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YUKON

無数に分岐しふたたびひとつに戻っていく、ユーコン川の流れのように…

変化していく

2008-11-17 | ことば・メッセージ
「どうして私はなかなか変われないのだろう」

「なぜこんなに我が強いのだろう」

というように、いろんな悩みを自らに訊ねながら、どこにその原因があるのかを突き止めようとして旅にでるものではないかと思います。


               塩沼亮潤「人生生涯小僧のこころ」より




一週間前にこの言葉を目にしてから、ずっと頭のどこかにこびりついていました。

自分の大嫌いなところを無くそうとして必死に努力をして、ときに目をそらして、そうしているうちに日常の忙しさに紛れていく。

そして忘れたころに、またそれが現れてくる。

もうこんな自分はいやだ。

もう、絶対に変わろう。

そう決心したばっかりなのに、また嫌な自分が現れてくるのだ。

惨めで情けなくて、涙が出てくる。

そうして先日、その葛藤を抱えながらもう10年の月日が経っていることに気づき唖然とした。

変わりたい、変わりたい、と思って。

もう変わった、もう今度こそ変わった、と何度思ったかな。

でも現実には、変わっていなかった。

そして、また同じ過ちを繰り返してしまう自分の意志の弱さを、責める。


自分にほとほと愛想が尽きて、何も変わっていない自分を突きつけられたとき、初めてその問題に真正面から向き合った気がした。

不思議と心が平静になった。

人は決心では変わることができないのだと、思った。

もっと自分の奥深いところを揺るがすような深い懺悔や気付きがないと、変わることはできない。



でも、やっぱり変わりたい。

変わっていくために、痛みを伴うのは分かっているけど、これ以上目をそらしたくない。

たぶん、今のままでいる方が、苦しいから。

最近、今まで記憶の底に葬られていた記憶とか感情が、不思議とよみがえってくるときがある。

そうしているうちに、自分が抱えている問題の数々が、だんだんとひとつの糸でつながっていくような感覚がある。

責めるのではなく、弁解するのでもなく、ただ自分のありのままの姿を、見てみたい。

10・10・10の法則

2008-10-29 | ことば・メッセージ
もうだいぶ前にあるテレビ番組で見たチンパンジーが、忘れられません。
昨今大きく進んだ研究によると、チンパンジーと人間の大きな違いのひとつは、「衝動を抑えられるかどうか」なのだそうです。
実験でチンパンジーは、待てば後でたくさんのバナナがもらえることが分かっているのに、待ちきれずに目の前に一本置いてあるバナナを食べてしまいます。


その時は、ふ~んと、感心して観ていましたが。

そのチンパンジーのことが、な~んかずっと頭のどこかに残っていて、ふとしたときに思い出します。
私にそういうところが、あると思うから。


急に何かをしたいと思い立って、自分なりのルールをいとも簡単に破ってしまったとき(よくある)。
手に入れたいために、手段を選ばない、犠牲をいとわない。


そんな自分に気づく度、あのバナナをがまんできなかったチンパンジーと自分が、重なるような気がする。



もう大分前になりますが、あるとき夫に
「方向性はまったく違うけど、衝動性においては、連続殺人事件の犯人並みにある」
と、いつものごとく冷静に言われ(笑)

なんじゃそりゃ~!
殺人事件の犯人並みって・・・いくらなんでも大げさなんじゃ


でも、その時あたりから、自分の「衝動」というものについて、冷静に考え始めた気がします。
学生の頃は、自分の欲求に正直であることが、自分に対する誠実さだと思っていました。
なので今考えると、穴に入りたいほど恥ずかしいこと、礼儀知らずなことを数え切れないほどしてきました。


衝動に如何に翻弄されないようにするか。

と、今はそう思っていますが、これはとても難しいことです。
ふと無防備になったときに、たちまち怠惰や衝動、暗い気持ちなんかに翻弄されてしまっている自分です。
でも、やるしかない。
日々こつこつと。
何度失敗しようが。



