大学の学位を持っていることが一般的であるこの時代、仕事を見つけるのはとても困難です。こういった状況の中、私は多くの求職者の中で際立つ方法を考える必要がありました。
一度、友人の1人がこう言いました、「面接に行く時、会社はあなたの学歴を見るだけでなく、主にあなたの職歴に注目します。企業は職歴の無い新卒は雇ってくれませんよ。」これを聞いた私は心配になってこう思いました、「私は何の職歴も持ってない。私はただの新卒。仕事を見つけるにはどうしたらいいのかしら?」
私は心配でしたが、それでも履歴書を書いて送付する必要がありました。私がそれを書いていた時、以前ウェブページを閲覧していた時に会社に採用してもらえるような職歴の書き方を教えてくれるプロフェッショナルがいるのを見たことを思い出しました。そして、私は頼みの綱を掴んだかのようにすぐさまオンライン検索をしました。しばらく閲覧した後、私は即座に希望を掴んだ気分になりました。こうして、私は彼らがオンラインで教えていた通りに履歴書を書こうとしました。
しかし、ちょうど職歴の有無を書こうとした時、私は気おくれしてこう思いました:「仕事に関して、私は明らかに何もやったことがないのに、経験があると書かなきゃいけないなんて。これは正直な人のすることじゃないわ。」しかし私はこう考え直しました、「私は高学歴じゃないから。職歴はあると書けば、ひょっとしたら私の履歴書が面接官の注目を引いて、私の面接を予定してくれるかもしれない。それに、自分が選ばれるかどうかなんて分からないし。このまま書いて履歴書を送付した方がいいわ。」
そして、私は履歴書に経験のない職歴を幾つか書いてそれを送付しました。意外にも、これが上手く行きました。数分の間に会社から電話があり、私に翌日の面接のオファーをしてくれたのです。私はこれをとても嬉しく思いました。私は職歴はとても重要だと思いました。
翌日、私は気分よく面接に行きました。私は自分の面接をしてくれるマネージャーが難しい相手になるとは決して思っていませんでした。彼女は午後を通して私と話をし、私の職歴について沢山質問をしてきました。
彼女は落ち着いた口調で私にこう聞きました、「ある化粧品のボトルが数本しか在庫にない場合、あなたならどう対応しますか?あなたは何をして販売する製品が確実に十分あるようにしますか?」「それは簡単です。時間の余裕を持ってもっと製品を購入します」、と私はすばやく答えました。その後すぐ、彼女は私に購買に関する細かい質問をしてきました。私はすぐさま呆然としてこう思いました、「こんな仕事には今まで一度も対応したことがないわ。前の会社ではレジの操作をしたり、サービスデスクで客の会員情報をタイプ入力したり、ラッフルの記録を記帳したりといった事務所内での事務処理といった小さな仕事を幾つかやったことがある程度だわ。彼女に本当のことを言うべきかしら?いいえ、そんなことできないわ。そんなことしたら採用してもられないわ。」切羽詰まった私はこれらの質問をすばやく考えてから、自分の理解した内容をもとに返答しました。
私が返答した後、彼女は何も言いませんでした。その時、私はやっと安堵のため息をつきました。ちょうどその時、彼女は私がもし購買、販売、配達における問題に直面したら、それらをどう解決すべきかと続けて質問してきました。その時、私はまた返答につまりました。どのように考えても、答えが分かりませんでした。落ち着いた様子の彼女を見ていると、私は余計に緊張してこう思いました、「本当のことを言うべきかしら?そうしたらこんなに心配しなくて済むわ。でも今はどの会社も求職者の職歴に注目するわ。私は高学歴じゃないからそれだけでも既に欲しがられるのが容易じゃないのに。それに加えて、私には職歴が無いから、採用される確率はさらに低いわ。だから本当のことを言う訳にはいかないわ。でも、私は神の信者よ。嘘をつくことは神に嫌われるし、神の御心に沿っていないわ。半分だけ本当のことを言って彼女を騙そうかしら?」
突然、彼女の携帯電話が鳴ったので、彼女は入り口の方に歩きながら電話に出ました。その時、私は少しだけホッとして、緊張のせいで手がすごく汗ばんでいるのに気が付きました。困った私は心の中で静かに神に祈りを捧げました、「ああ、神様。私はどうしたらいいのでしょう?」
この時点で私は突然こう思いました、「神は誠実であられる。神は決して曖昧に喋られたり、振る舞われたりはしないのです。神は私たちが純真で幼い子供たちのようになることを求めておられます。一方には神の御要求があり、またその反対側には私の個人的な利益があります。私はどちらを選ぶべきなのでしょう?私は本当のことを話すべきなのでしょうか、話さなくてもいいのでしょうか?」私はずっと躊躇していました。私は正直になりたかったのですが、この機会を逃すのは耐え難いものがありました。この会社から面接のオファーを受けるのは私にとって容易なことではありませんでした。以前この職に就いていたことがないと言ってしまったら、このチャンスは間違いなく駄目になってしまいます。
