賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

私と傲慢な課長の間の「堅氷」が溶けた

2020-04-21 13:41:04 | 職場の人間関係

   上司に困らされたら、どうすればいいですか。三年来、課長はいつも彼を困らせ、彼もずっと課長と張り合い、落ち込んで苦しく生きています。最後に彼はどのように苦痛の中から抜け出して、解放されて自由に生きているのか。どうぞ一名のクリスチャンの変化の経験を見てみましょう。

 

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私は課長との張り合いが始まった

怒る根源を見つけた

神様の意図を理解した

再び困らされることに直面する時

課長との「堅氷」が溶けた

 

私は課長との張り合いが始まった

   私は電気溶接の作業員です。見事な深みのある技術を持っているから、今の会社に引き抜かれました。会社に来たばかりの頃、私が担当していた作業は一件の不良品があって、課長はわざわざ検査部門が私のために、検討会議を開き、私に不良品報告表を作らせました。私は、すべての人は皆不良品を作ったことがあるが、課長はあまり報告しないのに、なぜ今回はわざわざ検索部門が私に検討会議を開かせるのかと思いました。しかし、私はまたこう思います。今回は確かに私の間違いで、間違ったら、認めればいいです。それから私はこの事についてあまり考えないです。しかし、それから、課長はきりがなく依然として私を叱り、そして私に皮肉を言いました。「あなたはどうしてしでかすのか。」課長のこの態度を見て、私は自分のメンツと尊厳が大いに傷つけられたと感じ、思わず怒りを出しそうになり、「私はどうして間違ってはいけないのか、もう間違ったから、あなたはどうするつもりか。」と心に思います。これによって、私は課長と張り合い始めました。

   それから、課長はあらゆる面で私を困らせ、よく命令の口調で私にあれこれをするように指示し、またよく他人の仕事を私にやらせ、そして側で私をじっと見つめていました。これは課長がわざと私を狙い撃ちをし、私の粗捜しをするのを知って、私も人に負けないようにし、どんなに頑張っても仕事が終わらないとき、私は思い切ってもう進度を追わず、ゆっくりやります。しばらくしたら、お手洗いに行ったり、水を飲みに行ったりし、わざと課長の前を行ったり来たりし、故意に彼を怒らせます。課長は私の様子を見て、目をじっと見つめて私に大声で叫びました。「急いでいるのを、君は知らないのか。」「知っているよ。」「知っているのに、君はなぜ仕事を終わらせないのか。」「私の力はこれだけです。最初に仕事をする時もこのスピード、今も同じではないか。」課長が私の言葉を聞いて、タバコをもみ消し、ぷんぷん怒って去りました。私が仕事をする間にこのような事がよく発生し、毎回言い争った後、課長はどうしようもありません。しかし、私の心にはとても苦しくて辛いです。このような生活はいつまで終わるかを知りませんでした。

 

 

   ある日、課長はまたたくさんの仕事を私にやらせ、全くやりきれないので、私は不平と不満がいっぱいになり、どうしたら課長に私が甘くないことを知らせるのかをじっくり考えています。それで、翌日出社する前に、私は理由をつけて会社に休みを取りました。課長は私のやり方を見て、全くお手上げになり、やむなく仕事を急いでいるから、彼は進んで私に連絡しました。私にやらせた仕事を一部他人に分けたので、翌日出社するようにと言いました。これによって、課長は私に対してどうしようもないのを見て、しばらく平穏になって、もう私を困らせません。しかし、しばらくしないうちに、課長は会社の仕事がそんなに忙しくないのを見て、また私を困らせ始めました。私の工具が使いにくい事を彼に言いましたが、彼は私を我慢させました。私の作業着は時間が経ったから、焼損したので、彼に新しい作業着を申し込んだのに、彼は申し込んでくれませんでした。要するに、私の提出したすべての要求に対して、彼はほとんど私を満足させることなく、私たちの会話はいつも激しい敵意に満ちていました。私たちはこのように互いに張り合う状態の中で三年間を過ごしました。この三年間の中に、私は毎日重苦しく過ごしていて、ここから離れて辞めることさえ考えました。しかし、日本で何年間も努力してきたのに、安定した仕事がなかなか見つかりません。しかも、私は会社に引き抜かれたので、もしこのまま課長にいじめられて会社をやめたら、不本意です。自分のために頑張りたいから、私は苦痛を耐え忍んで勤め続けるしかありませんでした。

