株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
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その4.傷つくことで情熱が信念へと昇華する

2012-06-03 08:49:08 | 制作会社社長の憂い漫遊記
最近当社もインターンシップなるものを受け入れている。
インターンシップとは、学業についている者が企業で自らの専攻や
将来の職業選択に生かすため就業体験することである。
二十歳を過ぎた私の娘がまだ小学生だった頃、
小学生による就業体験(トライやるウイーク)が授業に組込まれており、
確か六甲山牧場で1週間働かせてもらったと記憶する。
この大学生版がインターンシップである。


(1983.5ビデオ初監督作「大協石油・サービスのあり方」)

当社は毎年採用できるほど大企業ではない。吹けば飛ぶよな零細企業である。
なのに大企業のようにインターンシップを取っている。
年2~3回、毎回1名を受け入れ、長いと1カ月に及ぶこともある。
ではなぜインターンシップを受け入れているのか?
ひとつには急に欠員が出た時、
いざ新規採用しようとしても採用費用やツテもない零細企業にとって、
学校の就職課との太いパイプはありがたい。お金を使って求人広告を出すよりも
紹介の方がはるかに辞めないし、一生懸命仕事をする。だから教えがいもあり、
目をかけるようになって、結果として大きな戦力として残る。
もうひとつは、教えるというのは教える側に凄い?エネルギーがいる。
この教師役を当社の新人~中堅にさせるのである。
これにより自分の日常を振り返させることができる。
担当者は2~3日もすると面倒になる。それほど教えるのは大変だし、
付まとわられると迷惑千万である。

当社はプロデュース集団であるので、デザイナーやCGクリエーターなどの
専門技術職の採用はない。法学部でも経済学部でもよい。
しかし、当社と関係を持ちたがるのは法学部でも経済学部でもなく、
デザインなど芸術系の専門学校。
至極当然なのであるが、今の専門学校にはプロデュース科はないので、
インターンシップの学生は「デザインオタク」であり「アニメオタク」になる。
従って、一人大好き少年はコミュニケーションの取り方から
教えなければならない。未成年なので酒を酌み交わす「飲みニケーション」は
できない。だから余計に面倒である。
当社が仮に運送屋さんなら「オタク」も大いに戦力になる。
肉体労働なら「オタク」も関係ない。
インターンシップだからバイト代もいらないし…
実際、印刷会社が受け入れる場合、多くは仕分けや配送になるという。
おおよそ中高校時代、体育2、美術5のオタク学生にとって、
仕分けは重労働である。さすが鬼の私とて気の毒に思う。
ただ当社はプロデュース集団である。残念ながら仕分けや配送は
ヤマト運輸さんにお願いしているので、
彼らに与える仕事は「より良き道を探すためひたすら考える」こと。
よってインターンシップの学生といえども、
当社の新入社員のごとく鍛える事になる。

とはいえ、学生だからプレゼンなどでスポンサーの前に出すことはないが、
スポンサーに提出する企画書やコンテは制作してもらう。
学校で一応学んではいるものの、それはパソコンの使い方であって、
スポンサーの意向をカタチにするのは初めて。
しかもタイム・イズ・マネーの現場となるので実際はほとんど役に立たない。
しかし、指導教官役の社員にとって学生の出す案は、
今までプロとして何気に行なっていた思考の構築を、
身近に感じ、自分の思考を再構築する事になる。


今思えば19歳で学生監督としてPR業界に入った私にとって、
卒業後務めた4年間よりも、その後、約10年間フリーとして活動した時の方が
手痛い失敗が多く、「失敗は成功のもと」「3歩進んで2歩下がる」と居直って
仕事を次々と行なったが、居直るまでには相当時間がかかった。
オタクと呼ばれる、人から死ぬほどナジラレル失敗をしたことのない子供たちに
「居直れ」とは酷な話であるが、それでも課題を出して何かカタチにさせる。
これまでカタチにする作業中、居眠りをしている学生はいなかったので、
彼らなりに「やった」感はあるのだろう。
一応、就職課の先生は「インターンシップの学生達にとって
御社での研修は有意義なものになっている」と言い、
実際年を重ねるごとに優秀な学生が当社の門を叩く。
昨年、この専門学校生から1名、正社員を迎えた。
それがこのHPを制作し、管理している川村君である。

とはいえ、当社にインターンシップに来た学生の8割はまだ目的探し中。
「両親に苦労させて学費の高いデザイン専門学校にいかせてもらったので、
どうしてもデザイナーになりたい」という親孝行な学生から
「なんとなく」というすっとボケた理由もある。
失礼だが親孝行でデザイナーになれるのなら、
世の中デザイナーだらけになる。
なにゆえ「好きだから」「どうしてもなりたい」という情熱を持つ学生が
少なくなったのか?誰でも彼でも高学歴だからか。
はたまた核家族化でお母ちゃんが
息子を可愛がりすぎたせいか、離婚で母子家庭が増え、
お父ちゃん不在の家庭だからか…
よくわからないが、いずれにしても「好きだから」「どうしてもなりたい」
という学生は、例え親不幸でもデザイナーになる。
私などは学生時代「自分が監督にならなければ社会にとってマイナスだ」と
信じてやまなかった。


ではどうすればそこまでの情熱が持てるのか?
端的にいえば「好きだから」しかない。
しかし「好き」の次に来るのは
「うまくなりたい」「うまく思いを伝えたい」である。
うまくなるには自分を鍛えるしかない。
鍛えない限りいろんなことは身につかない。
技術だけではない。
優しさ、思いやり、反発、抵抗、といった「心のありよう」を
鍛えなければ身につかない。

「恋をしたら大抵みんなバカになる」
こうでなくっちゃ、モノは作れない。もちろん女もついてこない。
情熱の燃料は、さしずめ「傷つくこと」である。
この傷が、情熱を信念へと昇華させる。


ある会社社長にインタビューした時、私のあまりのしつこさに
「理屈じゃ~ねっす」
と新潟弁で怒鳴られた事がある。まさにモノを作るというのは、
自分との戦いである。諦めた時に戦いは終わる。
すぐに諦めるのは傷つくことを恐れるからで、
傷つくことこそが情熱を信念へと昇華させる。
「理屈じゃ~ねっす」。

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