマントリング

2008年08月18日 18時24分37秒 | Calligraphy
紋章の盾持ちとしてアレキサンドリアの聖カタリナを描く練習をしたところ、あまりの酷さに我ながら絶句し、早々に描くのを諦めてしまった。
こういうのは普段から練習を積んでおかないと、できないものですね。

人物像を描くといっても、目の前にモデルがいるわけでもなく、いろんな絵を参考にしたり、想像で描いたりしたのだが、現代の画家って聖人や天使を描くときにいったいどうやっているのだろう?
長い衣のヒダなんぞ、いくら考えても限界があるだろうし。
シーツでも体の回りに巻いて、鏡を見るのだろうか?
コツが知りたいな。というか、もう何年も前から描き方のコツがある参考書を探しているんだけど、そういう都合の良い本ってみつからない。

聖ゲオルギウスや洗礼者ヨハネを描いたことがあるが、あの時からまったく進歩していないどころか、後退している。
とても作品には描き込めない。

盾持ちを描かない方法として、マントリングで埋めることにした。
マントリングとはいわゆるマント。
騎士がカブトの上にかぶっているマントのことだが、戦いの中で相手の剣があたってぼろぼろになるほど勇敢さを誇れるため、紋章ではマントは葉っぱのようなリボンのようなギザギザの形で装飾的に描かれる。
これで盾のまわりを埋めることにした。

そして盾の上や下に個人のモットーがあれば入れるのが習わしである。

私のモットーは、カリグラフィーによって、写本制作に携わってきたカトリックの先人たちとつながりを実感していることを表現したい思っていた。
ところがなかなか言葉になりにくい。
Writing unites me to Thy servants. とか
(Through writing,) united with the believers of all times.とか考えてみたが、長たらしいし、いまいち言葉のセンスがない。

もっと短く簡潔なモットーにならないものか…と思いつつ、何でこんなに語感が悪いのだろうと思ったら、表現以前に考え方がずれているせいだと気がついた。
写字室でひたすら宗教書を書き写していた修道士たちは、その仕事を神に捧げようと、心が神に向いている。
ところが私がモットーで表現しようとしていることは、神に心が向かっているのではなく、人間のほうに関心が向かうものとなっているからだろう。
書くことが信仰的な行為そのものだった者たちと、信仰的な行為とはいえない私の間にはあきらかに距離があった。
悲しいけど、現状では仕方がないな。
教会に求められさえすれば、喜んで書くことをお捧げする気持ちはあるんだけど、要請ないし。

というわけで、上記の考えをモットーにするのも諦めた。

第二候補にしていたのはFides et Ratio「信仰と理性」だ。
どっかで聞いたタイトルだけど。(笑)
信仰も理性もどちらも神からいただいた恵みであり、大切にしていきたいという思いを込めることにした。

Fiat Voluntas Tua (御旨のとおりに)というのも考えるには考えたが、最近のヘタレな信仰ではウソになりそうなのでやめておいた。
負担になりすぎるモットーというのも辛いので。

モットーを書き込んだスクロールの形は、もう少し検討を要する課題として残った。

自分の紋章を制作開始

2008年08月18日 00時14分37秒 | Calligraphy
数日前から、紋章の制作にとりかかっている。
なかなかアイディアがまとまらない。

むかし飼っていたミケ猫を盾持ちに描き入れたいというところからスタートした。
盾持ち(サポーター)とは、紋章を両側から支える役割を果たすもので、よく使われるのはライオン、熊、ドラゴン、グリフィンなどの勇ましい動物や想像上の生き物が多い。

ただ西洋紋章学のうるさいルールを言えば、盾持ちをつけるのは、貴族などの格式のある家柄に限られる。
さいわいうちの場合、ダンナの母方まで入れれば上杉謙信の血縁なので条件はクリアできる。
それで考えたのは盾を四分割にし、ダンナと私のそれぞれ父方、母方の家紋4つを組み合わせるというものだった。

ところがダンナにうちの家紋(つまりダンナの父方の家紋)を訊いても
「わかんない」とか「梅鉢だろ」と非常に曖昧で投げやりな回答しか得られなかった。
ダンナの母に尋ねても「梅鉢じゃないかしら」と言う。
義父は口をつぐんでいる。
だが絶対に梅鉢ではないのだ。
墓石に家紋がついていたのをわたしは見た記憶がある。
梅鉢ではなかった。
なぜわかるかって? 私の実家の家紋が梅鉢だからだ。梅鉢はよく知っている。
探したらお墓参りの写真が出てきたので、なんとか確認しようとしたが、どうやら「五瓜に五枚唐花」というものじゃないかと思われた。だが、ハッキリとは映っていないのでなんとも言い難い。
自分ん家の家紋を知らない人たちってサイテー、文化度低すぎ、となんだか腹立たしくてやる気がそがれてしまった。