そんなことを思っていた時、月間知致のメールマガジンで「10・10・10の法則」という言葉を知りました。


帝国ホテル顧問の藤居寛氏が話された言葉だそうです。

以下抜粋。


企業がブランドを構築するまでに10年、しかしそのブランドは、些細なミスによって10秒で失われてしまう。
それを取り戻すのには10年の歳月を要する。

そういう法則があるのだという。

藤居氏は続けてこのように述べておられる。

「ですから、一瞬一瞬のお客様との出会いを本当に大事にしなければいけないのです」と。



・・・自分のことに置き換えるのは、スケールが違いすぎておこがましいですが、でも、一瞬一瞬を大切にすることの重要さは、同じだと思い深く感化されました。
というか、大企業のトップがこういうことを大切にしているということは、言ってみればそんな一見簡単そうなことが如何に難しいかということだとも思います。

実は今日も、翻弄されてしまう出来事があって、かなりブルーになっていたのですが、また今からはじめよう。
また失敗したとしても、何度でも原点に立ち戻ると自分にいいきかせて。

気持ちがぶれない

2008-10-16 | ことば・メッセージ
今朝の空。
文句なしの快晴です。


今朝起きたら、2~3日前に読んだ言葉がふと頭に浮かんできました。


「努力の上に、辛抱という棒を立てろ」
          (致知出版社メルマガより)



一発発起は誰にでもできる。
努力は誰にでもできる。
その状態から一歩抜きん出るためには、努力の上に辛抱という棒と立てるのだ、と。

ひとつのことを変わらず毎日続けていこうとしたとき、今まで気づきもしなかった自分の新たな側面が見えてくる。
そんな側面とは、大抵、今まで目を向けようとしてこなかったところ。
たとえば怠惰や、びっくりするほどの集中力の無さ。

でももう、そんな自分を責めるのはやめた。
むやみに変えようと、逃れようとするんじゃなくて「あぁ今の自分はこうなんだ」と、冷静に見る、認める。
するとそこから意識が変わり始める気がする。

今日みたいに天気のいい日も、悪い日も。
調子のいい日も、気分が冴えない日も。
ふと、嫌な思い出や不安が心に浮かんで、どんどん膨らんで埋め尽くされそうになるときも。

息を吐いて。

自分の原点に、いつも立ち戻る。
毎日毎日。
毎瞬、毎瞬。

さぁ今日も。

みずからと共にいる

2008-10-10 | ことば・メッセージ

なんか今回の記事はすんごい長い文章になっちゃっいました
読みにくかったら、ごめんなさい・・・。



最近、ずっと前に読んだ「ビーイング・ピース」という本の中の言葉が、よく頭に浮かんできます。
著者はティク・ナット・ハンというベトナム出身の禅僧です。
心にゆとりを持ち、日々を平和に生きていくための物事の捉え方、行動の仕方について、とてもわかりやすく、やさしく書かれた素敵な本です。

思い出すのはその本の中の、日々の過ごし方について書かれた一節。

-私たちは忙しすぎて・・・(省略)
 自分自身をじっと見つめる時間が、ほとんどありません。
 貴重な時間をつぶす方法が、何百万とあります・・・
 
私たちは普段の生活で、まるで真の自己から逃れるようにして、外界からの情報が自分の内面にまで入り込むことを許している。
たとえば、今ついているそのテレビを立ち上がってOFFにする勇気がない。
それは、消して外部からの情報入力が絶たれてしまったら、自分を見つめなければならないからなのだ、と。
もうちょっとだけと、あるいは時間を持て余して、テレビ以外にもインターネット、、際限ない飲食・・・外に意識を向けていようと思えば、その対象物は限りなくある。

この文を読んだ当初、意味が分かるようでよく分からなかった。
なぜかというと、もし時間があってもつかの間で、すぐに仕事とかやるべきことがいつも目の前にあったから。
でも今は、それがよく分かる気がする。

考えてみれば、ずっと“何もしない”状態を恐れていた自分。
休みの日には、何か予定を入れなければ気がすまなかった。

たとえば勉強とかボランティアとか建設的な内容であっても、それが自分の中の何かを紛らわせているとしたら、それはちょっと方向が間違っている、と思う。
どうしてかというと、それはゆくゆく自分を追い詰めていくことになるから。

