さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の
火なかにたちて 問いし君はも
さねさし さがむのおのに もゆるひの
ほなかにたちて といしきみはも
相模の国の野原で火攻めにあったとき
炎のなかで私を気づかってくださった
あなたのやさしい心は忘れません *
* 私訳
ヤマトタケルの命(みこと) が東征し 速水の海を渡るとき
海神が怒って 海を荒れさせた
そのとき ヤマトタケルの命の后である
弟橘姫 (おとたちばなひめ) は海神の怒りを鎮めるために
「 私は夫である皇子の身に替わって海に入水します
どうぞ皇子の東征を護らせ給え 」 と念じ
入水し 我が身を海神に差し出した
すると
海が穏やかになり
ヤマトタケルの命たちは 船を進めることができました
この歌は 弟橘姫が入水する前に
詠んだ歌
静岡県に草薙というところがあります
その地で ヤマトタケルの命一行が
豪族の計略にかかり
草原で火攻めにあったとき
ヤマトタケルの命が弟橘姫を気遣ったことを
思い出して詠んだ歌です
古事記 日本書紀に書かれている
とても かなしくて美しい歌ですが
透明感があって 素敵な歌でもあります
この美しい歌を読むとき
いつも 禅の教えの中にある
「 不惜身命なり 但惜身命なり 」 という言葉を思い出す
( 確か 道元禅師 正法眼蔵に書かれていたと思うが ・・・・ )
意味は 僕なりにいえば
「 この命や体を惜しむなかれ ただ そのために命と体を惜しむなり 」
と いうことだろうか
弟橘姫は
ヤマトタケルの命に東征の使命を果たしていただくために
この命と体を惜しまずに 海神に捧げた
ヤマトタケルの命は
東征の使命を果たすために命と体を海神に捧げた弟橘姫を見守り
ただ 命と体を惜しんで悲しみに耐えで
東征を行っていった
その日その日を安穏に暮らして
命や体をただ惜しんで暮らして
無難な人生を送ったとしても 人生でなんの学びがあるだろうか
それよりも
かわりに自分が死んでもいいような苦しみを受け取り
それを生きる理由として
ただ この命と体を惜しんで生きていく
そこに 大いなる人生の学びがあると思う
このあと ヤマトタケルの命は足柄峠で早水の海の方を向き
「 吾妻はや 」 ( 我がいとしい妻よ )
と 嘆いたそうです
この命と体を惜しまず ただ命と体を惜しんで
人々のために生きていく・・・・
そんなことが 大切なことなのかな
マーラー 交響曲第9番 第4楽章
癒しを求めている人はこのAdagioを聞かない方がいい
死という現実を見せつけられるから・・・・
最初からどんよりと重くのしかかってくるストリングス
死の寸前を彷彿とさせるメロディー
今までの人生のシーンが頭の中を過ぎっていく
息が絶え絶えになり
やがて死を迎える
魂が地球の重力の支配から解放されて
肉体から離れていく
魂が地上の生に決別を告げる
それにしても
この重厚なストリングスの中にある
きれいなメロディーは何なのだろう
あたかも
「 死はひとつの解放である 」
といっているようだ
そして
死というものを 荘厳という言葉で表現していると思う
この交響曲を完成させ 10番目の交響曲を未完成のまま
マーラーは世を去った
彼の魂は
きっとそのことを知っていたのだろう
でなければ
こんなAdagioを創れるはずはない
やはり 癒しを求めている人は
このAdagioを聞かない方がいい・・・・
・・・・ でも この作品たまに聞いちゃうんだよね
なにか惹きつけられるんだ ・・・・