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草堂

Web Shop草堂で扱う作家、作品の紹介、イベントや新着商品のご案内、店長の周辺雑記を日々つづります。

古今亭志ん生 病前病後 お直し 疝気の虫

2016-05-08 | 落語

矢野誠一『志ん生の右手(落語は物語を捨てられるか)』(河出文庫)を読んで脳出血から復帰した後(昭和37年10月~)のCDを、改めて何枚か聞いてみた。 病気の後遺症のため口調に覚束ないところはあるが、じゅうぶん聞き取れる。怪しくなった滑舌が志ん生独特の『ふら』を増幅して、さらに面白くなった印象もある。

『お直し』、『らくだ』、『柳田角之進』など、50分近い長講ものを意欲的に演じているのが凄い。亡くなる直前まで、毎日のように圓朝の速記本をめくっては
「独演会やりてえな……」
と呟いていた、底知れないエネルギーの発露する一端を見る思いがする。

『お直し』は、芸術祭で文部大臣賞を受賞してから志ん生の看板になったが、復帰して一年後、昭和38年録音(落語名人選・アポロン)がいちばん良いと思う。これもアポロンの『落語名人選』に収録されているが、『宿屋の富』も面白い。マクラで多少フラついているが、俄然乗り出した後半は病気前のCDより面白い。

『疝気の虫』、『鈴ふり』などエッチな話は、しょうがない酔っ払いが喋ってるようでどこまで地なのか芸なのか不思議な味があります。もし志ん生が、文楽のように『完璧な芸』を目指していたら、このような歴史的?録音はとうてい残っていなかったはずだ。

落語ファンの中には、晩年の志ん生を評価しない向きもある。或るCDショップでは『病前・病後』に分けて、志ん生のCDを置いている。(晩年のCDを、知らないで買ったお客さんからクレームがあったとか)

小林信彦も『名人 ~志ん生 そして志ん朝』(文春文庫)の中で晩年の志ん生の高座は痛々しくて見られなかった……ということを書いている。

僕は『痛々しい高座姿』を見ていないので、そう思うのかもしれないが呂律のあやしい晩年期まで含んで志ん生の魅力だと思う(まあ好き嫌いなんですが)。

右半身麻痺のため、動作を封じられた晩年の志ん生だが、ほとんどのネタを『お蔵入り』させないで演じることができた、という。半身が不自由になったので、喋ることにさらに集中特化したのかもしれない。

志ん生の晩年のCDを聞いて、落語はつくづく『聞くもの』だと思った。


円了 妖怪 怪談 円朝

2016-05-05 | 落語

これは、以前のJUGEM ブログ2011年10月13の日の記事を加筆、再編集したものです。

昨晩のNHK総合テレビ『歴史秘話ヒストリア』で井上円了を特集していました。東洋大学を創立した教育者・哲学者の側面よりも、妖怪研究の権威として活躍した功績のほうを大きく取り上げる番組構成になっていました。

円了の妖怪学は、鳥山石燕の有名な画集『百鬼夜行図』を論証する……というものでなく、明治時代の人々が妖怪の仕業と信じている怪奇現象を合理的に説明して、誤った因習から彼らを解放し、さらには自分自身で考える習慣を持とう、とする啓蒙運動の一環だったのでした。

円了は越後長岡藩の寺の息子として、1858年に生まれています。20歳(1878)で上京して東大予備門入学、後に東大文学部哲学科に進み、同学部を主席で卒業後、哲学普及運動と妖怪研究を同時に進めることになる。

でも、東大主席の学士様が何で妖怪なんだ?という疑問が拭えず、それが民衆を啓蒙する方便だとしても、別に何か理由があるでしょう?と思ってしまう。

あることに気がついたのですが、そのきっかけは円了という名前です。
「円了なんて噺家みたいな名前だ、円朝の弟子の中にいそうだし」

明治11年に上京した円了が、当時の名人三遊亭円朝の高座を見た確率はかなり高い、と思います(ぜったい見ていた、と言いたいくらいだ)。円了は、講演旅行のために日本全国を何度も廻ったほどの話術の名人ですが、そのテクニックも寄席に通って磨いていたのかもしれない。

それに、円朝のオハコといえば怪談噺じゃないですか!

