楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第11回2月11日(1日目)その1

2012年02月26日 | 第11期楽健法セラピスト講座
2/11 13:02 講義「どうだん」



(宥厳先生)おはようございます。
(一同)おはようございます。
(宥厳先生)えーっと、今回はちょっと西澤さんがインフルエンザにかかってお休みです。それで、熱は下がったらしいんですけど、まだ菌を振りまいている状態らしくて、それで新幹線に乗ってこっちまで来る間に何百人もの人にインフルエンザを感染させる可能性があるし、ここの人たちもインフルエンザになったら困るだろうと、ご本人の意志ではなくて、
(琴美ちゃん)私、私!(一同爆笑)
(宥厳先生)アドバイスをした人がいて、で、それをなるほどと思って、それでまあ。
(琴美ちゃん)かなり不満そうでしたけどね。
(宥厳先生)泣く泣く、お休みしたわけです。それで、ピンチヒッターの選手がそこに控えております。
(梅田さん)よろしくお願いします。
(受講生)西澤です(一同笑い)。



(宥厳先生)えーっと、今日は四時ごろに藤森弘という先生が講師として来られます。それで、四時ごろから一般の人も二、三人ひょっとしたら、話と折り紙ですので聞きに来るだろうと思います。三保君て言って来期に入る予定の男の子には来るように言ってありますので、四時から餅をついて、二臼餅をつきます。それを大根おろしかなんかでつきたての餅を食ったりすることで夕御飯を兼ねて食べて、一臼はきび…
(幸子先生)粟。



(宥厳先生)粟入りの餅をつく予定で、粟を一緒につけてありますから、まああのちょっとどんな餅になるかわかりませんけど。粟餅っていうたら砂糖か塩か入れるのかね?つくときにちょっと。
(幸子先生)入れるとしたら塩をちょっと入れる。
(宥厳先生)塩やね。ちょっと塩入れた方が美味しいなるね。そんな感じでお餅をつきますので楽しみにしてください。それで、もちつきの杵どりとか、私は得意と言う人がいたら、率先して手伝って頂けたら、と思います。できる?できないの?
(土井さん)こうくるくる回すのは…
(宥厳先生)そういうのは昔の話でもう流行らない。それで、まあ藤森先生が来られてからあんまり長々と紹介もできませんから、まあ簡単に今紹介しておきますと、藤森先生は阪大を卒業された医者で衛生学を勉強され、それで丸山博っていう私がずっと一緒に長年いろいろ訓導を受けたアーユルヴェーダ学会を創設されたね、先生の、ま、直弟子ではないらしいんですけど、まあ丸山先生を非常に尊敬されていて、それで、ずっとアーユルヴェーダ研究会の一番最初からのメンバーです。それで、医者になった当時から折り紙のことがとてもお好きだそうで、小児科をされたりして、それで小学校の校医とかね、そういうこともされているので、小児科と言う風にいっておられるんだと思うんですが、子供たちに折り紙を教えたり、それからラジオで、NHKのラジオで三回連続で、ラジオで折り紙を教えるというようなことにチャレンジされたりしていられる有名な先生です。折り紙の、創作折り紙の本も出していられます。今日は何か新作の折り紙もあるのでそれも皆さんに教えますとか言うてました。三月のお雛様の創作折り紙だそうです。で、ゾウさんと三月のお雛様の折り紙を教えて下さるんじゃないかと思います。

まあ、あの折り紙と言うのは、一つの健康法と言うか、セラピーとしても随分活用されていてですね、日本中の各地で折り紙の講習会が開かれたりして、それで、折り紙を折ることでうつ病の人が何かを手でするようなことで病気がよくなっていったり、何か意欲がわいてくるんでしょうね。簡単なことなんですけれども、工夫してこうやっていく間に、何か自分の手ですることの大事さみたいなことに気がついていく、まあそういう人が多いんじゃないかと思います。それで、折り紙と言う言葉は今や世界語になっています。折り紙と言う英語はありませんし、折り紙と言う言葉そのものが世界共通の一つの言葉になってるくらい、日本人の創作も含めて、伝統的な折り紙と言うのは世界中の人が注目してるわけですね。

