YUKON

無数に分岐しふたたびひとつに戻っていく、ユーコン川の流れのように…

リセット

2007-07-30 | 日々のひとしずく
今日は、土用の丑の日。
そして美しい満月の夜です。

月を見上げていると、心に静けさが戻ってきた。
月は太陽の光を受けて、静かにその光を放ち続けている。
ささいなことでイライラしたり、あくせくしたりしている自分が、とってもちっぽけに思えた。

最近少し、丁寧でいることがおろそかになってたかな。
しぐさも、人への接し方も、ひとつひとつの物事に対しても。
落ち込んだり愚痴を言いたくなるようなことが増えるときは、たいてい目の前の何気ない、でも大切なことをないがしろにしているときだ、と思う。

また、今日からリセットしよう。
なんだか、満月の光がそれを手伝ってくれそうな気がする。

夏野菜

2007-07-28 | おいしいもの
今日も、暑い、暑い。

梅雨が明けてから、木々の緑が一段と深い色になってとてもきれい。

大家さんからみずみずしくておいしそうなトマトときゅうりをいただきました。
鮮やかな色に、思わずみとれてしまいます

孤独について

2007-07-25 | 日々のひとしずく
先日読み終えた「夜と霧」に、孤独について触れている部分があった。
集団生活で人と四六時中群れていると、ほんのひと時でいいからひとりになってもの思いにふけりたい、ささやかな孤独に包まれたいという、心の底からの渇望がわきおこるのだそう。

私はといえば最近、ひとりでいることが好きだと、気付いた。
人と触れ合うのが嫌いとか面倒くさいとか、そういう感覚ではないし、むしろ好き。
でも、少なくとも一日のうち一度は、外界から自分を引き離して静かな気持ちになるところへ行き、自分自身に意識を向ける時間が欲しい。
きっと、ご飯を食べたり睡眠をとったりするのと同じくらい、必要なことだ。

そんなことを考えていたところ、今日クローズアップ現代で95歳の現役映画監督、新藤兼人が取り上げられていたのを観た。
今でも新しい映画を作り続ける新藤さんは妻が他界してから自分の希望で一人暮らしをしている。
そしてひとりでいることに対する自分の思いについて話していた。
「ひとり暮らしでさみしいんじゃないですかって言われるけど、さみしいんだよ。
 でも、さみしいのがいいんだよ。」
ひとりでいるということは、自分にこもるということ。
別に崇高な精神生活をしているわけではない、だけど自分というものを確かに持つために、ひとりでいることは自分にとってとても大切なのだ、と。

“孤独”というと、どうしてもマイナスイメージを持ちやすいけど、必ずしもそうじゃないのかもしれないな。
さみしさにもいろんな種類がある。
人が側にいても無くならないさみしさもある。

新藤さんの言っていることに、妙にふんふんと納得しました。
それにしても95歳で現役、すごすぎる!
元気の秘訣は規則正しい生活と、食事だそうですよ

夏の訪れ

2007-07-23 | おいしいもの
「オレは、にんにくだーっ!!」

といわんばかりの、ムチムチはちきれそうなにんにく。
大家さんからいただいたのだけど、何度見てもすごい迫力だわ。

夕方台所に立ち窓をあけて、ヒグラシ鳴き声をBGMに、大粒のにんにくをみじん切りにしていった。
それを瓶いっぱいに入れて焼酎を上まで注いで、冷蔵庫へ。
料理にちょっと使うときに、とっても便利です
2瓶作ってもまだにんにくが余っていたので、あとは丸ごとしょうゆ漬けに。
しょうゆ漬けは初めて作ったけど、にんにくの皮を剥いて瓶に詰め、しょうゆをひたひたまで入れるだけ。
あとは冷暗所で保管して、2ヶ月くらいしたらにんにくもそのまま食べれるし、醤油にもにんにくの風味が移って料理に使うとおいしいそうです。