円朝は「幽霊が見えるのは、見る人間の神経がマイッているからだ」と怪談に近代的な解釈を持ち込んだパイオニアでもある。(代表作の一つ『真景累ヶ淵』の『真景』は、『神経』に掛けた題名だということは有名)

悪事を重ねた人間が、良心の呵責に耐えかねて精神を病んだ末、身内の者(愛人だったり肉親だったり)を、自分が以前に殺した者の幽霊と見間違って、
「おのれナントカ(以前に殺した人の名)、血迷うたな!……」
その台詞がきっかけで、斬り殺す。円朝の噺によく出てくる見せ場ですが、円了はこの筋立てを聞いて怪奇現象を合理的に説明する、ということを思いついたのではないか。

夏目漱石は円了より9歳下ですが、子供のときから落語好きで20代半ばになるまで毎日のように寄席に通っていました。三代目小さんを『三四郎』の中で絶賛するほど、大ファンだった。

『吾輩は猫である』の苦沙弥先生と友人、門下生の絡みなど、横丁のご隠居と八っつぁんそのものです。

そうか、漱石が小さんで円了が円朝だったのか(ひとりで納得)。

 


よくなる可楽 (八代目三笑亭可楽)

2016-05-03 | 落語

いま使っているMP3プレイヤーは2005年製で、古いだけに容量が少なく 、だからあまり聞かない曲や演目を削除して新しいプログラムを入力しますが、その作業を数年繰り返していると、初期とかなり違った構成になります。落語でいうと志ん生、正蔵、三木助が多いのは分かっていましたが、自分でも気が付かなかったのが八代目三笑亭可楽の躍進(?)でした。

可楽の語り口は独特です。低音の小声でぼそぼそ早口に喋ります。間がない、というか間をつぶすように畳み掛けるので、初めは聞き取りにくい。そのうえ、つっかえたり言い間違ったり(今の言い方だと、噛みまくる)、あまり老若男女の演じ分けもしません。上手いのかヘタなのか判定不能な芸風です。

ところがですね、MP3プレイヤーで何度もリピートして聞いていると、スピーディーで平坦な可楽の喋りが、ある瞬間から急に心地よくなる!

可楽は早口なうえに、噺の中身もかなり省略します。だから他の噺家が60分くらい熱演する「らくだ」を、その半分以下で終わらす。かといってエッセンシャルな部分は損なわれず、美味しさはそのままです。可楽は『芝浜』、『富久』など、同時代の名人上手がオハコにしていた大ネタも、相変わらずの脱力でサラサラと演じる。

可楽の、さらさら流れる(時々つかえる)肩の力が抜けた落語がよくなると、逆にメリハリつけた(一般に上手いといわれる)噺家の芸が重たく感じられる。だからそういう落語家は、可楽の落語が好きになるほど、僕のMP3プレイヤーから徐々に消えていきました。

可楽は、繰り返して聞かれることを意識して演じたわけでないでしょうが、(現在、販売されているCDの音源は、寄席での実況録音がほとんど)一回聞いただけと繰り返して聞いた後では、面白さが歴然と違います。これは、実演だからレコード(CD)だから、という違いではないと思います。たぶん、当時(八代目可楽が現役の頃)に寄席へ通っていた客の中にも、最初は「なんだ?この噺家……」と思って見ているうちに、いつの間にか可楽に『嵌った』ファンが、結構いたのでは、と思います。

泡坂妻夫が「好きな噺家は、柳好(三代目)に柳枝(八代目)。あとは可楽かな」と、インタビューに答えています。あとは……と言って名前を出すのが似合う、という感覚は、可楽ファンの共通した美意識でしょう。いちばんじゃないんだね。いちばんは失礼だ無遠慮だ、と思ってる。しかし好きな噺家、と聞かれて柳好、柳枝から入るところが泡坂妻夫らしいね。文楽、志ん生が嫌いというわけではない。それは言うまでもないこと、と片目をつぶって合図を送っているようだ。そんなメッセージ込みの「柳好、柳枝、あとは可楽」。ますます泡坂妻夫が好きになった。

