唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

唐朝の皇太子 その3

2018-02-12 10:36:45 | Weblog

③.意志薄弱な高宗が武后の為に廃した皇太子

陳王忠は高宗の長子であるが、王皇后が産んだ子ではない。身分の高くない劉氏の子だが王皇后の子として扱い、永徽三年に重臣団の推薦により皇太子に立てられた。高宗は四男の素節を好んでおり、太宗の女であった武氏とも密通し子をなしていたが、意志薄弱であり重臣の意向に逆らうことはできなかった。永徽六年武氏が王皇后を廃して成り代わると、太子忠の立場は弱くなり、顯慶元年廃されて梁王とされ、武后の子弘が代わって皇太子となった。顯慶五年には庶人とされ、麟德元年に殺された。
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