 ま、そういうことから、今回折り紙なんかしてどうなるんじゃ、と思うかもしれませんけれども、この中でもう皆さん折り紙が得意だと言う人もいらっしゃると思いますね。あの藤森先生がここに三回目くらいですかね、折り紙でお呼びしたのは。それでも、たいていどこの教室に行ってもずば抜けて出来る人が一人や二人大抵おるもんだと言ってましたね。
(琴美ちゃん)プレッシャーかけてどうする(一同笑い)。

(宥厳先生)この中でずば抜けて折り紙に自信のある人いますか?(笑)。まああの割とそういう隠れた才能を持ってる人がおるんですね。折りヅルが折れないという女の子が一人おったように思うんですけど。まあ、そんなことで楽しみにしとって頂きたいと思います。

それで、ちょっと四時くらいに、三時…三時半くらいまでには楽健法終わってしまいたいと思いますので、まあ45分か50分の範囲で楽健法交代するように持って行きたいと思います。

それで、先月は「どうだん」の歌を私作らなかったので、ひょっとしたら次の号には「どうだん」の、次送って来るのには僕の歌は掲載されてないかもしれない、と思いながら、今月書いたんですね。さっき書いたばっかりで、出来たてのほやほやです。それで、11時ごろから書きだしたんですけど、それを、また例によって朗読してもらおうと思いますので、よろしくお願いします。
(早坂さん)はい。








どうだん 二月号 二〇一二年 山内宥厳*

○まほろばといわれる土地に縁ありて根を下ろしたり二昔過ぐ

○七十路の半ば過ぎたり残る日々見果てぬ夢の森のくらやみ

○黒猫と黒樫繁る丘に住み刻流れたり良い月明かり

○荒ぶ世に遇い生まれ来て見晴るかす焼け野原あり津波の芥

○いつだって死ぬのは他人と思うのが戦をしかけ死地に追いやる

○あれもいやこれもいやとはいえぬのがあれこれ抱えのたうちまわる

○しあわせはひとの心に潜むもの満ちると読むか欠けると読むか

○いそのかみ神社に詣で玉の緒の可憐な勾玉開き見るかな

○小綬鶏や尾長の地鶏枝にいて我を見下ろす石上神社

○日だまりに座す人のあり見上げたる空に雲あり猫そっくりの






(宥厳先生)どうもありがとうございました。ま、こんな歌をちょっと先ほど粗製濫造だけど、書いたんです。

●まほろばといわれる土地に縁ありて根を下ろしたり二昔過ぐ
「まほろば」というのは「良い土地」と言う意味ですね。で、「大和は国のまほろば」なんて言われるんですけど、まあ、大和の枕詞なんですね。「まほろば」。まほろばと言うのはよい土地。住み心地のいい場所みたいな意味ですね。そこに縁がありて、まあ根をおろして、ここに、東光寺に暮らし始めて二昔過ぎたと。二十年過ぎたよ、というそういう歌ですね。

それから、
●七十路(ななそじ)の半ば過ぎたり残る日々見果てぬ夢の森のくらやみ
七十半ばになったらもう介護を受けてね、口から物入れてもらったりするようなお年寄りもおるかもしれませんけれども、ま、元気でこうやって仕事ができてますので、まだ見果てぬ夢があって、その見果てぬ夢の先にはどういうものが待っているか、森の暗闇ですね。波乱万丈と言うような感じでこう言う風に書いてみたんです。