今日、職場から一歩外へでると、心地いい風とヒグラシの鳴き声に包まれた。
辺りの空気が、昨日までとは全然違う。
緑が明るい日差しに照らされてキラキラしている。
お天気がいいだけで、こんなに心も明るくなるなんて。

梅雨が明け、但馬にも夏本番がやってきました。
夏の匂い、明るい光、風、セミの声・・・嬉しい、嬉しい!
新しい季節の訪れにはいつも、新鮮な感動があります

最後に残る自由

2007-07-22 | ことば・メッセージ
今日は、雨
雨に濡れてしっとりとした緑が、とてもきれい。

昨日に引き続き「夜と霧」の本を読んでいます
内容がすごすぎて、ちょっと一息。
読んでいくにつれ、自分の力ではとうてい及ばない運命について考えさせられます。
第二次世界大戦中過酷な環境の中で生きていた著者と、現代に日々のことに一喜一憂しながら何不自由なく生きている私。
一言に人生といっても、一人一人置かれている状況がこんなにも違うのか。

「夜と霧」の中の後半には、人間の本性について触れる文章が出てきます。
強制収容所での過酷な状況下で現れる心理的特長として、感情の消失と共にいらだちが大きくなっていくのだそう。
心身ともにぎりぎりのところで我を忘れた行動をとりそうになるのを必死で抑え、自分の尊厳を保つ。
私はというと、少し体調が悪かったり、思うように物事がいかなかったりすると、すぐに心を乱されてしまう。

与えられる環境は、時に自分の力ではどうすることもできない。
でも、身体を拘束されていても、限りなく制限されていても、その中でもなお残されている自由があると、本の中に書かれていました。


― 人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、
  たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、
  人間としての最後の自由だけは奪えない。
  ひとりの人間が避けられない運命と、
  それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、
  きわめてきびしい状況でも、また人生最後の瞬間においても、
  生を意味深いものにする可能性が豊かに開かれている。


この文章を読んで、すごいなぁと思いました。
極限の状態にいるからこそ物事の本質が見えやすいのかな。
というかそんな状態にあっても理性を保って自分なりに人間の本性を見抜いた著者がすごい。
今日中に、読み終えてしまいそう。

夜と霧

2007-07-21 | 
一ヶ月に一冊は本を読みたいなぁと思っているのですが、今月は前半何かとバタバタとしていて読めず。
やっとゆっくり腰を落ち着けて読もうかな、と手にとったのがこの本

書き出しに「心理学者、強制収容所を体験する」とあるように、心理学者でもある著者が第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に入れられていた時の体験を綴っている。
客観的な事実というより、実際収容されていたひとりの人間がどんな現実を見ていたかが、書かれている。
飢えと暴力、絶望・・・心身ともに限界を超えそうになるとき、人間はどのような精神状態になるのか、どのような行動をとるのか。

この本を読んでいくにつれ、人間は本当に強い生き物だな、と思います。
書かれている現実は本当に残酷だけど、著者の底知れぬ前向きさや希望を感じます。
というか、その強い精神性がなかったら、著者は生還してなかったと思う。
今、半分くらい読んだ。
心に響く文章が、ときどき出てきます。

とうもろこし

2007-07-14 | おいしいもの
朝、野菜の朝市に行くと、新顔さんが。
とうもろこしです。
今朝とれたてのとうもろこしを買って帰って、ゆがいた。
塩を少し振ってゆがくと、薄い色だった実が鮮やかな黄色に変わってはちきれそうになっていたので、思わず味見。
きれいでおいしくて、食べてしまうのがもったいないけど、今食べるのが一番おいしい・・・そんな二つの思いにはさまれながら、食べました

悲しみを大切にする

2007-07-11 | ことば・メッセージ
身近な人を案じているとき・・・
できることならその人を苦しめているものから守ってあげたいと思う。
でも、自分ではどうすることもできない。
その時に気付いた。
両親や祖父母が私を心配していた時は、まさに今自分が感じているように、いや時にはもっと苦しかったのではないかと。
そして今さらながら、心が痛んだ。

