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ポレポレタイムスのぽれーっとした日常

ポレポレ隊員による映画や写真、時にはよもやま話など。現在「水になった村」を広めつつ新作「バオバブの記憶」(仮)制作中!

監督です(苫田ダム)

2009年04月20日 00時28分06秒 | 水になった村
岡山県鏡野町に行ってきました。鏡野町は津山市から倉吉方面に車で約30分の街です。
ここには苫田ダムと言う数年前に完成したダムがあります。僕は水没前の13年ほど前からここに通っています。
仲のいい一家がいて今回もそこに泊まらせていただきました。
苫田ダムは徳山ダムと同様、ながい計画ののちに完成したダムです。
もめたダム計画でした。100万円を配ったり、それでも落ちない村民に対し500万円を配ったり、今の時代では考えられない歴史があります。当時の村長もお亡くなりになりましたが、僕は生前のころにインタビューをとっていました。
「村長である私の耳にもダム計画は聞かされていなかったんです。山陽新聞の朝刊で知ったんです。ひどいもんです」と。
今では大きな湖になってしまいました。
お世話になっている方と、湖面を歩きながら話しをしました。
「お金をもらって裕福になった気になったが、別にそのお金をもらわなくてもこの集落なら問題なく暮らせていけたんだよ。街に移転してしまったから、お金が必要な生活になってしまったが、自給できる村だったんだよね。いい村だった。暮らしやすくて、気を使わなくて」
本当に苫田ダムは必要であったのか。もう一度振り返らなくてはならないだろう。

監督です(ポレポレ東中野)

2009年04月13日 23時42分53秒 | 水になった村
水になった村が東中野に帰ってきました!
本橋成一監督3作品(ナージャの村、アレクセイと泉、ナミイと唄えば)とプロデュース作品(水になった村)1作を、ポレポレ東中野で上映します。
水になった村は29日~1日の21時からで、この3日間、上映後、舞台挨拶に伺います。
どうか観に来てください。よろしくお願いします。
水になった村は2007年8月4日から、この映画館で封切られました。日本中を旅した感じですが、また充電しに帰って来ました。めったにないことですので、またお会いできることを楽しみにしています。
この日に、新刊が間に合いませんでした。本日、印刷所に行き、初校を見てきました。やっと本の形がはっきりと見えてきました。うれしい限りです。
実は年内にもう一冊、本を出す予定なのです。ダムとはまったく違うのですが、また近づきましたらお知らせします。
明後日から岡山に行きます。精神科病院の取材ですが、久しぶりに津山にも足をのばし、苫田ダムにも行ってこようと思います。



監督です

2009年04月07日 00時30分07秒 | 水になった村
最近になって、いろいろなダムの専門家の方々とお会いする機会が多くなり、こちらも勉強しなくてはならないなって思う毎日です。
徳山村はもちろんですが、全国のダムの現場にもう11年くらい通っています。
ひとりで作業している分、なかなかまとめることができず、今も暇を見ては作業にようやく取りかかろうとしています。
ビデオテープが150時間以上あり、フィルムも600本弱。
徳山村より多くなってしまいました。
本日も夜に突然、昔の写真を焼きたくなって、暗室を始めました。
みんな引っ越してしまって誰もいない集落の写真でした。
ダムになってしまったところもあったり、猛烈に反対していたが、亡くなってしまったり、人の暮らしの写真が大半です。
みんなどんな暮らしをしているのだろう。
と引き延ばし機にかけたフィルムを見ながら考えていました。
いつかきちんと公開したいと考えています。
10年以上かけた大切な話しばかりですから、それぐらいの時間をかけてまとめていきたいとのんびり考えています。


監督です(本日、あとがき終了!)

