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シリーズ平成の本音―地方再生は保守政党には出来ない!?

2014-12-21 | Weblog
シリーズ平成の本音―地方再生は保守政党には出来ない!?
 総選挙を前にして、自民党は選挙公約を公表したが、その中で‘地方創生’を一つの公約としている。
 しかし保守自民党には、‘地方創生’は出来ないと見られている。
 多くの同党古参議員等は、地方への大型量販店、百貨店や大規模工場、企業の進出を内心嫌っている。これらの産業の進出により、労働組合が出来、野党勢力が進出し、保守地盤が侵食されることを懸念している。従って、地方の産業や市場の自由化や規制撤廃には本質的に消極的だ。
 それが保守政党、保守政党議員の本質だろう。伝統的な保守地盤を維持することが再選への道なのである。地域社会をなるべく閉鎖し、新規の参入を止める、それが保守の本質だ。その最も好例が、世襲議員だ。先祖からの地盤、看板等を受け継ぎ、それを維持し続けることが競争相手を抑え、再選を確実にすることになる。従って、言葉とは裏腹に、経済にしろ、農林業、漁業にしろ、大型の新規参入には内心消極的となっても不思議はない。
 しかしそのような閉鎖的な、保守的な姿勢が、地域の新陳代謝や活力を失わせている。新規の参入、若い世代の進出を阻み、活力が無くなった地域から、若い世代は出て行く。そして年長者だけが残って行く。それが現実に起こっている。
 現在、地方の市町村に老齢者だけが残り、多くの900前後の市町村が消えて行くことが予想されている。それは長い間政権の座についていた自民党の政策がそのような結果を招いたと言えそうだ。
 農業についても、農協の下で新規参入を拒み、同一地域のコメを一律に扱い、農家間の競争を排除する一方、コメへの需要が減少するたびに減反をさせ、減反した農家に補助金或いは所得補償を行って来た。それは生産しない者に所得を保証するということであり、そのような農業に若い働き手は必要もなく、残らない。それが農業の衰退と競争力の退化をもたらしたといえよう。来年もコメへの需要は低下すると予想されており、生産削減や減反が実施され、作物を作らないことに所得補償が行われる。自民党は農家にそれを約束して来た。しかし、それでまた農業は一層退化する。要するに、保守党の基盤に立って、農水省と農協が、税金を使って“俵”を買い上げ、議員が“票”を買っているようなものと映る。
 国民はコメを含む農産物の有り難みを知っており、このような農業政策に寛容であった。しかし働かないことに補償が与えられるような制度は持続不能であることも知っている。現状で農業は退化し、若い働き手も残る見通しもない以上、農業への参入規制を緩和し、大規模化、企業化を図るしかないのではないか。
 経済戦略特区についても、一方で全国一律に規制を維持しつつ、特定の都道府県を選択し、規制の一部解除を行うだけで、新たに地域選択という手続きを追加し、規制制度を更に複雑化させるだけだ。中央管理の複雑化、強化に繋がる。
 また自民党は、選挙公約の中で、‘地方創生’の具体的施策として、中小企業対策や人口減少対策のために‘バラ撒きにならないような’交付金や、商店街などの地域経済の活性化を図るため、‘地域商品券’の発行等を行うとしている。正にバラ撒きではないか。公明党が嘗て‘地域振興券’なるものを推奨したが、地方のシャッター街が次々と増えるのを防ぐことは出来なかったことは誰もが知っていることだ。このような中央から地域振興のための予算、税金のおこぼれを受け取っている限り、地方の自発的、自律的な振興を図れないばかりか、中央―地方の支配関係や制度を保守する結果となり、地方分権の拡大にもならないだろう。もっともそれが保守政党の狙いなのだろう。
 地方がそれに安住する限り、地方の再生はない。それは歴史が物語っている。
 (2014.12.1.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―地方再生は保守政党には出来ない!?

2014-12-21 | Weblog
シリーズ平成の本音―地方再生は保守政党には出来ない!?
