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差し迫る危機、そなえよ

”世の中の危ない行動、事象、主張を 「
わたくし素人」 が警告し自分自身の欲求不満のはけ口とする勝手な言い分”

爆破テロは米CIAと示唆、ミャンマー情報相が会見

2005年05月16日 | その他
なんでCIAなの?
ここもおかしい動きが、起こっている。

2/17 新憲法、軍政色が濃厚に ミャンマー国民会議

3/30 制憲会議が民主化の鍵 ミャンマー軍政トップ

ミャンマー政権は、軍事政権色が強いのだが、一応、民主化を進めようとしている。

3/30 米、ARF出席拒否も 議長国ミャンマーを批判

ここで2007年夏にミャンマーで開催される東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)閣僚会議について、米国が出席拒否もあり得る としている。まあ米国は、軍政を強めるミャンマーが議長国になって開催されるのは、いやなのであろう。


4/10 ミャンマー問題先送りか ASEAN外相会議開幕

ここでは、まだミャンマーのニャン・ウィン外相は「われわれには(議長国を務める)責任がある」と述べ、反対に屈しない姿勢を見せた。
しかし翌日なのか不明だが、

4/11 ミャンマーが議長国辞退も 比でASEAN外相会議

で自ら辞退しよう という動きになった。

4/22 インド洋天然ガス、日印共同開発へ 中国牽制の狙いも

ここには、” ミャンマー領・ココ島に、中国軍が管理する通信施設を設置したとの情報 ”とある。
ん? 結構入り込んでるのね、中国。

そこでこのニュース、

4/26 市場で爆発、2人死亡 ミャンマー中部、テロか

さらにまたテロ!!

5/8 ヤンゴンで爆発、11人死亡 軍政下で最大級のテロ

ここで政府の各紙は、

5/8 少数民族の犯行と国営紙 ヤンゴン、当局警戒強化

で ”国営各紙は爆弾テロについて、反政府武装勢力のカレン民族同盟、シャン州軍、カレニー民族進歩党と、同国民主化を掲げる亡命者グループ、ビルマ連邦国民連合政府などによる犯行と伝えた。”としている。
しかしミャンマー政府は、何者の犯行かがよくわかっていないらしい。民主化グループの犯行ではなかったらしい。

5/14 爆破事件、手がかり乏しくミャンマー政権が情報に報酬

まあこんなことで正確な情報が入るとは思えないが。
するとまた とんでもない解釈が、飛び出した。

5/15 爆破テロは米CIAと示唆、ミャンマー情報相が会見

おいおいミャンマー情報機関、大丈夫か。
いまここで、米国がミャンマーにテロ仕掛けて何の得があるのか。もし政府転覆を図るなら確実に行いますよ。
いま中国主導で急浮上した『東アジア共同体』構想を米国が反対はしていてもせっかく議長国を辞退してくれたミャンマーにテロを仕掛ける必要は全くない。
では、ミャンマーが反米になって得するのは?
ミャンマーが政情不安になって得するのは?
んー シーレーンが重要かなあ 「超大国」(人口、軍事)は、他にもありますよ。ミャンマーさん。
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爆破テロは米CIAと示唆、ミャンマー情報相が会見

 【ヤンゴン=川辺徹】ミャンマーの首都ヤンゴンで今月7日に起きた同時爆破事件について、軍事政権のチョー・サン情報相は15日、当地で記者会見し、「超大国の有名組織が10万ドルを犯行組織に提供した」と述べた。
 「超大国」や「有名組織」の特定について、同情報相は、「あなたがたも知っているはずだ」と答え、「有名組織」が米中央情報局(CIA)であることを強く示唆した。
 暗に米国の関与を指摘することには、体制不安定化の要因を国外に求めようとする軍事政権の意図がありそうだ。
 同相は、「2004年12月、超大国の世界的に有名な組織による支援のもと、隣国との国境でテロリストに対し爆破訓練が行われた」と述べた。さらに、「この組織は10万ドルをワシントンにあるビルマ連邦国民連合政府(亡命者の海外組織)に提供した。同政府の支援によって(3グループの)10人あまりが我が国に入り、訓練を行った」、犯行は「(訓練を受けた)全ビルマ学生民主戦線を含む5組織によるもの」として、事件直後の4組織による犯行という見方を修正した。
(読売新聞) - 5月15日21時44分更新
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小泉首相ロシアに出発、対独戦勝60周年式典に出席へ