 

怒る根源を見つけた

   2018年、幸いに私は全能神の終わりの日の働きを受け入れました。時間があったら、私は兄弟姉妹と一緒に集会し、神様の言葉を読んでいました。集会を通して、私は自分がよく他人と張り合い、争い合うのは、サタンの堕落した性質によるものであり、神様が嫌悪することであるのを知りました。これを理解した後、私は生活の中で自分を反省し認識することを重視し始めました。

   ある日、まもなく終業する時に、課長はまた私に向かって命令の口調で私に言いました。「君、明日残業して、この前受けた新しい仕事を終わらせて。」私は何も言わずに、うなずいて応答しました。続いて課長は私に聞きました。「明日はこの新しい仕事を終わらせるのか。」新しい仕事なので、図表も見る必要があるし、具体的にどんな困難があるか、どのぐらい時間かかるか私ははっきり分からないので、私は「ほぼできる」と返事しました。課長がタバコをくわえて私を見ながら言いました。「ほぼできる?君は一日で終わらないだろう?」彼の傲慢な様子を見て、私の心にはとても反感を感じ、怒りが抑えられなさそうになっていました。続いて課長はまた挑発する口調で言いました。「俺なら半日で終わる。君は1日でも終わらない。試してごらん。」課長の軽蔑する目つきを見て、私は心に思いました。「あなたはずっと私を眼中に置くことなく、私と腕比べをしているか。私がここでぶらぶらして日を過ごしていると思うのか。明日一番短い時間でこれらの仕事を完成させ、実力であなたの口を塞ぎます。」ここまで考え、私も硬い口調でずけずけと彼に言いました。「明日やって見るわ。どのくらい時間かかるか、課長とどれくらい差があるかを見てみよう。」私の話を聞いて、課長はずるい笑顔を現しました。私は心に思います。「あなたが笑われないように、明日8時間でこれらの仕事を完成させるように勝ち取ろう。」

   帰り道で、私は腹いっばいの怒りを我慢して、会社にいるこの三年間に、課長はよく私を貶し、困らせ、本当に人を腹立たせます。今度私はこの仕事を終わらせてから、彼に軽べつされないように、必ず彼と言い争わなければなりません。歩いている途中、私はちょこっと携帯を見て、無意識のうちに兄弟姉妹のアイコンの写真が目に入って、私はすっと今自分が神様を信じる人であると思い出して、先ほど自分が堕落した性質を現していることに気づきました。しかし、私は家に帰った後、心がなかなか穏やかにならず、ずっとこのことのために悲しくなっています。それで、私は神様の前に来て祈ります。「神様よ、今日私は堕落した性質を現しました。サタンの前に証しに立つことができませんでした。神様よ、あなたは私の霊的背丈が小さいのを知っておられ、私は何も分からないので、自分の堕落したサタン的な性質を認識し、堕落した性質から抜き出す道を見つけるように、どうか私を導いてくださるように。お願いいたします。」

   その後、私は集会の時に、兄弟姉妹が私に交わった二段落の神様の言葉を思い出しました。神様は言われます。「人間が他人の前で怒るか、あるいは陰で怒るかを問わず、人間には皆様々な意図と目的がある。このような人間達は、自分自身の信望を構築している場合や、自らの利益を守ろうとしている場合、自分の外聞や面目を保とうとしている場合などがあるであろう。自分の怒りをある程度抑えるよう努める者も居れば、全く抑えようとする様子が無く、好きなときに心ゆくまで怒りを露わにする者も居る。つまり、人間の怒りは、自分自身の腐敗した性質から生まれている。その目的が何であれ、怒りは人間の肉欲や本性に関連するものであって、正義や不正義とは無関係である。なぜなら、人間の本性や本質には、真理に相当するものが皆無だからである。」「人間が地位を得ると、気分を制御するのが困難になり、事あるごとに不満を爆発させ、感情を露わにする。人間は、自分の力を示し、自分の地位や身分が普通の人々とは違うことを他人に知らしめるため、明確な理由なく激怒することさえ多々ある。無論、地位の無い腐敗した人間も、頻繁に取り乱す。そのような人間の怒りは、その人間の個人的利益に対する危害によって発生させられる場合が往々にしてある。自分の地位と威厳を守るため、腐敗した人間は感情を発散させ、傲慢な本質を露わにすることが往々にしてある。人間は、罪の存在を防御するために突然激怒して感情を露わにし、そうした行動によって、その者は自分の不満を表す。こうした行動は汚れや謀略に満ちている。人間の腐敗と邪悪、そして何よりも人間の向こう見ずな野心と欲望に満ちている。」