 総選挙を前にして、自民党は選挙公約を公表したが、その中で‘地方創生’を一つの公約としている。
 しかし保守自民党には、‘地方創生’は出来ないと見られている。
 多くの同党古参議員等は、地方への大型量販店、百貨店や大規模工場、企業の進出を内心嫌っている。これらの産業の進出により、労働組合が出来、野党勢力が進出し、保守地盤が侵食されることを懸念している。従って、地方の産業や市場の自由化や規制撤廃には本質的に消極的だ。
 それが保守政党、保守政党議員の本質だろう。伝統的な保守地盤を維持することが再選への道なのである。地域社会をなるべく閉鎖し、新規の参入を止める、それが保守の本質だ。その最も好例が、世襲議員だ。先祖からの地盤、看板等を受け継ぎ、それを維持し続けることが競争相手を抑え、再選を確実にすることになる。従って、言葉とは裏腹に、経済にしろ、農林業、漁業にしろ、大型の新規参入には内心消極的となっても不思議はない。
 しかしそのような閉鎖的な、保守的な姿勢が、地域の新陳代謝や活力を失わせている。新規の参入、若い世代の進出を阻み、活力が無くなった地域から、若い世代は出て行く。そして年長者だけが残って行く。それが現実に起こっている。
 現在、地方の市町村に老齢者だけが残り、多くの900前後の市町村が消えて行くことが予想されている。それは長い間政権の座についていた自民党の政策がそのような結果を招いたと言えそうだ。
 農業についても、農協の下で新規参入を拒み、同一地域のコメを一律に扱い、農家間の競争を排除する一方、コメへの需要が減少するたびに減反をさせ、減反した農家に補助金或いは所得補償を行って来た。それは生産しない者に所得を保証するということであり、そのような農業に若い働き手は必要もなく、残らない。それが農業の衰退と競争力の退化をもたらしたといえよう。来年もコメへの需要は低下すると予想されており、生産削減や減反が実施され、作物を作らないことに所得補償が行われる。自民党は農家にそれを約束して来た。しかし、それでまた農業は一層退化する。要するに、保守党の基盤に立って、農水省と農協が、税金を使って“俵”を買い上げ、議員が“票”を買っているようなものと映る。
 国民はコメを含む農産物の有り難みを知っており、このような農業政策に寛容であった。しかし働かないことに補償が与えられるような制度は持続不能であることも知っている。現状で農業は退化し、若い働き手も残る見通しもない以上、農業への参入規制を緩和し、大規模化、企業化を図るしかないのではないか。
 経済戦略特区についても、一方で全国一律に規制を維持しつつ、特定の都道府県を選択し、規制の一部解除を行うだけで、新たに地域選択という手続きを追加し、規制制度を更に複雑化させるだけだ。中央管理の複雑化、強化に繋がる。
 また自民党は、選挙公約の中で、‘地方創生’の具体的施策として、中小企業対策や人口減少対策のために‘バラ撒きにならないような’交付金や、商店街などの地域経済の活性化を図るため、‘地域商品券’の発行等を行うとしている。正にバラ撒きではないか。公明党が嘗て‘地域振興券’なるものを推奨したが、地方のシャッター街が次々と増えるのを防ぐことは出来なかったことは誰もが知っていることだ。このような中央から地域振興のための予算、税金のおこぼれを受け取っている限り、地方の自発的、自律的な振興を図れないばかりか、中央―地方の支配関係や制度を保守する結果となり、地方分権の拡大にもならないだろう。もっともそれが保守政党の狙いなのだろう。
 地方がそれに安住する限り、地方の再生はない。それは歴史が物語っている。
 (2014.12.1.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―警察車両による追尾事故を防げ!

2014-12-21 | Weblog
シリーズ平成の本音―警察車両による追尾事故を防げ!