2009年04月04日 00時37分11秒 | 水になった村
写真絵本『徳山村に生きる~季節の記憶』が、ほぼ書き終え、編集者がデータ入稿をしてくださったようです。
表紙もラフの段階ですが、デザインの鈴木氏のところで見せていただきました。
写真絵本なのに、ほとんど大人の本の印象だなって、笑っていました。たしかにその通りです。
小西さんに電話したら、とても楽しみに待っていてくれていました。
最近、パソコンに向かい、徳山の原稿を書き直したりしながら、一日中、徳山やダムのことばかり考えています。
その中で、やはりダムはできることなら造らない方がいいと思うのです。
しかしそればかり言っていても、通じないところがありますが、僕自身、国やダム屋ばかりが悪いのでなく、当たり前に消費するエネルギーに対して、使う人が意識しなくなってしまったことに、一つの原因があるようにも思うのです。
僕は徳山村の暮らしを見ている中で、自分の暮らしの足元を見たと言うのか、何に対して反対してゆくのだろうということを考え続けました。
今朝、近所の人にキュウリをもらってハッとしたんです。
農業をやっている僕には、この時期あり得ない野菜だったからです。
僕の身体は、そのキュウリをまったく欲していなかったのです。
そのキュウリのために、どれだけの労力を使ったのだろうと思いました。
徳山ダムはそのエネルギーを作る源の一つだったと思います。
便利さは無限に広がっていきます。しかしその裏側で、消えてゆくものもあるのです。

監督です(本も終盤)

2009年04月02日 01時21分45秒 | 水になった村
徳山村の写真絵本の編集も終盤になってきました。
昨日は僕を含めた関係者が全員集まりました。表紙もデザインが出来上がり、期待感は増すばかりです。
今が一番、本作りで楽しい時期ですね。
さて、最近は何をしているかと申しますと、月刊「ガバナンス」(ぎょうせい)という公務員が主に読んでいるかたい雑誌があるのですが、そこの巻頭グラビアが4ページで、一年間撮影することになりました。
とは言っても、すでに4月号が発売になりました。
テーマは比較的自由なんですが、人~つながりといったタイトルで、実はいろいろなジャンルにあてはまるのです。
今月は草木染め職人。来月は長崎県石木ダムについてです。
しかし毎月テーマをセットし、撮影、取材、原稿をすべて一人でこなさなくてはならないので、その大役にやや緊張気味です。何かいい企画はありませんか。農業でも、職人でも。せっかくの機会ですので、あらたなこともやってみたいと考えています。是非ともよろしくお願いします。

監督です(本の話し)

2009年04月01日 00時28分07秒 | 水になった村
今度の本の出版で忙しくしていました。
いろいろ決まったのでこの場で発表します!(出版社の許可もでましたので)
タイトル 『徳山村に生きるー季節の記憶』 写真・文 大西暢夫 (農文協)
定価はまだ決まっていませんが、多分1500円以上2000円以下でしょう。
発売は5月20日ころになると思います。
ご期待下さい。
中にイラストで、徳山村の絵地図を片観音開きで描いてもらいました。イラストレーターのキモトアユミさんです。
なんと彼女は徳山村出身、東京在住です。以前、僕の写真展や映画を見てくださり知り合いました。
デザイナーは鈴木康彦さん。おばあちゃんは木になった(ポプラ社)、ひとりひとりの人(精神看護出版)もデザインしてくれた僕の一番信頼しているデザイナーです。贅沢なスタッフに囲まれ、本がまもなく完成です。
印刷も高柳さんといって、たくさんの写真集を手がけている職人中の職人。ひとりひとりの人でお世話になり、僕は2冊目になります。
そして編集者の阿部さん。苦労をかけました。とにかく会社の中での話し合いはすべて阿部さんですから、僕らのわがままを聞きながら会社と掛け合ってくれる、サンドイッチされた存在で文句一つ言わずに進めてくれました。
この本は、2006年に主に撮影したもので、映画に出てくる小西さん一家の一年を追いかけたものです。この後、すぐに徳山村には行けなくなり、水没してしまいました。ですから水没前のぎりぎりの写真になります。
どうかたくさん目にしてもらえるように、僕も働きかけます。どうかこのブログを読んでくださっている方々も手に取ってください。ではラストスパートを頑張ります。
また報告します。