私はそうしてよく無理してしまう自分だった。
疲れて爆発してしまう自分だった。

今回仕事をやめた時も、少し経ったらいてもたってもいられなくなった。
働いてもいないのに日中家にいる自分が、なまけているように思えて、たまらなくなった。
何かしなきゃ、動かなきゃ。
自分を何かしら評価してくれるような環境へいないと、今の自分は一体いいのか悪いのかわからない。
そうだ何でもいいから働いて少しでも稼いだら、気が楽になる。
とにかく手当たり次第動いてみよう、と思っていたとき。
ある人に言われた。

「今は外へ外へ出ようとするより、
 しっかり自分を高める時なんじゃないの?」

それを聞いて、はっとした。
考えてみれば、誰も私に「何かしなさい」って言ってる訳じゃない。
自分を許していないのは他の誰でもなく、自分自身だった。

今自分が持っている目標がある。
遠回りしないためには、周りの目を気にするんじゃなく、自分の納得行くやり方で、焦らず一歩一歩やっていこう。
紛らわせないで。妥協しないで。
今をきっちりやることで、また新しい変化の波がやってくる。
そう思うことができた。

で、今は一人で過ごすことが多い毎日。
前までは「明日も一人か」と思うと息が詰まるような思いだったけど、今はそれがありがたい時間だと思えるようになってきている。
たぶん一生のうち、こんなに一人の時間が多いことなんて、そうないと思う。

半年前まで、いつも人前に出て大きな声出してたから、今はその時に比べたらかなり大人しく内向的になっている気がしないでもありませんが。
ま、一時的なものなので、そういう自分も楽しみましょ。

冒頭の本の話に戻りますが、本の中では、自分を静かに見つめたり、今この瞬間を感じ楽しんだりすることを「みずからと共にいる」と表現されていて、とてもいいなぁと思いました。

私も、もっと、自分自身と仲良くなっていきたいな。



なんだか長文になってしまいまして、最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございました

呼吸をする

2008-09-03 | ことば・メッセージ

大学時代にフィジーを2ヶ月間旅していたとき、時間からも人間関係からも開放されて自由なはずなのに、自分の中の決め事や知らず知らずのうちにかけていたプレッシャーなんかで、心はがんじがらめに縛られて苦しい思いをしていた。

そのとき、自由って時間に縛られてないとか、人間関係に縛られてないってことじゃないんだなぁと、思い知らされた。

自分に制限をかけて身動きとれなくしているのは自分自身なんだ、って。


最近そのことを、よく思い出していた。

ふと、自分はどこに向かっているのか分からなくなったとき。

目先の出来事に取り込まれて一喜一憂しているとき。




原点に立ち戻ろう。



朝窓を開けて、空気を吸い込む。

ごはんを食べる。

歩く、歩く、動く。

気持ちのいい挨拶をする。

返事をする。

笑顔でいる。

約束を守る。

いくつかの未完成を、完成させる。

呼吸をする。



昨日ある人から贈ってもらった言葉を。


  「 今いる場所において、必要な人となる
    
    そうしていれば、必ず道は拓けてゆく 」



まずは目の前にあることに、

まずは目の前にいる人に、最善を尽くしていこう。




何度も迷ってしまう、何度も分からなくなる。

何も見たくなくなるときも、ある。

でも、大丈夫。

何度転んでも、どんな状態になっても、絶対に大丈夫。

何度でも立ち上がって、何度でも歩き出せばいい。

あせらず気楽に、一歩ずつ。

かなしみは いつも

2008-08-20 | ことば・メッセージ

かなしみは

みんな書いてはならない


かなしみは

みんな話してはならない


かなしみは

わたしたちを強くする根


かなしみは

わたしたちを支えている幹


かなしみは

わたしたちを美しくする花


かなしみは

いつも枯らしてはならない


かなしみは

いつも湛(たた)えていなければならない


かなしみは

いつも噛みしめていなければならない



             坂村真民







・・・目の前に起こること、感じることすべてを、受け入れていよう。

今、ここで

2008-08-13 | ことば・メッセージ
昨日はあんなことを書いたけど、後でちょっぴり恥ずかしくなりました。

日々起こってくる感情。
気分の高揚、衝動。
逆に憂鬱、自責。
それに“自分はこんなに心が狭かったの?”とびっくりしてしまうくらい、ささいなことで波立つ心。
そんなことばかりだから。