 12月20日午前9時過ぎ、東京都葛飾区西新小岩で、パトカーが追跡していた乗用車に女性がはねられ、病院に搬送されたが死亡した。運転していた男は逮捕されたが、警察車両の追尾活動でまた尊い命が失われた。所轄の警視庁葛飾署は‘追尾は適正だった’としている。
 この種の警察車両の追尾中の人身事故は、毎年のように全国で繰り返されている。
 2012年11月3日にも、午前1時前後に東京港臨海道路を走行していたオートバイが覆面の警察車両に追尾され、30代の運転者(男性)が死亡した。管轄の警察署は、オートバイが時速40kmオーバーのスピードで走行し、覆面警察車を追い越したので警告灯を付けサイレンを鳴らし追尾したもので、「追尾方法は適正であった」と説明している。
 警察車両による追尾による重大な死傷事故が全国各地で発生する度に、警察当局は一様に「追尾方法は適正であった」旨説明して来ている。
 しかし結果として重大な死傷事故を起こしておいて「追尾は適正であった」とする姿勢には、強い違和感を覚える。尊い人の命を奪っておいて「適正」とは何事だろうか。警察車両による追尾事故は、そのほとんどが夜間から深夜の人通りが途絶えた頃や道路で起こっているが、今回は通勤、通学の時間帯の午前中に起こっている。その他の自動車や通行人を巻き込んだ死傷事故も発生しやすい。
もとよりスピード違反や信号無視などは行ってはならない。ましてや飲酒運転などは行ってはならないので、運転者側の注意も促したい。だがスピード違反や信号無視などの交通違反で、人の命まで奪うことは行き過ぎであり、違反行為に比して警察権限の行使による事実上の罰が余りにも重過ぎる。人命軽視の取り締まり、警察行政、権限の乱用とも言える。業務上人の生命を守るという意識がもっとあって良い。人を守るための交通規則ではないか。規則が人命に優先するものではない。警察も国民の生命、財産を守るためにあるのではないか。その本旨を見失って、規則を守らせ、違反を取り締まるために国民の命を奪ってどうするのか。
警察当局にも、暗黙のノルマのようなものがあると言われている。月始めや月末に、警察官や白バイが物陰に潜んで一時停止や信号無視、右折禁止,Uターン禁止などを最近一般車両が事故を取り締まっている模様を見かけることが多い。同じ場所で行っている。違反を摘発し易いスッポトのようだ。重箱の隅をほじくるような取締を見掛けると、警察官が多過ぎて余程暇なのかと思わせる。そうかと思ったら、千葉県警で、交通死亡事故数を過小に報告していたことが指摘されている。交通事故死が全国でも多いことから、過小に報告していたとも言われている。やはり原点に戻って、国民の生命と財産を守り、国民が安全に生活出来るようにする大切な任務をしているとの意識がもっと欲しいものだ。そうでなければ国民の信頼は得られないだろう。
他方、最近事故を起こした場合、業務上の過失責任等が厳しく罰せられるようになった。警察権限の行使、取り締まりとは言え、もしこのような人命軽視の取り締まり等が続き、改善が見られない場合には、重大な死傷事件を招いた追尾事案については、事の重大性と一般車両の過失責任の厳正化との公平性を保つため、担当官の報告だけで判断するのではなく、少なくても第三者的機関による厳正な調査が行われることが望ましい。(2014.12.21.)
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シリーズ平成の本音―警察車両による追尾事故を防げ!

2014-12-21 | Weblog
シリーズ平成の本音―警察車両による追尾事故を防げ!
 12月20日午前9時過ぎ、東京都葛飾区西新小岩で、パトカーが追跡していた乗用車に女性がはねられ、病院に搬送されたが死亡した。運転していた男は逮捕されたが、警察車両の追尾活動でまた尊い命が失われた。所轄の警視庁葛飾署は‘追尾は適正だった’としている。
 この種の警察車両の追尾中の人身事故は、毎年のように全国で繰り返されている。
 2012年11月3日にも、午前1時前後に東京港臨海道路を走行していたオートバイが覆面の警察車両に追尾され、30代の運転者(男性)が死亡した。管轄の警察署は、オートバイが時速40kmオーバーのスピードで走行し、覆面警察車を追い越したので警告灯を付けサイレンを鳴らし追尾したもので、「追尾方法は適正であった」と説明している。
 警察車両による追尾による重大な死傷事故が全国各地で発生する度に、警察当局は一様に「追尾方法は適正であった」旨説明して来ている。
 しかし結果として重大な死傷事故を起こしておいて「追尾は適正であった」とする姿勢には、強い違和感を覚える。尊い人の命を奪っておいて「適正」とは何事だろうか。警察車両による追尾事故は、そのほとんどが夜間から深夜の人通りが途絶えた頃や道路で起こっているが、今回は通勤、通学の時間帯の午前中に起こっている。その他の自動車や通行人を巻き込んだ死傷事故も発生しやすい。