●黒猫と黒樫繁る丘に住み刻流れたり良い月明かり
この間満月だったもんですから、まああのマニスと一緒に暮らした黒樫が繁るこの丘で、丘って、山とも言うんですけど、ここは残丘なんて言われています。残る丘って書くんですね。残丘。この残丘に住んで時が流れて、そして、月明かりがきれいだよ、というようなことで、「良い月明かり」って言うのは上と関係なさそうだけど、まあ月明かりと言うのは毎月一回は満月がやってきますので、つい二、三日前が満月あったもんですから、そういうイメージで詠みました。

●荒ぶ世に遇い生まれ来て見晴るかす焼け野原あり津波の芥
荒ぶ世って言うのは、まあ戦争したり地震があるたび、むちゃくちゃな国土になる。今のあの津波やら洪水で荒れた町もそれは凄まじいですけども、戦争で空襲に遭って日本中が焼かれた姿の方がもっとひどいものですよね。だけど、空襲では芥(あくた)は残らない。全部燃やしてしまいますからね。だから、焼け野原には焼け焦げた壁、赤くなった土と赤くなった瓦がざーっと落ちてるだけで、木切れなんかは何もないわけですから、今の津波よりはもっと処理がしやすかったかもしれない、という気もするんですが、そういうものを、荒ぶ世に遭い、たまたまそういう時代に生まれて来たからね、そういう焼け野原を見たり津波の芥、ゴミの山を見たりすることになったとそういう歌ですね。

●いつだって死ぬのは他人と思うのが戦をしかけ死地に追いやる
まあまたイランの方やらで火種があるみたいですけど、戦争を決定してそれで、戦争だ!って仕掛けて、実際に追いやられるのは全然行きたくない普通の庶民が戦場に追いやられるわけで。企画して、戦争を宣言する連中は、自分は絶対に死なないと言うことが分かってるからね、戦争を起こすわけですよね。だから、自分がまず率先して戦地に臨むと言うようなことが鉄則であれば、政治家も戦争やるなんてこと決定しないかもしれないですけど、まあ、「いつだって死ぬのは他人と思うのが戦をしかけ死地に追いやる」、まあ何でこんな歌…何となく思ってたもんだから書いてみたんです。

●あれもいやこれもいやとはいえぬのがあれこれ抱えのたうちまわる
これ、まあ皆さんそうだろうと思うんですよね。よう断らんから、あれも抱えこれも抱えしてのたうちまわる。だけど、まあ、人生と言うのはのたうちまわって、のたうちまわって死ぬんだと言うことを覚悟しとけと言うことをね僕は思うんですね。Mement moriという言葉があります。「汝は死を覚悟せよ」というような意味ですけどね。死のシンボルですね。しゃれこうべ。メメントモリは、これも、まあ自分がのたうちまわる、色んなものを抱えてのたうちまわるのが人生だと言う風な認識のあり方ですね。人生、何ひとつトラブルもなくて、本当に幸せな一生を送るなんてことは普通はあり得ないんですね。必ず親の死に目にもあいますしね。そんな何にも起こらない人生なんてないんです。それが人間の定めと言うかね、それが実態ですね。「あれこれ抱えのたうちまわる」

●しあわせはひとの心に潜むもの満ちると読むか欠けると読むか
これもまあ同じような意味で、前の歌とね。幸せって言うのは、自分が幸せとだ思うか、或いは不足に思ってるかと言うことで、幸せと言うことを思うわけですよね。だから、まあ何か、感謝してるか、不満に思ってるか、と言うようなことですね。不満に思ってる人はいくらものを与えたってやっぱり不満に思うでしょうし、そういう人は幸せなんて感じはないかもしれないね。物持ってなくても、食べるものがなくても、まあ何か、あの人が、お母さんが私を大事に愛して、慈しんでくれてるから幸せと思いながら、私なんかもそういう思いで少年時代を過ごしてきたわけですね。物があって、好きな物を買い与えられて満足しながら生きて来たわけでは決してなくて、絶えず必要は自分の所有を上回ってるわけですね。必要が所有を上回るっていうの分りますか?収入よりも支出が多いということですね(笑)。