今、“致知”っていう雑誌を読んでいます。
知に至る。
素敵な名前の雑誌。
中身ももちろんすばらしい。

その中で、歴史上2人しか達成していない、比叡山の最も厳しい修行「千日回峰行」を満行した塩沼亮潤さんのインタビューが記載されていて、そこにこんな言葉がありました。

・・・気をつけなければならないのが、遠く高い清らかな目標を追いかけるあまり、
   今自分が置かれている環境に目が向かなくなることです。
   人はみな必ず迷惑をかけて、かけられ、そういう縁の中に生きております。
   ですから、いま自分の周りにいる人たちに優しい言葉や心遣い、
   そういう配慮が必要だと思います。

インドから帰ってきて、しばらく悶々とした日を送りました。
非日常から日常へと戻ったとき、きっと遠くを見すぎて足元を見ていなかった。
理想を求めすぎて現実を受け入れられなかった。
そういうところがあったと思う。
そんな私の状態を近くで見ていながら、何も言わずただ見守っていてくれたよねちゃん(夫)にはかなり救われた。
悶々としている私を横目に、ボソっと何を言い出すかと思ったらギャグだし。
一緒にお笑い(ラーメンズ・笑)見てガハハと笑ったら、あぁなんか、どうでもよくなってきちゃった~^^


目を向けるべきなのは「今、ここ」
誰かと一緒に笑うこと。
ごはんを食べて「美味しいな」って思うこと。
夕日を受けてピンク色に染まった入道雲。
今日も素敵なことがいっぱいあったな



写真の入道雲は、昨日近くの緑地公園から撮りました。

2008-04-12 | ことば・メッセージ
今、実家に帰っています。
満開だった倉敷の桜も、そろそろ散り始めました。

道端を歩いていると道路わきに咲いていた桜。
ふと見ると、ありったけの空間を埋め尽くすように、びっしりと花びらを並べたその咲き様から、ものすごい気迫のようなものを感じて、なんだか立ち止まってちゃんと桜に向き合わないといけないような気にさせられました。

「桜ばな いのち一ぱいに咲くからに 生命をかけて わが眺めたり」
                           岡本 かの子

という言葉を、思い出しました。

今年の桜も、本当にきれいで存分に味わいました

夜空を仰ぐ時

2008-03-28 | ことば・メッセージ
今日、最後の勤務を終えました。
皆さんにあいさつをして、ロッカーやデスクを空にして、全てが終わりました。
本当に、こんな日が来るんだなぁ。
病院を出ると、名残惜しさと、脱力感とも言える様な開放感にしばらく放心状態でした。

夜には、親しい同僚の人たちが鉄板焼きのお店“こけこっこ”で送別会を開いてくれました。
写真は初めて食べて大感動した、もんじゃ焼き。
みんなの雰囲気がとってもあったかくて、楽しくて、この人たちと一緒にもう居られないのかな、と思うと少し寂しい気持ちになりました。



・・・昨夜、最後の勤務を前にして、一人ぼっちで過ごすのがなんだか心細く思え、本をパラパラ読んでいると素敵な言葉に出会いました。
先日ブログでも書いた“修身教授録”で、森先生が学年の最後の授業で言われた別れの言葉の中にあったものです。

『人間というものは、その肉体が空間的に離れれば離れるほど、
 心はかえって深く接近するものでないかとも思うのです』

人は夜空を仰ぐ時、初めて深く永遠を思うものである。
同時に永遠を思うとき、人は翻ってゆかり深き人々の上を思うものである。
してみれば、この地の一隅に身を置く今よりも、むしろ遠く離れた土地にいる場合の方が、かえってここの地と、そこに住むゆかりの人々との上を思うことが強いのではないか。