もとよりスピード違反や信号無視などは行ってはならない。ましてや飲酒運転などは行ってはならないので、運転者側の注意も促したい。だがスピード違反や信号無視などの交通違反で、人の命まで奪うことは行き過ぎであり、違反行為に比して警察権限の行使による事実上の罰が余りにも重過ぎる。人命軽視の取り締まり、警察行政、権限の乱用とも言える。業務上人の生命を守るという意識がもっとあって良い。人を守るための交通規則ではないか。規則が人命に優先するものではない。警察も国民の生命、財産を守るためにあるのではないか。その本旨を見失って、規則を守らせ、違反を取り締まるために国民の命を奪ってどうするのか。
警察当局にも、暗黙のノルマのようなものがあると言われている。月始めや月末に、警察官や白バイが物陰に潜んで一時停止や信号無視、右折禁止,Uターン禁止などを最近一般車両が事故を取り締まっている模様を見かけることが多い。同じ場所で行っている。違反を摘発し易いスッポトのようだ。重箱の隅をほじくるような取締を見掛けると、警察官が多過ぎて余程暇なのかと思わせる。そうかと思ったら、千葉県警で、交通死亡事故数を過小に報告していたことが指摘されている。交通事故死が全国でも多いことから、過小に報告していたとも言われている。やはり原点に戻って、国民の生命と財産を守り、国民が安全に生活出来るようにする大切な任務をしているとの意識がもっと欲しいものだ。そうでなければ国民の信頼は得られないだろう。
他方、最近事故を起こした場合、業務上の過失責任等が厳しく罰せられるようになった。警察権限の行使、取り締まりとは言え、もしこのような人命軽視の取り締まり等が続き、改善が見られない場合には、重大な死傷事件を招いた追尾事案については、事の重大性と一般車両の過失責任の厳正化との公平性を保つため、担当官の報告だけで判断するのではなく、少なくても第三者的機関による厳正な調査が行われることが望ましい。(2014.12.21.)
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 12月20日午前9時過ぎ、東京都葛飾区西新小岩で、パトカーが追跡していた乗用車に女性がはねられ、病院に搬送されたが死亡した。運転していた男は逮捕されたが、警察車両の追尾活動でまた尊い命が失われた。所轄の警視庁葛飾署は‘追尾は適正だった’としている。
 この種の警察車両の追尾中の人身事故は、毎年のように全国で繰り返されている。
 2012年11月3日にも、午前1時前後に東京港臨海道路を走行していたオートバイが覆面の警察車両に追尾され、30代の運転者(男性)が死亡した。管轄の警察署は、オートバイが時速40kmオーバーのスピードで走行し、覆面警察車を追い越したので警告灯を付けサイレンを鳴らし追尾したもので、「追尾方法は適正であった」と説明している。
 警察車両による追尾による重大な死傷事故が全国各地で発生する度に、警察当局は一様に「追尾方法は適正であった」旨説明して来ている。
 しかし結果として重大な死傷事故を起こしておいて「追尾は適正であった」とする姿勢には、強い違和感を覚える。尊い人の命を奪っておいて「適正」とは何事だろうか。警察車両による追尾事故は、そのほとんどが夜間から深夜の人通りが途絶えた頃や道路で起こっているが、今回は通勤、通学の時間帯の午前中に起こっている。その他の自動車や通行人を巻き込んだ死傷事故も発生しやすい。
もとよりスピード違反や信号無視などは行ってはならない。ましてや飲酒運転などは行ってはならないので、運転者側の注意も促したい。だがスピード違反や信号無視などの交通違反で、人の命まで奪うことは行き過ぎであり、違反行為に比して警察権限の行使による事実上の罰が余りにも重過ぎる。人命軽視の取り締まり、警察行政、権限の乱用とも言える。業務上人の生命を守るという意識がもっとあって良い。人を守るための交通規則ではないか。規則が人命に優先するものではない。警察も国民の生命、財産を守るためにあるのではないか。その本旨を見失って、規則を守らせ、違反を取り締まるために国民の命を奪ってどうするのか。
警察当局にも、暗黙のノルマのようなものがあると言われている。月始めや月末に、警察官や白バイが物陰に潜んで一時停止や信号無視、右折禁止,Uターン禁止などを最近一般車両が事故を取り締まっている模様を見かけることが多い。同じ場所で行っている。違反を摘発し易いスッポトのようだ。重箱の隅をほじくるような取締を見掛けると、警察官が多過ぎて余程暇なのかと思わせる。そうかと思ったら、千葉県警で、交通死亡事故数を過小に報告していたことが指摘されている。交通事故死が全国でも多いことから、過小に報告していたとも言われている。やはり原点に戻って、国民の生命と財産を守り、国民が安全に生活出来るようにする大切な任務をしているとの意識がもっと欲しいものだ。そうでなければ国民の信頼は得られないだろう。
他方、最近事故を起こした場合、業務上の過失責任等が厳しく罰せられるようになった。警察権限の行使、取り締まりとは言え、もしこのような人命軽視の取り締まり等が続き、改善が見られない場合には、重大な死傷事件を招いた追尾事案については、事の重大性と一般車両の過失責任の厳正化との公平性を保つため、担当官の報告だけで判断するのではなく、少なくても第三者的機関による厳正な調査が行われることが望ましい。(2014.12.21.)
