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草堂

Web Shop草堂で扱う作家、作品の紹介、イベントや新着商品のご案内、店長の周辺雑記を日々つづります。

浅草演芸ホール 一之輔 小はん 中席昼の部

2016-06-17 | 落語

きょう、合羽橋と浅草に買い物と用事があって、その合い間に浅草演芸ホールに行った。開演してから10分くらいしかたっていないが、場内は6,7分埋まっている。最近、浅草に人出が多いのは感じていたが、演芸ホールも例に漏れず盛況だ。

お目当ての一之輔は、中入り(休憩)後の15時に登場した。演目は『初天神』で、「何もねだらないから、お詣りに連れてって」と約束した金坊がねだり倒して結局、飴も団子も凧も買ってもらう、という父子愛情?物語だ。

一之輔が演じると、父ちゃん(八五郎)が息子以上にやんちゃで、団子屋や飴屋でやりたい放題をする。あんな父親の姿を見たら、金坊はもともと賢い子なので、分別のある行儀のいい子に育つんじゃないか。

一之輔が扇子をぺろぺろ舐める場面(どこだか言わない)があります。場内のそこここから「えーっ」の声が上がった。扇子をなめるくらいでそんなに驚くこともないのだが、意表を突かれて思わず声が出たのだろう。

その後、漫才落語と続いて、柳家小はんの高座だ。あいかわらず出だしは、声も身振りもカタカタした感じ。5分くらい経過して暖機運転が済むと、いきなり名人の域に到達するから小はんは素晴らしい!きょうは「抜くと、馬が痛がる」がサゲの『馬のす』。前に見た時より枝豆を食う場面が長くなっています。枝豆の茹で汁がチューチューと、莢から出る音まで聞こえます。

『馬のす』は登場人物が二人だけで、場面転換もないというごく軽い噺だが、本寸法の小はんの芸で見せられると格別な満足感を得られる。一之輔といい小はんといい、ライブでなくちゃ見られない芸を披露してくれました。

あと、早い時刻に出てきた春風亭百栄(ももえ)が印象に残った。顔も髪型もオゼキイサムが描く人物にそっくり!そこはかとなく漂うナンセンスな雰囲気も、オゼキイサム・タッチで「お!」と思った。容貌だけでなく、声も語り口も魅力を感じる噺家だ。


小はん 一之輔 浅草演芸ホール 中席昼の部

2016-06-16 | 落語

浅草演芸ホールのHPを見たら、中席(11日~20日)昼の部に柳家小はんと春風亭一之輔が出ているのを発見!明日、ちょっと見に行ってこようか。小はんと一之輔が二人とも、なんて僕には『夢の寄席』です。

柳家小はんは、寄席で見ると本当の良さが実感できる、典型的な噺家です。というものの、テレビに出ないしCDも出てないので、実物以外の小はんの芸を見たことはないが。

一之輔は言うまでもなく人気実力で他を圧倒する若手の筆頭格。最近、HPがリニューアルしてカッコよくなった。公演スケジュールも見やすい。ただ、どこも売り切れだ。

タイトルに、中身がほとんど書いてありますね、いま気づいた。


五代目小さん 十代目馬生 千早振る 笠碁

2016-05-18 | 落語

寄席では出し物が重複しないよう、前座がネタ(根太)帳を付けます。噺家は高座に上がる前にネタ帳を繰り、自分の演目を決めるそうです。同じジャンルの話が続くのも避けるようです。前が『羽織の幇間(たいこ)』だったら、次の演者は幇間のネタをやらない、とか。お客さんを飽きさせないための趣向だと思います。

寄席ではなく、CDやテープで落語を聞いていると、同じネタを何人もの落語家で聞き比べるのが楽しくなってきます。同じ話が続いて退屈なようですが実は逆で、とても面白い。聞き比べをすると、『単独』で聞く時より好き嫌いが鮮明になります。あまり興味のなかった噺家の実力に、改めて気付いてビックリしたり。

『千早ふる』『やかん』など、八つぁんや金さんが横丁の隠居に訳を聞く根問(ねどい)物を聞き比べたら、五代目柳家小さんがとてもよかった。ご隠居と八つぁん(金さん)の仲のよさが、ほかの噺家と違う感じで伝わります。ただ仲がいいんじゃなく、八つぁんは本音でずけずけと軽くご隠居を苛めます。対してご隠居は怒るでもなく無視するでもなく、猛獣使いがライオンを操るように絶妙の距離と緊張感で八つぁんをコントロールしているのです。