私も離れた土地から夜空を見上げて、この但馬とゆかりの人たちに思いを馳せるのだと思います。

ねばり

2008-02-23 | ことば・メッセージ
人間は一つの仕事を始めてからそれを仕上げるまでに、大体三度くらいの危機が訪れるのだそう。

まず最初に危機が訪れるのは、大体三分の一くらいやったところで、あきらめややる気のなさが出てくる。
そんな状態を乗り切るためには、やるぞと決意した初心を持ち続ける“意志”が必要だと。

ところがそれを乗り越えると、大体六割くらいのところでまた危機が訪れる。
これは最初の危機よりかなり深刻で、心身ともにかなり疲れ、へたってくる。
そこで必要なのは“根気”であり、乗り越えるというより、ギリギリのところを持ちこたえるという程の力しか出ない。
とにかくへたりこまないで、何とかがんばりを維持していく。

そして、第三の危機は富士登山で言えば山頂間近のところでやってくる。
もうおおかた目標が目前に来ているのに、心身ともに疲れ果てて、一息つきたくなる。
しかしここで一息ついてしまっては、仕事は成熟しない。
ここで必要となってくるのは意志や根気といった上品な言葉では表せない“ねばり”である。
一滴また一滴と全身から残っているエネルギーを振り絞り、這うようにして目標ににじりにじって近寄っていく。
このねばりこそ、仕事を完成させるための最後の秘訣であり、また土壇場でねばりが出るか否かによって人間の価値も決まるのだ、と。

今読んでいる、森信三「修身教授録」より



私はこの春結婚するので、3月いっぱいで丸4年続けた職場を退職しますが、つい最近まで毎日苦しかった。
もう仕事を終える日は目前とわかっていながら、精神的に行き詰っていて挙句の果てに“どうしてこんなに自分は情けないのか”と、なんだかどん底にいるような思いで自分を責める毎日。
そのときこの森先生の言葉を見て救われた。
もう何が何でも、なりふりかまわず、とにかく最後までねばり通そうと思えたときに、何かが変わった気がした。

生涯の旅路

2008-02-19 | ことば・メッセージ
大好きな、坂村真民さんの詩。
今日1日の始まりに読んで、改めてこの何気ない“今”を大切にしたいと思いました。


「生涯の旅路」

私は私の一生の旅路において
今日というこの道を再び通ることはない
二度と通ることはない
二度と通らぬ今日というこの道
どうしてうかうか通ってなろう
笑って通ろう歌って過ごそう
二度と通らぬ今日というこの道
嘲笑されてそこで反省するのだよ
叱られてそこで賢くなるのだよ
叩かれてそこで強くなるのだよ
一輪の花でさえ風雨をしのいでこそ
美しく咲いてかおるのだ
侮辱されても笑って受け流せ
蹴倒されても歯をくいしばって忍べ
苦しいだろうくやしいだろう
しかし君、この道は尊いといわれた人たちが
必ず一度は通った道なんだ

             坂村真民

苦しいとき

2008-01-24 | ことば・メッセージ
今日はとてもきれいな人に会った。
美人という意味ではなくて、表情やしぐさ、その人が漂わせている雰囲気に品があって、ひそかにしばらく見とれていた。
・・・私もあんな女性になりたいな。
よし、そうなれるように頑張ろう。

自分の中に、そんな風に前向きな思いがわいてきたのが嬉しかった。
最近精神的に低迷していたから。
どうしようもなく落ち込んで、もがけばもがくほど沼に足をとられるようだった。
そんな状態から浮上するきっかけは何だろうと、いつも思う。
きっかけがあるから元気になれるのか、元気になったからきっかけを掴むことができるのか。
とにかく、いいときも悪いときも、まずは全部“私”として受け入れよう。

