クローン病患者の生活

クローン病とは難病(特定疾患)であり、クローン病患者である私の生活を書きたいと思っています。

Vol.3 クローン病患者の今日

2007-06-23 | Weblog
先日ネットサーフィンをしていると

「Double Orange(ダブルオレンジ)」

というユニットのホームページを見つけました。
女性ボーカルと男性ドラマーのユニットです。
プロフィールの中に「ソウル」と書いてあったので(私の一番好きなジャンル)、ポチポチとクリックしていくと試聴ができたので聴いてみました。
試聴できる時間は短かったのですが、
私の魂に
「ダブルオレンジ」
の楽曲が
「ドーン!」
と何度も魂が。
「これだ!」と思い購入しようと思ったのですが、タワーレコードまでは車で数十分、それに加え人ごみの中。
今の私には無理です。
どうにかできないかとポチポチとクリック。通販がありました。
早速購入して、何度も何度も聴きました。
「ダブルオレンジ」を聴いてるときだけは、クローン病・うつ病である私に安らぎを与えてくれます。

音楽っていいな。

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Vol.19 クローン病患者の生活

2007-06-22 | Weblog
再度ドラムに戻れたのもほんの数ヶ月でした。
またクローン病が邪魔してくれました。
練習していると「やばい!」と体が感じました。
それからずっとうつ伏せで自宅療養しました。
しかし腹痛、背中の鈍痛、下痢、痔ろうなど全く治まりません。
入院は嫌だったので数ヶ月かけて意地で治しました。
この間何も考えることができません、我慢することでいっぱいいっぱいでした。
症状は落ち着きましたがドラムの椅子に座ることはできませんでした。
クローン病を患ったときよりショックでした。クローン病以上に長く付き合ってきたものでしたから。かなり長い間落ち込みました。
「バカヤロー!」てな感じでしたね。
今でもそう思います。

Vol.2 クローン病患者の今日

2007-06-21 | Weblog
今日は車で行けるほどの公園に行き、散歩しました。
雨がパラついてました。
しばらくベンチに座り人間ウォッチングをしました。
ウォーキングする人、野球、テニス、サッカーを楽しむ人達がたくさんいました。

「いいなぁ・・・」

ちょっと悲しくなりました。
家に帰りしばらく放心状態。で、今書いてます。
外に出るのは勇気がいるんですよね。
トイレの場所をチェックしとかないと・・・、あまり我慢できないので。
私の肛門の神経、どうにかならないもんですかね。

なんだかシンド・・・。

Vol.18 クローン病患者の生活

2007-06-20 | Weblog
退院後、家で何もせず何も考えず
「なんでオレは今生きてるんだ」
の思いだけで空っぽでした。
数日後、母が「玄関にこんなものが置いてあったよ」と紙切れ一枚を私に渡しました。
それには
「今長崎に来てるよ。逢いたくなかったらいいよ、ただ来ただけだから。でも、少しでも逢える状態だったらこの携帯に連絡くれ」
と書いてありました。
「ヒロ」でした。
すぐに連絡を取り、家に来てもらいました。
ヒロは私の自殺行為には一切触れず、バカ話ばかりしてました。
近所のゲーセンで遊んだり、コンビニの店員を笑わせたりと、ホントに遊びに来ただけのように振る舞っていました。
嬉しかったです。
このひと時は何もかも忘れさせてくれて、楽しませてくれました。
数ヵ月後、再度ドラムに打ち込むことができました。
「助けられてよかった」
と思えるようになりました。

ありがとう、ヒロ。

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Vol.17 クローン病患者の生活

2007-06-19 | Weblog
自殺未遂に終わり、私は誰の言葉も聞き入れませんでした。
病室でボーっとしてると、婦長が来ました。
婦長が話し始めました。以下、婦長の言葉です。

私はね、癌の摘出手術をしたことがあるの。
手術前にとても不安になった。もし麻酔から目が覚めなかったらどうしよう、子供たちはどうなるのかしら。
その時初めて患者の気持ちがわかったの。
癌になるまでは患者の不安感に対して「大丈夫ですよ」「心配ありませんよ」と言ってた。ちゃんとした裏付がデータとしてあったからね。
私が患者になった途端、私は今まで患者の気持ちをわかってなかったことに気付いたの。
だから、あなたに言うね。
親として子供に絶対してもらいたくないことは自殺なのよ。お腹を痛めて産んだ子供なんだから。
もちろんあなたの気持ちは少しかもしれないけどわかる。でも私は親でもあるから、あなたに死んでほしくないと言えるの。
自殺は一番の親不孝だからね。