ほかの噺家では、一方的にご隠居が説教したり八つぁんが暴走気味だったり、二人の意思疎通が感じられない話になってしまうのが多いのですが、小さんの噺はご隠居と八つぁん二人の関係を想像するだけで微笑ましい。

小さんの落語は、『たぬき』でも『一目上がり』でも登場人物の仲がいい。それも、ただ仲がいいのではなく(さっき書いたか……)ヘンな仲のよさだ。

登場人物ふたりの仲が一番いい落語は『笠碁』ではないだろうか。仲がよすぎて(?)喧嘩をしてしまい、最後には仲直りをするのだが、幼馴染みの二人が碁にことよせて我儘を言い合いゴネ合う様子は恋愛関係ではないか?と思ってしまうほど、濃密なものがある。

……ということを十代目金原亭馬生のCDを聞いて、初めて気がついた。ほかの噺家の『笠碁』では見えなかった点が、馬生では主題になっている。

ひとりの落語家だけで「この話は嫌い」と決め付けないほうがいいようだ。


虎造(の続き) 次郎長伝 秋葉の火祭り

2016-05-12 | 落語

法印大五郎は10日も風呂に入ってないので、ものすごく汚い。おまけに次郎長の子分に足蹴にされて(賭場荒らしをしたので)、身なりがボロボロ。

♪乞食芝居の法界坊か いがぐり頭で毛むくじゃら 垢に汚れて目ばかり光る♪

次郎長は大五郎を茶屋に連れて行き、風呂に入れてやる。大五郎が風呂に入っている間、仲居を呼び
「ここに一両ある。これであいつが着るような着物をな、身丈を見計らって。袷(あわせ)を一枚、襦袢はいらねえ。角帯、あんまり幅の広くねえ、といって狭くねえ、いい加減のやつ。晒しが一反、手拭い一本、紙が一帖。すまねえ、これで揃えてくれ。釣りがあったらお前さん、取っといてくんねえ」

このフレーズを聞くだけで、江戸時代末期の成人男子がどんな身なりをしていたか自然に頭に入って、その様子や物語が生き生きよみがえって来る。

こういった江戸の風俗を巧みに織り込みながら、それが説明口調にならず次郎長の台詞として自然に発せられている点など、ほんとうに良く出来ている。

浪曲は、古い話を古いまま語っている芸ではない。虎造を聞くとよく分かる。


虎造 浪曲 清水次郎長伝

2016-05-10 | 落語

浪曲、といえば二代目広沢虎造、その中でも清水次郎長伝が有名ですが、実際に浪曲を聞く機会も少なく、NHKテレビ『日本の話芸』の放送でも演目のほとんどが落語、次いで講談で浪曲はめったに登場しません。

最近、落語ばっかり聞いていたので気分転換も兼ねて浪曲を聞いてみました。それが冒頭に書いた二代目広沢虎造の『清水次郎長伝』です。名調子で、浪曲の代名詞のようにいわれる虎造の『次郎長伝』はいくつかの会社からCDが販売されていますが、どれもが『秋葉の火祭り』から始まっています。

法印大五郎(このときはまだ子分ではない)の話を聞くうち、次郎長は身内の仇を意外なところに発見します。そして時機を待ち計略をめぐらせて仇討ちを完遂します。

次郎長は度胸があるだけでなく、とても思慮深い親分です。『秋葉の火祭り』にも、豪胆で沈着な性格がよく現れています。

実際の次郎長はこんな人物じゃなかったとか、森の石松は架空の人物だとか、の実証的な詮索はこの際どうでもよく、美声と名調子で語られる街道一の親分の心意気が、なんと爽快なこと。

竹居安五郎(吃安)や黒駒勝蔵なども、少しですが顔を出します。黒駒勝蔵は、終章の『血煙荒神山』で次郎長と全面対決する敵役で、そんな人物が第一幕にさらっと登場する工夫がいいですね!

節をつけて歌う部分が意外と少なく、多くは語りで聞かせるのですが、虎造は地の語りも会話も、凄味があってきれいで味があります。その中にユーモラスというか笑いを誘う喋りもあります。

昔の話芸の達人は、落語だとか浪曲とかのジャンルに関係なく同じような持ち味、良さを持っていたのかなあ、と思いました。