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森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

人生に最も大切な報酬とは

2023-05-11 16:37:08 | 森の施設

 

       人生に最も大切な報酬とは

 

 「道徳的価値のある行為は、義務感から行われるものである」とかの有名なカントが

云っている。とすると「自らの利益のために何かを行うことは、道徳的な行為とはなり

得ない」とある哲学者が云った。

 カントは次の様なことも云っている「自己犠牲が道徳の源である」これは、自分の利

益のための行動は、必然的に他者の利益を侵害するとしています。しかし、自分の利益

と他者の利益のどちらかを選ばなくてはいけないという考え方は間違っているのではな

いか。人を助ける(お役にたつ)ことと自分のために行動すること、その二つは密接に絡

み合っているでしよう。つまり、他者の役にたてば立つほど、私達は幸福感は大きくな

っていきます。自分の存在価値が認められたからです。

 心から人の役に立とうとすれば結果として自分自身のためにもなるということは、人

生における最も大切で美しい報酬の形であると思うのです。そのような思考に徹するこ

とができる人生は素晴らしい幸福者であるだろう。

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自由意志と宿命---芥川龍之介

2023-05-09 14:11:43 | 森の施設

 

   自由意志と宿命---芥川龍之介

 

 兎に角宿命を信ずれば、罪悪なるものの存在しない為に懲罰と云う意味も失われるから、

罪人に対する我我の態度は寛大になるに相違ない。同時に又自由意志を信ずれば責任の観念

を生ずる為に、良心の麻痺を免れるから、我我自身に対する我我の態度は厳粛になるのに相

違ない。ではいずれに従おうとするのか、?

 私は活然と答えたい。半ば自由意志を信じ、半ばは宿命を信ずべきである。或は自由意志

を疑い。半ば宿命を疑うべきである。

                         侏儒の言葉より

 

  この芥川の言葉に付け加えるとすれば、私は運命と云おう。つまり宿命でもなく偶然な

出逢いの結果、大きく人の人生が変わる場合もあるからだ。強固な自由意志と宿命を受け入

れて、それを好転させいいく努力が必要と思うからです。 0

 

 

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遣り過ぎ

2023-05-06 12:44:14 | 森の施設

    遣り過ぎ

  遣り過ぎという言葉があります。たとえばマンションの理事をしていて、理事は

2年ごとに2名づつ交代で4名で活動します。過去の理事会は依頼している管理会社に

まかせぱなしで、理事会自ら発議することが極端にすくない状態でありました。こん

なマンションが多いのではあるまいか。マンションがまだ新しく、依頼している管理

会社の担当者もしっかりした人で良く気が付く人であればそれでいいでしよう。

 しかし、もし、マンションが新築から30年以上経過すればいろいろと修繕箇所が

多くなってきます。ところが管理会社の担当者が年配者でなかなか適格に問題点を把

握し適切に対処できていない。となれば理事会がしっかりしなければなりません。

ところが従来より管理会社に任せておけばいいのだという態度であっては、大きな問

題が発生しかねません。

 そこで、この際理事として、理事長として徹底的に問題点を探し出して解決の対策

を考え、実行して行きます。そして大きな問題、多額の修繕積立金を使う場合、そし

て思い切って、管理会社を契約期間終了で、他社に替えることにした場合には、いず

れも年次総会でマンションの会員に賛否を取らなければなりません。その総会におい

て過去の総会と大きく異なって、理事会から多くの議案を出して審議したところ、会

員から、それらは理事会として「やりすぎ」であるとの強い発言がありました。過去

に大きな問題解決の為の議案が実質的に理事会提案で出されたことがないために、そ

のような意見が出たものと解釈するところです。

 「やりすぎ」という言葉には、「やる」ことと「過ぎる」という二つの意味合いが

ありますが、今回の発言の趣旨は、否定的な意味での発言で会ったようです。それな

らば今までのように「やるべきこと」が解っても、理事会としてそれらの問題を先送

りしてもいいのかということになってしまいます。勿論問題は対策を取って解決しな

ければなりません。「過ぎたるは及ばざるごとし」という言葉があります。だから、

我が国の多くの人々は、集会やいろいろな組織において、積極的に発言しません。出

過ぎたら頭を叩かれると思うからです。

 他人の耳や目を気にしすぎる態度になっているように思います。これは島国の変わ

らぬ感情の積み重ねでしようか。もうそろそろこのような社会をもっと積極的な活動

ができる雰囲気になればと思うのですが。

 

 

 

 

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人生の黄金時代

2023-05-02 16:15:08 | 森の施設

 

    人生の黄金時代は老いて行く将来にあり、

         過ぎ去った若年無知の時代にあるにあらず。

                         林語堂

 

 

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