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 この種の警察車両の追尾中の人身事故は、毎年のように全国で繰り返されている。
 2012年11月3日にも、午前1時前後に東京港臨海道路を走行していたオートバイが覆面の警察車両に追尾され、30代の運転者(男性)が死亡した。管轄の警察署は、オートバイが時速40kmオーバーのスピードで走行し、覆面警察車を追い越したので警告灯を付けサイレンを鳴らし追尾したもので、「追尾方法は適正であった」と説明している。
 警察車両による追尾による重大な死傷事故が全国各地で発生する度に、警察当局は一様に「追尾方法は適正であった」旨説明して来ている。
 しかし結果として重大な死傷事故を起こしておいて「追尾は適正であった」とする姿勢には、強い違和感を覚える。尊い人の命を奪っておいて「適正」とは何事だろうか。警察車両による追尾事故は、そのほとんどが夜間から深夜の人通りが途絶えた頃や道路で起こっているが、今回は通勤、通学の時間帯の午前中に起こっている。その他の自動車や通行人を巻き込んだ死傷事故も発生しやすい。
もとよりスピード違反や信号無視などは行ってはならない。ましてや飲酒運転などは行ってはならないので、運転者側の注意も促したい。だがスピード違反や信号無視などの交通違反で、人の命まで奪うことは行き過ぎであり、違反行為に比して警察権限の行使による事実上の罰が余りにも重過ぎる。人命軽視の取り締まり、警察行政、権限の乱用とも言える。業務上人の生命を守るという意識がもっとあって良い。人を守るための交通規則ではないか。規則が人命に優先するものではない。警察も国民の生命、財産を守るためにあるのではないか。その本旨を見失って、規則を守らせ、違反を取り締まるために国民の命を奪ってどうするのか。
警察当局にも、暗黙のノルマのようなものがあると言われている。月始めや月末に、警察官や白バイが物陰に潜んで一時停止や信号無視、右折禁止,Uターン禁止などを最近一般車両が事故を取り締まっている模様を見かけることが多い。同じ場所で行っている。違反を摘発し易いスッポトのようだ。重箱の隅をほじくるような取締を見掛けると、警察官が多過ぎて余程暇なのかと思わせる。そうかと思ったら、千葉県警で、交通死亡事故数を過小に報告していたことが指摘されている。交通事故死が全国でも多いことから、過小に報告していたとも言われている。やはり原点に戻って、国民の生命と財産を守り、国民が安全に生活出来るようにする大切な任務をしているとの意識がもっと欲しいものだ。そうでなければ国民の信頼は得られないだろう。
他方、最近事故を起こした場合、業務上の過失責任等が厳しく罰せられるようになった。警察権限の行使、取り締まりとは言え、もしこのような人命軽視の取り締まり等が続き、改善が見られない場合には、重大な死傷事件を招いた追尾事案については、事の重大性と一般車両の過失責任の厳正化との公平性を保つため、担当官の報告だけで判断するのではなく、少なくても第三者的機関による厳正な調査が行われることが望ましい。(2014.12.21.)
