Felineの札幌の日々

カリグラフィーを忘れたカリグラファーangelic felineの怠惰な札幌生活。

教皇がイスラムを悪・残酷と語ったという報道

2006年09月16日 14時51分09秒 | Calligraphy
ベネディクト16世が母国ドイツのレーゲンスブルク大学で行った講演がイスラム批判に当たり、イスラム教徒からの批判が相次いでいるとメディアが報じている。
だが、スピーチを読む限り、教皇にイスラム批判の意図はないように思われる。
またもや日本のメディアの歪めた報道で、多くの人が誤解しているようなので、ことの顛末を少し解説してみた。

以下は昨日、掲示板に投稿した文章。
_______________________________________

教皇様のスピーチ(英文):
http://www.zenit.org/english/visualizza.phtml?sid=94748

前半しか読んでいませんが、教皇様はイスラム批判をするのが目的だったとは思えません。
Theodore Khoury 教授の本に出ていた14世紀の東ローマ皇帝マヌエル2世とペルシャの知識人たちとの対話に触れているものですね。
「モハメッドが新しくもたらしたものは何か。悪と残酷ではないか。たとえば剣によって自分の言葉を広めろと命じたことだ。」というのが出てきますが、これは教皇ご自身の考えではなく、マヌエル2世の言葉を引用した部分です。

皇帝は、対話のなかで宗教と暴力、つまり強制的に改宗させるのは神の理性的な面に反するから間違いだと指摘し、剣による宣教に反対したということを述べていますが、教皇がこの話を出してきたのは、イスラム批判を目的にしているという感じは受けませんでした。
というのも、イスラム教のスーラ2:256を引用し、そこに宗教は強制してはならないと書いてあると皇帝も知っていたのだろうとも述べているので、イスラムの根本的な部分を批判する意図がないと思われます。

イスラムの神のとらえ方が、絶対的な超越者であること、つまり神自身の言葉にさえ神は縛られない、理性にさえ縛られない存在だとは言っていますが、私はそのものずばりを述べただけで強い批判の気持ちというのは感じませんでした。
全体を通して教皇が言いたいことは、イスラムが悪いということではなく、あくまでも宗教に強制があってはならないという一般論じゃないでしょうか。

しかし、イスラム教徒は寛容な人ばかりと限りません。原理主義的で戦闘的なイスラム信徒が聞けば、批判されたと怒るでしょう。こういうことは言わないに越したことはないと思います。もう少し配慮すべきだったでしょう。