清き心の未知なるものの為に㉙・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より
無意識の底でいくたの流れがあらがいながら渦巻きを作り出し、おまえをそのなかに巻き
込みそうになるとき、水をふたたび単一の流れに集中させることができるのは、ダムの水門
を開いて祈りの水門のなかへ導き入れるばあいに限る。------また、水路が十分に深く堀って
あるばあいに限る。
われわれは。離れ離れになっていたあいだに、おたがいのあいだに介入した距離のせいで、
相手にかんする単純化した見方を受け入れてしまうこともあるし、また、どんなに目の見え
ない人にとってさえ、ひとたび顏をあわせれば、いやでも目につかずにはいないような、相
手の本質的な特性をすべて平気で抹殺してしまうこともある。そんなことがあってから再開
するたびに、そして別れていたあいだの思い違いをか恥ずかしく感ずるたびに、われわれは
天の配剤として与えられる警告を受けいれるがよい。われわれ人間に関するかぎり、「なに
ごとも真ではない」という陳述は------遠く離れているばあいには-----妥当であり、またその
反対の陳述もまた------直接に向かいあった瞬間には------妥当である。
見降ろすと、街路の向うがわの窓のもとで、彼女が毎日、毎晩、トランプのひとり占いを
しているのが見える。忍耐、忍耐! たぶん、死はもうあまり待たせることはないであろう。
----彼は、彼自身にも他人にも忠実に欠ける態度で噂話に憂き身をやつす。それというの
も、彼のめざすところは当座のあいだだけでも話相手を魅了することだからである。しかも
彼は、自分の胸襟を開いて相手の気持ちを試そうなどという気にはなれない。さっぱり面白
くない奴として、はてはくだらぬ奴として相手にされぬよりは、器量を落とすことであろうと、
こうして道化の役割を果たすほうがよいのである。