あけて5月4日。
今日からが本番。令和元年の例大祭が始まった。
5月1日は45台のだんじりが集まったのに、午前中は霧雨。
今日は打って変わって晴天。
何となく膝がカクカクするがそれは1日の余韻だ。
私のポジションは子供会(小若)の綱の中。
次女も綱の最後方でひっくり返る子供がいないか確認してくれている。
もし倒れると後ろから綱に曳かれてやって来るだんじりの下敷きになる。
もちろん下敷きなんてことは今の今まで一度もないが、
小学校低学年の子供は身長が低いこともあり、
曳くというより綱に持たれるようについてくる。
昼御飯を食べたあとなど、2~3人はウトウトしながら
綱にもたれ掛かって夢うつつで歩いている。
従って緩んだ綱が急に張った時などはひっくり返る。
寝ているのだからひっくり返るわなぁ。
だんじりばかり見て溝にハマる子供もいる。
そうならないように父母がついているのだが、
自分の子供しか見ていないので救助できない。
中には自ら溝にハマる父母もいる。
当然、私は抗議の的。私はどう見ても温厚そうな
おじさんなので抗議しやすいのだろう。
転けた子供は膝を擦りむき大泣きしている。
その間も容赦なくだんじりは進んでくる。
抗議する母親と大泣きする子供を排除し、ひたすら頭を下げる。
ニコニコと笑顔を絶やさず謝る。
これが一番の和解作。私は太陽作戦と命名している。
若中の中には子供会の綱がジャマだと考えている阿呆もいる。
私から言わせれば子供会が綱で引っ張っているから
坂道をだんじりが進む。
ジャマだという奴に限り着ている法被はシワもなく塩も吹いていない。
君たち文句いう前に子供会に感謝しなよ。
かれこれ15年強も綱にいると立派に育った若中も沢山いる。
そんな子が成長して責任者になると嬉しいものだ。
たまに「オッチャンがカッコ良かったからだんじり曳き始めた」
なんて言われるとマジ泣くよ。ほんと泣くよ。
その子供会の綱は長いバージョンと短いバージョンと
2種類あるが圧倒的に短い方が操りやすい。
参加する子供の数で長さが決まる。
短い方は私一人でも何とかやれるが、
さすがに長くなると一人では面倒見切れない。
掛け声をかけるタイミングや、補助的に綱を手繰ったり、
子供会の父母に指示したりと指示が連続になり、
綱が長くなるほど難しい。
しかし基本的に若中は子供会の綱には入りたがらない。
やっぱりだんじりに触れていたい。
私も触れているだけで楽しいのだが・・。
まあ、綱でだんじりと繋がっているといえばそうなのだが。
私は朝から子供会が解散する16時の間で綱が出ている間は
だんじりに触れることはない。
しかし、時たま子供会の休憩などで綱を外すことがある。
その時はすかさずだんじり前の棒鼻の中に潜り込みだんじりを曳く。
そして綱が出たらまた綱の先頭にとって返し、子供会の一員になる。
子供会の綱担当の私は2代目で、5年ほど前までは初代が綱前、
私が綱後ろを担当していた。今思えばその時の綱が一番安定しており
擦り傷の子供もほとんど出なかった。
▲この子たちが大きくなって空の若中を引っ張っていくことに
綱の初代は地元生まれの地元育ち。「桜井三兄弟」の長男で、
三兄弟は揃って口が悪く若中から恐れられていたが、
初代は「セーノのおっちゃん」と呼ばれて、
今でも子供達から愛されている。
私も最初はビビっていたが、内面はナイーブでハートフルな三兄弟。
私の次女はいつも
「桜井のおっちゃんらがおらんかったら、とーにやめてたわ」
と高原している。
その温厚な長男も含め三兄弟は宮入では必ず屋根に登る。
もう70歳を迎えようとする今でも宮入は屋根にと
思っているはずだが、最近は若者の場所を奪うのも
なんだかと自覚してか、だんじりの前と後ろに分かれて
威勢のよい掛け声を掛けながら汗ダクになって宮入している。
だんじりは、とにかく曳くのが好きという連中と、
屋根で目立つのが好きという連中と、
浴衣を着てだんじりに座るのが好きという連中によって成り立っている。
桜井三兄弟が屋根方なら私はとにかく曳くのが好き派だ。
次女は女なのでだんじり後ろに乗って提灯を振ることに命をかけていた。
しかしここ2~3年は子供会の綱を担当してくれている。
5月1日は子供会の綱は出なかったので私と一緒にだんじりを曳いていた。
その次女が一言「だんじりを曳くのも面白いなぁ」
嬉しいじゃないの、それでこそ私の娘。
こんなだんじり馬鹿がいるから重さ4トンのだんじりが動く。
かくゆう私も私の次女も桜井三兄弟も純正のだんじり馬鹿だ。
今日からが本番。令和元年の例大祭が始まった。