以前に可楽を聞いたけど「あまり面白くないな……」という感想を持った方、『繰り返し聞き込み』をぜひお試しください。5回目くらいから良くなってきます。(なんかアブナイものを勧めているみたいですが、もちろん合法です)

いまの噺家の中では、柳家小三治が『富久』、『芝浜』などを可楽の噺に近いかたちで演じています。


柳家小はん 『明烏』

2016-05-01 | 落語

きのう、足立区の梅田地域学習センターの『梅田寄席』を見てきました。お目当てはニ席演じる柳家小はん師匠で、きのうは『時そば』と『明烏』でした。

『明烏』は八代目桂文楽のオハコで、文楽と同時代の噺家は演じていません。最近では高座に掛ける噺家もだいぶ出て来ましたが、時代が変ったので困った?ことに、吉原、遊郭、花魁、幇間、茶屋などの文化が遠くに行ってしまいました。

芸歴50年を超える小はん師匠ですが初高座は昭和35年で、すでに吉原遊郭は2年前に廃止されています。たぶん、観客の中にも実際の吉原を知っている者は皆無だろう。

語るほうも聞くほうも、楽園のような(男にとっては)遊郭を想像しながら話を辿っていきます。見返り柳を過ぎ、大門をくぐって、お茶屋に……。小はん師匠の巧みな案内で、30分間、若旦那の時次郎さんと一緒に吉原を遊覧できました(若旦那は最初めそめそ泣いていましたが)。

落語は、演者と観客の共同幻想だと思います。だから『落語ワンダーランド』へ、上手に連れて行ってくれる噺家が自分にとって相性のいい、上手な落語家だと思います。

昨晩の『梅田寄席』は大入り満員で、中にお母さんといっしょに来た小学校高学年の男の子がいました。終演後、舞台から小はん師匠が
「坊や、わかった?」
「……すこしわかった」
「また来てくださいね」
場内の一同が再び笑って、なごやかに終わりました。

これは、以前のJUGEMブログに書いた記事を、加筆再編集したものです。ちなみに、投稿したのが2011年11月11日でした。


晩年の八代目桂文楽の芸をCD で

2016-05-01 | 落語

桂文楽の『富久』を聞いたら、以前に聞いたものとだいぶ印象が違う。今回のは『昭和の名人 古典落語名演集 桂文楽 一』(キングレコード)で、以前に聞いたのは『八代目桂文楽名演集』(ポニーキャニオン)。録音年月は前者が1968年9月20日、後者が1970年9月7日、両方とも無観客のスタジオ録音で、音声は明瞭だがライブ感が乏しい。

文楽が76歳、78歳の時の録音で、いずれにしても最晩年だ(享年79歳)。であるが、この二年の差は大きい。あらためてポニーキャニオン版を聞くと、長い喋りの部分は息が苦しそうで、声を張る場面は叫ぶ感じになってしまい、発声の抑揚に苦労している様子が痛々しい。

色川武大の本を読んでいたら
『文楽は、入れ歯にする前の昭和36年以前が最良で、そんな音源はごく少ないが、見つかれば国宝級の価値がある』
と書いてあった。

八代目文楽という名人の、全盛時の高座を実際に見た人からすれば、晩年の、それもスタジオ録音など面白くもなんともないと思います。でもヒネクレタことを言えば、知らないからこそ文楽でも志ん生でも最晩年のCDを、全盛時のイメージに捉われずに(減点なしに)楽しめる、ということもあると思います。

実際、キングレコードの『富久』は、ポニーキャニオンより、聞いた感じだけでは7~8歳若いようにも思えて、衰えた印象はないと思う。

二枚のCDとも演じられている内容がほぼ同じ、収録時間が32:04と32:02。たった2秒の違いは出来過ぎ、というか偶然だろうが、それにしてもきちんとした人だな……。