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森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

清き心の未知なるものの為に㉟・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-22 15:21:36 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉟・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 ずっと以前に死んでしまった人たちについて語った文章を、私はいま読んでいる。こっそり

と、ほかの人たちの名前がその文中に忍びこんでくる。そしていまや、ここに語られているの

はわれわれのこと、われわれが過去の人となりおおせてからのわれわれのことなのである。

そのうち、おおよそは跡方もなく消え失せてしまった。かつては灼けつくほど熱気を帯びてい

た問題が、いまでは冷やかな抽象物のようにペ-ジからペ-ジへとひらたく広がっている。

簡単な問題だったのである。ところが、われわれはそれを解きほぐすことができなかった。

われわれははどうやら愚鈍な操り人形であって、個人的利益で夢中になり、だれもり目にも

くっきり見える糸に引かれて踊らされているのである。しかも、その糸がときおり解れてしま

うのである。

 私が歴史の探求という、この歪んで映る鏡のなかに認めるものは、なにも戯画などといった

ものではない。たんに、それらすべては空であったということの証明にすぎない。

 

 ともあれ、彼は自分のなかにこういうものがあるのを知っていたる-------どの人間にもある

もの、すなわち、卑俗・貪欲・傲慢・羨望------そして、あこがれ。

 あこがれ-----なかんずく、十字架への。

 

 人生とはそんなにも情けないものなのか。むしろ、おまえの手のほうが小さすぎ、おまえの

目のほうが濁っているのではないか。おまえこそ、成長しなければならなぬ。

 

 われわれは、自己の運命の輪郭を選ぶことはできぬが、それに内容を与えることならできる。

冒険を求める者はそれに出会うであろう。------自己の勇気に応じて、犠牲たらんと欲する者は

犠牲にせられるであろう-------自己の純粋さに応じて。

 

 

 

 

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清き心の未知なるみのの為に㉝・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-16 09:58:20 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉝・・・ダグ・ハマ-ショルド

 

   沈黙は歌い  

   暗黒は光線に溢れ

   光は

   おのれに対するものを

   旋律のうちに探し求めて

   静寂は

   ことばによって

   おのが解放に至らんと努め 

   生命は

   地底の暗がり潜む

   草木と花とのいかに稀なことよ

   果実のいかに稀なことよ

 

 体験を把握せんがための、これらのみじめな試み(私自身のためにか、それともほかの

人たちのためにか。)------明日の務め。-----Yの友情、はたまた、Xが私の仕事をほめて書

き送ってくれた短信。------いずれも、紙の衝立である。私は、自分の凝視が無限の空間と

時間とのうちに迷いこむことがないように、これらの紙の衝立を自分と虚無とのあいだに

立てる。

 いくつかの小さな紙の衝立。いまにも風が吹き寄せればたちまち千々にちぎられ、ごく

かすかな花火が飛んできてもめらめら燃え上がるであろう。だいじに保存しようとするの

に-----それでも、たえずつぎつぎと取り換えねばなるまい。

 無限の空間に直面したときのこの眩暈(めまい)。------われわれは、あえて無限の空間を

凝視して奥底まで貫き通そうとするとき、また、この空間こそはわれわれの存在を正当化

しうるか否かの試金石となる実在であると認めるとき、そのときにのみ眩暈を克服するの

である。なんとなれば、あらゆるものが在り、そしてわれわれはまさしくそのうちにある。

ということこそ、生きてゆくためにわれわれが到達すべき真理だからである。 

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㉜・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-14 10:07:44 | 森の施設

 

  清き心の未知なるものの為に㉜・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 われわれの日々のパンのために働く者。

 地位を得よ絵とあくせくする者。

 おのれの権利を享受する者。

 おのれにとっては問題が存在しなくにり-----今は昔日の月桂冠の上に憩っている者。

 では、おまえ自身は。?

