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草堂

Web Shop草堂で扱う作家、作品の紹介、イベントや新着商品のご案内、店長の周辺雑記を日々つづります。

五街道雲助 名人長二 人情噺

2017-11-12 | 落語

落語世界の住人はほぼ類型化されていて、その中で大工の棟梁や鳶の頭というタイプがひとつある。男前で気風がよく啖呵が切れて人望もある、落語の登場人物中、もっとも頼りになる男だ。中には『木乃伊取り』『佃祭』などのやや脱線気味のお調子者もいるが、人の良いことには変わりがない。

『名人長二』は、江戸文政の頃に指物師で名人と言われた長二の物語で、作者は三遊亭圓朝。全部演じると八夜から十夜かかる長編だという。このCDで雲助が口演しているのは『仏壇叩き』という、その発端にあたるエピソードだ。

いまから16年前の録音で、雲助は当時53歳なんだが話芸はすでに円熟している。現在より声に張りがあって、強くて硬い印象を受ける。僕は今の雲助のほうが聞きやすいが、これも決して悪いものでない。

『名人長二』の80%は、長二に仏壇を注文した蔵前の大店、坂倉屋の主人と長二の会話で進行する。ほとんどが長二の仕事を褒める助七(主人)の語りで、そこから長二の人物像が浮き上がってくる工夫だ。ちなみに助七は53歳、長二は28歳。

悠々自適な暮らし向きの大店の主人と、既に名人と言われる腕ながら意気盛んな20代の長二の対比が素晴らしい。親方、と呼びながら息子ほどの年の長二をやや軽んじる助七の物言い、負けん気がすぐに頭をもたげる長二の気性がその会話の中に散りばめられ、後半の波乱を予感させる。

しかしこのシリーズ(朝日名人会ライブシリーズ)は、反響音が大き過ぎて聞きにくい。ソニーレコードの落語CDは、ひとつの話を幾つも分割して小見出しを付けるけど、どういう意図があってそんなことをしているのか?途中から聞きたい人っているんだろうか。志ん朝の全集の頃から疑問に思っていたけど、そろそろ止めてほしい。


CD版 小沢昭一的 新宿末廣亭 ごきげん三夜

2017-10-28 | 落語

こんなCDが発売されているとは知らなかった!小沢昭一が2005年6月の21日から10日間、新宿末広亭の夜の部の高座に上がり毎晩口演した、その実況録音だ。当時からたいへんに好評で話題にもなり、その様子は翌年本になって出版された。僕も読んだが、読むとやっぱり実際の音で聞きたい!という不満がくすぶる。しかしず~っとCDにならなかった。

発売されたのは今年の5月で、12年待たされた。というかほんとうは忘れてた。その間に小沢昭一も死んじゃった。

小沢昭一、落語、演芸などが好きな人には宝物のようなCDです。しかも、お得意の歌がたくさん実演されている。もちろん話も面白い。僕の聞きたい話題がどんどん出てくる。まるで僕に向かってお話してくれてるみたいに、そうそう、それが聞きたかった!と何度も膝を打った。膝が痛いぞ。『聞きたい話は、実は知っている話』ということも分かった。繰り返し聞いても面白い。だからこれから何度も聞くに違いない。

なぜCDになるのがこんなに遅れたか?まあこれが原因の全部ではなかろうが、きわめて録音状態が悪い。ちょっと今の時代としては考えられないレベルだ。当時の関係者が資料として音を残しただけで、販売の意図は全くなかったのだろう。某大手通販サイトのレビューでずいぶん叩かれているが、じゃあ聞かないでいいか?というと全くそうはならないわけで、ノイズが多く音割れが度々あり、昔のレコードの海賊盤か短波放送を聞いているみたいなヒドい音だが、聞こえないとか意味が分からない箇所はない。自分でこっそりレコーダーを持ち込んで、それで録音したのを聞いてるような気分になってくる。

『日本の放浪芸』、『小沢昭一の小沢昭一的こころ』も素晴らしいが、それとは一味違った話芸の醍醐味が味わえます。小沢昭一にハズレなし、の格言(僕が作ったのだけど)は生きていた!