そんなことに今ごろ気付くくらいだから、以前も今も、自分の気付かないところで人に悲しい思いをさせたり、傷つけたりしてしまっているのだと思う。
傷つけることを止めれなくても、せめてそれを認識するくらいの細やかな気付きが、私には欲しい。

最近、何かを感じるとき、ふと誰かの顔が思い浮かぶ。
例えば悲しいとき、もしかしてあの人もあのとき、今私が感じているように悲しかったんだろうか、と思う。
そう思ったときに、きっとその人のことを今までより深く理解できる。
もし私が悲しみを知らなかったら、その人の気持ちには近づくことができない。

無力感、惨めさ、孤独、劣等感・・こんな感情を味わうときはとても苦しいけど、その感情はやっぱり自分に必要なんだ。
そんな感情があるからこそ、周りの人のことを深く理解できるし、愛しいと思えるから。
「痛みを知っている人は、人にやさしくできる」と、祖母が小さい頃から言ってくれていた言葉を、今では実感できる。


最後に、昨日読んでいて心に残った言葉を・・・

「常に悲感を懐(いだ)きて心ついに醒悟(せいご)す」

 ―釈迦の言葉である。
 常に深い悲しみを胸の奥に秘め、その悲しみを大切にして歩み続けるとき、
 人はついには悟りに目覚める、という意味である。
 涙を流すことは人生を深める道でもある、ということを、
 この言葉は教えてくれている。
                (藤尾秀明 「小さな人生論」より)


昼が夜に変わる時

2007-07-08 | 日々のひとしずく
昨日、テレビをつけると「オーラの泉」にサッカー選手の中村俊輔さんが出演していた。
雰囲気やしぐさ、話し方が下の弟にそっくりだったので、なんか親近感がわいた

それはさておき・・・
中村選手はよく一人で海や山に行くそうで、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんによると、それは自然界からエネルギーやインスピレーションを得ているのだそう。
それを聞いていて、まさに私もそうだなぁと思った。
疲れている時なんかは特に、自然の中に行って、緑の木々に囲まれて鳥のさえずりや水の流れる音を聞きたいと思う。

昨日は家の前の草原に座って、長い時間過ごした。
頭の中のもやもやした考えごとがふと止んで、外の世界に意識が向くようになるまで、座っていた。
目に映る緑が鮮やかになって水の音が聞こえるようになった。

そしてそのまま草原で過ごしていて気付いたこと。
昼が夜に切り変わる瞬間がある。
だんだんと昼から夜になるんだと思っていたけど、その一瞬を境に、辺りの空気と匂いがいっぺんに変わった。

今日も夕方、草原を散歩しに行った。
久しぶりに土の上を裸足で歩いた。
夕暮れの匂いは、とても好き。
夏の夕暮れの匂いがする。
季節は、少しずつ移り変わっていっている。
どの季節も、自然は本当にきれいだと思う

篠山のとふめし

2007-07-02 | おいしいお店
おでかけの道中に篠山で、前々から気になっていた「とふめし」を食べました。

篠山の郷土料理とふめしの名前の由来は「豆腐めし」
木綿豆腐やごぼう、人参油揚げ、そしてサバなんかも細かくして入っている醤油味の混ぜご飯。

お店に入ると、割烹着を着たお母さんたちが大きな桶でとふめしを混ぜたり、他のおかずを作ったりしています。
「いらっしゃい」とにこにこと接客してもらって、お茶やお漬け物と一緒にできたてのとふめし(320円)をいただきました。

お店の壁には、こんな言葉が・・・

 こどもを慈しむように 家族を愛するように
 土を育て 米を野菜を 作ります
 こどもに食べさせたいものを
 家族に喜ばれるものを 作っていきたい

お腹もいっぱい、心もほっと温かくなるようなごはんの時間でした


『コミュニティキッチンゆらり』
兵庫県篠山市大山新38・・・今年一月、農協の店舗跡を改修してオープン
9:30~16:00
定休日:水・日
079-596-0052