監督です(十日町)

2009年03月29日 23時33分23秒 | 水になった村
十日町シネマパラダイスに行ってきました。
28日、29日の二日間、上映の舞台挨拶でした。
館長の岡元さんをはじめスタッフの皆さんにはお世話をかけました。ありがとうございました。
十日町シネマパラダイスのそもそものきっかけは20年近く付き合いのある、信濃毎日新聞社の名物記者のここではS
氏としておきますが、その方が、『水になった村』はどうですかと投げかけてくれたおかげなんです。
そのひと声がなかったら、今日と言う日は無かったかもしれません。
今日もわざわざ長野から来てくれました。そのまま高崎の映画館に行ってしまいました。一体いつ仕事をしているのだろうと、S氏を知っている方々は、いつも不思議がっています。支える妻のKさんはすばらしい!
さて十日町ですが、多くの方々が見にきてくれました。十日町はよく知る街で、布に興味のある僕は、2年ほど前から実は個人的に写真を撮りにきていました。そこで知り合いになった人が、多く見にきてくれたわけです。全国の精神病院にも長く取材しているのですが、新潟の病院の看護婦さんたちもわざわざ花束をもって駆けつけてくれました。
本当に新潟県の方々には感謝しています。
この一週間は水になった村が続きます。どうか、見に行ってください。よろしくお願いします。

監督です(バオバブの記憶)

2009年03月27日 00時23分49秒 | 水になった村
僕の写真の師匠でもある本橋成一氏の最新作映画『バオバブの記憶』が、東京の東中野駅前のポレポレ東中野と、渋谷の青山学院大学近くのイメージフォーラムで公開されています。
お恥ずかしながら僕は昨日見に行きました。一度ラッシュは見ていましたが、すっかり変わって、本橋さんらしい、いい作品に仕上がっていたと思います。これからいろいろな街での上映が予定されていると思いますが、ぜひとも見に行ってください。
本橋さんは昔からバオバブの木のことを話ししてくれました。僕の知っている時代はパリダカールラリーで、立松和平チーム(チーム/ドライワークス)のカメラマンを本橋さんがやっていたのですが、そこで道中、バオバブの写真をたくさん撮ってきていました、頭の中でずっと今の映画のことを考えてきたのだと思います。
そのまま、僕は京橋の試写会場にいき、小林茂監督の『チョコラ』を見てきました。今度渋谷のユーロスペースで始まります。
小林さんは、新潟県の阿賀野川を舞台にした『阿賀に生きる(故:佐藤真監督)』のカメラマンです。
僕もよく知る尊敬している一人です。何を尊敬しているかというと、カメラマンである小林さんの生き方です。謙虚で前向きで。つねに一生懸命に人と向き合う目が好きなんです。
今回も病気を持ったまま、ケニアに行き、路上生活する子供達にスポットを当ててきました。相変わらずパワフルな作品でした。本橋さんにしても小林さんにしても、あの年で、あの作品を作り出すエネルギーに脱帽です。僕の回りにはすごいおっさんがいるのです。
本日、徳山村の新しい写真絵本を印刷所に入稿いたしました。まだ完全な入稿ではありませんが、5月中旬頃に書店に並ぶかなと思っています。お楽しみに。その進行を随時、このブログで報告します。

監督です(十日町)