この瞬間、私はこうも思いました、「今日の世間の傾向は会社が人々を判断すること、そして採用することを彼らの職歴に基づいて行うように仕向けてはいますが、実際、全ては神の御手によってコントロールされ、計画されており、それはマネージャーの思考と考えも含まれます。私は職歴があると彼女に信じてもらうために嘘をついて彼女の信頼を得たとしても、私がこの仕事に就くことを神が御計画しておられなければ、彼女は私を採用することはないし、また採用されたとしても、私はこのように嘘をついてごまかしていたら長期間に渡ってこの仕事に就くことはできないでしょう。」
この時、私は仕事を探し始める前に自分が仕事探しを神の御手に委ね、神の主権と御采配に従うと言って神に祈りを捧げていたことに気が付きました。しかし、現実を目の前にした私は神の御要求を完全に脇に置いてしまい、俗に言う「面接の成功は職歴にかかっている」ということを信じてしまいました。自分の履歴書を提出してからここに面接を受けにくるまでの間、私は嘘をついてこの仕事を手にすることを無駄に期待していたのです。面接の間、私はどのように嘘をつけば職歴が無いことがばれずに採用してもらえるかとずっと考えていました。ああ、私は仕事を手にするために考え過ぎて臆病になっていたのです。
神様、有難うございます!こう考えていると、職歴は私が採用されるか否かの重要な要素ではなかったことを理解しました。それどころか、最終的な裁量権は神の御手にあるのです。その一方で、私は真実を話さないと、この仕事を手にしても不安を感じることになり、さらに重要なこととして、私は神の前で神への証言を失ってしまうことにも気が付きました。私は正直になれず神に御満足していただけないだけでなく、サタンの笑い者にまでなってしまうのです。この時、私は気持がとても明るくなり、こう決心しました、「私は彼女に真実を話す必要がある。」彼女が私を採用するか否かは神の御手にあるのです。彼女が私を採用してくれなくても、私は神の主権と御采配に従ってゆきます。」
しばらくした後、マネージャーは電話を切り、中に戻ってきて私の面接を続行しました。面接の残りの間、私は聞かれた質問に対して本当のことを話しました。答えが分かっていればそのまま答え、答えが分からなければ分かりませんと答えました。私は質問に答える度に冷静で安定している感じがしました。以前の精神状態に比べ、私は気持がだいぶ楽になった気がしました。面接後、マネージャーは2日以内に結果が出からそれまで待つようにと私に言われました。私は、「明らかに見込みは薄いなあ」、と思いました。私は少しがっかりした気分でしたが、神の御心を理解した私は依然として冷静に最終結果を受け止めようと思いました。
知らぬ間に2日が経ちました。私は採用の通知を受けなかったので、他の仕事に応募することにしました。しかし、意外にも、3日目の朝、私はマネージャーから電話を受けました。彼女はこう言いました、「あなたがとても正直な人であることが分かりました。ですので、あなたにチャンスを与えることにしました。とにかく職場で一生懸命学んでください。」これを聞いた私はとても驚いたと同時に恥ずかしくなってこう思いました、「私が正直?いいえ。神の御導きがなければ、私は確実に嘘をつき続けていたでしょう。これは全て神の私に対する働きの効果だったのです。」
私はあの日面接に行ったことを考えずにはいられず、マネージャーは数人の求職者を面接したと言っていました。彼らは短期大学士や大学の卒業証書を持っていました。しかし、彼女は彼らを採用しなかったのです。彼らと比較すると、私は高い学位も職歴も持っていませんでしたが、それでも彼女は私を採用したのです。この瞬間、私は神がこの全てにおいて主権を握っておられたことを深く認識しました。私は自ら進んで正直な人を実践していた時、この仕事を逃さなかっただけでなく、神の祝福まで授かりました。この仕事を得られたのは神が私を御認めくださったということです。私は聖書に書かれているこの御言葉を実際に経験したのです、「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである」ヨハネによる福音書 4:23。
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