早生みかん 番頭さんのその後

2017-06-27 | 落語

愛知県蒲郡市の農家で早生みかんの出荷が始まった、とテレビニュースで報じていました。いつが早生でいつが旬でいつが晩生だか、もう分かんないことになっています。

真夏にみかんが恋しくなって寝込んだ若旦那のために、番頭さんが江戸中の果物問屋を探し回る『千両みかん』も、今の時代では何のこと?という話になってしまいそうです。

若旦那が食べ残した三房のみかんを持って番頭さんが失踪!というのがサゲですが、うーんもっと続きが聞きたい、と常々おもいます。

だいたい番頭さんは、大旦那の前では「大門がどっちを向いて建っているのか存じません」と堅物を気取っているが、オフタイムは遊び慣れた粋人と相場が決まっています。『千両みかん』の番頭さんも、みかんを握り締めて馴染みの花魁の元に向かった、ような気がする。

で、そこで『幾世餅』や『お直し』のような人情世話物の展開になり、花魁または女将に諭されて真人間に戻った番頭さん、帰ろうにも帰りにくいところを若旦那の機知で救われる。というのはどう?
オチは、みかんだけに『きぶん』『きしゅう』『うんしゅう』『ユズもあればダイダイもある』『カボスとスダチの違いが判らない』『でこぽん美味しい』とかなんとか。


五街道雲助 菊江の仏壇 落語研究会

2017-04-16 | 落語

第三日曜日の早朝は、TBSテレビの『落語研究会』(4:00~)。きょうは五街道雲助の『菊江の仏壇』。昨年、紫綬褒章を受章したこともあってか、最近はテレビやラジオで取り上げられることが多い。先週もNHK総合の『日本の話芸』で、『お初徳兵衛』を見た。二つとも地味で渋くて、そのうえ難しく、演じられることが少ない噺だ。

そういえば『菊江の仏壇』は雲助の師匠、十代目金原亭馬生が得意にしていた。まさに師匠譲りの渋さと粋、そして堅実で滋味のある話芸。十代目馬生は五十代半ばで逝去したが、今の雲助より10歳以上若かったのか、と思うとそれも驚きである。

きょうの『菊江の仏壇』の中にも面白い箇所がいくつもあった。若旦那が番頭をユスる(?)場面は『山崎屋』、大旦那が留守をしている間に、番頭の音頭取りで宴会を開くのは『味噌蔵』とそっくり。それぞれの噺を得意にしていた八代目林家正蔵、三代目桂三木助の色、匂いが感じられ、豊かな味わいが波のように引いては返し、ありがたいお念仏を『落語浄土』で聞く心もちになってくる。50分の上演があっという間に終わった。

落語は催眠術に似ているなあ、と改めて思った。自分を上手く『落語世界』に導入してくれる噺家の芸を聞くのが、最高に気分がいい。


日本の話芸 五街道雲助 お初徳兵衛 

2017-04-08 | 落語

けさのNHK総合『日本の話芸』(4:30~)は、五街道雲助の『お初徳兵衛』。

大店の平野屋の一人息子、徳兵衛は放蕩が過ぎて勘当を受け野宿する身となり、その末に船宿で居候、みずから進んで船頭になる。その後、幼なじみで今は芸者になったお初と再会する……、というけっこう長い噺だ。

まず題名がややこしい(?)。『お初徳兵衛』といえば、近松門左衛門の『曽根崎心中』とまったく同じではありませんか。しかも徳兵衛は平野屋の手代である(曽根崎心中)。二重にややこしい(?)のは、『お初徳三郎』(前半が『刀屋」として独立して演じられる)とも題名が似ていること。もちろん、ぜんぜん別の話だ。

落語で、遊びが過ぎて勘当される息子は、ほとんど『徳』である。徳二郎、徳三郎、徳之助といろいろ登場するが『火事息子』『唐茄子屋政談』などでも、みんな「おまえ、徳じゃないかい?」と親に心配をかけている。

共通しているのは、しょうもない遊び人なんだけど人情があって侠気肌だということ。いざとなると肚がすわって気風がいい。『火事息子』で臥煙の火消しになった徳も、『唐茄子屋政談』で貧乏な母子に売り上げを全部やってしまった徳も、育ちの良さが人の良さとなって顕れている。

『お初徳兵衛』は、はじまりの5分が『唐茄子屋政談』とまるで一緒だ。空腹で垢まみれの徳が、柳橋で佇んでいるのか吾妻橋から身投げしようとするのか、そこで分かれるまで同じ。その後、船頭になって大活躍する話は『船徳』として独立して有名になり、今では本編よりずっと多く演じられる。

しかもこの噺の核心というか『お初徳兵衛』らしくなっていく件である、徳兵衛とお初の再会の場面が、これまた『宮戸川』に似ているんだ。まったく、何重に話がカブってるんだ!?

落語というのは、ひとつひとつ話を覚えるのでなく、いろいろな話がくっついたりバラけたりして何種類ものバリエーションになっている、というのが分かる例だと思う。

五街道雲助は、話芸も高座姿もきれいな噺家だ。寄席で見るとさらに美しさが際立っている。名前は物騒だけど、着物の趣味が渋くて粋な、江戸前の芸人だ。