整理とは捨てること。
棚にしまうのではなく、ばっさり捨てないと整理に至らない。
編集もまた捨てることだ。
ところが今回はコロナ禍で撮れ高が極端に少なかった。
わずかの取材時間で3作品分のインタビューを17名行なった。
したがってインサートカットはほとんど撮れなかった。
わずかに撮れたインサートカットはもちろん使い倒した。
棄てたカットは手振れのみで
その手振れさえもスローモーションで使用する有様だ。
テーマを代えてどっさり撮ったインタビューでさえも
捨てるなんて滅相もない。大切に扱い極力使った。
私の質問する声や被写体のモゾモゾ声のみ捨て3作品に散りばめた。
ないものはしかたない。あるもので料理するのがプロだ。
約30日間、年末年始を使い、連日4時~14時を編集に当てた。
空腹も寒さも感じない集中力で
何かが憑依しているような夢の30日間だった。
こわ~
スケジュールに合わせて編集していき、随時上映された。
編集は12月中旬から始まったが
まず視聴対象別に4分×3本を完成させ12月末に上映。
引き続き7分を編集して1月中旬に上映。
さらに4分×2本の編集をして2月中旬に上映。
3作品の編集が終わればネット用に
細切れインタビューを1テーマあたり各30~60秒に再編集し
97話を1月下旬に作り上げた。
正直これが一番大変だったのだが、
2月から順次アップされ、1年間更新されていく。
以上のすべての編集を
1月下旬に完了させるという超ハードロックだ。
実はこの年末年始・死の編集強行軍は3年連続になる。
さすがにここまできたら誰が何を話したか
虚覚えになり夢にまで出てくるようになった。
しかしそれでも見直すと新たな発見がある。
よく聞くと「そう言いたかったんだ」と気付くこともある。
3作品は視聴対象が違うので毛色が違う。
よくもまぁあの極貧素材で出来たものだと我ながら感心する。
しかし1テーマ30秒を97話にする編集では新たな発見もあった。
見てわからないものは聞いてもわからない。
とはよく言ったものだ。
切らないこと、編集しないことが
ドキュメンタリーの大原則だが
1テーマ30秒となると2~3箇所つながないと収まらない。
我々作り手は悪意を持って編集してはならない。
故意的に編集してはならない。
なぜなら○を×にもできるし、○を△にもできる。
0を1にすることも、1を0にすることもできるからだ。
そのことを心して制作者諸君は編集すべし。
編集とはまっこと恐ろしい行為だ。
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