婦長の話は私の心に響きました。

Vol.16 クローン病患者の生活

2007-06-18 | Weblog
こうして正気でない状態のまま一週間ほどで退院しました。
この一週間の入院でふに落ちないことがありました。
一般病棟に移った日の夜だったと思います。
真夏だというのに凄く寒くなってきて「これは変だ」と思いナースコールをして看護婦に症状を伝えました。
しかし、待てども待てども何の処置もしないのです。医者も来ません。
寒さの次に高熱がでました。それを伝えても処置をしません。
かなりきつい状態だったのですが、フラフラとナースセンターへ行き
「どうなってるの?」と聞きました。
すると看護婦は
「夜遅いので先生は寝てますので朝まで待ってください」
私は唖然としてしまいました。入院の意味がありません。
その病院は大きい総合病院です。大きいだけで中身がカラッポでした。
少なくとも当時は。
結局医者が来たのは普通に朝です。
検査もせず
「まだ一酸化ガスが抜けきっていないのでしょう」
これだけです。
私はガタガタ震え高熱のままほったらかしにされました。一日で症状は良くなりました。
しかし結果論です。
このような対処に「???」でした。


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Vol.15 クローン病患者の生活

2007-06-17 | Weblog
集中治療室で三日間過ごしました。ほとんど記憶はありません。
親類が面会に来たときも一度は目を覚ますのですが、数秒程で意識がなくなる状態でした。
一般病棟に移り、何も考えることはできませんでした。
助けられたことに対して腹立たしさでいっぱいでした。
深夜に病棟で看護婦に怒鳴ったり、最低でした。
医者から別室に呼ばれました。
医者:「もう二度と自殺行為はしないと約束してください」
私:「なんでオマエと話、約束をしなきゃいけないんだ」
医者:「・・・・・」
私:「オレは死んでて、こんな所にいるのが嫌なんだよ」
医者:「しかし・・・」
私:「オレの何を知って言ってるんだ」
医者:「あなたのクローン病は比較的程度は良い方なので」
私:「比べるもんじゃないだろうが」
医者:「・・・・・」
私は生きていることを受け入れたくなくて医者にお門違いなことを言ってしまいました。
横で母が泣いていました。

Vol.14 クローン病患者の生活

2007-06-15 | Weblog
これから書くことは正直躊躇しています。
何故なら今の私は死と葛藤しているからです。あえて書くことによって自分にブレーキをかけれるのではないかと思い、書きます。
私の体、クローン病はオーバーヒート、思考回路はブローしてしまいました。
『オレはこの体で充分生きた』
とだけしか考えることができず、どうやって死のうかと考えました。
車の一酸化中毒死です。
マフラーからホースを車内へ、次に薬を大量に飲み、もうろうとしてきた時点でエンジンをかけました。
しばらく排ガスが苦しかったですが、いつのまにか記憶は無くなっていました。どれぐらい時間が経ったのでしょうか。
「おい!起きろ!鍵を開けろ!」
の叫び声で意識が戻りました。しかし体は全く動かず再び意識が無くなりました。「ガシャーン!」と窓を割る音で二度目の意識が戻りました。しかしすぐに意識は無くなり、次に目を覚ました時は集中治療室のベッドの上でした。
「なんでオレはこんな所にいるんだ?」死んだのに。

Vol.13 クローン病患者の生活

2007-06-14 | Weblog
私、クローン病患者はドラム・音楽に携わる仕事ができ、幸せに思っています。
しかしクローン病患者にとって仕事(内容にもよりますが)はクローン病の増悪を促してしまいます。
私も例外ではありません。ハードなスケジュールで仕事をこなすのは限界があります。
数回目の入院で小腸がボロボロになっていると診断結果がでてしまい、遂にクローン病治療の最終手段である手術が必要になってしまいました。
何度も述べてますが、クローン病の手術はその場しのぎです。
お腹を開けることによって良い方向に向くことはありません。腹膜・他臓器への癒着、縫合したところの狭窄などが今後の生活に支障をきたすのです。
術後は想像を遥かに超えるものでした。
2日目から歩かなければいけません(癒着を最小限に抑えるため)。お腹の筋肉を切っているのですから悶絶歩行です。
このシンドさを兄に愚痴ると「そりゃそうだろうなぁ」、さらに「経験したこと無いからわからないよ」です。
もっともなことですが、内心「てめぇ!」でした。
退院後間もなくして、私の大好きなドラム・音楽の仕事を辞めることになりました。
一番してはいけない形で。

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Vol.12 クローン病患者の生活

2007-06-13 | Weblog
好きなドラムを仕事にできた私は、幸せを噛み締めながら、クローン病の体をかえりみず、がむしゃらでした。
その間、数回の入院がありましたが楽しくて至福の毎日でした。
確かにクローン病の体には酷なスケジュールでした。演奏が終わると二、三日は下痢がひどい状態でした。
ときにはほとんど初見で演奏しなければいけない仕事もありました。ドラムは体力やパワーを使うことは無いのですが、他の演奏者の音・ボーカルを聞きながら演奏するので集中力が半端なく必要なのです。
その集中力に、腸に必要なエネルギーを持っていかれるのです。
いつまで続けられるか不安はありましたが、毎日を大事にし、パワフルに過ごしていました。