5月1日は45台のだんじりが集まったのに、午前中は霧雨。
今日は打って変わって晴天。
何となく膝がカクカクするがそれは1日の余韻だ。
私のポジションは子供会(小若)の綱の中。
次女も綱の最後方でひっくり返る子供がいないか確認してくれている。
もし倒れると後ろから綱に曳かれてやって来るだんじりの下敷きになる。
もちろん下敷きなんてことは今の今まで一度もないが、
小学校低学年の子供は身長が低いこともあり、
曳くというより綱に持たれるようについてくる。
昼御飯を食べたあとなど、2~3人はウトウトしながら
綱にもたれ掛かって夢うつつで歩いている。
従って緩んだ綱が急に張った時などはひっくり返る。
寝ているのだからひっくり返るわなぁ。
だんじりばかり見て溝にハマる子供もいる。
そうならないように父母がついているのだが、
自分の子供しか見ていないので救助できない。
中には自ら溝にハマる父母もいる。
当然、私は抗議の的。私はどう見ても温厚そうな
おじさんなので抗議しやすいのだろう。
転けた子供は膝を擦りむき大泣きしている。
その間も容赦なくだんじりは進んでくる。
抗議する母親と大泣きする子供を排除し、ひたすら頭を下げる。
ニコニコと笑顔を絶やさず謝る。
これが一番の和解作。私は太陽作戦と命名している。
若中の中には子供会の綱がジャマだと考えている阿呆もいる。
私から言わせれば子供会が綱で引っ張っているから
坂道をだんじりが進む。
ジャマだという奴に限り着ている法被はシワもなく塩も吹いていない。
君たち文句いう前に子供会に感謝しなよ。
かれこれ15年強も綱にいると立派に育った若中も沢山いる。
そんな子が成長して責任者になると嬉しいものだ。
たまに「オッチャンがカッコ良かったからだんじり曳き始めた」
なんて言われるとマジ泣くよ。ほんと泣くよ。
その子供会の綱は長いバージョンと短いバージョンと
2種類あるが圧倒的に短い方が操りやすい。
参加する子供の数で長さが決まる。
短い方は私一人でも何とかやれるが、
さすがに長くなると一人では面倒見切れない。
掛け声をかけるタイミングや、補助的に綱を手繰ったり、
子供会の父母に指示したりと指示が連続になり、
綱が長くなるほど難しい。
しかし基本的に若中は子供会の綱には入りたがらない。
やっぱりだんじりに触れていたい。
私も触れているだけで楽しいのだが・・。
まあ、綱でだんじりと繋がっているといえばそうなのだが。
私は朝から子供会が解散する16時の間で綱が出ている間は
だんじりに触れることはない。
しかし、時たま子供会の休憩などで綱を外すことがある。
その時はすかさずだんじり前の棒鼻の中に潜り込みだんじりを曳く。
そして綱が出たらまた綱の先頭にとって返し、子供会の一員になる。
子供会の綱担当の私は2代目で、5年ほど前までは初代が綱前、
私が綱後ろを担当していた。今思えばその時の綱が一番安定しており
擦り傷の子供もほとんど出なかった。
▲この子たちが大きくなって空の若中を引っ張っていくことに
綱の初代は地元生まれの地元育ち。「桜井三兄弟」の長男で、
三兄弟は揃って口が悪く若中から恐れられていたが、
初代は「セーノのおっちゃん」と呼ばれて、
今でも子供達から愛されている。
私も最初はビビっていたが、内面はナイーブでハートフルな三兄弟。
私の次女はいつも
「桜井のおっちゃんらがおらんかったら、とーにやめてたわ」
と高原している。
その温厚な長男も含め三兄弟は宮入では必ず屋根に登る。
もう70歳を迎えようとする今でも宮入は屋根にと
思っているはずだが、最近は若者の場所を奪うのも
なんだかと自覚してか、だんじりの前と後ろに分かれて
威勢のよい掛け声を掛けながら汗ダクになって宮入している。
だんじりは、とにかく曳くのが好きという連中と、
屋根で目立つのが好きという連中と、
浴衣を着てだんじりに座るのが好きという連中によって成り立っている。
桜井三兄弟が屋根方なら私はとにかく曳くのが好き派だ。
次女は女なのでだんじり後ろに乗って提灯を振ることに命をかけていた。
しかしここ2~3年は子供会の綱を担当してくれている。
5月1日は子供会の綱は出なかったので私と一緒にだんじりを曳いていた。
その次女が一言「だんじりを曳くのも面白いなぁ」
嬉しいじゃないの、それでこそ私の娘。
こんなだんじり馬鹿がいるから重さ4トンのだんじりが動く。
かくゆう私も私の次女も桜井三兄弟も純正のだんじり馬鹿だ。
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