2005年05月08日 | その他
小泉さん また反省とお詫びを”アジア諸国”に対して行うと思うがどうだろう。
ここでもはっきり日本の首相として先のAA会議での反省とお詫びが、誠実かつ真実であることを明示するのではなかろうか。まあそれより中国主席、ロシア大統領の言説が、どのようになるのか興味のあるところだが..
だいたい”対独戦勝記念式典”などというある一国に対する無礼というか、民度が低いというか、奇妙な式典を行うロシアの意図が、レベルが低いと言わざるを得ないのだが。
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小泉首相ロシアに出発、対独戦勝60周年式典に出席へ

 小泉首相は8日午後、モスクワで9日に開かれる対独戦勝60周年記念式典に出席するため、チャーター機で羽田空港を出発した。

 9日にはロシアのプーチン大統領と会談し、10日に帰国する予定。

 首相は出発にあたり、同空港で記者団に対し、「式典(のテーマ)は追悼と和解だ。世界平和を祈念し、戦争犠牲者を悼み、平和のありがたさをかみしめる式典だ」と述べ、式典出席の意義を強調した。
(読売新聞) - 5月8日21時12分更新
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あすベトナム「サイゴン陥落」30年

2005年04月29日 | その他
ベトナム、いやベトナム共産党も苦悩しているようだ。情報を封鎖すれば、自国の発展は、望めない。かといって共産党が主張するマルクス主義(私はよく知らない)を否定することもできない。しかし現実として資本主義は、経済発展には極めて有益であるという認識になりつつあるようだ。事実、越僑(華僑のベトナム版)の帰還による経済の発展、世界から入ってくる情報、投資による経済発展、それによる情報の拡散は、民意をしだいに変えつつあるようだ。4/27/2005読売新聞の”サイゴン陥落30年 ベトナムの肖像4”にものっていたが ”表向きのマルクス主義” では、これまでの情報の拡散によって”マルクス主義が一番だ”という民意を保てないらしい。人(情報)の交流によっていろいろな知恵、価値、発展が生み出されると思う。今やインターネットで瞬時に情報がやりとりできるのであるから、個々人が膨大な情報を短期間に入手し比較、検討し判断できる時代になったと言ってよいのではないかと思う。そうなるとなにが個人によって有益か と考え出す。まあベトナムは、いやベトナム共産党は、方針として各国との関係改善に乗り出しているようなので今は、良性(実際はよくわからん)であると信じたいが、少なくとも汚職、詐欺、社会不公平を極力是正し、間違っても自国民に粛清、虐殺など行い、悪の枢軸と思われるような行為をしてもらいたくないものだ。もしそのようなことをしたら北朝鮮と同じようになってしまうと思うのは、私だけか。

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あすベトナム「サイゴン陥落」30年 発展着々「戦後」と決別