 地虫の掘り進めて来た横穴の末端で幼虫が顎(あご)を動かしつづけているように、坑夫は

山のなかの岩を貫きながら道を切り開いていった。その狭い坑道の奥は、坑夫の顔に取り付

けたライトでわずかに照らし出されていた。どこまでも続く暗黒。どこまでも続く同じ冷気

が露を結んで、ぽぽとと滴が垂れていた。どこまでも続く同じ孤独-----彼はそこで、岩の壁

に閉じ込められ、しかも岩のように泰然と構えていられなかった。

 

 そのようにして、彼は大地のなかから鉱石を掘り出した。それは有用な鉱石で、お金にな

った。その金のうち、いくらかはほかの三人のものとなり、あとのいくらかはおまえ自身の

手に入ることとなった。

 すくなくとも骨の髄までこのような実感に徹すること。すなわち、おまえが働くのは専門

において完成の城に達して利己的な満足を得るためではなくして、彼の為なのである。と。

また、彼はおまえに要求をだす権利を保有しており、彼のこの権利はおまえが彼に要求をだ

す権利より優越しているのであると。

 おまえが幸にも得た成功のうちに罪障の償いをする道は、おまえが所有するものを正当化

するために、あるがままのおまえのすべてを捧げつくすことにある。そのさい、おまえ自身

をも他人をも憐れに思うことはいらないし、おまえがこの道を辿りつづけるかぎり、おまえ

は他人にたいして権利を保有しているのだということを完全に自覚してしかるべきある。

 

 

 

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清き未知なるものの為に㉛・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-12 10:02:01 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉛・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 感ずると感じてしまったとのあいだに-----感覚がその最後の秘密をわれわれに提示する

一瞬・・・・。その瞬間を通過したと意識するや否や、そのときにはわれわれは亀裂やし

みや剥げた鍍金のまえに立って、いったいなにものがさっきあれほど心をそそったのであ

ろうか、と不思議に思っているのである。

 

 自分には否定されたことをほかの連中がいま享受しているのだと思うと、おまえは灼け

るような苦がにがしさを感ずることがある。それはつまるところ、陽光の輝く数日間を楽

しみそこねたか、というようなことであったりする。しかしそれにしても、ほかの連中は

これからも生きてゆく者を、と思うときに死が呼びおこす苦がにがしさもまた、かような

卑俗次元に発するものなのである。

 

 蜜蜂と同様、われわれは自己防衛のために密から毒液を蒸留する。その毒液を使えば、

人も知るごとく、当人の死を招くのである。

 

 「おまおはいつまでも、おまえ以外のだれかにたいし、あるいはなにかにたいして(感

情)なるものを抱いているのか------おまえがなにごとであれ(感ずる)ものとしてのことであ

るが」個人的になんらかの関わりあいがないばあいには、おまえが他人を前に見て感ずる

ことはせいぜい純然と審美的なものにすぎない。

 しかしながら、たとえこのように半端な感覚であろうと、かような感覚がきょうおまえ

を精神的実在の一端にふれさせたのであり、そしてそれがおまえの底知れぬ貧困さを暴露

したのである。

 

 起るべきことはおこらずにはいない。したがって、その必然性の境界線の内側では、お

まえは傷つきようがないのである。

 

 

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清き心の未知なるものの為に㉚・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-06 10:19:26 | 森の施設

 

  清き心の未知なるものの為に㉚・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 夜の大海原のなかから意識がふたたび浮かびあがってくると、とたんに前日のことが

恥ずかしくなった。大逆罪の宣告が下されたからには、昼間の生活と生の源泉とのあい

だの対決はどんなにか物凄いものだったにちがいない。裁判の対象となったのは、誤謬

(いつわり)が繰り返さたとか、一連の些少な裏切りがつづけられたとかいうことではない。

-------神も知りたもうごとく、それらの誤謬や裏切りとて、十分に不安や自己嫌悪の原因

くらいにはなったであろうが、そうではなくて、巨大な、原理的な誤謬なのである。すな

わち、自我の内面にあって自我より大きいものを------下界からの要求に唯唯諾諾と迎合

することによって-----裏切ったという誤謬なのである。

 

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