 だから、どんなに欲しがったって手に入らないものは手に入らない。だけど、そういうものが何でも先付けで言わば自分は約手を切って先に手に入れると言うのが、ローンですね。家だって何だって、それで2,500万の家を買ったよって現実には5,000万円の金を持って行かなあかんのですね。そういうことに皆さん気がつかないで、何か30年かかって2,500万の家買って、それでトータルで金利含めたらね、15年経ってもまだ金利の分で、元金は減ってないと言うような、そういう借金をして幸福を先取りしてるような気持ちで、そういうからくりを誰が作って行ったのか知りませんけれども、まあ、非常に恐ろしい事です。

 一つバランスが崩れたら借金地獄に陥るわけですよね。だから、今ローンで家を買う若いご夫婦、子供がおったりして、そうすると御主人は家をローン組んだときに即生命保険にも同時に契約されて、それで死んだら生命保険で残りの金額を充当してね、遺族に借金が残らないような仕組みになったりしてるんですね。だから、非常に命がけですね、ローンで物買うというのは。だから、それをやはりのたうちまわって少しずつ金を貯めて、こんだけたまったら家買うと思ったら、一生買えないかもしれない。だけど、今みたいに仕事がいつどうなるかわからないような、昔は一度就職するとね、定年までちゃんと勤められて、それでまとまったお金が入りましたから、その時に一気にこうね、決済ができたかもしれないけど。今はもう非常に不安定な雇用関係になってきましたから、そういうことも出来なくなって来て、まあ大変な思いをすることがあると思います。だから、まあ幸せって何だろうと言うことですね。そういうことをいつもまあ思うんですが、しかし、心のあり方で幸せか不幸か決まるよ、と言うことでね、それを逆に物はなくて大変な状態なのに、もうあんたの思い方一つだって、あんまり気にするな、なんて言うのが政治家のやり方なんですね。

 だから、放射能の値が高くてもね、あまり気にしいないで生きていけ、みたいな政治をやるわけですよね。だから、本当の幸せって言うのは一人ひとりがやっぱり自分で考えて、まあ、納得するかしないかはわかりませんが、まあやっていくことだろうと思います。

●いそのかみ神社に詣で玉の緒の可憐な勾玉開き見るかな
この「玉の緒」っていうのは命のことなんですね。だから、古事記なんかにも「玉の緒」っていう言葉が出てきますね。命そのものを意味するんですけど、この間、木曜日に奈良のイオンハウスで講習会やって帰りにちょっと石上神社に、ちょうど道中ですので、琴美ちゃんと来期来られる女の人がいるんですけど、その人とチラッとお参りに行ったんです。そして、お参りに行ってあの、帰りにちょっとバックして、何かこうクジ引こうと思ったらあの人とすれ違ったんですね。あんたらどこ行くのって(笑)
(梅田さん)カカカカカ。
(宥厳先生)付いてきたらご馳走してあげたのに。
(梅田さん)そうよ、反対の方向にいてるからおかしいなあって思って(笑)



(宥厳先生)あの人は別の車に乗ってたんです。それで、おいしい料理を食べに行ってきたわけ。そんな話はまたゆっくりお幸さんから聞かせてもらってください(一同笑)。で、この玉の緒っていうのは、あ、現物。
(幸子先生)そこにおいてあったで。



(宥厳先生)いや、僕がここに入れた。これが玉の緒が入ってるお守りなんですね。それで、「玉のを」って書いてあるでしょう。で、これを持ってるのは、なんか自分の命を守ってくれるね、ま、開運のお守りなんで、こういうのが中に入ってて、