   神様の言葉を思い巡らして私は次のことが分かりました。人が怒り出したり腹を立てるのは、皆自分の意図や目的を持ち、あるいは自分のメンツやイメージを維持するため、或いは自分の威信を打ち立てるためです。要するに、理由が如何に適切であったとしても、怒り出すのは皆傲慢な本性から出たものであり、肉と血によるものであり、その中には個人的な野心や欲望に満ち、邪悪で、真理と一致しないものです。今日自分が課長に怒り出したのを反省し、それは主に自分のメンツと尊厳を維持するためでした。いつも私は「人はひと息のために戦い、仏は一本の線香のために争う」「人はメンツのために生き、木は皮のために生きる」これらのサタンの毒素によって生き、すべてのことにおいて自分のメンツと尊厳を維持し、私をいたたまれない思いをさせる人がいたら、私はすぐに怒り出しそうになり、傲慢な性質が現れ、普通の人間の理知を失ってしまいます。この何年間を思い返し、課長がいつもそっけない態度で私を扱うのを見て、或いは八方手を尽くして私をいじめる時、私は彼が私を何とも思わず、私を見下げて貶していると思い、自分のメンツと尊厳のために、いつも傲慢な性質によって課長と戦い、方法を考えて私と妥協するようにしています。今自分がなぜ自分のメンツを取り戻し、課長の尊重を得たいのかを考えて、自分が会社に引き抜かれてきた人材で、技術も、特長もあり、尊重を得るのは当たり前と思っているからです。実際に、私はどんな技術や特長があっても、私は塵や一人の被造物であり、どこに行っても他人からの尊重を求め、他人が言葉や行為において自分のメンツに気を配ることを求める資格がありません。これは理知のない要求であり、傲慢で高ぶっている表現です。ここまで考えて、私は自分の行為に恥ずかしさを感じます。

 

神様の意図を理解した

   私はまた一段落の御言葉を読みました。「もし、あなたが神によって完全にされることを望むなら、あらゆる事柄を経験することを学び、直面するいかなる事柄においても、神の啓きを与えられなくてはならない。何かに向き合うときは常に、良いことであれ悪いことであれ、あなたにとって得るものがなければならない。あなたが消極的になることがあってはならない。何が起ころうと、あなたは、神の側に立ってそれを考えることが求められるのであって、人の観点から分析あるいは検討してはいけない(これは、あなたの経験における逸脱である)。」

   神様の言葉を思い巡らして私は分かりました。私は昔から私たちの仲が悪い原因は、課長が傲慢すぎて、いつも他人を見下げているためだと思っていました。今私はついに自分のこの考え方が間違っていることに気づきました。このような環境に臨むのは、神様が許可されているから、私は再び反抗してはいけなく、教訓を学ぶことに重視すべきです。もし、私はずっと角突き合い、真理を尋ね求めず、他人の過ちだと思うなら、私は自分自身に存在する問題を認識することができなくなり、最終的に、何の真理も得ることができません。この時、私は自分が課長と角突き合う時、課長の過ちもあるが、自分も汚れて堕落しており、私はいつも自分の尊厳を維持するため課長と角突き合い、生きてきたのは少しの人間性や理性もなく、神様が私にこのような人間や出来事、物事を配置してくださるのは、私の堕落した性質を明らかにされ、私がこの環境の中で自分の堕落した真相を見極め、自分に対する正しい認識に達し、最終的に一人の正常な人間性を行動で示して神様に栄光を帰すためであることに気づきました。そのため、私は神様の前にきて祈りを捧げ、自分がメンツや尊厳などこれらの無価値のものを脇に置き、神様の言葉によって生きるように神様に求めました。

