YUKON

無数に分岐しふたたびひとつに戻っていく、ユーコン川の流れのように…

再び、内観へ

2008-11-22 | 内観
明日から1週間、集中内観へ行ってきます。

集中内観は今回で2度目、前回に行ったのは、今年の5月でした。
一週間ただ一人、半畳に仕切られた薄暗いびょうぶの中で、ひたすら自分を調べた毎日・・・。
ご飯のときもトイレでもお風呂でも内観を続け、時間数にすると一日15時間、一週間で100時間。

終わったとき、正直なところ「もう二度としたくない」って思ったのに、苦しさっていうのはこんなにすぐ忘れるもんなんだね。

本当は、内観は2度目がいいんだそうです。
とても深く自分を見ることができるそうです。



ところで。

10年ほど前に実施されたアメリカでのあるアンケート調査によると、「死んだあと天国に行けるのは誰か?」の質問に対し、ダイアナ妃(60%)、マイケル・ジョーダン(65%)などが比較的票を集めたそうですが、やはり一番多かったのはマザー・テレサの79%だったのだそうです。

しかし、アンケートには最後の質問として「あなたは天国へ行けると思いますか?」とあり、その質問にはなんと87%が「行ける」と回答したのだそうです。


これを見たときは驚きました。
他人への評価は厳しく自分への評価は甘いという傾向が、こんなにはっきりと結果として出ているなんて。
この結果は自分にもよく当てはまっていると思います。



「裁判官になったつもりで、自分自身を調べてください」

と、前回内観が始まるときに言われましたが、そのときはその意味がよく分かりませんでした。
自分にはそんなに悪いところはない、と思っていたから。
でも、内観をしていくにつれて、そして内観が終わって日々を過ごしていく中で、だんだんと分かってきたような気がします。
悪いのは悪気があってやることだけじゃない、法律をおかすことだけでもない。
自分の無意識や無関心、そして被害者意識のせいで、いかに人を傷つけたり迷惑をかけたりしているか。
そして、どれだけ自分を苦しめているか。


“日常内観”という言葉もあるとおり、そんな自分を日々内省し気付きを得ていくこともできる。
だけど、普通人間というものは、見たくないものから目をそらしたり、都合のいい見方で物事を捉えるもので、そんな自分に気付くのは難しい。
加えて普段の生活では、人間関係や仕事など、自分以外のたくさんのことに意識を向ける必要があるので、自分を深く掘り下げて調べるのはなかなか難しいのだ。
・・というのが、集中内観を勧められる理由です。


前回はわけも分からず楽しみにして行ったけど、今回はまるで違います。
苦しいのが分かる、きっと前回より苦しいと思う。
でも・・・その恐れの奥に、前回以上に楽しみにしている気持ちがある、ような気がする。
きっと、まだ私が知らない「私」に出会えると思うから。

快く送り出してくれる夫に感謝しつつ、行って来ます
それにしてもこの季節の米子・・・さむそう


上の写真は、今日もみじを見に生駒山をドライブしに行ったときの写真です。

こちらは、すばらしい深紅の楓。

自己評価メソッド

2008-11-21 | 
一昨日書店で手に取ったこの本。

フランスの精神科医師が、認知行動療法と呼ばれる心理療法に基づいて、自己評価の低い人についてとても細やかに分析し、改善に導く具体的なメソッドを紹介しています。
日本では今年7月に出版されていますが、フランスではベストセラーになっているそうな。
内容があまりに自分に当てはまっていて、本を読むのが遅い私が400ページ近くあるこの本を2日間で読んでしまったよ。

やはり痛いところを突かれることもありましたが、著者のクリストフ・アンドレという方はとても愛のある方で、読んでいると読者に幸せになって欲しいという思いが伝わってくるような本でもありました。

紹介されていた具体的なメソッドの中で“日常の行為を大切にする”というところがとても印象に残ったので記しておこうと思います。

「何かをしながら別のことをしないようにしよう。
 例えば、病院の待合室にいるなら、時間つぶしに雑誌を読まない。
 時間つぶしに何かをすると、その時間は無駄な時間になるからである。
 それよりも、ゆったりと椅子に腰をおろして、「ただ、順番が来るのを待って」みよう。」
                           (本文より)


街を歩いたり、食器を洗ったり、電車で移動していても、待ち合わせ場所で相手を待っている時も、そういった日常の行為を何かの手段として考えるのではなく、その行為自体に意味づけをしよう、と。

