QAZのつれづれ日記

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涅槃会(ねはんえ)

2012年02月15日 | 日記
三仏会の一つ涅槃会は、釈迦入滅の日とされる今日、2月15日に修される釈迦の遺徳追慕と報恩のためのご命日法会で、新暦に合わせて3月15日に行なうところもあるようです。

仏涅槃に関して、有名な純陀(じゅんだ)の話があります。

八十歳の釈迦が生まれ故郷カピラ国(現在のネパール)へ向かう途中のことでした。お釈迦さまは、釈迦が村を通過すると聞きつけ村の在家信徒15人を引き連れて釈迦の元へ馳せ参じた鍛冶屋の青年純陀の差し出した茸料理に当たって衰弱し、とうとうクシナガラの地、沙羅双樹のもとで入滅されました。

最後の供養となった食物がもとで入滅するに至った釈迦は、周囲から純陀が批難されることを配慮して、その供養を最上の供養であると述べました。
また、自分が悟りを開く時にスジャータが供養してくれた乳粥と、純陀の供養してくれた食事には同じだけの功徳がある、そのことを純陀に伝えなさいと言って純陀の心を慰めました。

この時代すでに釈迦の功徳は広く世に広まっており、世の高僧、貴族や王までもが美麗を尽くした供養を持参して捧げようとしましたが、釈迦は純陀が持参した質素な茸料理だけを受けました。
釈迦はもう3ヶ月も前から自らの死を予見していましたので、純陀の供養が最後の食事になることを知っていての選択だったことでしょう。

釈迦が純陀の料理を選んだわけは、純陀が在家で貧民の身でありながら自分の説き証した教義を街の高僧の誰よりも純粋に履行し、かつ道を求めるに身分は関係ないという理想の求道姿勢を見たからのことでしょう。

涅槃会法要には通常、病を得た釈迦が娑羅双樹の下に牀座(しょうざ、寝台)を設け、静かに臨終の時を迎える際の、頭を北にして西を向き右脇を下にした姿で横臥し、周囲に十大弟子を始め諸菩薩、天部や獣畜、虫類までもが嘆き悲しむ情景を描いた仏画、涅槃図を掲げます。

高野山金剛峯寺所蔵の国宝、仏涅槃図は現存最古、平安時代後期、応徳三年(1086年)の作として知られ、日本仏画の最高傑作と呼ぶに相応しい名画とされます。
涅槃図は宗派を問わず多くの寺院に具備されています。


仏涅槃図(高野山金剛峯寺所蔵)

涅槃会や皺手合する数珠の音   芭蕉 「続猿蓑」



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