林家正蔵(八代目)は、寄席の実況録音と無観客のスタジオ録音であまり(というか、ほとんど)出来が違わない、ということに先日気がついた。もう何年もCD(を録音したMP3プレイヤー)で聞いているのに、なんで今まで気がつかなかったか、というと「そのくらい差がない」というのが理由だ。
正蔵の高座(実況版)は、観客の笑い声がひじょうに少ない静かな場合が多くて、注意して聞いていないとスタジオ録音と区別しにくい。『淀五郎』『中村仲蔵』『文七元結』など大ネタでもテンションが途中で落ちないし、『穴どろ』みたいに主人公が酔っ払いという設定でもラクラクこなす集中力は凄い。ほとんどの噺家が無観客のスタジオ録音で苦戦している中で、正蔵のこのパフォーマンスは特筆に値するのではないか(大袈裟?)。
スタジオ録音が下手な落語家の筆頭は、古今亭志ん生かもしれない。最初の一声から、声がよそよそしいんである。早く終わって帰りたい、その心境が透けて見える演じぶり……。「入り込んでない」時の志ん生の典型を聞くようで、それも興味深いが。
完璧な芸が売り物だった六代目三遊亭圓生だが、ライフワークともいえる『圓生百席』は全編スタジオ録音で、聞いてみるとこれが意外とつまらない。圓生は全般にマクラが短く、その代わり本題に入ってしばらくしてから思い出したようにこぼれ話を、寄り道して織り込むことが多い(『大山詣り』など)。それがスタジオ録音では出ないので(あったらあったでわざとらしいが)、魅力半減だ。
圓生がスタジオ録音にこだわった理由が知りたい。
※この記事は、以前の『草堂』Jugemブログを再編集加筆したものです。Jugemブログはhttp://sodo.jugem.jp/で、ご覧になれます。