清き心の未知なるもの為に⑫・・・ダグ・ハマ-ショルド日記より
神は便利な呪文であり、いつも手許にあるが、めったに開けてみたことのない書物
でいる。なにものかが生まれ出ようとする一瞬の浄められた静寂のうちにあって、神
は歓喜である、また清涼な風である。--------記憶もこれをとどめておくことができぬ。
しかし、われわれが自己をまっこうから見すえざるをえなくなるとき、神はその恐ろ
しいまったき実在のうちに、いっさいの議論といっさいの(感情)とのかなたに、保護の
役を果たす忘却をも打ち破って、われわれの頭上にそそり立つのである。
(知)の道は信仰なかを通ってはいない。われわれ自身のもっとも奥深いところに微かに
燦(あきら)かに捉えがたい光りのあとを追うことによって(知)を得たのち、さらにその
(知)を突き抜けたときにのみ、われわれは信仰とはいかなるものであるかを把握するに
いたるのである。(ほんとうだとみなす)という意味だなどという。信ずるとは(ほんとう
だとみなす)という意味だなどという、空疎な言辞を唱える人たちの話に聴き入ったがた
めに、いかに多くの人びとが暗黒のなかに突きおとされてしまったことか。
われわれの秘奥に存する創造的意志は、そのものに対応する意志が他人のうちにも潜ん
でいるのを察知し、このことをつうじてそれ自身の普遍性を感得する。--------この意志
はそのようにして、われわれの内面でも僅かながら花火を散らしている。あの大いなる
力を知るにいたる道を、われわれのために拓いてくれるのである。
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