この文を読んで、帰宅して、少し疲れていたので布団の上に横になりました。
荷物の片付けや着替えもせず、ほっておきました。
晩ごはんは何にしよう?とか、いろいろな考えごとをするのをやめて、ただ、床に体全部を預けた自分を感じていました。
体が布団に沈んでいくかと思うくらい重く感じて、こんなにリラックスした自分は初めてかもしれません。
気がついたら、眠っていました。

この“日常の行為を大切にする”というメソッドの紹介されていた項は、「人生の意味をみつける」という題でした。

またまた

2008-11-20 | お寺
またまた、宝山寺に行ってきました。
自宅から車で30分もかからないんです。

ヨーガをしていると心が静かになりますが、自分だけでは心を静めるのが難しいときがあります。
そんなときはこんな場所に来ると、静寂の中へ連れて行ってもらうことができます。

ここ2日間の寒さで、もみじが真っ赤に紅葉していました。
紅の色に目が覚めるようです。
そして澄んだ冬の空には、ちょっと他の季節にはない感動があります。

毎年めぐってくるのに、新しい季節の始まりはいつも新鮮な感動を運んできてくれます。

変化していく

2008-11-17 | ことば・メッセージ
「どうして私はなかなか変われないのだろう」

「なぜこんなに我が強いのだろう」

というように、いろんな悩みを自らに訊ねながら、どこにその原因があるのかを突き止めようとして旅にでるものではないかと思います。


               塩沼亮潤「人生生涯小僧のこころ」より




一週間前にこの言葉を目にしてから、ずっと頭のどこかにこびりついていました。

自分の大嫌いなところを無くそうとして必死に努力をして、ときに目をそらして、そうしているうちに日常の忙しさに紛れていく。

そして忘れたころに、またそれが現れてくる。

もうこんな自分はいやだ。

もう、絶対に変わろう。

そう決心したばっかりなのに、また嫌な自分が現れてくるのだ。

惨めで情けなくて、涙が出てくる。

そうして先日、その葛藤を抱えながらもう10年の月日が経っていることに気づき唖然とした。

変わりたい、変わりたい、と思って。

もう変わった、もう今度こそ変わった、と何度思ったかな。

でも現実には、変わっていなかった。

そして、また同じ過ちを繰り返してしまう自分の意志の弱さを、責める。


自分にほとほと愛想が尽きて、何も変わっていない自分を突きつけられたとき、初めてその問題に真正面から向き合った気がした。

不思議と心が平静になった。

人は決心では変わることができないのだと、思った。

もっと自分の奥深いところを揺るがすような深い懺悔や気付きがないと、変わることはできない。



でも、やっぱり変わりたい。

変わっていくために、痛みを伴うのは分かっているけど、これ以上目をそらしたくない。

たぶん、今のままでいる方が、苦しいから。

最近、今まで記憶の底に葬られていた記憶とか感情が、不思議とよみがえってくるときがある。

そうしているうちに、自分が抱えている問題の数々が、だんだんとひとつの糸でつながっていくような感覚がある。

責めるのではなく、弁解するのでもなく、ただ自分のありのままの姿を、見てみたい。

USJ

2008-11-14 | 日々のひとしずく
代休を取った夫と一緒に、行って来ました。

もうツリーが出てて、クリスマスのきれいなショーもやってました。


テーマパークなんて、鷲羽山ハイランドくらいしか行ったことが無かったので、規模の大きさにびっくりです。

中でも一番面白かったのが、Back to the futureの大画面で時空を超えて旅するアトラクションで、臨場感があって恐竜の口の中に入ったときは本当に怖かった

絶叫しまくったせいか、ちょっとあごに違和感が・・・。

宝山寺

2008-11-13 | お寺
今日、ふと思い立ってお寺を参拝しに行きました。

奈良県生駒市にある宝山寺という大きなお寺です。

境内に入ってご本尊さまの前に立ったとき、ここ1~2週間どうしようもならなかった心の波立ちが、一瞬で消えてしまいました。

久しぶりに心の静寂を感じました。



誰かと比べたりうらやんだり・・

人目を気にしたり・・

自分を責めたり・・

そんな自分が嫌で嫌で、どうにか解決しようと思っても、ひとつも上手くいかなかったのに。

それがただ、あの場所に立っただけですぅっと無くなっていった。





お寺って、不思議なところだなぁ・・・

秋のおくりもの

2008-11-10 | おいしいもの
実家から届いた新米。
あ、実家は農家ではないので、知り合いからいただいたのを、送ってくれました。

私たちに食べさせてやりたいと、母親は自分たちの分は一食分だけとっておいて、残りは全部送ってくれました。

おばあちゃんにそっくりだよ、母さんのそういうところ。

そして、そういえばそいういうところが私もそっくりだと、時々噴きだしてしまうことがある。

一緒に送られてきた柿と、ぽてんとしたみかんは、きっとおじいちゃんの畑のやつだな。

一口食べただけで、わかったぞ。


みなさんもそろそろ、新米を食べる頃ですか

筑紫哲也さん

2008-11-08 | 日々のひとしずく
ジャーナリストの筑紫哲也さんが亡くなられ、とても憧れていた人でもあったので、ショックです。

8年前、大学生のときに一度、「21世紀のキーワード」と題された筑紫さんの講演を聴きにいったことがあります。
筑紫さんはいつもどおり、時々ジョークで会場をわかせながら雄弁にお話をされました。
そして一番最後に一言、

