世にある日々

現世(うつしよ)は 愛おしくもあり 疎ましくもあり・・・・

わたつみの

2011-10-15 | かってに万葉









今回は かってに万葉です

上のフォト 知多半島で撮影してきました
とてもキレイな夕日でした

で 内容はこのフォトに負けないくらいにしなければ
と思ってますが
どうなることやら ・・・・



         わたつみの 豊旗雲に 入日射し                           15
                      今夜の月夜 あきらけくこそ


         わたつみの とよはたくもに いりひさし
                       こよいのつきよ あきらけくこそ

                                                                  巻第一


天智天皇の御製ですが
今回は私訳は なし

歌の
意味は 海辺から見た雲が燃えている夕焼けの情景
それを見て 今宵の月夜への期待を歌っているもの

こんなふうに書いたら ただそれだけのことなんだけど
この歌全体の言霊の迫力がスゴイです

海に沈む夕日の美しさと今宵の月への期待を
深い言霊で 簡潔にさりげなく詠いあげた歌

天智天皇の自然と生命の根元への直感把握
そして 極限に純粋化された言霊に
すごい力量を観じます

それは 遙かなる時空を越えて
今もなお 色あせず僕の魂を揺さぶる古今の絶唱

そのように感じます

だから 私訳をしても
この歌の言霊を表現することは 今の僕に無理なんです
完全に力量不足ですね


僕は 「 あきらけくこそ 」 の言霊がまだ解っていないけど
この 「 あきらけくこそ 」 は  僕の持っている万葉集では
「 さやけかりこそ 」 と書いてある

いろいろな読みかたがあるらしい

でも  天智天皇の人間像からみれば
「 あきらけくこそ 」 だと思う
というか
でなければならないと断言したいのです

「 さ 」 の言霊は  「 ささやく 」 とか 「 さらさら 」 とか
小さくさりげなく  出てくるような言霊だと思っている

「 あ 」 の言霊は  「 あらわれる 」 とか  感嘆して声にする 「 あ 」 で
力強く外に押し出していく言霊だろう

大化の改新を断行され
新たな国造りをめざした天智天皇の言葉であるならば
やはり  「 さ 」 より 「 あ 」 の言霊を出されるであろう
と  僕は信じているのです









飛鳥時代に燦然として立つ 二本の巨大な光の柱
聖徳太子と天智天皇・・・・

このふたりがおられなかったら
この国の精神は貧困なものになっていただろうし
このあとつづく 仏教文化が花開く
あおによしの奈良時代もなかったと考える

天智天皇に関しては
冷酷非情な人格を持っている という話もある
僕は 天智天皇の一面はそんな方だと思う

それがなければ  蘇我入鹿を天誅し
大化の改新を断行することは出来ないし
冷酷非情さを持ちタフな者でなければ
新しい時代を切り開くことはできない

大津皇子 有馬皇子の和歌を紹介してきたけど
やはり彼らは小人物だと思う

だけど 天智天皇は冷酷非情さとは
別の次元で この和歌を詠まれたような
生命と自然の根元を直感把握する人格を持たれている

このような人を大力量人というのだろう



万葉集を楽しむ人で
天智天皇と天武天皇 額田王の三角関係を
週刊誌の恋愛報道のように楽しむ人がいる

それは モーツァルトをサロンミュージックとして
楽しむのとそう変わらないのじゃないかな

僕は それも楽しみ方のひとつだと認めるし
そのように楽しむ人もいても いいと思っている

しかし 詠まれた和歌には言霊がある

言霊は 飾ることもできないし ウソもつけない
いつも 赤裸々なんだ

天智天皇 天武天皇 額田王の三人の言霊には
この時代を担っていく責任者としての使命があり
切実な生き様がある

僕は この三人の詠まれた歌の現代的恋愛解釈よりも
時代の中で 切実に生きてきた者が
詠んだ歌の言霊を観じていたい



若い頃 山科の天智天皇陵に参拝したことがある

東海道線の山科の駅から歩いて御陵までいった
御陵の入り口からは 鬱蒼と木がはえる暗い参道が続いた

その暗い参道を歩いていたら
突然 視界が開け 目の前に
簡素だが神々しい陵 ( みささぎ ) が現れた

思わず  感嘆の声が出た

「 ここに天智天皇が祭られている 」と
天智天皇に思いを馳せて拝礼したことを覚えている



「 かってに万葉 」 を書こうと思ったときから
この歌をどう書こうか 考え続けてきた
言葉を何度も はんすうしてきた

しかし  はんすうするたびに
この簡潔で深い歌を書き表す言葉が濁ったものに感じていった
長い知的な戦いだった

その結果は満足していない
自分の認識力の低さを まざまざと見せつけられた

そして 私訳をするのではなく
僕の精神性が この歌をどう捉えているかを書くことで
この歌の私訳にしようという結論になった

逃げているといえば そうなんだけどね

でも これだけの記事を書けたことは満足しているよ






     Madman Across the Water