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 この種の警察車両の追尾中の人身事故は、毎年のように全国で繰り返されている。
 2012年11月3日にも、午前1時前後に東京港臨海道路を走行していたオートバイが覆面の警察車両に追尾され、30代の運転者(男性)が死亡した。管轄の警察署は、オートバイが時速40kmオーバーのスピードで走行し、覆面警察車を追い越したので警告灯を付けサイレンを鳴らし追尾したもので、「追尾方法は適正であった」と説明している。
 警察車両による追尾による重大な死傷事故が全国各地で発生する度に、警察当局は一様に「追尾方法は適正であった」旨説明して来ている。
 しかし結果として重大な死傷事故を起こしておいて「追尾は適正であった」とする姿勢には、強い違和感を覚える。尊い人の命を奪っておいて「適正」とは何事だろうか。警察車両による追尾事故は、そのほとんどが夜間から深夜の人通りが途絶えた頃や道路で起こっているが、今回は通勤、通学の時間帯の午前中に起こっている。その他の自動車や通行人を巻き込んだ死傷事故も発生しやすい。
もとよりスピード違反や信号無視などは行ってはならない。ましてや飲酒運転などは行ってはならないので、運転者側の注意も促したい。だがスピード違反や信号無視などの交通違反で、人の命まで奪うことは行き過ぎであり、違反行為に比して警察権限の行使による事実上の罰が余りにも重過ぎる。人命軽視の取り締まり、警察行政、権限の乱用とも言える。業務上人の生命を守るという意識がもっとあって良い。人を守るための交通規則ではないか。規則が人命に優先するものではない。警察も国民の生命、財産を守るためにあるのではないか。その本旨を見失って、規則を守らせ、違反を取り締まるために国民の命を奪ってどうするのか。
警察当局にも、暗黙のノルマのようなものがあると言われている。月始めや月末に、警察官や白バイが物陰に潜んで一時停止や信号無視、右折禁止,Uターン禁止などを最近一般車両が事故を取り締まっている模様を見かけることが多い。同じ場所で行っている。違反を摘発し易いスッポトのようだ。重箱の隅をほじくるような取締を見掛けると、警察官が多過ぎて余程暇なのかと思わせる。そうかと思ったら、千葉県警で、交通死亡事故数を過小に報告していたことが指摘されている。交通事故死が全国でも多いことから、過小に報告していたとも言われている。やはり原点に戻って、国民の生命と財産を守り、国民が安全に生活出来るようにする大切な任務をしているとの意識がもっと欲しいものだ。そうでなければ国民の信頼は得られないだろう。
他方、最近事故を起こした場合、業務上の過失責任等が厳しく罰せられるようになった。警察権限の行使、取り締まりとは言え、もしこのような人命軽視の取り締まり等が続き、改善が見られない場合には、重大な死傷事件を招いた追尾事案については、事の重大性と一般車両の過失責任の厳正化との公平性を保つため、担当官の報告だけで判断するのではなく、少なくても第三者的機関による厳正な調査が行われることが望ましい。(2014.12.21.)
