goo blog サービス終了のお知らせ 

YUKON

無数に分岐しふたたびひとつに戻っていく、ユーコン川の流れのように…

またまた

2008-11-20 | お寺
またまた、宝山寺に行ってきました。
自宅から車で30分もかからないんです。

ヨーガをしていると心が静かになりますが、自分だけでは心を静めるのが難しいときがあります。
そんなときはこんな場所に来ると、静寂の中へ連れて行ってもらうことができます。

ここ2日間の寒さで、もみじが真っ赤に紅葉していました。
紅の色に目が覚めるようです。
そして澄んだ冬の空には、ちょっと他の季節にはない感動があります。

毎年めぐってくるのに、新しい季節の始まりはいつも新鮮な感動を運んできてくれます。

宝山寺

2008-11-13 | お寺
今日、ふと思い立ってお寺を参拝しに行きました。

奈良県生駒市にある宝山寺という大きなお寺です。

境内に入ってご本尊さまの前に立ったとき、ここ1~2週間どうしようもならなかった心の波立ちが、一瞬で消えてしまいました。

久しぶりに心の静寂を感じました。



誰かと比べたりうらやんだり・・

人目を気にしたり・・

自分を責めたり・・

そんな自分が嫌で嫌で、どうにか解決しようと思っても、ひとつも上手くいかなかったのに。

それがただ、あの場所に立っただけですぅっと無くなっていった。





お寺って、不思議なところだなぁ・・・

高野山へ

2006-11-13 | お寺
土日、おばあちゃんと高野山へお参りに行ってきました。
とっても寒かったけど、紅葉がきれいでした。

高野山では、参拝客はお寺の宿坊に泊まらせてもらいます。
私たちは「本覚院」というお寺に泊まらせてもらいました。
僧侶の方たちの心のこもったおもてなしと、おいしい精進料理、立派なお庭の見えるお部屋に、おばあちゃんと2人で「これで1万5000円もしないなんて、安すぎる~!」と感動していました。
写真は、朝6時から宿泊していたお寺であった、お念仏の時のものです。

今回のお参りは、ある人から言われてふと行きたくなり、急に実現しました。
勧めてくれた彼女に、感謝です
私の守り本尊様である阿弥陀如来さまにも、しっかり挨拶できました。
行っていたときには感じませんでしたが、余分なものが払われてすくっと立っていられる自分がいる。
これは気のせいじゃないと思います。

それより何より、大好きなおばあちゃんと一緒に楽しい旅ができたことが、一番嬉しかったです

通照院へ その3

2006-10-24 | お寺
夜はお寺の近くの宿泊施設に泊まらせていただき、翌日の朝7時からは、お念仏です。
木魚を叩きながらリズムにのって「南無阿弥陀仏」と唱えるのですが、これはご本尊様に自分の気持ちを伝えているのだそうです。
一時間弱唱え続けるのは難しかった・・・気を抜いていると「なむあみだぶつ」じゃなくて「なんまんだ~」になってしまいます。
今回は、自分の気持ちを伝えるところまで気がまわらなかった気がする・・・

お念仏が終わったあとは、みんなで一緒に茶粥をいただきました。
やさしい味で、とてもおいしくいただきました。

その後は、佐橋さんのお話。
いろいろ話されましたが、一番心に残ったのは自由についてのお話でした。
「自由とは拘束されているものから解き放たれるのではなく、拘束されている中でいかに自分を解き放てるか、です」
ノミは50cmの高さまで飛べる能力があっても、20㎝高さの箱に入れていると、その箱から出しても20㎝の高さまでしか飛べなくなるそうです。
そんな話を聴きながら、私はそのノミと自分を重ねて考えていました。
最近結構悩んだり落ち込んだりすることが多かったけど、見えない箱の中でじたばたもがいていたような気がする・・・本当は箱なんてないのに。
狭い価値観の中で自分を追い詰めて苦しめてた自分が、見えた気がしました。
でも、この2日間で佐橋さん達とお話をしたり、仏様を見たりしている中で、その箱がすぅーっと消えて、余分な力が抜けていく気がしました。

お寺から帰るときは、穏やかな晴れやかな気分になっていました。
「また、来てくださいね」
と、佐橋さんがにこにこ言ってくれました。
また行きたいな

「通照院へ」シリーズ おしまい

通照院へ その2

2006-10-23 | お寺
お寺の敷地内に入ると、流れる水の音や海から吹いてくる心地いい風に、心がとても静かになりました。
時間はちょうど夕暮れ時。
「こんにちは」と、作務衣姿でにこにこしながら出てこられた佐橋さんは、
写真で見た通り穏やかで明るい、素敵な雰囲気を持っている方でした。
しばらく佐橋さんに、お寺を案内していただきました。
お地蔵様、観音菩薩様、阿弥陀如来様・・・それぞれのお顔が本当に安らかで、それを見ているだけで、心が洗われるようでした。
そして、本堂のご本尊様を見たときあたりから、自分からあまり言葉が出なくなってしまいました。
その場にいるだけで神聖な気持ちになり自分が浄化されていくようで、ただただそれを感じていました。

一通り案内していただいた後、もう一人訪問に来られていた女性と3人で、夕ご飯を食べにいきました。
その女性の方も、とても素敵な人でした。
初めて会ったのにそんな感じもせず、みんなでおいしいご飯を食べながら楽しくお話をしました。
佐橋さんが度々「おいしいね、幸せ」「楽しいね、幸せ」って言われるのを聞くたび、私も幸せな気分になりました。