「21世紀のキーワード、それは生きることです」

と言って終わったのですが、その言葉が今でも鮮明に覚えているくらい強烈で、講演が終わったあとも数日間余韻が残りました。
そのくらい、発する言葉に力を持つ人であり、また生きることに人一倍思いのある人だったのだと思います。

「生きること」と「筑紫さん」

私の中でこの2つは切っても切り離せないものだったので、筑紫さんが亡くなってしまうことが、まだ今も信じられないような気持ちでもあります。


でも、人間って絶対に、みんないつかは死んでしまうんですよね。
そんな当たり前のことを、時々忘れそうになります。


今日、テレビ番組で、筑紫さんの過去の映像がたくさん映し出されていましたが、その中で、すでに闘病生活に入っている筑紫さんが語っている場面がありました。

これからの報道のあるべき姿について熱く語っている姿を見て、自分はいないであろう未来にあんなに真剣に思いを託そうとしていた筑紫さんに心を打たれました。

目先ではなく遠い未来まで見越し、個としての自分ではなく生命の一部分としての立場に立っていた筑紫さんの大きさを感じました。

そして今日のマスコミの報道でも、改めてどれだけ偉大な方だったのか、わかりました。


とてもさびしいですが、心からの感謝とともにご冥福をお祈りいたします。

美味しかったバナナ

2008-11-07 | インド旅行記
インドを一人で旅していたとき、ある時体調を崩して何も食べれず、病み上がりに初めて口にした一本のバナナが感動的に美味しくて、食べ物のありがたさをひしひしと感じた。

っていう話を、同じくインドを一人旅したことのある友達に話したら、彼も病み上がりにバナナを食べて大感動したらしく、バナナの話でかなり意気投合した(笑)



で、そこから、今日本での自分たちはどうかっていう話になった。


今、正直、あんなに感動的に美味しいと思って食べることはほとんどない。

それより何より、日本にいるとインドにいるような危機感が、ない。


インドはうかうかしていたら普通に物をとられるし、食べ物に気を抜いたらすぐお腹を壊す。
そして、単独旅行はやっぱり、危険が隣り合わせの状態でもある。


だから、いつも感覚を研ぎ澄ませていたような気がする。
安全についても、自分の健康や心の持ち方も、気を緩めないように。

でも、今は違う。
やっぱり日本はとても安全だから。
しかも、保証や保険など、何か自分に不都合があったときのフォロー体制がしっかりしている。
だから、問題の原因や責任を、自分の外側へと求めていくような体質に、日本全体がなっていってると思う。

そんな中で、何かの危機に対する自分のセンサーが、かなり鈍くなっていると感じる。

実際、自分の感覚が違う。
インドにいたときは、何か思わずとも、自分がどうするべきかが自然と分かるようになっていた。
今は何も食べないほうがいい、この場所はちょっと避けたほうがいい。
いつどこに行こう、今これをしよう。
その勘みたいなものに従うと、不思議なくらい物事がスムーズに運んでいくので驚いた。

そんなことが、今はよく分からない。
分からないというか、あまり危機を感じないから、どうすべきかなんてあまり真剣に考えないのだ。

でも、ほんとにそうなのかな?
友達と話していていきついた結論としては、インドも日本も一緒、っていうことだった。

彼曰く、研ぎ澄ませて見える世界は違う、と。
お腹を空かせて食べるごはんは美味しい、と^^。


それにしても、あの感動的なバナナの美味しさ、もう一度味わってみたい

ケリーヨスト

2008-11-06 | 音楽
今日は友達に誘ってもらって、ガイアシンフォニー第1番を観に行きました。
ガイアシンフォニーは大好きな映画で、第6番まで出ていますが、第1番の上映会に行くのは今回で3回目です。

売店で、ずっと欲しかったケリーヨストのCDが売ってあったので即買い
ケリーヨストのピアノはどこまでもやさしくて、大好き。

聴いていると、自分が大きくて穏やかな海の中に入っていくような。
その海の青に溶け込んで、海底へとゆっくり沈んでいくような感じがします。