もう一つ難関はダンナの母方の家紋があまりにも難しいこと。
「巴九曜紋」といって、三つ巴を1つ描くだけでもたいへんそうなのに、大きな巴の周りに小さな巴が8つもあるのだ。
こんな複雑なの描けない…。というわけで盾の四分割案は頓挫した。


次に猫を盾持ちではなく、盾のなかのデザインにするという方向で考え始めた。
私のハンドルにちなんで猫に羽をつけ、さらに羽ペンを持たせることで、カリグラファーという職業の紋章にしようと考えたのが、写真のような図である。
(職業の紋章なら家柄に関係なく盾持ちをおくことが可能なのだ)
マンガチックで怒られちゃうかな…。

猫は伝統的に紋章では嫌われ、めったに使われなかった動物だ。
Katzenなんとかという、もろ名前に猫がついた家でも、豹にした例があるくらいだ。
でも現代では、猫が嫌われるということもないだろうし、他の人とかぶりにくいので、むしろ積極的に猫の紋章を作ってもいいんじゃないかと思った。

今悩みの一つは、盾の中が猫だと、盾持ちまで猫というのはクドすぎるんじゃないかということ。
猫をやめて、私と縁の深い「大天使ガブリエル」と、カリグラファーおよび護教家の保護聖人でもある「アレキサンドリアの聖カタリナ」を盾持ちにしようかと考えている。
でも聖人と天使を盾持ちにお使い立てするのは畏れ多すぎるだろうか。
また先生に笑われそうな気がするんだけど、聖人像を描けるものなら描いてみたい願望もあり…。

カブトは勇ましすぎるので描きたくはないが、カブトに伴う葉模様の美しいマントリングもなくなるわけだから、やっぱり描き入れようか。
カブトの上に王冠も描いたら欲張りすぎだろうか。

考えているとあれもこれもと、描く実力もないくせにやりたいことが広がっていく。
またお絵かきの練習になりそうだ。

夏休み中

2008年08月13日 22時04分26秒 | Calligraphy
作品展も無事終わり、見に来てくださった方々、どうもありがとうございました。

搬入当日まで細かいところの修正をしていたためか、作品展がスタートしてから反動で気が抜けたようになっております。
今日になって、ようやく力が戻ってきたような…。

せっかくカリグラフィースクールも夏休みなので、前からやりたいと思いながら、実行しなかったことでもやろうとペンを握りました。

やりたかったことその1.
今まで歴史的な書体の書き方を「習う」のが当たり前になっていましたが、教えられていない書体を自分で分析し、書いてみることをやってみたかったのです。
前から目をつけていたのがベネヴェンタン書体。
8世紀から南イタリアのモンテカッシーノ修道院を中心に書かれ、12世紀頃に隆盛を迎えた書体です。
この時期ヨーロッパの他の地域ではカロリン体が盛んでしたが、南イタリアやダルマシアあたりでよく書かれたこの書体は、カロリンにも特徴が似ていながら、それより前の時代のルクソイユ体などの特徴も含まれ、一見すると読みやすそうなのに、読んでみると読みにくかったりするXハイトの低い文字です。

自分の持っている知識を総動員すれば、書き方を習わなくてもわかるんじゃないかと、ひと文字ごと考えながら書いてみました。

写本を分析しながら書くって面白い!
書家によって多少特徴があるので、書き方も一通りではないかもしれないですが、こんな風にペンを動かしているんじゃないかとあれこれやってみながら書くと、ふだん使っていない脳の部分が使われているようで気持ちがいいです。

結論的には、こういう書き順やペン運びはしないだろうという固定観念を裏切るような点がいくつかありました。

でもどうでしょう。写真の左上に貼り付けているのが写本の文字。
方眼紙に書いているのが私の文字ですが、かなり近い感じになっているでしょうか。

同じクラスの友人たちは、今日、フランス国立図書館での写本研究旅行に旅立っているはずですが(ああ、羨ましい)、こんな風に自宅で勉強できることもあるので、また時々やってみようと思います。
練習を重ねてベネヴェント書体を使った作品づくりも、そのうち実現させたいと思っています。