2009年03月23日 11時18分28秒 | 水になった村
今月28日から新潟県十日町市で水になった村の上映があります。
28日と29日は十日町シネマパラダイスさんに呼ばれていて、上映後のトークに伺います。
お近くの皆さん、是非とも来てください。
先週、20日に新潟日報でインタビューを受けた内容が掲載されています。
それと、明日か明後日かの掲載だと思いますが、十日町新聞に記事を書かせていただきました。
僕は3年ほど前から、十日町に通っていることがあり、知人も多くいる街です。
十日町は雪の多い所で、教科書でよくかまくらの写真が出ていた印象があるのですが、今年は市内ではかまくらはできるのだろうかと言う量しか雪が積もりませんでした。なんだか怖いことですね。
新潟は奥三面(おくみおもて)の記録映画が残っていて、僕の尊敬する姫田忠義さんがお作りになった映画です。先日も十日町の隣の松之山で上映がありました。
みなさんを映画館でお待ちしています。
追伸:徳山村の本は順調?だと思います。もうすぐ印刷所に入校します。

監督です(長崎県)

2009年03月15日 22時43分27秒 | 水になった村
長崎県の石木ダムに来ています。
今日は午後1時から石木ダム建設絶対反対同盟の年に一度の集会があった。
100人ほどの人が集まり、マスコミも20人ほど来ていた。木造の小さな公民館には反対同盟の旗や新聞記事や写真が飾られ、物々しい雰囲気を漂わせていた。
最近、長崎県はこの石木ダムの建設計画で報道が各誌注目をしている。
先日、長崎県知事、佐世保市長、川棚町長が来て、反対派の13世帯に対し、説得におとずれた。しかしこちらは聞く耳持たず。15分にわたり帰れコールが響き渡った。そんな中、集会が行われた。そのタイミングを知ってか知らぬか、新聞の広告と一緒に昨日、石木ダム建設推進の広告が市民に配布された。税金を使っての広告を市民はなんと考えたことだろうか。
今日は4時半までみっちりと各人、報告や応援演説で盛り上がった。
女性たちはおかずを作り、今も宴会をしている。
このダム建設には僕なりの意見がある。知事や県のプライドなのか。
どれだけ地元の人を困らせたら気がすむのか。もうこの石木ダムは完全に必要はなくなっている。佐世保市民ももっともっと意識をもってほしい!
今日はダムを考える一日だったので僕も気がやや荒れている。ごめんなさい。
しかしこの疑問や怒りをガバナンス(ぎょうせい5月号)のグラビアで書こうと思っている。なんとしてもこの13世帯を守りたい。だってこの37年間もこの人たちだけで守ってきたのだから、そろそろ手助けがしたい。僕も本当に13世帯の方々にお世話になっていて、みんな10年以上の付き合いなんです。
どうか第二の徳山ダムを造らないように、皆さん賛同をよろしくお願いします。

監督です

2009年03月15日 00時36分51秒 | 水になった村
久しぶりにブログを書きます。
今は長崎県に来ています。とても寒く、雪がちらつきました。
長崎県の川棚町というところで、なじみのある場所とすれば近所にハウステンボスや佐世保市があります。
石木ダムが建設予定の集落からです。
明日は3.14の日といって、年に一度の大きな総会が開かれます。僕はその雰囲気を味わいにやってきました。
先日、長崎県知事、佐世保市長、川棚町長が反対派のいる集落に来て、ダムの受け入れをお願いしにやってきました。もちろん門前払いです。
13世帯が猛反対していて、その意見や考え方に僕も賛同しています。
明日のこともまた報告しますが、とにかく僕はこの場所を全国的に広めていきたいのです。徳山ダムとちがって小さな規模ですが、ダムの問題としては本当に大きな問題を抱え、そしてこの集落の人たちはそれに向き合っている。どうかみなさん、応援してください。僕は長崎県政のやり方を批判し続けます。

監督です(横浜)