で、これがお守りが500円で入れ物袋が500円で、1000円出すとセットになる。で、これだけ買っていっても勿論いいわけです。これは、だいたいお守りなんてものは開けてみるもんじゃないんですね。見るもんじゃないから見たいわけです(一同大爆笑)。それで、これを開いてですね、早速こう見てみたわけです。そしたら、玉の緒が入ってる。ね。これが勾玉。小さな。勾玉が入ってる。うん。ね。それで、ここにこう何か不思議なハンコ。神字、神様の字ですね。古代文字で何か書いたものが入ってます。ここに何を書いてあるかというと、「えみためほーかいみためほー」って書いてある。嘘ですよ(笑)。読めるわきゃないです。



(斉藤さん)先生、それ開けたらどうなるんですか。
(宥厳先生)ん?
(斉藤さん)開けるもんじゃないものを開けたら…
(宥厳先生)開けた人はもっと幸せになる(一同大爆笑)。
(受講生)怖い…こわい…
(宥厳先生)まあ、こうやって見とくとね安心するじゃん。だけど、非常に手の込んだお守りだと思いますね。僕ひとり死ぬの嫌やから(一同大爆笑)。みんな連れもて逝こらって、みんなに見てもらう。それで、この紐がなんで出来てるかわかりますか。
(受講生)なんだろう。麻か?
(宥厳先生)ああ、麻やって言うてる?正解!この玉の緒って何の紐やろうって思ったら、家内が聞きに行って、おみくじ売ってる人のところへ聞きに行った。開けてみてるとは思わんもんね。まあ、そんなとこですね。



その次は、
●小綬鶏(こじゅけい)や尾長の地鶏枝にいて我を見下ろす石上神社
まあ、鶏がたくさん放し飼いにしてあってね、石上神社というところは、境内歩き回ってて、それが高い枝に夕方になると止まるんですね。そっから入ってきた人見下ろしてて、たくさんのトリが。そいうのが石上神社です。

それから、最後。
●日だまりに座す人のあり見上げたる空に雲あり猫そっくりの
これは、あのフェイスブックやってる人は最近、ある人が猫の話を投稿したのを読んで、まあそれを僕がちょっとこう言う歌にしてみたんだということがわかるかと思うんですけど。「日だまりに座す人のあり見上げたる空に雲あり猫そっくりの」何かある人が志が衰えてね、もうもう嫌だと思って、ひもを吊るしてね、そこへ行こうかと思ったら、膝の上に猫が乗ってきたので、それで、この猫ほっといたらどうなるんだろうと思ったら、まあ、そういうわけにも行くまいかと思って思い直したというね、そういう事を書いている若い人がいて、それでまあそれをこういう形でね、読んでみたんですよ。「日だまりに座す人のあり見上げたる空に雲あり猫そっくりの」本当は見上げて見たのは違うものなんですけどね。

 まあ、しかし、そういう風に書いてみたわけです。その人をちょっと慰めてあげようかな、と思って書いてみたわけです。質問ないですか?この歌に関して、梓はありませんか?はい?もう、勾玉どっかいった?あ、そうかそうか。何かしかし、何となく面白いめでたそうな、というかありがたそうなお守りですよね、これね。木の札が入ってるやつもあるし、ハンコだけ押してあって何にもないのも。手の込んだお守りだと思います。
(幸子先生)かわいいやん。
(宥厳先生)一昨年かここに、熊手置いてあったでしょ?あれも石上神社。あの時は恭子ちゃんと行ったね。
(幸子先生)恭子ちゃんと行ったんやね。
(宥厳先生)恭子ちゃんと行って二人とも大吉引いて喜んでた。で、ここのおみくじは大吉しか置いてないんですかって、いや、凶もありますって言ってた(一同笑)。ここのおみくじはシビアです、なんて言ってたね。じゃあ、まあこれくらいにして楽健法やりましょう。はい、ありがとうございました。


楽健法(13)



おやつ



ゆっこ先生とあ~ちゃんのジンジャー・シフォンケーキ!絶品!!















餅つき大会

かわいいエプロンつけて♪




きび!?粟!





















大根おろしでいただきました!おいしかった~!


かわいい!













お吸い物もおいしかった~






折り紙教室

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