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 この種の警察車両の追尾中の人身事故は、毎年のように全国で繰り返されている。
 2012年11月3日にも、午前1時前後に東京港臨海道路を走行していたオートバイが覆面の警察車両に追尾され、30代の運転者(男性)が死亡した。管轄の警察署は、オートバイが時速40kmオーバーのスピードで走行し、覆面警察車を追い越したので警告灯を付けサイレンを鳴らし追尾したもので、「追尾方法は適正であった」と説明している。
 警察車両による追尾による重大な死傷事故が全国各地で発生する度に、警察当局は一様に「追尾方法は適正であった」旨説明して来ている。
 しかし結果として重大な死傷事故を起こしておいて「追尾は適正であった」とする姿勢には、強い違和感を覚える。尊い人の命を奪っておいて「適正」とは何事だろうか。警察車両による追尾事故は、そのほとんどが夜間から深夜の人通りが途絶えた頃や道路で起こっているが、今回は通勤、通学の時間帯の午前中に起こっている。その他の自動車や通行人を巻き込んだ死傷事故も発生しやすい。
もとよりスピード違反や信号無視などは行ってはならない。ましてや飲酒運転などは行ってはならないので、運転者側の注意も促したい。だがスピード違反や信号無視などの交通違反で、人の命まで奪うことは行き過ぎであり、違反行為に比して警察権限の行使による事実上の罰が余りにも重過ぎる。人命軽視の取り締まり、警察行政、権限の乱用とも言える。業務上人の生命を守るという意識がもっとあって良い。人を守るための交通規則ではないか。規則が人命に優先するものではない。警察も国民の生命、財産を守るためにあるのではないか。その本旨を見失って、規則を守らせ、違反を取り締まるために国民の命を奪ってどうするのか。
警察当局にも、暗黙のノルマのようなものがあると言われている。月始めや月末に、警察官や白バイが物陰に潜んで一時停止や信号無視、右折禁止,Uターン禁止などを最近一般車両が事故を取り締まっている模様を見かけることが多い。同じ場所で行っている。違反を摘発し易いスッポトのようだ。重箱の隅をほじくるような取締を見掛けると、警察官が多過ぎて余程暇なのかと思わせる。そうかと思ったら、千葉県警で、交通死亡事故数を過小に報告していたことが指摘されている。交通事故死が全国でも多いことから、過小に報告していたとも言われている。やはり原点に戻って、国民の生命と財産を守り、国民が安全に生活出来るようにする大切な任務をしているとの意識がもっと欲しいものだ。そうでなければ国民の信頼は得られないだろう。
他方、最近事故を起こした場合、業務上の過失責任等が厳しく罰せられるようになった。警察権限の行使、取り締まりとは言え、もしこのような人命軽視の取り締まり等が続き、改善が見られない場合には、重大な死傷事件を招いた追尾事案については、事の重大性と一般車両の過失責任の厳正化との公平性を保つため、担当官の報告だけで判断するのではなく、少なくても第三者的機関による厳正な調査が行われることが望ましい。(2014.12.21.)
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 この種の警察車両の追尾中の人身事故は、毎年のように全国で繰り返されている。
 2012年11月3日にも、午前1時前後に東京港臨海道路を走行していたオートバイが覆面の警察車両に追尾され、30代の運転者(男性)が死亡した。管轄の警察署は、オートバイが時速40kmオーバーのスピードで走行し、覆面警察車を追い越したので警告灯を付けサイレンを鳴らし追尾したもので、「追尾方法は適正であった」と説明している。
 警察車両による追尾による重大な死傷事故が全国各地で発生する度に、警察当局は一様に「追尾方法は適正であった」旨説明して来ている。
 しかし結果として重大な死傷事故を起こしておいて「追尾は適正であった」とする姿勢には、強い違和感を覚える。尊い人の命を奪っておいて「適正」とは何事だろうか。警察車両による追尾事故は、そのほとんどが夜間から深夜の人通りが途絶えた頃や道路で起こっているが、今回は通勤、通学の時間帯の午前中に起こっている。その他の自動車や通行人を巻き込んだ死傷事故も発生しやすい。
もとよりスピード違反や信号無視などは行ってはならない。ましてや飲酒運転などは行ってはならないので、運転者側の注意も促したい。だがスピード違反や信号無視などの交通違反で、人の命まで奪うことは行き過ぎであり、違反行為に比して警察権限の行使による事実上の罰が余りにも重過ぎる。人命軽視の取り締まり、警察行政、権限の乱用とも言える。業務上人の生命を守るという意識がもっとあって良い。人を守るための交通規則ではないか。規則が人命に優先するものではない。警察も国民の生命、財産を守るためにあるのではないか。その本旨を見失って、規則を守らせ、違反を取り締まるために国民の命を奪ってどうするのか。
警察当局にも、暗黙のノルマのようなものがあると言われている。月始めや月末に、警察官や白バイが物陰に潜んで一時停止や信号無視、右折禁止,Uターン禁止などを最近一般車両が事故を取り締まっている模様を見かけることが多い。同じ場所で行っている。違反を摘発し易いスッポトのようだ。重箱の隅をほじくるような取締を見掛けると、警察官が多過ぎて余程暇なのかと思わせる。そうかと思ったら、千葉県警で、交通死亡事故数を過小に報告していたことが指摘されている。交通事故死が全国でも多いことから、過小に報告していたとも言われている。やはり原点に戻って、国民の生命と財産を守り、国民が安全に生活出来るようにする大切な任務をしているとの意識がもっと欲しいものだ。そうでなければ国民の信頼は得られないだろう。
他方、最近事故を起こした場合、業務上の過失責任等が厳しく罰せられるようになった。警察権限の行使、取り締まりとは言え、もしこのような人命軽視の取り締まり等が続き、改善が見られない場合には、重大な死傷事件を招いた追尾事案については、事の重大性と一般車両の過失責任の厳正化との公平性を保つため、担当官の報告だけで判断するのではなく、少なくても第三者的機関による厳正な調査が行われることが望ましい。(2014.12.21.)