越僑牽引、米と関係改善
 ベトナム戦争が終結した「サイゴン陥落」から三十日で三十年を迎える。終戦を機に社会主義国家として復興と発展を目指したベトナムは今、敵国だった米国との間でも関係改善を進め、「戦後」に別れを告げつつある。戦火や戦後の混乱を避けて米国など国外に脱出していた越僑たちの一部も帰国し、経済成長の牽引(けんいん)役となっている。(ベトナム・ホーチミン=旧サイゴン、岩田智雄)
 ホーチミン市内に、メコン・デルタのジャングルの村をそのまま移してきたような施設がある。
 竹編みの建物や小川を備えて、「私の村」と名づけられたこの施設は、帰国した同市の越僑たちから成る「海外ベトナム人(越僑)ビジネス協会」のファン・タイン会長(50)が作ったものだ。
 戦争中にベトナムを脱出したタイン氏は八五年にカナダから帰国した。現在は市内のホテル事業に投資しており、趣味はテニスとゴルフという。
 同協会によると、市内には帰国した越僑の会社が約千社あり、協会には百五十五人が加盟している。このうち五十人が米国からの帰還組だ。越僑たちは事業で次々に成功を収め、同市の経済発展の一翼を担ってきた。
 市の一人当たりの総所得は千八百ドルと全国平均の三倍で、今年の経済成長率目標も12%。台湾との合弁企業が開発した新興住宅地に五十万-百万ドルの豪邸が立ち並び、九十九世帯が購入した。
 経済発展の一方の牽引役が台湾、中国、シンガポール、韓国、日本などからの投資であり、ベトナムはそのために米国との関係強化を待ち望む。
 まだ上位十傑に入っていない米国からの投資を呼び込み、成長に弾みをつければ東南アジア諸国連合(ASEAN)の後発国から抜け出す道筋も見えてくる。今夏のファン・バン・カイ首相の初訪米を実現させ、その跳躍台にしたいところだ。ベトナム共産党序列四位のチェット同市党委員会書記は「過去は脇に置き、話し合いで対米関係を前進させたい」と“未来志向”を強調した。
 多くの米国人観光客も訪れるようになった。観光ガイド業者のグエン・バン・ホイさん(36)によると、贖罪の気持ちで訪越した米国人は住民の歓迎ぶりに驚くという。
 ホイさんは「わが国は中国、米国、フランス、日本など、多くの国々と戦争を繰り返してきた。過去の敵の名前を挙げ始めたら、友人はいなくなってしまう」と話す。
 戦争の遺恨が完全に消えたわけではない。
 タイン氏は「私の村」で、「米国人には見せない」と言う一室に案内してくれた。サイゴン陥落の日を再現した彫刻が壁いっぱいに施され、「米帝国主義は出ていけ」の横断幕が描かれていた。多くのベトナム人が戦争の痛みを心の奥にしまいこみ、戦後と決別しようとしているようである。
     ◇
 【戦後のベトナムの主な動き】
 1975年 4月 サイゴン陥落。ベトナム戦争終結
   76年 7月 南北統一
   77年 9月 国連加盟
   78年 6月 ソ連主導の経済相互援助会議(コメコン)加盟
      11月 ソ連との友好協力条約に調印
      12月 カンボジア侵攻開始
   79年 1月 ベトナム軍によりプノンペン陥落
       2月 中国がベトナム侵攻開始
   86年12月 ドイモイ(刷新)路線スタート
   89年 9月 ベトナム軍カンボジアから撤退完了
   91年11月 中国と国交正常化
   95年 7月 東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟
     同    米国と国交正常化
   98年11月 アジア太平洋経済協力会議(APEC)加盟
 2000年11月 クリントン米大統領が初訪問
   01年12月 米越通商協定発効
   02年 7月 ロシア軍がカムラン湾から撤退
   03年10月 鳥インフルエンザが流行し始める
      11月 米軍艦船が戦後初の寄港
   04年 1月 グエン・カオ・キ旧南ベトナム副大統領が帰国
   05年 4月 サイゴン陥落30周年
(産経新聞) - 4月29日2時55分更新

