ポレポレタイムスのぽれーっとした日常

ポレポレ隊員による映画や写真、時にはよもやま話など。現在「水になった村」を広めつつ新作「バオバブの記憶」(仮)制作中!

監督です(新聞記事から)

2008年10月31日 00時49分06秒 | 水になった村
10月25日の毎日新聞から
『永六輔その新世界』より。タイトル『ダムはムダ』
本文より抜粋
『「お国の為に」と故郷を捨てさせ「村人の為に」なっていない国家権力。』
『権力と予算を敵に回して過疎の村の無名の老人達が戦っているのをみていると、高齢者医療、年金、障害者自立支援法、みんな重なってくる』
そんな言葉が毎日新聞に書かれてあった.永さんも最近、徳山村に行かれたらしい。
まさにその怒りは、村民だけのものでない。
徳山村を見ていると、ひもでしっかり結ばれた物でなく、ガムテープで止められた物のような、つねに仮の姿であり補強である。ダムは歴史として土着した物でないと思っている。まさにその場しのぎの存在ではないのか。
100年絶えうるダムであるならば、100年後のそのダムの存在も考えるべきである。僕たちだけで終らないからだ。
今の時代を継ぎはぎするしのぎは、ゴミを作るだけである.


監督です(帯広と夕張の話し)

2008年10月30日 00時13分26秒 | 水になった村
先日、帯広で映画上映がありました。本当に雰囲気のある上映会でした。スタッフの皆様、お世話になりました。
廃校になった校舎の中での上映会で、16mm上映でした。カラカラカラという映写機の音とともに、その雰囲気が更に映画を良く見せてくれました。そして多くの人が来てくれました。
上映が終って僕は夕張に行きました。その途中の列車の中で今年初めての雪を見ました。北海道でも初雪だったそうです。
夕張に行ったのは、そこにダムの計画があるからです。破たんした夕張、メロンの夕張、映画祭の夕張、いろいろ言われていますが、僕にとっては北海道最大のダム計画の夕張です。
その名前は夕張シューパロダムと言います。10年前からここに通っています。ずいぶん変わり果てました。大夕張ダムと言う人口湖がすでに存在しますが、その湖を支えているダムサイトを更にかさ上げして、ダムを沈めてしまうダムを造る計画なのです。確かに安上がりかもしれませんが、やはりそれだけではすまされないことだってあります。
僕が夕張に想いをはせるのは、ある人と出会ってからです。その方は10年前にそのダムができる所から移転しました。今は市内のアパートに暮らしています。ダムと言えば御殿と呼ばれていますが、アパートって聞いて、驚く人もいるかもしれません。しかしそんな現実もあります。その話しは続きです。
今日から近江八幡のホテルに一週間暮らすことになりました。缶詰で仕事をします。ではまたこの続きを書きます。

監督です(早稲田大学)

2008年10月24日 15時20分17秒 | 水になった村
昨日、早稲田大学で水になった村の上映がありました。
学生の数はやや、やや少なかったですが、しかし主催してくれたスタッフが20代前半の学生さんばかり。関心を持ってもらえる世代としては、満足でした。
この世代が、特に関心を持ってくれないことには未来像は乏しいですから。
大いに考えてくれた時間だと思います。
スタッフの努力に感謝します。ありがとうございました。
その後の呑み会で、監督一人が黙々と生ビールを飲み続け、一人で酔っぱらっていたことに、反省します。
若い人達と呑める機会なんぞそうはなく、つい暴走してしまいました。

監督です(愛媛県 山鳥坂ダム)

2008年10月21日 23時55分40秒 | 水になった村
先日、愛媛県の肱川町に建設されようとしている、山鳥坂ダムの現場に行ってきました。僕は10年前の98年に初めていって依頼、何となく撮影を続けている場所です。
当時は木造校舎のすてきな学校があり、児童はわずか数人でした。
その学校も校舎がそのまま残ってはいますが、廃校になりました。このダムは数年前に中止になりそうになったのですが、地元の要望もあり(当時の地元の新聞記事では)、ふたたび建設の軌道にのりました。
しばらく何も変化はなかったのですが、今年の夏頃から工事が始まったようです。
約10年つきあっているあるご夫婦と話をしていたのですが、もう数年で出て行くんだろうなって話していました。でも街では決して住まないという固い決意をしていました。「山でしか暮らしたことがないからな。街の暮らし方何ぞ全くわからん!」と。この歳になっての引っ越しや決意、お金でそれを補っていくしかないのか。
ダムありきの計画だと思う。何度も言うようだが、ダムなしで事を考えられないのだろうか。都会から来た者の勝手な都合と問われるかもしれないが、そうでも感じていないと、日本の至る所が沈んでしまう。こんな論議はもう時代遅れだと思う。もうそんな時代ではなくなったのだ。何十年も前からの計画だが、あまりに進歩していない。僕はこんな産物を残したくないだけだ。

監督です(愛知県豊川市)