2009年03月01日 22時57分24秒 | 水になった村
久々に横浜市に行ってきました。
昨年、夕張から引っ越しをした方の新しい家にいってきました。
新しいマンションで、都会での生活が、まだ落ち着いていないような感じもありました。
ダムで沈んでしまう故郷には、相当な思い入れがあり、僕もこのご夫婦には特別な想いがあります。
今まで撮影してきたビデオをDVDに変換し、それを持っていきました。ご主人とのインタビューや夕張に一緒に行った時の映像、古いものになれば今から11年前の映像もあります。
どんな映像も時間とともに貴重になっていくものだと、感じました。もちろんそれを今も続けていてこそ、その価値はあるとおもいますが。
おくさんは泣いていました。
これから僕は横浜に通い、じっくりと話しを聞き直そうかと考えています。写真は新たなものは撮れませんが、どうしても読み物として書き綴っていきたいのです。書くのは自身が無いが、そうしなければ忘れてしまうなって思うのです。僕もそうですが、世間も。また時間のかかる仕事に取りかかろうとしています。

監督です(写真絵本)

2009年02月26日 23時58分56秒 | 水になった村
本日、徳山村、第4弾目の本の打ち合わせをしてきました。
今日はデザインがおおまかに上がってくる日で、本作りで一番好きな時です。写真だけでは、まだ本の形がわからないから、おおまかにしろ、ページの構成が見えたことはうれしいのです。
いや~いいですね。自画自賛です。いろいろな要素をさりげなく取り込み、どの方面からも読み取れるような構成にしていますが、これから細かな字数がでたので、書き直す作業に入ります。
たくさん売れることを願い作りますが、そこはまあ…。
みなさま、ぜひとも楽しみにお待ち下さい。予定では5月に入れば書店に並ぶかもしれません。

監督です(石木を応援してください!)

2009年02月23日 23時25分05秒 | 水になった村
風邪が治りません。ひどいときは熱が39度。
しかしその状態でも、京都、新潟、再び京都(現在)と飛び回り、薬の飲みすぎで、少し全体のバランス状態が悪いのです。
看護婦さんに「やすみなさい!」と説教される始末。
仕事に気が入らなくてだめですね。
来月、久しぶりに長崎県に行きます。石木ダムというところです。
98年に行ってからもう11年になります。
先日、反対派の総代に電話をしたところ、県が動き始めているとのこと。
強制的な踏み込みをしてくるのではないかというのです。
僕は全国のダムの現場を回っている中で、石木ダムのことを一番注目しているのです。
その理由はおいおい書きますが、残った13世帯にいよいよ何らかのいやな風が吹こうとしているのです。
徳山ダムの完成の悔しさに似たものが、またひしひしとよみがえってくるのです。
本日、知事が反対派を説得に来たそうです。
腹立たしい行動です。断固として僕もここに関しては意見を言っていこうと思います。石木の皆様、応援します。
長崎県の石木に関しての考え、意見の全てに対し、僕は意義を申し立てます。
関東から応援します。

監督です

2009年02月15日 22時42分26秒 | 水になった村
精神障害者や地域のあり方など、今日は講演で呼ばれ栃木県の那須塩原市に来ています。
人はどこに暮らしてゆくのか、病院が本当に生きる場所なのか、そんな難しい課題を一生懸命話した一時間でした。
しかし暮らしの場所という意味では、ダムの村に共通する事なのです。
3日前、うちの近所の北浦和で、八ツ場ダム(群馬県)の集まりがあり、行ってきました。
飲み会ではあったのですが、そこには嶋津先生がいらっしゃいました。僕が尊敬している先生で、取材記事をよく読ませていただいています。
全国のダムの話になり、そのつじつまの合わないダム事業に、先生自身のお考えを話してくれました。
僕が今も続けている全国のダムの村の映像に興味を持たれたようで、ぜひとも見せてくださいとおっしゃってくれました。
やはり10年も前の映像は、価値のある物で、当時はそんな事を思う事なくただ撮っていました。
川辺川ダムの村があった頃の映像、そして学校の授業風景、苫田ダムの亡くなった村長の話。津軽ダムの消えた集落の映像。何もかも今は存在しないことばかりです。
新しい歴史はまた生まれるでしょうが、この時代で消えた事実は今しかないのです。
これから嶋津先生にいろいろなことを教えてもらおうと、甘えています。