<インド>ネパールへの軍事援助を近く再開へ

2005年04月26日 | その他
最近、ネパール関係のニュースが、結構出てくるので本日のニュースと過去のニュースで状況を考えてみた。
ネパールは、どうも最初は、複数政党制であったらしい。が、2ケ月くらい前、突然、ギャネンドラ国王が政権奪取して独裁政権を作ったように見える。
でも時系列のニュースを見ると(ここに記載されているより以前のニュースも含む)何か違った経緯が見えてくる。
ネパールは、インドと中国にはさまれた小国である。ネパール国境は、その1/3以上が中国(チベット区域)に接しておりチベット難民等が数万人流入しているらしい。いやもっと凄い人数かもしれない。経緯は【ネパール年表】にあるが、ネパールでの政権は、どうもすぐに腐敗してしまうようだ。政権内に汚職が蔓延し、テロ、破壊行為発生など治安がおかしくなる といった事情があるようだ。又、昨年5月にはチベットからの亡命者十八人を、なんとチベット虐殺をした中国当局に引き渡してしまったようだ。そこで見かねてギャネンドラ国王が政権奪取し、ネパール共産党毛沢東主義派を締め出そうとしたら、共産党毛沢東主義派は、武力闘争を開始したらしい。当初、インド、欧米は、民主主義体制への復帰を求め、ギャネンドラ国王独裁には反対していた。 が、どうも共産党毛沢東主義派は、一般民意にはそっていないらしく、テロ、破壊活動を繰り返す行動をとりつづけているようだ。その奥の事情を見抜いた(かどうかは実際は、わからない)インドが、本日のニュースにあるように”ネパールへの軍事援助を、近く再開する”と相成ったようだ。
なんか世界中で政治腐敗、汚職により民意が反映されず、おかしくなっているような気がするのは、私だけか。
このネパール状況も今後注目したい。

ネパール地図は、ここから見れます。
http://encarta.msn.com/encnet/features/mapcenter/map.aspx
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本日
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<インド>ネパールへの軍事援助を近く再開へ (毎日新聞) - 4月26日10時36分更新
 AFP通信によるとインド外務省高官は25日、ギャネンドラ国王の政権奪取に伴って停止していたネパールへの軍事援助を、近く再開すると語った。ギャネンドラ国王は23日、ジャカルタでシン・インド首相と会談し、速やかに民主主義体制への復帰を図ると約束。インド側が援助再開に同意した。
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ネパール関係ニュースの履歴

*国王取り巻く環境悪化 ネパール、非常事態1カ月  (共同通信) - 2月28日17時53分更新
    ネパール共産党毛沢東主義派が力を誇示
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*「治安回復が大前提」 ネパール首相が会見   (共同通信) - 3月4日0時20分更新
    反政府武装組織ネパール共産党毛沢東主義派に対し、武力制圧
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*援助停止も「影響ない」 テロ被害はGDP3%以上  (共同通信) - 3月5日17時32分更新
    反政府武装勢力ネパール共産党毛沢東主義派のテロ被害
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*印パ、ネパール情勢協議へ 米国務長官がインド訪問   (共同通信) - 3月15日19時5分更新
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*反国王デモで70人拘束 ネパール    (共同通信) - 3月28日23時13分更新
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*爆発続発で9人死傷 ネパール    (共同通信) - 4月4日14時44分更新
    反政府組織ネパール共産党毛沢東主義派か 
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*戦闘で毛派50人殺害 ネパール、400人拘束    (共同通信) - 4月8日23時32分更新
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*路線バスに地雷、2人死亡 ネパール    (共同通信) - 4月10日0時31分更新
    反政府武装組織ネパール共産党毛沢東主義派が地雷を仕掛けた?
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*<ネパール陸軍>共産党毛沢東主義派ゲリラ60人を殺害 (毎日新聞) - 4月15日10時36分更新
    警戒中の陸軍兵士が襲撃を受けたことをきっかけにネパール共産党毛沢東主義派ゲリラを
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【ネパール年表】
 1990年 ビレンドラ国王が複数政党制の復活を約束、主権在民を定めた新憲法公布
 91年 32年ぶりに政党が参加した総選挙で、ネパール会議派(NCP)が過半数を獲得
   94年 総選挙で統一共産党(UML)勝利、初の共産党政権
   95年 下院の不信任決議で共産党政権崩壊
   96年 UMLなどから分かれた共産党毛沢東主義派が武装闘争を開始
 2001年6月 カトマンズ王宮でディペンドラ皇太子が発砲。国王ら王族11人殺害後、皇太子自殺。国王の弟、ギャネンドラ王子が国王即位
   02年10月 ギャネンドラ国王がデウバ首相を解任し、一時直接統治を実施
   04年5月 4月からの内政混乱を受けタパ首相辞任
      6月 国王はデウバ民主党党首を首相に再任
   05年2月 国王がデウバ首相解任、非常事態を宣言