つづく・・・ブー

通照院へ その1

2006-10-22 | お寺
21日22日と、神戸にある通照院というお寺に行ってました。
それまでのいきさつはというと・・・

今年8月下旬のある日、いつものように新聞を見ていると、ある記事と一緒に一人の男性の顔写真が目に飛び込んできました。
その記事は生と死を乗り越える(LDT)ワークショップの紹介で、写真の男性はその事務局をされている、佐橋さんというお寺の住職さんでした。
そのワークショップもさることながら、私はそのお坊さんの写真にひきよせられるような感じがして目をそらせませんでした。
その写真から伝わってくるすがすがしいオーラを感じて、是非関わりを持ちたい!と思い、早速連絡をとってみることに。
結局ワークショップには参加しませんでしたが、
「せっかくご縁があったのですから、またお寺にいらしてください」
と佐橋さんに言っていただきました。
「本当ですか?是非お願いします!」
・・・ということで、お寺にお伺いさせていただくことになりました。
日曜の朝には念仏会、茶粥供養、法話などがあるとのこと。
今までお寺にあまり縁のなかった私にはどの言葉も「???」という感じ・・・だけど、とっても興味がある!

そして、心待ちにしていた日がやってきました。
電車を降り少し歩くと、明石海峡大橋が見える静かな住宅街の中に、通照院はありました。
わくわく、そしてどきどき高鳴る胸の鼓動を感じながら、お寺の門をくぐりました。

つづく・・・

必然の縁

2006-10-12 | お寺
患者さんとの会話の中で、とても興味深い話があった。
その方はお坊さんなのですが、何かひとつのことを極めるときに「正師(しょうし)」と出会うことがとても大切だ、というのだ。
正師とはその言葉どおり、その道においても人間的にも信頼してついて行くことのできる師匠のこと。
あることに対していくら情熱があって努力をしても、独学ではだめで、やはり自分を導いてくれる師匠が必要。
そして、その師匠との出会いも含め、その道を究めることができるかどうかは、最終的に“縁”の問題だそうだ。
最近読んでいる本にも、同じようなことが書かれていた。
自分の場合に、当てはめて考えてみた。

人との出会い、起こってくる出来事は、いつも必然なんだと思う。
いくら近くにいても、目の前にいても、出会わない人やものがある。
でも、縁があればどんなに離れていても確立が低くても、出会うべくして出会う。
縁ってとっても不思議だなぁ。

知識と智慧の違い その2

2006-09-28 | お寺
昨日の日記にいろいろコメントをいただいて、少しずつ深まっている感じがします。
知識と智慧とは“理論と実践”のようなもの。
知識は自分のエゴや常識がからんでいるもの、智慧は本来自分の中にある芯のようなもの・・・。
どの捉え方もとても興味深く面白いなぁと思いました。
漠然としたイメージが、だんだんと自分の中ではっきりしてきたように思います。

「知識は個人的な要素が強いけど、智慧はみんなの幸福のために共有するもので、文化と言ってもいいかもね」
と昨日電話した友達からまたメールが入ってきて、それにもなるほど~と思いました。

そしてこのお題をくれた方からも言葉をいただきました。
ちなみに彼は最近知り合ったお寺のお坊さんです。
「知識と智慧の素晴らしい答えの一つとして。
 “知識は切り花で、智慧は根のついた華”
 どういう意味か、わかりますか?ニコニコ」

もうしばらく知識と智慧についてのやりとりが続きそうです

知識と智慧の違い

2006-09-27 | お寺
昨日と比べ精神的にだいぶ回復しました

ところで今日、ある人からこんな言葉を投げかけられました。
「知識と智慧の違い、ご存知ですか?」
ひとりでウーンと考えていたら、友達から電話がかかってきて、二人で知識と智慧の違いについて話しました。

智慧って、例えば数学の方程式みたいなものかな?
方程式はもともと賢い人が考えたもので、一般人の私がいくら考えても思いつかないものがたくさんある。
でも知ってさえいれば、あとは私たちはその方程式に当てはめれば答えがみつかる。

と、私の考えを言うと友達は「その考え方は新鮮だな~」と言って、また別の切り口から意見を言ってくれました。
自分の持っている知識をどう使うかが智慧なんじゃないかな。
いくら知識を持っていても、その使い方が悪かったらいけない。

最後には、知識と智慧はどちらもとても大切だという結論になりました。
でもまだしっくりきておらず、このことについてもう少し深めてみたいと思います。
知識と智慧の違い、みなさんも思いつくことがあったら教えてください

神社とお寺の違いって

2006-07-22 | お寺
今日は長いこと降り続いた雨が一休みして、穏やかな晴れの日。
朝市、掃除、料理、昼寝、散歩・・・とゆ~っくり時間が過ぎていった。
今日も、養父神社に散歩に行ってきた。
場所がそれぞれ持っている雰囲気があるけど、私はやっぱりこの場所がとても好き。
一歩入っただけで、心が静かになる。
最近、お坊さんとお友達になったんだけど、会話の中でそういえば自分は神社とお寺の違いを知らないことに気付いた。
私は神社によく行くけど、好きだから行くだけで、拝み方も何にも知らなくてただ自分流に手を合わせるだけ。
そんなことを言うと、彼は私に言ってくれた。
「それなら、ちょっと発想の転換をして、お寺にも来てみてね。」
で、神社とお寺の違いをちょっと調べてみたところによると・・・
神社は神様を祭っているところで、天皇も関係している。
それに対してお寺は、実際この世にいたお釈迦様を祭っているところ。
・・・だそう・・・なんだけど、まだよく分からない。
でも、興味があるな~。
少しずつ、知っていきたいな。