 

再び困らされることに直面する時

   翌日出社してから、私は昨日の仕事を終わらせて新しい仕事を始めています。しかし、あまり時間が経っておらず、課長が私を呼びました。彼に呼ばれたらきっといいことがないと心には思います。このように思う時に、自分のこの状態がよくなく、周りの環境は皆神様が配置しておられるから、私は神様から出たものであると受け入れるべきだと気づきました。そのため、私は心で黙って神様に祈りを捧げ、私の心を守って、神様の前に静まることができるように神様に求めました。その後、私は課長に向かいました。彼は定規を持って、私の完成品を測りながら言いました。「あなたの完成品は不合格だ。溶接ビードは5ミリメートル長かった、直して。この角度も違う、底板が不均一、全部やり直して。」彼が言っているのは皆許容誤差範囲内なのに、彼がわざと私を困らせていることが分かりました。彼と道理をわきまえようとする時、突然私はこのことを思い出しました。課長がこのように私を扱うのは、サタンからの誘惑であり、私の肉と血を挑発しようとし、私を課長に敵対する状態の中に置かれるのです。実は、課長がこのように私を扱うのも神様に許可され、神様が私の傲慢な性質を変化させ、私が人間性と理性を生き出させるように配置してくださった環境です。私は神様から出たものとして受け入れ、サタンの笑いぐさにならないようにまず従順になるべきです。ここまで考えて、私の心が静まってきて、初めて穏やかな口調で課長に言いました。「課長、ご安心ください。これを終わってから、一つずつ確認します。不合格の完成品を直しますので、必ず課長を満足させます。」私の言葉を聞いて、課長はキョトンとして、何も言わずにくるっと体の向きを変え離れてゆき、疑う表情で頭を振り返って私をちらっと見ました。課長が離れた後、私は体の向きを変え、思わず涙を流しました。長い間、このようなことに臨む時、私は初めて怒りを爆発させず、初めて心には不快な気持ちがありません。神様の言葉によって私はサタンの束縛から解放されて、私の心に言い表せない感動をもたらしました。

 

課長との「堅氷」が溶けた

   これから私は全力を仕事に投じ、午後四時半ごろ、私はこの新しい仕事を完成しました。その後、私は完成品を全部確認してから、課長の前に送って言いました。「課長、全部終わったので、どうぞご確認ください。もし不合格ものがあったら、私は直します。」課長が私の言葉を聞いて、不思議な顔をして私を見てキョトンとして言いました。「君は今日うっとうしい思いをしなかったのか。」私はこれを聞いてにっこりと笑って、正面から答えなかったが、心には黙って言いました。「私のこの時の喜びはあなたには分からないです。」仕事が終わった後、課長が私に今日の完成品が全部合格で、大きな問題がないと言いました。私は嬉しくなって帰りました。

   翌日仕事が始まった後、思いもよらないのは、課長が進んで私に挨拶しました。これは以前になかったことです。課長が離れた姿を見て、私は心にはこう言いました。「神様に感謝します。私はこんなに傲慢で自分自身を認識できない人で、神様があなたを通して私を明らかにされ、自分の傲慢な本性を認識させ、自分の学ぶべき事を学ばせるのです。」

   その時から、私は再び傲慢な性質で課長を扱わず、課長が私に対する態度もよくなりました。ある日、私の電気溶接機が使いにくくなって、彼に報告したら、すぐに替えてくれました。先日、私の作業着が焼損されて、彼が気づいて、自発的に私のサイズを聞いて、新しいのを申し込んでくれました。課長のこれらの変化を見て、私の心には暖かく感じ、私たちの三年間の仲が悪い関係がとうとうよくなり、私はこれは皆神様の言葉が私のうちに達成した効果だとわかります。神様に感謝します。今後私もより多く神様の働きを経験し、徹底的に自分の堕落した性質を変え、一人の正常な人間性を行動で示して神様に満足させるように頑張ります。


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