2008年10月19日 22時51分29秒 | 水になった村
先ほど、豊川市での上映が終わりました。豊川市図書館のプラネタリュウムで行いました。
正面でなく、やや上を向いての映画鑑賞は初めてでした。少し酔いそうな感じでありましたが。
最近、愛知県の設楽ダムの反対をしている方々が僕を呼んでくれます。徳山村を思えば、40年前の話を現在行っている感じがします。何もかもこれからのことで、市民の方々や県の方々は長い日が続くことになると思います。
本日は50人ほどのお客さんが来てくれていました。中でも若い方が多く来てくださったことにとても感謝しています。
その客層がに関心を持ってもらいたいし、意識を持ってもらいたいからです。
講演は50分ほど。どんな感想かは聞いていませんが、多分、ダムという報道がなされたときに、少なからず反応はあることと思います。そんな地道な努力をこれからも続けていきたいと思います。
今度23日は東京の早稲田大学!それこそ、若き人たちばかりです。期待して行きます。

監督です(徳山ダムの稼働)

2008年10月18日 23時57分52秒 | 水になった村
こんにちは。先日、テレビ朝日のスーパーモーニングという番組で徳山村の特集が放送されました。
その番組の中で、徳山ダムの竣工式の様子が流れました。長い歳月だったと思います。
しかし大きなしこりや課題を残したまま、次の時代に持ち越しになってしまった感じがします。
とにかく、いま僕が思うことは、ダムを造ることは、すべてにおいて最終手段の判断でいてほしいと。とにかく造りすぎである。それに対し、各地元ではそれぞれの論争があろうが、それは一時にすぎないということだ。
とりあえず補強テープでくっつけたような、間に合わせにしか思えない。僕はこれからもダムをそう見続けてゆくはずだ。
明日、愛知県豊川市で水になった村の上映がある。設楽ダムの関係者も多いと思いますが、とにかく一般の方々の参加を期待しています。豊川でお会いしましょう!

監督です(津軽ダムの話)

2008年10月13日 23時02分02秒 | 水になった村
こんにちは。先日、青森県弘前市に仕事で行っていました。毎年よく行く街です。
弘前市からバスで約一時間のところに、西目屋村というところがあり、青森県側の白神山地の入り口の村でもあります。
そこに津軽ダムが計画されています。僕はそこに10年ほど通っています。砂子瀬という集落があり、先日ブログには書きましたが、ダムによって二度目の引っ越しをせまられて居る所です。
砂子瀬最後の住人になってしまいました。つい最近まで袋小路があるほど、家が密集していました。
その最後の住人の家の周りは工事が始まっていました。すっかり風景はわかりました。
砂子瀬の最後の一軒も引っ越しの決心しました。
弘前に住むのではなく、茨城に暮らすの子供の所に行くというのです。
『青森を出るのは、さびしくない』聞くと、がんとして強気のしせいです。
どんどん山から下りてきて、村を受け継ぐ人がしだいに少なくなっているのが現状です。
明日から愛媛県です。山鳥坂ダムと言う所に行ってきます。

監督です(近江八幡市から)

2008年10月05日 23時55分10秒 | 水になった村
今も滋賀県近江八幡市にいます。
あるプロジェクトに参加をしていまして、月に何度もこの街に滞在しています。
またその話は追々しますが、今週、青森県に行くことになっています。
弘前の隣の西目屋村に行ってきます。その村とは約10年の付き合いになりますが、今も飽きることなく、通っています。
西目屋村にできるダムがあります。世界遺産にもなった白神山地の入り口で、青森県最大のダム建設が着々と進んでいます。
世界遺産に登録されたとき、少しはダム建設に障害となってくれるのを望んでいましたが、それはかなわぬことでした。
僕が初めていったときは、袋小路があるほど密集していた集落だったんですが、今ではそこに一軒のみ。大草原にぽつりと建っているだけになりました。ほかの家々は、5年ほど前に取り壊しがあり、街や隣接する村に出て行ってしまいました。
僕はその残った一軒とずっとつきあっています。
その集落は砂子瀬という地区です。
数十年前、美山湖という人工湖で沈んでしまった集落の移転地が今の砂子瀬地区なんです。しかし移転先だったはずが、美山湖を大きくすることによって、また沈んでしまう訳です。要するにダムで2回目の移転なんです。
そんな場所で暮らしている人を僕らのほとんどが知ることがないのです。
砂子瀬に最後まで暮らしている人にまた逢ってきます。それを報告します。

監督です(岐阜県から帰りました)

2008年10月01日 23時29分09秒 | 水になった村
埼玉から白川村に行き、その足で岐阜県を横断し、愛知県の県境に近い可児市に行き、先ほど埼玉に戻ってきました。
また長い旅でした。
今回の上映の出会いは印象深いものでした。
制作者と見る側と主催する側とが、一つになっていたように思います。
年配の方々から、このお仕事を続けてくださいと、勇気づけられるのは、さらに僕自身の原動力になります。
いつも経済的にぎりぎりの中でこの取材を続けているので、そうした声が後押ししてくれるのです。
1200ccのオートバイのローンも終ったことだし、また日本中駆け巡ります。
岐阜県の方々、本当にお世話になりました。
せっかく埼玉に帰って来たのに、明日から滋賀県近江八幡市に行きます。