本ブログのその355から続いた怒濤の福知山編の
スポンサー試写後、私は別件で北海道旭川へ向かった。
休む間もホッとする間もなく、次のミッションが始まった。
今回は納入事例取材。取材先は北海道旭川。
相棒は小沢カメラマン。
取材モノは私にとっては得意中の得意だが
最近の取材モノは二人体制の
チョーハードボイルドが定番化している。
したがってわかっているカメラマンじゃないと辛い。
撮るのではなく、現場を感じるカメラマンじゃないとね。
18日午前7時10分。
何事につけ早め対応が職業病の私はすでに空港に到着し
何か食べようかと散策。
7時58分、突然縦揺れ。地震発生。
携帯の地震警報がけたたましくあちらこちらから鳴り響く。
阪神淡路大震災の被災者の私としては、
体感的には大したことはない、この揺れなら建物の倒壊はないと
判断したが、一応情報収集のためテレビを探した。
テレビニュースは一斉に地震中継。
震源地は大阪高槻辺り。震度6弱。
6弱ではビルや高速の倒壊はない。
しかし古い木造家屋やブロック壁は倒れる可能性がある。
しかし、地震直後で現場に報道が駆けつけるにはまだ時間がかかる。
お天気カメラが映す梅田界隈は静かな朝をとらえている。
念のために娘や実家の両親の携帯を鳴らすも、話し中の音。
どこにかけても話し中。まさに阪神淡路大震災と同じ状況だ。
しかたなくメール送信する。返信なし。
もう一度、家族に携帯するも話し中。つながらない。
飛行機も止まったまま。
もう一度、携帯すると次女が寝ぼけ声で「大丈夫!」と。
彼女も阪神淡路大震災を経験しているが、ほとんど記憶にないらしい。
ようやく飛行機が復旧し私は一路北海道に飛び立った。
その後、大阪の街がどうなったかも知らず。
台風6号の影響で道中、飛行機は揺れに揺れ
何とか北海道千歳空港に着陸。
地震よりも揺れがひどく気分が悪くなり
変なチカラが入り足はガクガクしている。
千歳空港のテレビでは、火事があったの、
店内の棚が倒れたの、電車が止まっただの、
停電・ガスの停止など現場からの状況が流れている。
暫くすると弊社の妹尾から携帯に連絡が入る。
「地震で会社の棚が倒れ入り口を塞いでいる」との報告。
弊社ビルはトラックが通過すると揺れるので、
地震による揺れに耐えられず棚が倒れたのだろう。
隣の(株)ナリカの方々が妹尾をサポート。
一緒に片付けを手伝ってくれたとのこと。
ありがとーございました。
とにかく今日は出社禁止。余震に備え、全員自宅待機を命じた。
暫くして家族からメール。
「マンションのエレベーターが止まり
上層階の人々はヒーヒーと階段を登り降りしている」
続いて友人や東京スタッフからも安否確認メールが届く。
阪神淡路大震災の時にも何やかや気遣いをしてくれた連中からだ。
ありがたいものだ。
最後に某大手メーカ工場の総務部に配属された長女から
「会社の様々な手配で連絡遅れたが無事」と。
頑張って社員の皆さんの安全を確保してください。
父より。

▲弊社の惨状
こうして地震直後に北海道に出張した私は、
自国に絶望してアメリカに移住した
愛国心の欠片もない某国の金持ちのごとく
一人安全な場所に身を置き
家族の安否にのみ気を揉む哀れなオッチャンに。
とにかく今日の手配を済ませて家族に連絡しよう。
スポンサー試写後、私は別件で北海道旭川へ向かった。
休む間もホッとする間もなく、次のミッションが始まった。
今回は納入事例取材。取材先は北海道旭川。
相棒は小沢カメラマン。
取材モノは私にとっては得意中の得意だが
最近の取材モノは二人体制の
チョーハードボイルドが定番化している。
したがってわかっているカメラマンじゃないと辛い。
撮るのではなく、現場を感じるカメラマンじゃないとね。
18日午前7時10分。
何事につけ早め対応が職業病の私はすでに空港に到着し
何か食べようかと散策。
7時58分、突然縦揺れ。地震発生。
携帯の地震警報がけたたましくあちらこちらから鳴り響く。
阪神淡路大震災の被災者の私としては、
体感的には大したことはない、この揺れなら建物の倒壊はないと
判断したが、一応情報収集のためテレビを探した。
テレビニュースは一斉に地震中継。
震源地は大阪高槻辺り。震度6弱。
6弱ではビルや高速の倒壊はない。
しかし古い木造家屋やブロック壁は倒れる可能性がある。
しかし、地震直後で現場に報道が駆けつけるにはまだ時間がかかる。
お天気カメラが映す梅田界隈は静かな朝をとらえている。
念のために娘や実家の両親の携帯を鳴らすも、話し中の音。
どこにかけても話し中。まさに阪神淡路大震災と同じ状況だ。
しかたなくメール送信する。返信なし。
もう一度、家族に携帯するも話し中。つながらない。
飛行機も止まったまま。
もう一度、携帯すると次女が寝ぼけ声で「大丈夫!」と。
彼女も阪神淡路大震災を経験しているが、ほとんど記憶にないらしい。
ようやく飛行機が復旧し私は一路北海道に飛び立った。
その後、大阪の街がどうなったかも知らず。
台風6号の影響で道中、飛行機は揺れに揺れ
何とか北海道千歳空港に着陸。
地震よりも揺れがひどく気分が悪くなり
変なチカラが入り足はガクガクしている。
千歳空港のテレビでは、火事があったの、
店内の棚が倒れたの、電車が止まっただの、
停電・ガスの停止など現場からの状況が流れている。
暫くすると弊社の妹尾から携帯に連絡が入る。
「地震で会社の棚が倒れ入り口を塞いでいる」との報告。
弊社ビルはトラックが通過すると揺れるので、
地震による揺れに耐えられず棚が倒れたのだろう。
隣の(株)ナリカの方々が妹尾をサポート。
一緒に片付けを手伝ってくれたとのこと。
ありがとーございました。
とにかく今日は出社禁止。余震に備え、全員自宅待機を命じた。
暫くして家族からメール。
「マンションのエレベーターが止まり
上層階の人々はヒーヒーと階段を登り降りしている」
続いて友人や東京スタッフからも安否確認メールが届く。
阪神淡路大震災の時にも何やかや気遣いをしてくれた連中からだ。
ありがたいものだ。
最後に某大手メーカ工場の総務部に配属された長女から
「会社の様々な手配で連絡遅れたが無事」と。
頑張って社員の皆さんの安全を確保してください。
父より。

▲弊社の惨状
こうして地震直後に北海道に出張した私は、
自国に絶望してアメリカに移住した
愛国心の欠片もない某国の金持ちのごとく
一人安全な場所に身を置き
家族の安否にのみ気を揉む哀れなオッチャンに。
とにかく今日の手配を済ませて家族に連絡しよう。
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