最近苦しくなるたびに思い出す言葉を。

「苦しいときにじっとがまん。
 楽しいときにじわっと感謝。」

あるときふと目にとまったお店ののれんに書いてあって、今でも深く心に刻まれています。


さーて・・実は今風邪ひき真っ最中で熱もあるので、早めにねよーと。
皆様も、気をつけてくださいね

暗を照す一燈に

2007-12-31 | ことば・メッセージ
今年の大晦日は、寒い。
倉敷でも日中、雪がちらつきました

もうすぐ2007年も、おしまいですね。

今年も、大変なことやつらいこと、本当にいろんなことがありました。
でも私にとって、今まで生きてきた中で一番楽しい一年でした。
こんなに幸せでいいのかな?と思えるくらい毎日幸せを感じて過ごしてきました。
そして、今も。
そんな風に思えることを、とてもありがたく思います。

私がここにこうしていられるのは、家族や周りの人に愛情を注いでもらい支えてもらったから。
感謝してもしても、しつくせないほどです。
だから、今度はそれを少しでも、みなさんにお返ししていくことができたら、と思います。

まだまだ、未熟すぎる私ですが。

まずは、目の前にいる人へ、心を込めて。

そんな気持ちで、来年を過ごしていきたいと思います。



最後に、思想家安岡正篤の著書「一日一言」の、12月31日のページに書いてあった言葉を。

『萬燈行』
・・・我々はまず我々の周囲の暗を照す一燈(いっとう)になりましょう。
   手のとどく限り、至る所に燈明(とうみょう)を供えましょう。
   一人一燈なれば、萬人萬燈です。
   日本はたちまち明るくなりましょう。
   これ我々の萬燈行であります。・・・

“周囲の暗を照らす一燈”この言葉が好きです。



よいお年を、迎えてくださいね

心の花を咲かせる

2007-11-29 | ことば・メッセージ
いつでも心をいい状態に保っておくことって、実はとても難しいです。
今日パラパラと本を読んでいると、こんな言葉がありました。


『 人間の心は宇宙、自然と似ていると、言えなくもない。
  雑草は放っておいてもまたたくまに繁茂する。
  しかし、美しい花は、水を与え、肥料をやり、虫を除け、
  丹精込めて育てなければ花開かない。

  人間の心も、それと同じである。
  放っておくと、雑草が生える。
  心の花を咲かせるためには、絶えず心を見張り、
  雑草を抜き取らなければならない。  』

                     (藤尾秀昭「小さな人生論」より)



何かささいなことで悶々としてしまって、そのままそれを引きずって数日間暗い気持ちで過ごしたりすることが、あります。
最近の私も、そうでした。
小さな嘘をつく、何かをおろそかにする、そんな行為が積み重なって自分へのイメージが低下してしまう。
心は放っておくとすぐに憂鬱の方向に向かってしまう。

心をいい状態にしておくために、普段から自分を高めてくれるような行為をしたり、そのような物に触れたりすることが、やっぱり大切だと思いました。
私にとっては、笑顔であいさつすることとか、いい言葉が書いてある本を読んだりすることかな

本の続きには、こう書いてありました

『 いつも気持ちをさわやかにしておく。
  いつも、さっそうとした気分でいる。
  溌剌殺鼠(はつらつさっそう)とした気分こそ、心の雑草を取り、
  心の花を咲かせるために、欠かせない必須の条件である。  』

冬がやってきた

2007-11-23 | ことば・メッセージ
今年も冬がやってきました。

毎年同じ空気を感じているのに、同じ景色を眺めているのに、毎回新しい気持ちで感じることができる不思議。

日々の変化は少しずつでも、一年前と比べたら今の自分ははっきりと違っている。
みるみるうちに目に映る世界が変化していく。
今まで年を重ねるにつれて知らなかった世界を知って視野が広がってきたから、まだまだ私の知らない世界が広がっていると、思う。

・・・しん、と澄みわたった空気。

そんな季節に、素敵な言葉をひとつご紹介。


  寒いことが、人の気持ちをあたためる
  離れていることが、人と人とを近づける

            (星野道夫「旅をする木」より)


この冬、あたたかい気持ちで過ごそう