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シリーズ平成の本音―警察車両による追尾事故を防げ!

2014-12-21 | Weblog
シリーズ平成の本音―警察車両による追尾事故を防げ!
 12月20日午前9時過ぎ、東京都葛飾区西新小岩で、パトカーが追跡していた乗用車に女性がはねられ、病院に搬送されたが死亡した。運転していた男は逮捕されたが、警察車両の追尾活動でまた尊い命が失われた。所轄の警視庁葛飾署は‘追尾は適正だった’としている。
 この種の警察車両の追尾中の人身事故は、毎年のように全国で繰り返されている。
 2012年11月3日にも、午前1時前後に東京港臨海道路を走行していたオートバイが覆面の警察車両に追尾され、30代の運転者(男性)が死亡した。管轄の警察署は、オートバイが時速40kmオーバーのスピードで走行し、覆面警察車を追い越したので警告灯を付けサイレンを鳴らし追尾したもので、「追尾方法は適正であった」と説明している。
 警察車両による追尾による重大な死傷事故が全国各地で発生する度に、警察当局は一様に「追尾方法は適正であった」旨説明して来ている。
 しかし結果として重大な死傷事故を起こしておいて「追尾は適正であった」とする姿勢には、強い違和感を覚える。尊い人の命を奪っておいて「適正」とは何事だろうか。警察車両による追尾事故は、そのほとんどが夜間から深夜の人通りが途絶えた頃や道路で起こっているが、今回は通勤、通学の時間帯の午前中に起こっている。その他の自動車や通行人を巻き込んだ死傷事故も発生しやすい。
もとよりスピード違反や信号無視などは行ってはならない。ましてや飲酒運転などは行ってはならないので、運転者側の注意も促したい。だがスピード違反や信号無視などの交通違反で、人の命まで奪うことは行き過ぎであり、違反行為に比して警察権限の行使による事実上の罰が余りにも重過ぎる。人命軽視の取り締まり、警察行政、権限の乱用とも言える。業務上人の生命を守るという意識がもっとあって良い。人を守るための交通規則ではないか。規則が人命に優先するものではない。警察も国民の生命、財産を守るためにあるのではないか。その本旨を見失って、規則を守らせ、違反を取り締まるために国民の命を奪ってどうするのか。
警察当局にも、暗黙のノルマのようなものがあると言われている。月始めや月末に、警察官や白バイが物陰に潜んで一時停止や信号無視、右折禁止,Uターン禁止などを最近一般車両が事故を取り締まっている模様を見かけることが多い。同じ場所で行っている。違反を摘発し易いスッポトのようだ。重箱の隅をほじくるような取締を見掛けると、警察官が多過ぎて余程暇なのかと思わせる。そうかと思ったら、千葉県警で、交通死亡事故数を過小に報告していたことが指摘されている。交通事故死が全国でも多いことから、過小に報告していたとも言われている。やはり原点に戻って、国民の生命と財産を守り、国民が安全に生活出来るようにする大切な任務をしているとの意識がもっと欲しいものだ。そうでなければ国民の信頼は得られないだろう。
他方、最近事故を起こした場合、業務上の過失責任等が厳しく罰せられるようになった。警察権限の行使、取り締まりとは言え、もしこのような人命軽視の取り締まり等が続き、改善が見られない場合には、重大な死傷事件を招いた追尾事案については、事の重大性と一般車両の過失責任の厳正化との公平性を保つため、担当官の報告だけで判断するのではなく、少なくても第三者的機関による厳正な調査が行われることが望ましい。(2014.12.21.)
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