「どうして私はなかなか変われないのだろう」
「なぜこんなに我が強いのだろう」
というように、いろんな悩みを自らに訊ねながら、どこにその原因があるのかを突き止めようとして旅にでるものではないかと思います。
塩沼亮潤「人生生涯小僧のこころ」より
一週間前にこの言葉を目にしてから、ずっと頭のどこかにこびりついていました。
自分の大嫌いなところを無くそうとして必死に努力をして、ときに目をそらして、そうしているうちに日常の忙しさに紛れていく。
そして忘れたころに、またそれが現れてくる。
もうこんな自分はいやだ。
もう、絶対に変わろう。
そう決心したばっかりなのに、また嫌な自分が現れてくるのだ。
惨めで情けなくて、涙が出てくる。
そうして先日、その葛藤を抱えながらもう10年の月日が経っていることに気づき唖然とした。
変わりたい、変わりたい、と思って。
もう変わった、もう今度こそ変わった、と何度思ったかな。
でも現実には、変わっていなかった。
そして、また同じ過ちを繰り返してしまう自分の意志の弱さを、責める。
自分にほとほと愛想が尽きて、何も変わっていない自分を突きつけられたとき、初めてその問題に真正面から向き合った気がした。
不思議と心が平静になった。
人は決心では変わることができないのだと、思った。
もっと自分の奥深いところを揺るがすような深い懺悔や気付きがないと、変わることはできない。
でも、やっぱり変わりたい。
変わっていくために、痛みを伴うのは分かっているけど、これ以上目をそらしたくない。
たぶん、今のままでいる方が、苦しいから。
最近、今まで記憶の底に葬られていた記憶とか感情が、不思議とよみがえってくるときがある。
そうしているうちに、自分が抱えている問題の数々が、だんだんとひとつの糸でつながっていくような感覚がある。
責めるのではなく、弁解するのでもなく、ただ自分のありのままの姿を、見てみたい。
「なぜこんなに我が強いのだろう」
というように、いろんな悩みを自らに訊ねながら、どこにその原因があるのかを突き止めようとして旅にでるものではないかと思います。
塩沼亮潤「人生生涯小僧のこころ」より
一週間前にこの言葉を目にしてから、ずっと頭のどこかにこびりついていました。
自分の大嫌いなところを無くそうとして必死に努力をして、ときに目をそらして、そうしているうちに日常の忙しさに紛れていく。
そして忘れたころに、またそれが現れてくる。
もうこんな自分はいやだ。
もう、絶対に変わろう。
そう決心したばっかりなのに、また嫌な自分が現れてくるのだ。
惨めで情けなくて、涙が出てくる。
そうして先日、その葛藤を抱えながらもう10年の月日が経っていることに気づき唖然とした。
変わりたい、変わりたい、と思って。
もう変わった、もう今度こそ変わった、と何度思ったかな。
でも現実には、変わっていなかった。
そして、また同じ過ちを繰り返してしまう自分の意志の弱さを、責める。
自分にほとほと愛想が尽きて、何も変わっていない自分を突きつけられたとき、初めてその問題に真正面から向き合った気がした。
不思議と心が平静になった。
人は決心では変わることができないのだと、思った。
もっと自分の奥深いところを揺るがすような深い懺悔や気付きがないと、変わることはできない。
でも、やっぱり変わりたい。
変わっていくために、痛みを伴うのは分かっているけど、これ以上目をそらしたくない。
たぶん、今のままでいる方が、苦しいから。
最近、今まで記憶の底に葬られていた記憶とか感情が、不思議とよみがえってくるときがある。
そうしているうちに、自分が抱えている問題の数々が、だんだんとひとつの糸でつながっていくような感覚がある。
責めるのではなく、弁解するのでもなく、ただ自分のありのままの姿を、見てみたい。